DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

4月20日の独り言(SIDE WHITE)

2006-04-20 | このブログについて
いろいろなブログを回って
いろいろなブロガーと出会って
いろいろな記事を読んで
いろいろな情報に触れる

社会への不満疑問音楽の紹介旅行記子どもの成長さっき見たドラマの感想昔読んだマンガの感想今日買った服GWに行く旅行病気の友だちのこと自分の身体の不具合コワイ事件笑えた思いつきダンナとのケンカ好きな人のこともめごと会社でのトラブル今日の夕ご飯新しいレシピ行ってみたいお店さっき感じたこと今思ったこと前から思ってたこと新しく気づいたこと確信したこと反省したことびっくりしたこと悲しかったこと辛かったこと嬉しかったこと・・・ってまさにgooのカテゴリーだったりして・・・すべて自分の思うこと。

いろんなブログがあって
いろんな書きたいことがあって
いろんな伝えたいことがあって
いろんな残したいことがあって
いろんな忘れたいことがあって

そのブロガーが書いて発信した瞬間に
言葉はネット空間に放出されフリーランする。

主張するフック、少しだけ突き出たフック、遠慮がちに出されたフック
書いた本人がそっと祈るように記事に隠したフック
書いた本人さえ気づかなかったフックを見つけて
それぞれのブロガーのもとで繋がれたり変化したりしていく「思い」たち。

「相手を思うこと」って「自分と向きあうこと」であり
「自分を思うこと」がまた「相手に向きあう自分」を育て
育った自分はよりたくさん相手のことを思えるようになっていく、
相手もまたそうした思いを受け止めて自分を育て、またいつか誰かを思う・・・
そして「思い」は「行動」を生み、「達成感」を生み、「幸福感」を生み、・・・

そんな脳のシナプスのように刹那を走る思いたちが
外に向けて、内に向けてビッグバンにように広がる
思念の宇宙を強く感じます。

そして、それらはたぶん、私の思う「愛」に極めてちかい。

誤解も、他人をそして自分を傷つけてしまう場面も、決別さえも。

「ここで・この時に・この形で」出会えたという「縁」は、
あなたという人間が現世で過ごす
365日×24時間×60分×60秒×生きてきた&生きていく年数の時間のどこかに
確実に組み込まれ、それはまたあなたという存在のあなただけの成分となる。

使われたエネルギーに無駄など1つもないように
人間は宇宙によってプログラムされていると思っています。
閉鎖された宇宙の定量のエネルギーを
拡散し、交換し、再結集することでエネルギーが変化する、
その中から生まれる様々な可能性。
それが人間が分化して存在する意味だと感じます。

せっかくチャージしつづけているエネルギーを
自分のためにつかいこなさないまま、宇宙に返してしまうことだけはないように。
できれば目に見える「愛」に変えて、
「自分」を楽しみながら、「今」を生きたい。

なによりもまず存在すること。
そして「私(そして、あなた)」であること。
そこにまた「私(そして、あなた)」が呼び合って惹きあって反発して離れてまた出会って
そして「私(そして、あなた)」として存在しつづけること。
それらすべてが「生きる」ということだと思います。

宇宙からすれば、無駄な存在・無駄なできごと・無駄な思いなど1つもない、と思います。
すべてが宇宙の一部であり、宇宙もまたあなたの一部だから。


※宇宙は陰陽だから、この考え方は、実はある側面ダークです。
 でも今回はありったけのホワイトエナジーだけこめて・・・
コメント (4)
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4月20日の独り言(SIDE BLACK )

2006-04-20 | このブログについて
あるブロガーに対し、また、あるコメントに対し
刹那的に「いい人」「素敵なコメンテイター」になるのは
相手のおうちにあがりこんでしまうような、
ブログのバーチャルな距離感においては、
けっこう簡単なことかもしれない。
前にならえのコメント欄の効能もありかも?
(そして、それゆえの共通幻想という名のモラルハザード・・・)

で、いい人を演じる(求める)ことで、
マジでイイヒト化が進む効能もまたありなわけで。

ただ、そこに微量でもウソや無理や誤魔化しが紛れていくと、
総和として「いいブロガー」でありつづけることは難しいように思う。
ブログの開放性はある意味、360度評価だから。

仕事&プライベートでいくつもの記事やコメントをROMしながら
まっすぐな気持ちはストレートに伝わるし
屈折した思いは屈折してしか伝わらないなぁ、と思う。(あくまで私的にですが)
熱さは熱く、冷たさは冷たく
しらじらしさはしらじらしく
うそっぽさはうそっぽく
おためごかしはおためごかしっぽく(え?

見えていないのは本人(私含め)だけで、
けっこう回りからはすっごく見えまくってること、ってあるよなぁ。

でもって、ある種の計算やある種の罠やある種の駆け引きは、
実は第三者にはまったくもってどうでもいい夕飯前だったり。(意味不明?w
でも片手間で相手してみたり、とりあえずウケてみたり、あえて踏み込んでみたり・・・
で、一方で、なんの仕掛けも罠もないのに過剰防衛する人間もいて。
エネルギー的にはさしひきゼロ?

それでもまた、人は誰かに必要とされたいし、
誰かに認められたいし、誰かに愛されたいわけで。
そういう行為でしか、確かめられない自分の存在意義もまた真実だと思う。
(そして、それゆえの共依存という名の自己愛な勘違い・・・)

そういうことも含めて清濁合わせ飲むブロガーが圧倒的に多いわけで。
で、誰かの「濁」に気がついてもスルーしてしまえば
「清」だけでつきあえるのかも?
そういうことができちゃうのも、ブログの「個」性のいいところだよな。
記事ゴトの独立性、コメントの自立&自律性。

ただ「清」だけのおつきあいってのは、
個人的にはちょっとだけツマラナイが・・・(オイオイ

垣間見える多重人格性、整理しきれないペルソナ・・・
でもって、私は、だからこそブログが好きなんだと
改めて確認するわけです。

あ、私は「いいブロガー(だけ)がいい」(悪くはもちろんないですが)とは全然思っていませんのでー。
「イイヒト(だけ)がいい」と思っていないのとまったく同じですぅ。
(ここでいう「いい」もまた一般的共通認識から割りだされる
平均値±自分の嗜好にすぎないわけですが)

時に裏表があって、偽善的で、傷つきやすくて、ジタバタする、
たまに毒も吐くけど、その意味がきちんとわかってたり、わかってなかったり(え?)
でもやりすぎて凹んだり、反動で思いきり強がったりしてみせたり、
戦うべき時は戦い、謝罪すべき時は潔く頭をさげる、
で下げきれず自分を呪ったり、無理クリ納得してみせたり、
そういう自分の多面性をそれなりに自覚してる(で、たまーに悩んでる)
そんな誰かが、かなり好きかも・・・。<・・・告白記事だったのかっ!!!

だって・・・私ってば、自己嫌悪のカケラまで含めて
自分大好きブロガーですゆえに。<オイオイ

まぁ、私の度量のないメジャメントにすぎませんが。

ダークな自分もアリかな、な、確信犯記事でしたっ。
コメント (8)
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寄り道★J・レノンの子供時代のノートの値段・・・

2006-04-20 | 寄り道/COFFEE BREAK
J・レノンの子供時代のノートに2700万円の高値

ジョンの絵って、なにげにホッとする。

所有したい気持ち、わからないではないが
(ささやかながらコレクター気質ゆえ;)
こういうものは、存在を解放して
たくさんの人と分かち合うべきものかも・・・・・

どっちにしても天国のジョン(もう転生してたらごめんなさい;)は
びっくりだよね?

コレクターズアイテム、特に海外のオークション関係って
ラブレターとかほんとうにプライベートなものも
どんどんだされて、本人の意志も遺志もなく、
個人所有になっていくのが時々ちょっとコワイ。


モノにこもる思いを「物の怪」とし、
どちらかといえば自然に還す・浄化させる
(燃やす・流す・お寺に奉納する等)志向が強い、
日本人の感性のほうが私は好きかも。


といいつつ、たまに「なんでも鑑定団」を夢中でみてたり・・・<何ソレ!
コメント (2)
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