Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

『スマホ・スマートフォン』にまつわる、楽しい、語らい。私のコメント欄による。長文失礼!その2悲しみと希望に満ちた気持ち

2023年01月22日 20時11分28秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々

.私もですねえ、…2 (wainai123753)2023-01-22 11:40:42
 私達の車は、サーっと、渋滞を通り抜け、颯爽として、車の運転は続く。私が乗ろうとしている新幹線は「あおば」だから、これを逃すと、あと一時間以上待つことになる。これは運賃が幾らであり、これに乗れば、お母さんがいる、那須塩原まで、何とかゆける、那須塩原警察署は、駅前近くに、丁度ある、といい、それすらも、その警官は、手元のスマホを軽快に用い動かし利用しつつ、私に常々、情報を提供して見せた。我々はその時、ちょうど、郡山駅前に到着した。
 その前にも、帰りは、サイフ、予算の関係で、貧しい我が家の事でもあり、鈍行、普通列車で帰る事になる、というと、それも、そこでも、警察官は夜の時刻表をスマホで丹念に調べ上げ、早ければ、夜九時、十時には、郡山駅に帰れる、とこれも、先述のスマホでの情報を颯爽と私に告げる。
 私がスマホというものに何となく憧れを懐き、偉い凄いモノが現代にはあるんだと、覚知、思い致した、これが、最初の遭遇であった。
 それから、その警察官一人はそのまま駐車場の車に残り、もう一名が、私と共に、有難い事に、郡山駅構内の、「みどりの窓口」までわざわざ一緒に来て下さり、一緒に座ってくれた。
 そして、私が切符を買い、私は食事も摂らずに、その警察官と改札口で別れ、私は最大限の最敬礼のお辞儀・お礼をその警官に申し開き、言い、礼儀を尽くして、私は大事な母への元へと、新幹線に颯爽と乗り込み、母を無事迎え、郡山へと帰って来た。
 それから数日過ぎ、当の私の姿は、当時、御前南、針生の方にあった、au大槻店にて在り、携帯を物色していたのだった。その時、私は当時から、「スマートフォン」「スマホ」が主流なのは、当時の売り場面積から言って、至極、当然であり、分かっていた。今の時代は、皆、スマホなんだなあ、という個人的な感覚・感慨があった。
 スマホを横目でにらみつつ、私は、その小さな一角にあった、昔懐かしい、ガラケーのコーナーを見かけた。何か、旧友に会ったような、懐かしさに包まれた。これだったら、母にも使えるかも、と思い、思わず店員さんを呼び止め、あのー、これが欲しいんですけれども、と言った。
 それが、この間まで(このガラケー携帯は、2023.R5/1/20PM5:00を境に、私による、スマホ契約・使用利用の為にThe End、終了。)使っていた、私の携帯の馴れ初めの謂いである。この携帯ガラケーは、結局、母は使わなかった。
 以前、二十年前までは、母は、私が私の携帯を渡すと自由自在に使い充電も自分でしていたが、この時には、もう使いこなせる余裕、自由度が失われていた。
 目も悪いんだろう。電話が鳴っても、どう操作、どこのボタンをいじって良いのか分からず、戸惑っているのを見た私は、母がいる場所が分かれば良いとさえ思いつつ、御守り代わりに、母のカバンに携帯を入れて置いて、失くさないでね、大事な携帯電話なんだよ、と言って渡した事も有る。
 また、出かけていて、母が心配になり、実際に、私がうちのいえ電で母が持っている携帯電話にかけ直しても、母は全く出ない。それからすぐに、うちに母が帰って来た。買い物している時に、いきなりベルが鳴ってビックリした、と。使い方は相変わらず、分からないと。
 だから、今度からは主に、私が使用利用する事にした。その方が、この携帯にも、携帯孝行と言うのも変だが、携帯も喜ぶだろう。携帯にも命が籠る。これは、「山川草木悉皆仏性」の仏教を習いたての、日蓮正宗の御教えにも合致しているとさえ思い及んだ。
 これは、この携帯は、その後、私達親子、それからその後は、私自身の、福祉関係の電話、お寺の関係者との電話がその大半を占めるようになる。
 それ以来、六年にわたり、使い戦って来た、フル活躍活動の、愛用のガラケー携帯であった。このガラケーも、使用世代が4Gであり、今の主流は、5Gであり、この間のauショップにても、依然とガラケー携帯が発売されていたが、その日も私の対応に当たった店員さんは、私がこれはこのガラケーはいつまで続くのか、これが終了、終わったら、私は携帯を諦め、辞めなくてはならないのか、と聞くと、店員さんは、今もまだ正確なアナウンス、発表、公表がなく、まだ私共も判らない状態、発表はこれからになる。まだ、お客様の携帯が壊れない限りに於いて、使えるんじゃないですかねえ、という。
 段々と心がしぼみ、不安になってゆく私…。これは、店側の術中に完全にハマってるんだろうと思ったが、店側では一切、この時も、スマホの宣伝、売らんかな精神を積極的に大々的に打ち出す訳でもなく、冷やかし程度で来た私には、むしろ、風来坊、ウィンドーショッピング程度の客の扱い。どうせただの冷やかし、買いもしないんだろう、この客は、と。これもにべもなく、冷たい扱い。無慈悲にも感じた。
 何か、私の中で、依然、俄然、バカにされているような、勝他の念が起こり、私だって、携帯、この場合、「スマホ」「スマートフォン」位、持てるは、持ってやるは、という、妙な自覚、自信、プライド、勝利感が自身起こり酔い痴れ、急に沸々と、バカにされた(実際その店では、私に対して、一切そんな素振りは無かったのだが)との逆上の念慮、想い、とにかく、親の仇を取るような積りで、店員さんに、スマホについて自身が納得が行くまで、ねんごろに質問攻めをして、一つ一つ、一から十まで、微に入り細に入り、丁寧に聞いて訊ねていった。
 そして、大体のアウトライン、返答を聞き、頂きもらい、実際に出来れば、明日、買いに来るかもしれない、とにかく、一日、今日、夜、ここでもらったパンフレットと首っ引きで、良ーく勉強させてもらった上で、又来店させてもらう、と捨て台詞を吐いて、言って、私は所を辞した。
 それ以来、本当に、その次の日の昼時に、その店の来店の時間予約を夕方五時に取り決め、私は三時の訪問看護を終えて、一路、au大槻ショップ目指して、いざ、鎌倉、本当に粛々としてスマホを買って帰って来てしまった。勝鬨(かちどき)の声を上げたい気分。
 正に、親の仇(かたき)を取った勝ち誇った積り・気分で今も居るのである。寧ろ、勝って儲けているのは、店側であり、買ったのがお金を使ったのが損なのか得なのかの、私。
 正に、私にとっての、生涯学習、一生勉強、人生大学・社会大学、の一環なんだな、との念慮・想いが非常に強く、さめざめとした感興が起こり、深い感慨を懐(いだ)く、今日この頃なのである。

 たかが人生、されど人生。たかが携帯、されど携帯。たかがスマホ、されど、スマホ、である。

以上。よしなに。wainai
※尚、なおともさん、この私の長文コメント、余りに超大作なので、これを、私のブログ本編本文に利活用させて頂く事を、ここにお断わりさせて頂きます。
誠に、失敬、失礼致します。
なおともさんへ。


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