Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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私のイヤで意地悪をされたピアノ教室、その後見つけた別天地のようだったハーモニカ教室

2024年08月08日 14時12分50秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・カリンバ・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード
 私はかつて、文化センター前に陣取る、N楽器という楽器屋が経営した、幾種類か楽器教室がある中で、ピアノ教室を選んで通いだした。
 最初からおかしいと思ったのは、教師役の女の先生は一切実地には手本を示さず、私は家から持ってきた「こどもバイエル」をピアノの前に置いて私が弾いた。すると凄い総スカンであった。ここは教え方に難があると思った。
 そして、私のうちのピアノが電子ピアノだというと、猛烈に反対して、高いピアノを売り付けようとした。
 その次の週に行くと、前週にも居たが、その時も毎度五分十分オーバーだったが、何やら前の生徒、話を聞いていると中三が、熱弁を奮って話していた。
 「僕は三歳の時からこの教室に通い、今年はN大東北高校の受験なんですものね。僕は塾から、一つ五千円のビデオテープがうちに何十本もあり、それが五教科の教材で、やることが一杯なんですよ。」とこうであった。
 そんな聞きたくもない話が延々と続く。そして、ついに、私のレッスン時間までにも及び、五分、十分、十五分と、その延長時間の無駄話、長話は続いた。
 今の私だったら、そんな中坊の横暴などには屈せずに、その女性教師を諌め叱りつける事など容易だが、この時の私はまだ世の中も知らずに、無頓着で、自分がバカにされてるのに、プライドもなく平然としているより他無かった。
 やっとその生徒の話が終わり、帰るのかと思ったのかの、束の間、又、ピアノのキーを探るように弾き出す。
 これを特別待遇で許すこの女性教師もどうかしてると思った。
 そして、私の番が来たが、時間はその男の生徒の時間が押した分、減らされてしまった。
 よくよく考えてみると、その生徒は、当時一本五千円もするビデオを買える程のボンボン。それなのにN大東北にしか行けない程のバカ。そんな程度のよくよくのバカが弾いて練習していた曲が「ジャズ」。この教室は基本、生徒が持ってきた教本を使い、指定などはない。
 その男の生徒の弾くピアノの音も、ジャズだか何だか知らないが、ポツリポツリと、曲の体を為していない代物。それをその女教師は一々、そうそう、そこはそういう感じ、と誉め称える事を決して忘れない。
 その様子は、見るからにお世辞お調子を取っている姿そのものだ。特別なまいない賄賂でももらってるのか。きっとそうだろう。全てが金で解決され得る世界。先生も生徒も、お調子を取り合う世界。
 その悪夢のような時間が過ぎて私の番になると、先程は歯も浮き立ちそうなお世辞合戦だったのが、今度は鬼の形相で私を睨み付けて、まるで威嚇でもするかの如くの、怖い顔も声も態度も豹変し、この三拍子、見事に揃えたものだとこちらは悪く感心したものだ。
 こういう音楽教室がこの世には存在するんだと。果たして存在して良いのだろうかと。この、人を選び、ひいきにする人を選ぶ、三流五流田舎っぺ教室めが。
 元々そうなのだ。私は、子どもの時から、女の人は、美人さんには、非常に親切に大切にされて大事に守られる。こういっては悪いが、不細工な人からは邪険にされ掃き捨てられる存在、体質なのだ。これはそういう星の下に生まれ合わせたのだからしょうがない。
 という事で、私のピアノ教室の体験はこの時限りで、後は一度もピアノを習わず、確か、そのピアノ教室の数年前に二度目のクラシックギターを習うもモノにはならなかった。
 やっと、今から七、八年前、宗教も日蓮正宗に宗旨替えして、「複音ハーモニカ教室」に、自身の選択で自転車で通ったが今はもうない、ヨークカルチャーセンターでの、半年間にわたる、御高齢だった酒井勝治先生の御指導の下での、あの優しくてひょうひょうとした先生の御教えと温かい眼差しがとても今でも鮮烈で忘れられない。酒井先生には今でも大変に感謝をしている。
以上。よしなに。wainai

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