チベット、ミャンマー、四川と、質は違うけれど
一般人の生活を極限まで脅かす事件が、近いエリアで続けて起ったことで
特にその1つが“チベット人が多く住む中国”、という部分で
自然には政治なんて一切関係ないんだな、と思い知った気がします。
たとえば中国を支援することが、チベット人救済につながる、
そういう視点の認識は、
「チベットにとっての(短期的・中期的・長期的)しあわせ」を考えるうえでの
大切な気付きになった気もしています。
個人的には、んとにんとに気持ちばかりの寄付(同額にしちゃいました;)以外
何もできていないのですが・・・。
(寄付が正しく使われるとも思えないので、それは毎度ながら葛藤だし
&額的にも自分の自己満足な気休めでしかないことも承知のうえで。)
ささやかながら思ったのは、こうした世界からの援助の申し出で、
世界に対する中国人の認識に少しでも変化をもたらすといいな、と。
いい方向で。
■
予想にたがわず、マスコミでは中国の受け入れ態勢や耐震構造について
ここぞとばかりバッシングしている。
が、学校の耐震構造などはきっと日本も大きくは変わらない。
同じ地震が東京を襲ったら被害はもっと大きいかもしれない。
多くの消費活動において、日本が政府も巻き込んだ偽装大国であることは、
ここ数年で暴露されきっているけれど、
一時期騒がれた割には、それらを管理・統括する関係省も、
企業も体質改善は追いついていないように思う。
それが救済活動についで優先すべき課題だと思う。
我が身を振り返るなら、中国を「ざまみろ」に近い形で
バッシングしてる場合ではなく・その余裕もなく、
日本の現状改善と強化優先だろう、と思う。
・・・そしてそれは結局はお金のお話になるのかな、と。
でもそれはハードルが高い。だからとりあえず目先の中国叩きに走る。
情報が行動のガス抜きをする、そんな気がするのはこういう時。
■
借金大国日本。未来を担保にしてきたどんぶり勘定と
無計画で無謀な「日本」経営は破綻しかかっているんじゃないのかな?
そうした不安な将来にかけたブレーキが少子化を進め、
母数の減少が経済を停滞化させ、それが生活をひっ迫させる。
根の深い悪循環。
お金を取れるところから掻き集め始めた国の見境のなさは
日本の金策がかなり切羽詰まった状況であることを露呈してる。
誰もが自分の代では決断せずに先送りにしてきた様々な負の財産が
どこまで積っていくのか、どこまでこの国は耐えられるのか、
すごくすごくこわいです。
私たちの孫の孫の先の世代には、日本もまた貧窮する国に
なっている可能性だってゼロではない。
どこかの属国や自治区になるしかないような悪夢のような未来は
ごめんだ。
ただ、資本主義社会では持たないものは弱者に甘んじるしかなく
そういう意味でチベットの悲劇は本当に明日の日本かもしれない。
■
他国のために活動したり心配したり同情したりバッシングしたり・・・
それってかえって他国だから(経済含め現時点では日本より明らかに
劣った部分があるから・ある意味、安心してバッシングできるから)なのかも、
とも思ったり・・・。
※国内の人権問題、その他の問題にも同等の価値を持って
考え続けている方もおられると思います。
そういう方々は例外として。
もちろんその中には中国牽制・日本活性につながる重要な活動もあるだろうけれど、
どうしてかな、今はあまりに一方的な非難は
なる@的に、危険な感じがして、ブレーキがかかる。
あえていえば、どこかなにかへの代償行為のようで・・・。
そうして自分の足元を見て見ぬふりをしているようにも思える。
ほんとうにやるべきことかどうかではなく、比較的楽に
みんなで一緒に、「悪いことではない」
「人道的に正しいことをしている・言ってる」という間違いのない、
世間のお墨付きの上でできる他者批判・非難・・・
・・・もちろんそれもまた・今・エネルギーの向くべき方向として
必要なことかもしれない。
気がつかないより、発信しないより
ずっと大切なアクションだとも承知しながら・・・。
ただ、最近、記事にしながらどうしてもどうしても疑問が生じてしまう。
考えるべき・やるべき優先順位は、本当にそれでいいのか?と
そして、これはそのままブレの大きい自分自身への質問であり
だからこそブログが書けなくなっているのかも。
■
なにが正しいのか?
自分にとって、他者にとって、世界にとって、未来にとって。
その答えは部分的・利己的・主観的にしかありえない。
狭い器の中で、グルグルと悩み続けながら、
ただ、きっと本当に「正しい」エネルギーは
より多くのマイナスをプラスに変えていくはず。
そんな妄想を抱きつつ。
そして、それでも前に進むために、「熱い気持ち」は必要で
ブログにつらねられる様々な願いや思いは
そのものがダイレクトな解決策や支援策そのものではなくても
解決策や支援につながっていく、誰かを何かを動かすエネルギー連鎖になる。
そのエネルギーは信じていたい、と思います。
■
なんて感じで、
今しばらくリアルでの活動(んな大したもんじゃないですが;;)中心に
ブログはお休みさせていただきまする。
うん、いつもがっつり考えていますよー、
世界のしあわせについて・・・自分のしあわせのために。
(あは。自分中心はあっしの信念ですので♪
なぁんて、毎度ながら正しいかどうかはわからないままに、
これもまたたくさん存在するブログ&ブロガーの
1つの意見・1つの見え方、在り方として。
当然ながら、自分以外の意見を否定するつもりは全くありませんので
そこはご理解くださいませ。
■
リアルでもこの話題はいろんな方と意見交換しています。
実際に積極的に活動参加されている方にも情報を頂戴したりしつつ。
そしてその度に、先方の自信と熱意に、
私はまだまだ本当に中途半端で世間シラズなあまちゃんで
ものすごく勉強不足だと痛感している。
でも、しあわせについて考える権利(と義務)に
人間としての高低は関係ないとも実感しつつあります。
まずは自分の足元を固め、身近なところから周囲のしあわせを考え
そのためにできることを確実に実践する。
そこから、しあわせの連鎖がはじまると、私は思っています。
たとえば、誰かを思いやれる力をつけた子どもを1人でも増やすことが
いずれ中国の横暴に負けない未来を作ることにもつながる、
そういうベクトルで。
そういう意味では優先順位なんて関係ないのかもしれないな、と
今、この記事を書いていて思いました。
うーん、またグルグルしてるかな?もっと考えたいかな。
そしてできることは行動に移したいかな。1つでも、ささやかでも・・・
ではではまたー♪
一般人の生活を極限まで脅かす事件が、近いエリアで続けて起ったことで
特にその1つが“チベット人が多く住む中国”、という部分で
自然には政治なんて一切関係ないんだな、と思い知った気がします。
たとえば中国を支援することが、チベット人救済につながる、
そういう視点の認識は、
「チベットにとっての(短期的・中期的・長期的)しあわせ」を考えるうえでの
大切な気付きになった気もしています。
個人的には、んとにんとに気持ちばかりの寄付(同額にしちゃいました;)以外
何もできていないのですが・・・。
(寄付が正しく使われるとも思えないので、それは毎度ながら葛藤だし
&額的にも自分の自己満足な気休めでしかないことも承知のうえで。)
ささやかながら思ったのは、こうした世界からの援助の申し出で、
世界に対する中国人の認識に少しでも変化をもたらすといいな、と。
いい方向で。
■
予想にたがわず、マスコミでは中国の受け入れ態勢や耐震構造について
ここぞとばかりバッシングしている。
が、学校の耐震構造などはきっと日本も大きくは変わらない。
同じ地震が東京を襲ったら被害はもっと大きいかもしれない。
多くの消費活動において、日本が政府も巻き込んだ偽装大国であることは、
ここ数年で暴露されきっているけれど、
一時期騒がれた割には、それらを管理・統括する関係省も、
企業も体質改善は追いついていないように思う。
それが救済活動についで優先すべき課題だと思う。
我が身を振り返るなら、中国を「ざまみろ」に近い形で
バッシングしてる場合ではなく・その余裕もなく、
日本の現状改善と強化優先だろう、と思う。
・・・そしてそれは結局はお金のお話になるのかな、と。
でもそれはハードルが高い。だからとりあえず目先の中国叩きに走る。
情報が行動のガス抜きをする、そんな気がするのはこういう時。
■
借金大国日本。未来を担保にしてきたどんぶり勘定と
無計画で無謀な「日本」経営は破綻しかかっているんじゃないのかな?
そうした不安な将来にかけたブレーキが少子化を進め、
母数の減少が経済を停滞化させ、それが生活をひっ迫させる。
根の深い悪循環。
お金を取れるところから掻き集め始めた国の見境のなさは
日本の金策がかなり切羽詰まった状況であることを露呈してる。
誰もが自分の代では決断せずに先送りにしてきた様々な負の財産が
どこまで積っていくのか、どこまでこの国は耐えられるのか、
すごくすごくこわいです。
私たちの孫の孫の先の世代には、日本もまた貧窮する国に
なっている可能性だってゼロではない。
どこかの属国や自治区になるしかないような悪夢のような未来は
ごめんだ。
ただ、資本主義社会では持たないものは弱者に甘んじるしかなく
そういう意味でチベットの悲劇は本当に明日の日本かもしれない。
■
他国のために活動したり心配したり同情したりバッシングしたり・・・
それってかえって他国だから(経済含め現時点では日本より明らかに
劣った部分があるから・ある意味、安心してバッシングできるから)なのかも、
とも思ったり・・・。
※国内の人権問題、その他の問題にも同等の価値を持って
考え続けている方もおられると思います。
そういう方々は例外として。
もちろんその中には中国牽制・日本活性につながる重要な活動もあるだろうけれど、
どうしてかな、今はあまりに一方的な非難は
なる@的に、危険な感じがして、ブレーキがかかる。
あえていえば、どこかなにかへの代償行為のようで・・・。
そうして自分の足元を見て見ぬふりをしているようにも思える。
ほんとうにやるべきことかどうかではなく、比較的楽に
みんなで一緒に、「悪いことではない」
「人道的に正しいことをしている・言ってる」という間違いのない、
世間のお墨付きの上でできる他者批判・非難・・・
・・・もちろんそれもまた・今・エネルギーの向くべき方向として
必要なことかもしれない。
気がつかないより、発信しないより
ずっと大切なアクションだとも承知しながら・・・。
ただ、最近、記事にしながらどうしてもどうしても疑問が生じてしまう。
考えるべき・やるべき優先順位は、本当にそれでいいのか?と
そして、これはそのままブレの大きい自分自身への質問であり
だからこそブログが書けなくなっているのかも。
■
なにが正しいのか?
自分にとって、他者にとって、世界にとって、未来にとって。
その答えは部分的・利己的・主観的にしかありえない。
狭い器の中で、グルグルと悩み続けながら、
ただ、きっと本当に「正しい」エネルギーは
より多くのマイナスをプラスに変えていくはず。
そんな妄想を抱きつつ。
そして、それでも前に進むために、「熱い気持ち」は必要で
ブログにつらねられる様々な願いや思いは
そのものがダイレクトな解決策や支援策そのものではなくても
解決策や支援につながっていく、誰かを何かを動かすエネルギー連鎖になる。
そのエネルギーは信じていたい、と思います。
■
なんて感じで、
今しばらくリアルでの活動(んな大したもんじゃないですが;;)中心に
ブログはお休みさせていただきまする。
うん、いつもがっつり考えていますよー、
世界のしあわせについて・・・自分のしあわせのために。
(あは。自分中心はあっしの信念ですので♪
なぁんて、毎度ながら正しいかどうかはわからないままに、
これもまたたくさん存在するブログ&ブロガーの
1つの意見・1つの見え方、在り方として。
当然ながら、自分以外の意見を否定するつもりは全くありませんので
そこはご理解くださいませ。
■
リアルでもこの話題はいろんな方と意見交換しています。
実際に積極的に活動参加されている方にも情報を頂戴したりしつつ。
そしてその度に、先方の自信と熱意に、
私はまだまだ本当に中途半端で世間シラズなあまちゃんで
ものすごく勉強不足だと痛感している。
でも、しあわせについて考える権利(と義務)に
人間としての高低は関係ないとも実感しつつあります。
まずは自分の足元を固め、身近なところから周囲のしあわせを考え
そのためにできることを確実に実践する。
そこから、しあわせの連鎖がはじまると、私は思っています。
たとえば、誰かを思いやれる力をつけた子どもを1人でも増やすことが
いずれ中国の横暴に負けない未来を作ることにもつながる、
そういうベクトルで。
そういう意味では優先順位なんて関係ないのかもしれないな、と
今、この記事を書いていて思いました。
うーん、またグルグルしてるかな?もっと考えたいかな。
そしてできることは行動に移したいかな。1つでも、ささやかでも・・・
ではではまたー♪