しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

時流 クリスタルキング

2015-01-17 10:43:01 | 日記
時流 クリスタルキング



阪神・淡路大震災から20年。

何かを書こうと気負い過ぎて何も書けなくなったり…


4人いる甥っ子姪っ子のだれ一人も生まれてなかったりする。

私の人生で一番忙しかった時期でもあった。

会社勤めを辞めて家業を継いで3年目

生まれ育った家や会社があった借地を巡り裁判で争っていた父を説得し

営業補償を1円も貰えなくても移転に要する3年という時間を貰い

そのタイムリミットが迫る年にこの災害があった。

現在地に会社を移転したのも平成7年7月1日だったから覚えている。

同じ町内に在る作業場に移転したプチ引っ越し。

兄の家、実家、新しい作業場、自宅と建設してたから

しかも本業も滅茶苦茶に忙しかった。

震災からしばらくすると復興需要の為に関東からは

建設資材のほとんどが品不足となった。

すべては被災地の復興の為だと我慢の日々。


高速道路やビルまでも倒壊した映像を観て

火災で町が焼失して焼け野原になった光景をテレビで観て

世界中が震えあがった。

当時は自・社・さの連立政権だったか村山富一が総理大臣。

自衛隊は違憲である!なんて主張してる政党だったから

災害派遣要請もためらっていたりして

海外から人命救助犬が駆けつけても検疫で足止めをしてたり

災害時の対応が出来ずに

「何せ初めての事なもんで…」と狼狽した姿を記者会見で晒して

総理の座から引きずり降ろされた。

一人でも多くの生存者を救出する!と奮闘してた現場の隊員たちに

テレビの前で応援をしてた。

警察・消防・自衛隊、そして地元住民までもが倒壊した建物の中に

取り残されている住民の救出に必死だった。

手伝えるものなら手伝いたかった。

あの時の悔しさが東日本大震災まで自分の中に残っていたのでしょうね。


阪神・淡路大震災の復旧の拠点は大阪を中心とした関西圏であり

東日本大震災の時は東京を中心とした関東が担う。

そう自分に言い聞かせた。


津波被害で壊滅した南三陸町に通っている最中も

菅総理は原発の今後の事で頭がいっぱいw

父を救急搬送して動けない頃に

脱原発を主張し始めたアホ菅(もうアカン総理)。

未曽有の大災害時にはどうして左翼思想の総理大臣なのか?

そんな疑問が湧いていた。

嘉田滋賀県知事を始め昔の学生運動に熱心だった連中がゾンビのように

続々と息を吹き返してしまった。

鹿児島県の川内原発の運転再開を巡る住民説明会でも

「原発を停止してから各地で異常気象が続いてるので早く再稼働を求める」

と賛成派の質問者を取り囲んでいたのも共産党系の団体や

中核派の運動員だったらしい。

今や「脱原発」は左翼運動家の共通するスローガンとも言えそう。


震災から学ぶ教訓を噛みしめる一日であって欲しい。

復興に関係の無い左翼活動になんて走らないで下さいね!
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