大人から「防空壕へ入れ」逆らって飛び出し生き延びた
(俳優の岸惠子さんインタビュー:中日新聞記事から抜粋)
<戦後76年> 俳優・岸惠子さんインタビュー:中日新聞Web
映画だけでなく、小説やエッセーなど著作活動でも幅広く活躍する俳優の岸惠子さん(89)が、終戦の日に合わせて本紙のインタビューに応じた。...
中日新聞Web
濡れ布団を引きずって
−岸さんはたくさんの本や文章を書かれていますが、その中に「私にとって敗戦はむしろ、一九四五年五月二十九日の横浜一斉空襲の日でした」とあります。とても強烈な体験だったのですね。
外に出たら、銀色の怪鳥のようにうつくしかったB29の大軍は恐ろしい殺人兵器の本性を剥(む)き出しにして、辺り一面を阿鼻(あび)叫喚の生き地獄にしていました。焼夷(しょうい)弾が暴発する不気味な轟音(ごうおん)や、なぎ倒されそうな爆風の中を、体よりも大きな濡(ぬ)れ布団を引きずって逃げました。公園の石段に斜めに傾いて座り込んでいる若い女性がいました。被(かぶ)っている防空頭巾が燃えていました。夢中で肩を揺すぶると、そのまま私の方へ倒れ込んできた。
−その女性は亡くなっていたんですね。
そうです。眼(め)を見開いたまま、焼け焦げた髪の毛が頬にめり込んでいた。不思議と怖いと思わなかったわね。そんな生(なま)の感情は湧かず、ただ空っぽの心で、重い死体に乗られて身動きができなかった。
腕章を巻いたおじさんが私を引っ張り出して、「子どもは防空壕(ごう)へ入れ」と砂利道を引きずられて横穴の防空壕へ放り込まれた。
何も養生をしていない掘っただけの狭い横穴。長いトンネルみたいな防空壕でした。土砂崩れが起きるって、子どもでも分かりました。どうせ死ぬならこんな暗い穴の中は嫌だと思いました。
大人たちが止めるのも聞かず、防空壕から焼夷弾が炸裂(さくれつ)する地獄の中へ飛び出した。気が付いたら、母の言った松の木に登ってガタガタと震えていました。急に低空飛行をしてきた、爆撃機が耳を裂くような轟音を立てて、私の家がその直撃弾でブツブツと穴が開き、白い焔(ほのお)とすごい音を立てて、ふわん、ふわんと、お化けのように舞い上がりながら崩れていきました。
生き物が焼けるにおい
−「岸惠子自伝」には、空襲を体験して「もう大人の言うことはきかないと決めた」とあります。
防空壕にいた人は爆風や土砂崩れで、ほとんどが死にました。「今日で子どもはやめよう」と決めました。大人が止めるのに逆らって地獄へ飛び出した私は生き残ったんですから。
翌日、父に連れられてあらゆる死体を見ました。
いろいろな死体を見たわね。水死体、お地蔵様かと思ったら、それは昨日までぴんぴんと生きていた人たちが、変わり果てた死体となって、トラックに積み込まれていたのね。
戦争はいつだって起きる 若者は世界を見て
無関心ではいられない
フランスの「五月革命」や「プラハの春」を両方とも現地で見て、革命とかクーデターにとても関心を持ちました。
私は戦争や争いは絶えることがないと思います。愚かな人間は歴史に学ばない。権力に対する憧れみたいな、そういうものが優先される限り、戦争はいつだって起きると思うんです。
なぜ陰惨な事件が絶えないのか。子殺し、親殺し、虐待、不注意による事故、「人を殺してみたかった」と平然と言う空気。これは日本だけの問題ではないかもしれないですね。
コロナウイルスが新しい時代を生みつつあると思います。日本の若者たちには目を凝らして世界を見てほしい。日本人である以上に地球人になってほしいと思います。
(編集部より)
岸さんが主人公「氏家真知子」を演じた映画、「君の名は」。ショールを頭からかぶった「真知子巻」が流行しました。
岸さんの記事にある「五月革命」と「プラハの春」、若い方はご存じないですね。以下の動画をご参照ください。
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