しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

チャイチャイモー

2013-03-16 00:10:20 | 日記
チャイくんの事をそう呼んでいるこの頃です。



昨年の猫風邪以来フガフガと呼吸音が賑やかです。


毎晩、ハイボールを飲みながらブログを書いておりますが

酔いが回るのが早くて記事をまとめきれない。

日付が変わってから書き上げて読み返す事も無く

投稿してます。

駄目だ、今夜も眠くて限界のようだ。

布団の上は猫3匹に占領されているから

今夜はコタツで寝るとしよう。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜のお出掛け

2013-03-15 00:15:30 | 日記
地元、消防団の使用する消防車が老朽化のため

買い換えの話が出たのは一年前だった。

寄付金を募り9月に発注し来週ようやく納車の運びとなった。

24日に引渡し式を予定していてその打ち合わせで

今夜もお出掛けでした。


現在使用している消防車を楢葉町に届けようと動いたら

反対されて私は組織の中で孤立してしまいましたが

今はおとなしくしております。。。


復興が進まない中、一人空回りしてる気分でしたが

新しい消防車が完成したのだからこれで良いのだと

自分に言い聞かせている。


今回の買い換えの先頭に立ってくれた方の反対だった。

口も出すけど金も出す、同級生の父親でもある。

この方が動いてくれたからこそ買い替えが実現出来たのである。

登録から18年を過ぎた今までの車輌は部品を失って消防車では無くなると

説明をされ納得したけど一部の装備を失うだけで

被災地で十分に活躍出来る状態。

でもスクラップにする方針は変えられそうもない。

悔しいけど逆らわない。

こんな事で軋轢が生じても復興のプラスにはならないだろうから。


東日本大震災で犠牲になった消防団員は約270人だったかな?

地元の団員の中にも奥さんから団員を辞めてくれと懇願された者もいる。

苦しい立場に立たされているからこそ、

せめて新しい消防車を使って欲しいと話が進められた部分もある。

首都直下型地震に備えて勉強会にも出席しているらしい。

この買い換えに対して若い団員から反発の声があったのにはショックだった。


動いてみて色々とぶつかったり勉強になりました。

ネットで沢山の情報を集めても表面的なことしか分らないと思う。

人には様々な感情があるから自分では正しいと行動しても

思わぬところで反発されたりするのが現実でしょう。


被災地に行くとそんなすれ違いや勘違いがいっぱいあって

自信を失いそうになるけど、なるべく逆らわずに

自然な気持ちで受け止めると本当の事がわかるような気がする。


なんだか最近、このブログがつまらなくなってきたよね?

迷いが多いからだろうか。。。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世代交代

2013-03-14 00:10:20 | 日記
書きかけの記事があったので完成させる。

一週間前の事です。


水曜日の夜は早めに仕事を切り上げて出掛けた。

同業者の組合の定例会がありました。

浦安の材木市場の会議室を借りて会場としてます。

この日は新しい会長になって初めての会合。

前会長は病気療養中。

会長以下の役員は私も含め留任して新会長を補佐してゆきます。

顔ぶれを見れば役員全員が二代目に世代交代してました。

父親たちが江戸川区内の材木屋に声を掛けて結成したこの組合も

会員数は現在半分以下に減少した。

数年前まで新年会は熱海のホテル「さくらや」で芸者をあげて

派手にやっておりました。

もう、そんな時代は戻って来ないかも知れませんねぇ…

ちょっと寂しい気もします。。。


父親たちが作った組合での活動、「つまらないから」と参加しない会員もいるが

これからは二代目が仕切ってゆく。

今まで文句を言ってた私たち世代が組合を盛り上げなくてはいけません。


最近の世の中って文句を言う人ばかりな気がします。

政治家に失望を感じている人が政治家になったら

それ以上の仕事が出来るのでしょうか?


何だかまとまらない記事になりましたので雑談を。



午前中、柏の市場に行った時の事、砂嵐でした。

窓を少しだけ開けておいたら砂だらけになりました。

窓を完全に閉めるとタバコの煙が充満していたし(-_-;)

走行中は横風に煽られて怖いくらい風が強く

国道6号に並行する常磐線はノロノロ運転でした。

会社に戻ってからニュースを観ながら昼食を食べていると

在来線はほとんどが運転見合わせだった。

午後から仕入れた材木を下ろしている時は暑くて半袖になった程

週末は真冬の気温に逆戻りだそう。

注文してあるキャットフードが入荷したと連絡があり

ホームセンターに引き取りに行った。



「お魚いろいろ」2.2kg×36袋、トラックの荷台に積むとスカスカだけど

冬装備のスイフトに積むとギュウギュウです。

日曜日は「にゃんこはうす」に行く予定です。

ありこさんとの約束、冬の間も休まず通った福島です。

本当、冬になるとボランティアも少なくて

まるで忘れられたような寂しさのにゃんこはうすだった。

動物レスキューを頑張る皆さんにはもう少し踏ん張って欲しいから

「来るな!」と言われても押しかけてしまいそう(#^.^#)


猫を飼われている方には是非知って欲しい「猫シェルター」の存在。

来月になると南相馬市南端の小高区が警戒解除されて一年、

いよいよ居住が認められる。

仮設暮らしでは猫と暮らせないからとシェルターで預かってもらっている

猫たちです。にゃんこはうすからも自宅に帰れる猫がいるはずです。

自宅に戻れば東電からの補償は打ち切られ自活しなければならない。

福島独特の避難生活からの脱出と復興がいよいよ始まる。

放射能被害の真実が見えてくると思うのです。

家が残っているのなら自宅に戻って欲しいと願うのは

南三陸町を観て来た私の希望でもある。

そうでなければ福島の津波被害を受けた被災者への

支援は始まりません。

夢は首都圏から大勢のボランティアを乗せた復興列車を走らせて

ガレキを片付ける事なのです。

福島県浜通りの住民の方に同じ日本人の絆を体感してもらいたい。


お礼。

東日本大震災から2年、ブログでそれぞれの想いを綴ってくださった方に

感謝を申し上げます。

アクセス数が落ちてしまったでしょう。

震災の記憶を風化させないためにも有り難い事。

甦れ東北!











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江頭2.5?Pm2:50?

2013-03-13 00:10:20 | 日記
「こんにちはヽ(^0^)ノ」

「あぁ、こんにちはヾ ^_^♪」

会社の前を自転車に乗って通り過ぎる女性に挨拶されたが

マスクをしていて誰だかわからないwww


先週から気温の上昇とともに西から吹く汚染された空気に悩まされている。

目が痒くて鼻水がトローリと垂れてしまうし眠いしzzz

熱い風呂に入ると背中が痒くなるのはアレルギー性皮膚炎ですけど。

今年は花粉症では無い方も同じ症状を訴えるほど酷い。

そんな話を次郎さんとしていた。

もう、付き合うようになって随分経つが苗字を知らない。

長年材木の加工を専門にしていたのでこの日、手伝ってもらった。

作業が終わり缶コーヒーを飲みながら雑談をしていた。

「私は福島に通っているんですが放射能は目が痒くなったりしないんです。線量計で測るとそれなりの数値は出るけど健康被害は無いと思う。」

「当たり前だよ!俺なんか小学校に入ったばかりの頃、爆心地から50kmの場所で被曝してるんだぜ。」

「あっ、次郎さんは広島の出身でしたね」

「おぅ、屋内で被曝したからこのとおりピンピンしてらぁ。姉は外に居て被爆者手帳を持っているから医療費はタダだけど82歳になっても元気だぞ」

我ながらすごい内容の会話をしていると思った。

次郎さんから初めてそんな話を聞いた。

きっかけは私が福島に通い、放射能に対して偏見を持たないのを知ったからだそう。

広島で被曝した方たちは差別を受けたと何かで読みました。

バイクで日本一週中も原爆ドームや資料館に行きました。

やっぱり脱原発を訴えるって事は差別だと感じているし。

原発事故で直接の死者は居ない。

「それよりよぅ、俺は今でも津波に町が飲み込まれる映像を観ると涙が出てくる」

体が動くうちに被災地を見たいと言ってたので

南三陸町の写真を見せてあげた。

うわぁーとか、いやぁーとかの言葉しか出てこないみたい。

「電柱だけは無事だったのか?」

「いえ、全国から電気工事士が駆け付けて新しい電柱を建ててくれたんです」

「ありがてぇよなぁ」

「復興が進まないと言うけど、これまでに相当数の支援が行われているんです」

「そうだよなぁ」

次郎さんが言葉に詰まっていたので気軽に言ってみた。

「今度、一緒に行きましょう!土曜日夜出発の夜行日帰りですが」

「いやいや遠慮しとく。仲間とバスで行って来るよ(笑)」





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニャンダー・ザ・スカイ

2013-03-12 07:10:25 | 
2月のとある日曜日。

天気は良いけど風が強くて寒かった。

休日と言えども猫にご飯をあげてから猫トイレを掃除して

服に着替えて出掛けようとすると玄関でうりずんが待っていた(-_-;)

私の顔とドアノブを交互に見る時は散歩を要求している。

まあ、日曜日だし猫散歩に付き合うとしよう!


玄関の外に出ると歩道の上でごろりんこしてた(#^.^#)

家の裏側の猫の出入口から飛び出してきたセグちゃんとぐり子。

そしてニャーニャーと鳴くグレちゃんの声が近づいて来た。

久しぶりに4匹揃っての猫散歩、1時間は潰されるwww



うりずん「寒い朝は日光浴が最高だぜ」



わかりずらいけどうりずんとは兄妹のぐり子です。



失敗写真です。セグちゃんを写真に撮ろうとしたのですが…



またもや失敗。木陰にセグちゃんが居たのですが

グレちゃんがはしゃいでしまい、セグちゃんは緊急避難です。



木登りうりずんです。


青空の下、猫と散歩をする事をニャンダー・ザ・スカイと呼ぶそうです。

今回は失敗写真ばかりなので以前の猫散歩の様子を紹介。









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの日を忘れない

2013-03-11 00:18:50 | 日記






震災発生当日の会社の中の様子です。

私は現場で地震に遭いましたが問屋のトラックに荷物と一緒に自転車を積み

現場に乗せていってもらえたので帰って来れました。

携帯電話が通じなかったので父が不安そうに会社で待っていた。

同じ東北の山形出身の父はテレビを観て東北の惨状に心を痛めていた。

「こんな材木が倒れた程度、すぐに直す事が出来るぞ」

言わんとする事は理解出来たが力が無い。

「こっちは被害が少ないから東北を助けてあげたい!」

多分、そんな気持ちがあっただろうが年齢的には無理なのである。

会社の中の材木は直しても直しても相次ぐ地震で倒れてました。


夜、兄の家も妹の家も子供達だけで留守番をしていた。

都心部に勤める親達は帰宅困難者になっていた。

電話が通じるようになったので車で迎えに行き

子供たちを実家に集合させる予定だったけど

子供たちは親が帰ってくるまで家で待っていると言ってた。

東日本総てが被災していたんだよね。


翌朝、コンビニの棚が空っぽだった。

食料品からガソリンまで生活物資がほとんど無くなってしまった。

節電要請でその年の9月まで街灯もほとんど消えてしまい

日本が終わってしまうような感覚に包まれた。

それでも石巻出身の大工さんが故郷に向かったのに刺激され

私もボランティアの準備を始めた。


まさか6月に父が亡くなるとは思わなかったが

南三陸町に連れて行き、壊滅した町の中でガレキを拾う

ボランティアの姿を見せたかった。













確かにこの惨状を観た時は強烈な無力感に包まれた。

町そのものが津波に消し去られてしまったのです。

夜通し高速を走り朝6時前に到着した町中には人の気配を感じず

足が震えてしまった。

それでもボランティアセンターまで行ってみると

同じ様に全国から集まった者同士、励まし合いながら頑張れた。

これらの写真は2度目の時、少し心に余裕が出来て撮影したもの。

まさかこの翌日、脳梗塞の症状で父を救急搬送するとは思わなかったし

その35日後にこの世を去るとは思えなかったです。


納骨を終えて自分のやりかけのボランティアにけじめを付けるべく

9月に支援物資を届けに行った。

















復興は進まないと言うがコンクリートと砂利しか無かった町に

草が生えて印象はガラリと変わってました。





配送用のトラックで営業してたコンビニが



プレハブの建物で営業してたのには勇気を感じた。



個人の力は微々たるものだけど

あまりにも被害の大きかった東日本大震災

復興には時間が掛かります。

一緒に復興の喜びを体感しましょうよ!!!



















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堂々巡り

2013-03-10 00:10:20 | 日記
ブログ「うちのとらまる」さんで時々取り上げているのは

警戒区域に置き去りにされた家畜たちの事。

いずれ食肉として出荷される牛たちが商品価値が無くなった

と云うことで殺処分をすれば補償される救済制度がある。

酪農家とは家畜を育てて生計を立てているので理にかなった制度である。

牛に名前を付けて愛情をかけて育ててもいずれ殺して食べる運命は

変えられないものでもある。

それでも放射能で被曝した可能性があっても本来の牛の寿命を全うするまで

生かしてあげたいと「決死救命!」を叫び自分の牧場だけでなく

他の牧場からも牛を受け入れて現在も400頭近くが生き延びている。

並大抵の努力では出来ない事でもある。

私もにゃんこはうすに行った帰りに立ち寄ろうと考えておりました。

何かお手伝いが出来ないか?と場所も調べてあった。

がっ、昨年の春頃から都内の脱原発デモに参加するようになった

「希望の牧場」の吉沢代表の主張には矛盾を感じるようになった。

「原発のせいで私の牛はこんな酷い目に遭っている。国や東電は責任をとれ!」

えっ?殺処分をすれば補償してくれる制度があるでしょ?

酪農家を救済する制度で国は責任を果たしているはずです。

それをあえてはねつけて、牛を生かす道を選んでおきながら

そんな主張をしていたのにはガッカリさせられたwww



福島に通う時にいつも食べている豚丼です。

那須豚を食べて、消費する事で成り立っている養豚業である。

「とらまる」さんは置き去りにされた牛や豚の写真をいっぱい撮影したから

現在、それらの肉を食べられないと書いてあったけど

都会人のきれいごとに聞こえる。

にゃんこはうすの敷地で保護されている犬たちにおやじさんは

「おやつタイム」と言う記事で豚の耳を与えております。

人間も犬も猫も豚や牛の肉を喜んで食べる肉食動物なのです。

ペットとして飼われていた犬や猫には何の補償も救済も無い。

だからこそ多くのボランティアさんたちが奮闘し

全国から支援が集まるのでしょう。


自民党の石破茂衆院議員の涙を浮かべての訴えは

家畜は殺さずに生かして被曝の影響を調べる研究材料としての道を探る!

希望の牧場さんたちもそちらの方向に動いて欲しいです。

少しずつ、置き去り動物に被曝の影響みたいなものが確認されている。

それが何であるかは私には判りません。

「とらまる」さんのブログの写真でもハッキリとは書いて無い。

でも、私は福島に脱原発思想を持ち込むのは反対です。

だって被曝した動物は殺してホルマリン漬けの標本にしちゃうでしょ?

左翼思想とは排除の論理が根底にある残酷なものです。

それと狂牛病や口蹄疫、鳥インフルエンザの時のような感染を防ぐための

根絶やしにする考え方も福島からは遠ざけたい。

警戒解除された地域で行われているらしい野犬狩りもその手のものだ。


私が福島に通っているのは早く答えを見つけて復興してもらいたいからです。

震災から2年を迎えるにあたって「希望の牧場」を時事通信が取材に入り

記事にしてあったけど、最終的に何を訴えたいかがぼやけていた。

現状を取材して伝えるだけなら誰でも出来る。

今後、どういう方向に向かって欲しいのかを正しく伝えるのがマスコミの

役割だと思うのです。


どうかみなさんにも福島がどうやったら前に進むことが出来るかを

一緒に考えてもらいたいから、私の見た事はそのまま伝えております。

また、そのヒントが犬・猫のレスキューにあるのでは?

と「にゃんこはうす」に通っておりますので

どうか幅広い支援をお願いします。


尚、この記事は「とらまる」さんや「希望の牧場」さんを批判しようと

書いた訳ではありませんのでご理解頂きたいです。

福島に関わる方には色んな考え方がある。

どの考え方が正しいかが解らないから苦しいのです。

自分の考えは正しいと信念を持っていないと活動出来ません。

そして迷うことも多い。

常に前向きに、ポジティブに。。。









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超ー目が痒い

2013-03-09 00:42:20 | 日記
私はアレルギー持ちだけど花粉症では無いと思います。

それにしても金曜日の関東の空気の汚れの酷さったらwww

トラックを運転してても目が痒くて辛かったです。

原因は花粉でも無く放射能でもない、

中国の汚染された空気が流れ込んだせいでしょう。

花粉は自動車の排気ガスなどと結びついて悪さをするが

徹底した排ガス規制で効果はてきめんでしょう。

放射能なんて食べても排出すれば心配は無い。

問題は経済を優先して公害を垂れ流している中国からの

偏西風に乗ってやって来るPM2.5だろう。

原発アレルギーの連中が焦っている部分だよね。

福島はもう安全なんだよ。

放射能を恐れて東京から九州に移住したら

とんでもない災難に見舞われてしまった方には同情するよ(笑)


金曜日の産経新聞の一面。

南三陸町の避難所で撮影された小学生達の写真があった。

体育館でメッセージボードを持ち写真に写った表情には不安が感じとれる。

目の前で町のほとんどの建物が津波により破壊されて

通っている学校の体育館で避難生活を始めて数日後の事。

雪が舞う寒い時期に電気も水道も使えない体育館での

避難生活の中で子供たちも歯を食いしばって耐えたと想像する。

多分、その場所は志津川小学校だと思う。

5月8日、初めてのボランティアで行った場所だった。

被災者を他の場所に移動してもらい、学校を再開させるための

避難所の引越し作業をトラック持ち込みでの参加募集に応じたものだった。

家も家族も失い、命からがら助かった被災者は総てを失い

支援で貰った衣類が全財産と知り、打ちひしがれてしまった。

全国から馳せ参じたトラックボランティアの先頭2台で

引越し荷物は全部積み終えた。

残りの4台のトラックで物資を運んだ。

昼間なのに天井近くまで積み上げられた物資で教室の中は薄暗い。

陣頭指揮にあたっているのは校長先生でした。

そのへんの事はカテゴリーボランティアで詳しく書いてある。

移転先の避難所は志津川中学校の体育館だった。

床の上にダンボールをテープで固定するのも別働隊のボランティアだった。

政府は非常事態宣言を下すべき状況が目の前にあったのに

原発、原発、原発、話題はそればかりwww

優先すべきは津波被害への対処だろっ!

ボランティアはみな怒っていた。

今、何をすべきかが間違っていた政府の対応。


あれから2年後、当時の子供たちの集合写真が掲載されていた。

大きい子は志津川中学校に通っているそうです。

2番目の避難所になった学校に通っているみたい。

南三陸町の中心部志津川地区は学校は高台に在るから避難所にされていた。

youtubeの映像は志津川高校から撮影された物が有名です。


色々と書きたい事はあるけれど、当時を思い出すと

上手く書けません(-_-;)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠いっ!

2013-03-08 00:10:20 | 日記
冬を忘れさせるポカポカ陽気が続いております。

昼食後は眠気に襲われますwww

っていうか事務所で椅子に座ったまま気がつくと寝ているzzz

寝る子は育つって言うけど

食後に寝るおじさんはマジ、牛になりそー(-_-;)

思いっきり手抜きの更新だよね~~~
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やり残しの宿題

2013-03-07 00:10:20 | 日記
仕事は暇なのに雑用に追われる毎日です(-_-;)

材料は加工してあり組み立てるだけの宿題を終わらせた。



木製のプランターを作りました。

内側の材料の継ぎ目には止水の為、木工ボンドをたっぷりと塗り

それが乾燥したら塗装をするかも知れません。

この材料は岩手県大槌町の仮設住宅の残材です。

お得意さんの大工が会社の奥で加工してたのは震災のあった年。

父が亡くなってから4カ月が期限の準確定申告がやっと終わり

一息つける予定が毎日、会社の奥でビービーと木材を加工する音が響き

イライラしていた自分だった。

朝から下ネタ全開の大工さんは下ごしらえをしてから

大槌町に行く事が出来ずに亡くなってしまった。

大酒飲みで全身刺青だらけの元極道、肝硬変が悪化していた。

会社の奥で加工をしてた数日間がSさんと過ごした最後の数日間だったのに

私のつれない態度が情けなく思えた。

あの頃の自分は一人で仕事をこなし、会社を安定させようと必死だった。

会計事務所からは相続の事で頻繁に電話があったし

父の後を追うように山形の伯父が亡くなって葬儀に行ったり…

自分を維持するのが精一杯な時に、朝から下ネタに付きあわされて

うんざりしていたから。。。


面倒な事は後回しにする習慣が身に付いてしまい宿題が溜まっている。

長さを切り揃え、面取り加工までしてある材料をやっと組み上げた。

震災から間もなく2年、6月には父が亡くなってから2年、

そろそろ心の清算をしなければいけませんね。

やり残した宿題も一つ一つ片付けてしまいましょ~!


余談ですが本日の私の足です(笑)



消防署員と間違われるオレンジ色のツナギに黄色い靴下

オレンジのサンダル、別にこういう色が趣味では無いけれど

明るい色を身に付けると心も明るくなるからね♪

(本当は若づくりしてたりして…)


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫の名前を入力してください(必須)

2013-03-06 00:10:20 | 日記
ちょっと重い記事を書いた後は落ち込む事が多い。

自分は一体何を観たっていうんだい?

福島で何をしたっていうんだい?

ただの自己満足だろ?

そうかも知れないなぁ。。。


真剣に自分の考えを主張した翌日は別人のように

猫の事を記事にして余裕を見せる事が多いけど

まだ書き上げていない。

しかも風呂上がりに洗濯をしてたから寝る時間になってしまった。

良い子は11時には寝るものですzzz

それでも諦めずにブログの毎日更新をするのが喜びであるから

しぶとく何かを書いてしまう(-_-;)

野良猫のかおなし君が2階に来てシーバを食べている(#^.^#)

家猫の誰も追い出す事が出来ないかおなし君だよ。

さぁ、寝よう。【☆sweet dream!!☆】
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春が待ち遠しい

2013-03-05 00:10:20 | ボランティア
日曜日は福島に行って来ました。

朝早く出発したいけど外は暗いし寒いし…

朝6時には少し明るくなる季節になりました。

猫にたっぷりと食事をさせ、ペットボトルにお湯を入れた

猫暖房を用意したら出発です。

会社に立ち寄り忘れ物を車に積んで高速道路を北上。

くぅさんのブログでは先週の福島は吹雪でホワイトアウト

初めてタイヤチェーンを使うかも知れません。

風が強くてハンドルをとられる

遠くに見える山は白い


朝8時、出発から2時間・187km走ると那須高原SAに到着。

初めての休憩場所は晴れているけど粉雪が舞っている。



いつもの朝食です。ミニ豚丼とうどんのセット。

食後はトイレで身を軽くして気持ちも引き締める。

これより先が東北の入り口で天候がガラリと変わるから。

この日は日陰の斜面に雪が残っているものの粉雪程度で済んだ。

出発から3時間、福島松川スマートICで高速道路を下りて

一般道を東に進み太平洋側を目指す。


警戒区域を迂回するので交通量が多い県道12号線。

途中、全村避難をしている飯館村を通過するのです。



写真は村役場の入り口に近く、ガソリンスタンドの前で撮影。

県道沿いには農協やホームセンターが立ち並ぶ商業地域みたい。

それらの敷地前には車が入れないように柵があり

ゴーストタウンになってしまっている。

久しぶりに線量計で測定してみたら1.33μsvだった。

もはや普通に生活しても安全なレベルでしょう。

帰る家があるのに戻らないのは東電の保障があるからです。

仮設暮らしは働かなくても食える生活がある。



こちらはいつもの撮影ポイントで初めて測定したところ1.40μsv。

南相馬市は南部の小高区を除き必死になって生活している。

沿岸部には津波被害が拡がる本当の被災地です。


東日本大地震の大きな被害をもたらしたのは巨大津波なのです。

福島の避難生活は人災に因るもの。

震災発生当時の菅直人総理大臣の個人的な思い込みが

引き起こした人災です!

原爆と原発がゴチャゴチャになり被爆と被曝の区別も出来ない

放射能アレルギーという名の精神的な疾患でもある。

私たちは体温計で体温を計った時の数値で危険かどうかを判断出来るが

放射能レベルの1.40μsvが安全か危険かが判らない。

実験台となったのが置き去り動物たちです。

被曝なんてしてません!

それを確かめたくて福島に向かいました。

福島はもはや安全だと思います。

家が無事なら一日も早い帰宅準備をしてほしい。


福島に通っていると話をすれば脱原発論者?と誤解も多いけど

原発反対を叫ぶ連中は福島には怖くて近づけないものさ(笑)

自宅に自由に帰る事が出来ない避難生活はどんなに辛いだろうか…

チェルノブイリだって事故後数年もすると居住禁止の自宅に戻り

普通に生活してる住民が居るの知ってますか?

「2年経ったら村に戻ろう!」と約束をした飯館村の村長さん。

昨年の12月の衆院選では日本未来の党の嘉田代表が来てくれて

さぞ嬉しかっただろう。

河内村のように帰村宣言をしてまずは役場から村に戻るという姿勢を

見習うべきでしょうね。

民主党政権時代に作られた規制よりも住民の意向を優先して欲しい。

住民が自ら自宅に戻ろうとしなければ福島は復興出来ないでしょう。


震災からたった一人で犬猫の保護活動を続けるおやじさんと

色々とお話しすることが出来ました。

浪江町にある自宅に戻る準備をするそうです。

是非ともお手伝いをしたいと思います。


前向きに考えなければ復興は成し遂げられないでしょう。

わかりやすく読みやすく書いたつもりですが

文章力が足りずにごめんなさい。


最後に帰りの東北道に乗る福島松川PAで食べた復興応援セット。



エビチリ丼と醤油ラーメンのセット。

食べる毎にポイントカードにスタンプを集め10回利用すれば

1食分がタダになるキャンペーンが2月いっぱいで終了したんだってさ…

いつもみそラーメンを食べたいのを我慢してスタンプを集めたのにねぇ~

復興はこれからだって云うのに。。。


























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただいま

2013-03-04 00:10:20 | 日記
朝6時出発、夜8時帰宅

とりあえず何事も無く無事に帰って日常生活に戻ります。

自宅から350km走ると現実離れした世界があるだけ。

知ろうと思わなければ知らなくて済む問題です。

知ってしまった以上、とことん付き合ってしまう悪い性分www

それなのに未だに47歳独身、クソーッ!!!


我ながら力作だと思う保温Boxだったのに

ありこさんにハッキリと「要らない」と言われてしまった(-_-;)

動物病院に出掛けて不在だったけど電話でアピールしまくりです(笑)

勝手に造った力作、是非見てくれと組み立てる。

頼まれた訳でも無い、親切の押し売り。

持ち帰るのは悔しいから組み立てきた。

水道が使えない生活を強いられているからこそ…

高断熱の犬小屋にもなる。

でもゴミ箱にするには勿体ない断熱性能を有するのだよ。

とりあえず更新。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行ってきます

2013-03-03 05:17:30 | 日記
南相馬市にゃんこはうすへ行ってきます。



土曜日の夜8時にようやく完成した保温Box。

バラバラにして車に積載して、現地で組み立てる。

写真を撮る余裕が無かったので何が何だかわからない、

っていうか福島に向かう自分がよくわからないのかも(笑)

ひな祭りの日だからお菓子を買っておいたけど

キャットフードは買ってないし積むスペースも無かった。

さあ、折角早起きしたので早目に出発しましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがたい事

2013-03-02 00:10:20 | 日記
新聞に折り込まれていた「広報えどがわ」で読んだ中に

宮城県女川町の震災ガレキの内、可燃性廃棄物を

昨年の7月から江戸川区が受け入れており

江戸川清掃工場で焼却処分をしていて

この3月で終了するそうなのです。

恥ずかしながら私はそれを知らなかったです。

ニュースにならないけど地元の判断に嬉しく思います。

多田区長は区の職員を15名程、気仙沼市に長期間応援派遣したり

復興に対して実に貢献してくれている。

自身は西日本の出身だが、江戸川区には東北出身者も多く

義援金もものすごく集まったし。


震災があった翌月には名取市から遺体が600体以上

瑞江火葬場で受け入れてました。

これは石原都知事からの要請によるもの。


どちらにしても反対する者が居なくてホッとした。


まもなく震災から2年が経とうとしている。

未曾有の大災害の記憶を忘れないように

自分なりに記事にまとめたい。

その時は少しだけお付き合い願いますね。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする