(8月14日「船橋よみうり」記事から抜粋)
義父の被爆体験 語り継ぐ
香澄の西村さんらが朗読会
76年前に広島で被爆し、18年に亡くなった西村利信さん(船橋市・享年87)の手記を朗読する会が、原爆忌の6日、県内で行われた。登壇したのは、習志野市香澄に住む利信さんの長男の妻・西村桂子さん(52)ら。利信さんの晩年、手記を手渡された桂子さんは、一人の人生を通して戦争を知ってもらおうと活動を続けている。
「機体の股から白バラの花三輪とおぼしきものをふんわりと落とした」「うめき叫ぶ者。水々と欲しがる者、暑さと苦しさに転げ廻(まわ)る者、「お母さん」と一言叫んで目をつぶる者…」「奇蹟的に私は生き延びたんだ。生き延びたんだ」
旧制広島第二中学校(現・広島観音高校)2年生で14歳の時、爆心地から約2キロの場所で被爆した利信さん。自宅のあった広島市のモモやミカンのなる情景が「地獄の修羅場」に変わったことを克明に書き残した。
手記は戦後に転居した千葉の高校在籍時に文学クラブの顧問に促され、文芸誌に載せたもの。1949年の執筆当時、連合国軍最高司令部(GHQ)の検閲で新聞などが次々と廃棄されたが、私的で目立たなかった存在だったゆえ後世に残った。
(千葉高校文学クラブがまとめた冊子。「原爆体験記」が2回に分けて掲載された)
利信さんは、17年春、肺がんステージ4の宣告を受け、医師に「私は被爆者です。一度死んだ命。十分長生きしました」と告げた。桂子さんら家族は「残りの命に光が当たること、父と共有できることはないか」と考え、真新しいノートを渡し「ここに戦争のことを書いて下さい」と頼んだ。「戦争のことを知りたいの?来なさい」。身辺整理を済ませた空の引き出しから出てきたのが、ボロボロの2冊の文芸誌だった。
原爆体験記はインターネット上で全文を公開中
西村利信 (kiokuisan.com)
問合せメール keikofunnytalk@gmail.com
(編集部より)
2年前の記事です
http://funayomi.com/2019/08/19/kataritudu/
3年前の記事です(写真は生前の西村利信さん)
広島)原爆投下から4年後に書かれた体験記 惨状克明に:朝日新聞デジタル
原爆投下から4年後に、広島の惨状を書きつづった男子高校生がいた。やけどを負いながら、行方の分からない弟と父を捜して街をさまよう中で見聞きし...
朝日新聞デジタル
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