(毎日新聞「習志野原今昔物語 7」からの抜粋です)
日露から第一次世界大戦
日露戦争(1904~05年)から第一次世界大戦(14~18年)の間、世界の軍備・軍事情勢は大きく変化した。
日露戦争までは戦場で砲兵が敵陣を砲撃した後、騎兵と歩兵が連合して攻撃する戦法だった。その後に兵器の機械化が進み、第一次大戦で初めて登場したのが戦車などの戦闘車両だ。さらに上空からは飛行船・航空機による爆撃が加えられるようになった。第一次大戦の西部戦線で1日に使用された砲弾量の規模は、日露戦争で使用された全ての砲弾量と同規模という物量戦になった。この変化は「騎兵の街」だった習志野原の姿を変えていく。
兵員や物資の大量輸送のために必要性が増したのが、戦地で鉄道の敷設や修理などを担う鉄道連隊だ。日露戦争終結後の07年に東京・中野にあった鉄道大隊は鉄道連隊に昇格し、津田沼町(現在の習志野市津田沼)と千葉町(現在の千葉市)に移転する。津田沼には第3大隊が置かれ、18年には第2連隊に昇格する。
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