正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

食の歴史、栄養学とその間違いを知るべきであるー食事学が必要である

2011-02-22 | 食事教育
私のメモを見ていたらウィキペディアで調べた「栄養学」が出てきた。

• 1975年(昭和50年)、謎の神経炎が発生する[24]。
• 1976年、翌年、謎の神経炎がビタミンB1欠乏症である脚気だと分かる[25]。砂糖の多い清涼飲料水やインスタントラーメンといったビタミンの少ないジャンクフードばかりを食べるような食事によってビタミンが欠乏したことが分かった[26]。香川綾が再び胚芽米の普及にのりだす[27]。
栄養学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

栄養学(えいようがく、Nutrition science)とは、食事や食品の中の成分である栄養素がどのように生物の中で利用されたり影響しているかを研究する学問である
栄養とは、生物が自らの体を構成して生活活動を営み、健康を維持・増進して生命を維持してゆくため、必要な物質を外界から身体に取り入れ、これを利用する現象をいう。栄養学は、人間の栄養に関する学問である。
• 1910年代、日本での栄養学の創設期には、食品に含まれる栄養成分の分析や、「何を、いつ、どのくらい」食べたらいいのかを研究した
• 1980年頃から、食事と生活習慣病が大きく関係することが分かり、「食生活指針」が作られ、食事と病気との関連を研究する疫学研究が盛んになっていった。また1980年代以降、食品成分の健康に対する作用が解明されることが増え、健康食品として食品の機能に関して認識されていくこととなった。
2003年には、アメリカとカナダの栄養士会は合同で、牛乳や卵も摂取しない完全な菜食においても栄養が摂取でき、また菜食者はがん、糖尿病、肥満、高血圧、心臓病といった主要な死因に関わるような生活習慣病のリスクが減る、認知症のリスクも減ると報告している[1]。6つの前向きコホート研究をメタアナリシスし、20年以上の菜食者は平均余命が3.6年長いと報告された[2]。

日本における栄養学の歴史
1871年(明治4年)に、ドイツ医学で教えたドイツ人ホフマンによって栄養についての知識が日本に伝えられた。しかし、そのときは医学のなかの一分野にすぎず、一つの学問として体系化されたものではなかった。

栄養学の創設
佐伯矩は、栄養学を学問として独立させたため栄養学の創始者といわれる。矩は、京都帝国大学で医化学を学んでいたころ、すでに「米と塩を以って生活できるか否かについての研究」と栄養に目が向いていた[3]。内務省伝染病研究所に入り北里柴三郎の門下として細菌学を研究した。・・・栄養学が芽生えたのは、1914年(大正3年)。佐伯によって営養(栄養)研究所が創設され、医師10名、高等師範1名に栄養に関する講義が行われた。1918年(大正7年)当時、教科書や政府の刊行物では営養と表記していたものを栄養に統一するように文部省に建言した[7]。栄えるという字には健康を増進する意味があるからである[8]。また完全食や偏食といった言葉も作り出している。1920年(大正9年)には、内務省の栄養研究所(現在の国立健康・栄養研究所)が設立され、佐伯は初代所長となる。1924年(大正13年)、佐伯は私費を投じて栄養学校を設立。翌年入学した第一期生は、1年間の学業を修め、佐伯によってつけられた「栄養士」と呼称で世に出た。
1934年(昭和9年)日本医学会の分科会として、栄養学会が正式に独立を認められた。
佐伯矩は海外でも精力的に講義を行い、その業績によって1937年(昭和12年)には、国際連盟主催の国際衛生会議において、参加各国が国家事業として栄養研究所を設立し、栄養士の育成を行い、分搗きの米を用いることの決議がなされた[9]。ビタミンの国際単位も国連への矩の提案である[8]。
栄養士と養成施設
• 1924年(大正13年)、矩の栄養学校ができる。
• 1933年(昭和8年)、香川綾の家庭食養研究会ができ、1939年(昭和14年)に女子栄養学園となる。
• 1939年(昭和14年)、陸軍の糧友会が食糧学校を設立した[10]。
• 1947年(昭和22年)に栄養士法ができ、上記の栄養学校、食糧学校、女子栄養学園で栄養学を学んだものに与えられていた栄養士という称号が公的なものとなった[10]。
• 1962年、管理栄養士が制度となる。
主食論争
明治時代から食養会の関係者は玄米をすすめていた。当時の栄養学は、玄米に多い食物繊維は未消化で排泄されるので栄養吸収の効率が悪いと考えたが、真っ白に精白した米は栄養素が少なすぎるという低栄養が問題であり、当時多発したビタミンB1不足による脚気の予防のためにもその中間を提唱していた
• 1918年(大正7年)、矩は新聞社を16社呼び、胚芽米をすすめ米のとぎ洗いも問題だと伝えた[11]。しかし、精米技術が追いつかず、胚芽米の推奨はやめてどちらかというと胚芽米を嫌っているようでもあった[12]。
• 1921年(大正10年)、玄米をすすめてきた医師の二木謙三が玄米をすすめる内容の著書を発行している[13]。
• 1922年(大正11年)、矩は七分搗き米をすすめる[14]
• 1927年から陸軍の糧友会は胚芽米を普及させようとしていった[15]。理由は、白米はビタミンBが少ないという栄養上の問題があり体力を奪い大和民族の発展を阻止するが、胚芽米は栄養があり味もよく消化がいいということである[15]。
• 1928年、香川綾も胚芽米をすすめた[16]。同1928年(昭和3年)ごろ、陸軍は脚気予防のために胚芽米に精米できる精米機が登場したため、胚芽米を採用した[17]。正確に七分搗き米に精米できる精米機はまだなかった[17]。矩は、七分搗き米を普及するべく「標準米」として提唱している[18]。東京市は胚芽米の普及をすすめ、栄養研究所や栄養士と対立する[12]。
• 1938年(昭和13年)、農相によって胚芽米でなく七分搗き米を奨励すべきだという発言が報道されたのに対し、糧友会は『胚芽米普及の真意義に就て』を書き、栄養がある七分搗き米を食べている人にまですすめるわけではないと弁明している[15]。
• 1939年、農務省から米穀搗精等制限令[19]が出て、胚芽を含んだ七分搗き米が奨励された。
• 1941年(昭和16年)、玄米の普及の請願も出ていたが、厚生省、文部省、農林省の大臣が答弁し米は七分搗きが適当であり玄米は最適ではないとした[20]。
• 1942年(昭和17年)以降、大政翼賛会では国民を玄米に復帰させるとして議題となり、時の首相であった東條英機が玄米を常食していることも伝わり世論は玄米に傾いた[20]。伝染病研究所の研究者らが玄米食について研究し12月の「医界週報」での報告では、玄米食によって小食になったうえ下痢も減り仕事の耐久力が上がり、医療費は1/17に減ったが炊飯に要する燃料は増加したと伝えたので、栄養学者も認めざるをえなくなった[21]。
• 1943年(昭和18年)、当初反対していた厚相も首相に従い玄米をすすめていった[22]。
• 1945年(昭和20年)8月15日 玄米をすすめる「食生活指針[23]」ができた。
• 1975年(昭和50年)、謎の神経炎が発生する[24]。
• 1976年、翌年、謎の神経炎がビタミンB1欠乏症である脚気だと分かる[25]。砂糖の多い清涼飲料水やインスタントラーメンといったビタミンの少ないジャンクフードばかりを食べるような食事によってビタミンが欠乏したことが分かった[26]。香川綾が再び胚芽米の普及にのりだす[27]。

戦後
終戦直後には食料の生産供給の状態が悪く、飢餓や栄養失調も頻繁に起こっていた。
1946年には、アメリカから14万トンの小麦粉が送られた
またララ物資として、食料としては小麦粉や砂糖、粉ミルクや缶詰めといった救援物資が送られた
*1954年(昭和29年)には、農業貿易開発援助法(PL480:Public Law 480)によってアメリカの農産物による食糧援助が始まる。学校給食法ができる。 戦後は、厚生省が栄養改善運動をはじめる。おかずの多い食事や、食生活に小麦を使った 食事や洋風の食事が普及していく
日本食生活協会がアメリカから資金援助を受け、キッチンカー(栄養指導車)を走らせ、栄養士が欧米風の食事の実演をした。
1956年(昭和31年)には8台のキッチンカーがあった[28]。学校給食はパンと牛乳となり、フライパン運動や、栄養三色運動[29]によって、米を大量に食べる食生活から、以降急激に小麦を使った食品や畜産食品やおかずの多い食生活が普及して
いった[30]。

食育への流れ
しかし、このようなアメリカ化された食生活はアメリカ自身も困っていた食生活をそのまま取り入れてしまったものである[31]。1983年には、食生活の方向転換が提案され「私達の望ましい食生活-日本型食生活のあり方を求めて」では、米や野菜を中心として、動物性脂肪や砂糖、塩分のとりすぎを避けるという日本型食生活が提案された。1985年(昭和60年)には、食生活による生活習慣病の増加がわかってきたので、厚生省が「健康づくりのための食生活指針[32][33]」を策定する。
• 1993年、厚生省によって食事の教育が重要であるという提起として『食育時代の食を考える』が出版され、冒頭は、厚生大臣であった小泉純一郎が厚生省としては食が一番大事じゃないかと述べていたというところからはじまる[34]。
• 2000年(平成12年)厚生省、農林水産省、文部省が「食生活指針[35][36]」を策定する。厚生省による「健康日本21[37][38]」(21世紀における国民健康づくり運動)もはじまる。
2005年(平成17年) 食育基本法[39]が施行される。厚生労働省と農林水産省が食品を単位としたイラストの食事指針である「食事バランスガイド[40][41]」を策定する。
国際的な歴史
• 1970年代後半から食事と生活習慣病が大きく関係しているとアメリカで報告され、食生活指針の策定が行われるようになり、食事と疾患に関する栄養疫学が活発に行われるようになる。
• 1995年、WHOとFAOの会議で食物ベースの食生活指針の作成が求められた。
生活習慣病と疫学研究
• 1977年、「米国の食事目標[42]」(Dietary Goals for the United States)が報告される。報告書にはハーバード大学公衆衛生大学院の栄養学の教授であるマーク・ヘグステッドも非常に関わった。この報告によって食事と生活習慣病の関係が大きいことが分かり、食生活指針の策定につながっていった。まだ、この時点では科学的な証拠がはっきりしていない結論もあったため、疫学研究が盛んに行われるようになる。こうしたコホート研究といったものには、数年から十年以上の研究機関を要するので早急には結果が出ない。
ハーバード大学公衆衛生大学院による、女性看護師の疫学研究 Nurses' Health Study (NHS)[43]、男性医療従事者の疫学研究 Health Professionals Follow-up Study (HPFS)[44]といった大規模なコホート研究が行われるようになる。この研究を指揮している人物はウォルター・ウィレットである。
• 1982年、アメリカ国立癌研究所が全米科学アカデミーの下位組織のNRC(National Research Council)に食事とがんに関する科学的な分析を依頼し、その報告として「食生活、栄養とがん[45]」(Diet, nutrition, and cancer,1982)としてまとめられ、1977年の報告を支持した。
• 1983から1990年にかけて「中国プロジェクト」[46]が行われ、アメリカ国立癌研究所とアメリカがん研究協会も資金提供し、アメリカのコーネル大学、イギリスのオックスフォード大学、中国のがん研究機関やほかのいくつかの国の研究機関が関与した。マーク・ヘグステッドは、中国プロジェクトに対してアメリカでは食事の内容が均質的なのでこのような重要な研究はできないと評した[47]。
中国プロジェクトは中国では乳製品をまったく摂取しないが骨粗鬆症は非常に珍しく、また中国では植物から鉄分が摂取されており、鉄欠乏性貧血は肉の摂取と関係ないことを示した[47]。 中国プロジェクトを指揮した、コリン・キャンベルは、研究結果を受けてもっとも安全な食事は完全菜食であると述べ完全菜食になり、5人の子供も完全菜食で育てた[48]。
コリン・キャンベルは、コーネル大学で栄養学を教え、ベジタリアンの栄養学も教えているが、1980年代以降、菜食に関する科学的な研究が蓄積されているのに肉と乳製品の摂取が必要だという視点を変えようとしない、今では科学的な研究の結果があるのに教育を受けた時代の常識を信じ込んでしまっていると指摘している[49]。
• 1989年、NRCは『食事と健康-成人病予防のための食事と健康の科学[50]』(Diet and Health,1989)という報告書をまとめあげる。
• 1990年、日本でも、厚生労働省によって数万人以上を対象とした多目的コホート研究(JPHC Study:Japan Public Health Center-based prospective Study)がはじまる[51]。
• 2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)は「食事、栄養と生活習慣病の予防[52] 」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) を公開する。ハムなどの保存肉とがんのリスクとの強い関連、動物性脂肪に多い飽和脂肪酸が2型糖尿病と心臓疾患の発症リスクを高めると報告されている[52]。
2004年、NHSとHPFSで赤肉からの鉄分の摂取が2型糖尿病との相関関係を示したという大規模な統計結果が報告された[53][54]。

ウォルター・ウィレットは、大規模な前向きコホート研究でも乳製品をたくさん摂取すれば骨折のリスクが減るという結果はなく、逆に男性では前立腺がん、女性では卵巣がんのリスクが高まると述べている[55]。NHS[56]など、アメリカ、イギリス、スウェーデンでの7つの前向きコホート研究で、カルシウム摂取量が増加しても骨折率が低下していない[57]。これらの理由のため、カルシウムは様々な摂取源から摂取し、骨折を予防するためには他の有効性が確認された手段である運動やホルモン療法、ビタミンDやビタミンKの摂取を紹介し、もしカルシウムを多く摂取したいならサプリメントがあるとしている[58]。
栄養素
三大栄養素
炭水化物
詳細は炭水化物を参照


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