Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価イコールずるい、顕正会は真面目?日蓮正宗内から見たイメージ

2018年09月07日 20時17分17秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
ユーチューブで、樋田昌志さんの顕正会との対論を拝見していた。双方、淡々と進んでいき、最後になり、樋田さんが、ある意味、創価はこすいが顕正会の皆さんは礼儀正しく、立派で真面目な方が多い、と語っていて、最後は双方笑いに包まれ、散会となった。
 樋田さんの仰る、創価はこすい、つまりわるがしこい、ずるいが、顕正会の方々は真面目、というイメージは、私も創価出身で残念だが、認めざるを得ない。
 創価学会は、日蓮正宗の大御本尊を否定し、公式に受持の対象としない、と宣言した。それ以前にも、池田大作名誉会長が「大御本尊?あんなのはただの物だ。」等の謗法スピーチを数々ぶち上げ、物議を醸した。
 対する顕正会は、浅井昭衛会長の信者集めの当たらぬ予言のスピーチは考えものだが、遥拝勤行と言って、顕正会の会員たちは今もって、静岡県は富士大石寺に向かって、大石寺の方角を向いて必ず勤行をしている。彼らの大御本尊への恋慕の気持ちは、痛い程良く分かる。彼らも考え方を代えて、日蓮正宗に帰伏すれば、必ずや大御本尊を直に拝謁出来、しかも一座のでなく、五座三座の勤行スタイルで、本物の祈り、勤行が出来るのだが。
 これだけ、異流義と言えども、創価学会と顕正会では、本尊観が180度違う訳だから、その差が、真面目さ不真面目さ、一生懸命かいい加減か、創価はずるく、わるがしこく、こすい、となる訳だ。
 私は日蓮正宗における、創価学会出身者として創価がずるいと言われて、我が事ながら、自分自身、恥ずかしいと思う。確かに、創価学会の人は、中には、ゴロツキのような口汚く罵るような輩が多かったり、貧相で、不真面目な感じの人が多かったり、余りいいイメージはない。私もその中にいたのかと思うと、恥じ入るばかりだ。
 もっと、私も創価じゃなく、顕正会出身だったらと、考えるだけでも仕方ないが、もう少し、言葉を選んで語り、物を考え、もっと慎重な、軽はずみじゃない、少しはましだったんじゃないかとも思う。顕正会が100%正しいとは言わないし思わないが。
 私のお寺で顕正会の話題が出ると、顕正会を馬鹿にする人もいるが、あれだけ一生懸命、一途に大御本尊様に憧れ恋慕する姿を垣間見て、むしろ半分尊敬の念をもって見ている人もいる。顕正会の人で、今、日蓮正宗に入れば、その真面目さ故に、役職等で重んじられるかも知れない。
 大御本尊への姿勢如何によって、顕正会と創価学会はこれだけ差がついてしまった。創価は信心で、地獄界まで地に落ちてしまった。どうやら創価は、賞味期限切れ、終わった宗教なのかも知れない。それで創価の人達は、安心が果たして得られ、納得して、いいと自身、言い切れるのだろうか?私は疑問に思う。私は、そんな創価のような宗教は嫌だし、もうごめんだ。
 ハッキリ言って創価学会は、名前だけの、中身の無いギョウザだと思う。