DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

知的体力

2008-09-20 | 日記/備忘録/独り言/その他
<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 鷲田清一さん

※抜粋

子どもたちは自分を絶対に裏切らない人と友達になる。その輪の中で、自分のキャラを演じ、相手を傷つけないように、怒らせないようにと気を使ううちに、かえって、しんどい思いに陥る。それは、子どもの問題ではなく、親たちがトラブルが起きないように、あらかじめ問題の芽を摘みながら育ててきたことの裏返しではないかと指摘する。

「自分が傷つきたくないとヒリヒリしている。こんな自分でいいんだと居直れない。それは、自分は悪くない、相手が悪いというクレーマーにも似た論理です。自分が悪くないというストーリーを持たないと、耐えられない。責任はあなたにあるという考えが、どこから来るのかというと『弱さ』です」

 近代社会は医療、出産、介護、教育など、生きるためにしなくてはならない仕事を、公共的なサービスにゆだねてきた。お金と引き換えに、安心を手に入れた。しかし、自分でする力はどんどん失った。町が清潔になり、無菌状態に近づけば近づくほど、人間が免疫力を失ってきたことと似ているという。

※中略

「世の中、反対できない言葉だらけでしょ。地球を大切に、と言われたら、誰も反対できない。情報公開やコミュニティーというのもそう。冷戦が終わって、イデオロギー戦争が終わったと思ったら、今は右も左も関係なしに、誰も表立って反対できないイデオロギーが広がっている。知的体力がないから、誰も深く考えることなく、イメージだけで乗っかっているんです」

※中略

「人生や社会のことは、正解がないことが多い。でも、正解が見えないままに、これが正しいだろうということを、ひとつひとつ的確に判断していかなければなりません。そのためには『価値の遠近法』をもつことです。これは絶対に必要なもの、これは本当はなくてもいいものではないかなどと、より分けていくことです。自分の視点だけでは遠近法はもてません。こんな見方もある、あんな見方もあると複数の補助線をもつことが、価値の遠近法をもつことであり、それが知的な体力をつけることにつながるんです」

 「これが結論です」とこう付け加えた。「人間は自分を見るのが一番下手なんです。自分から身を引きはがして、自分の置かれている状況を見るのがつらい。学問や報道は、そうやって、自分たちが置かれている状況を自分をも含めて離れたところから見る。それがクリティシズム(批評)というものです」


知的体力、まさにだなぁ・・・
自分を振り返っても、安易に答えを求めすぎというか、定型すぎるというか。
それはきっと、自分に自信と我慢がないからにほかならない。
知的体力がないから・・・うん納得です。

多角的視点がほしくて&持ち続けたくて、続けてるブログですが、息子に関しては、多分、自分のなかに正解イメージがあって、それを暗黙に押し付けてきてる気がする。
そしてそれはきっと「いい子になって欲しい」よりはむしろ
「いい親でありたい」その自己実現ベクトルが強いんじゃないかな、と。
(「いい子」も「いい親」も結局は自己都合のなせる幻想ですが)

>親たちがトラブルが起きないように、あらかじめ問題の芽を摘みながら育ててきたことの裏返し
耳が痛い;;
「(苦労しないために予防接種のように軽めで適度な)苦労はしておけ」と思う
その実、本心は「苦労させたくない」とも強く思う。
自分でも交通整理しきれず、矛盾が混乱をまねく。
そこに自己都合な誘導と自分への無意味な弁解はあってもその先に進む体力はないかも。
それを子どもは見てるんだろうな。

最近、自分にめちゃくちゃ甘いかも(気づくのがやっぱり遅い!
過去の経験だけではこの先は乗りきれないと痛感。
勉強しなくてはならないのは、息子ではなく私だなぁ・・・。

親として責任を引き受ける、そのことの(多分)本当の意味を
いままさに学習中のわたくしです。;;;
コメント (18)
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