「地政学」を考えてみる
韓国と日本は「引越しできない隣人」
韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が「韓国と日本は引越しできない隣人」と語った言葉は「地政学」の基本と言えます。どうにもできない関係は世の中にたくさんありますが、国と国の関係は特に複雑な因子によって構成されています。30年ほど前に「朝鮮半島は大陸から日本に向けられた『刃』である」と語る人がいて驚きました。「朝鮮半島は、日本と大陸との橋」と言うのならまだ理解できますが、「刃」に例えるのは正しくありません。日本は朝鮮に出兵し、侵略しましたが、朝鮮は日本を攻めたことはないからです。
明治になって朝鮮を低く見、視野がせまくなってしまった日本
「朝鮮と日本は兄弟」(柳宗悦)、「朝鮮人は日本人のお師匠様」(勝海舟)
「朝鮮と日本は兄弟」と言ったのは民芸運動の柳宗悦(やなぎそうえつ)でした。
朝鮮と如何に向き合うべきか ― 柳宗悦「朝鮮の友に贈る書」百周年記念研究会〔5月23日〕
5月23日、大アジア研究会の主催で柳宗悦「朝鮮の友に贈る書」百周年記念研究会を開催した。新型コロナウイルス感染拡大の状況下であることから、s...
国体文化
勝海舟も「朝鮮人は日本人のお師匠様」(氷川清話)と語っています。
朝鮮といえば、半亡国だとか、貧弱国だとか軽蔑するけれども、
おれは朝鮮も既に蘇生の時期が来て居ると思うのだ。
およそ全く死んでしまうと、また蘇生するという、
一国の運命に関する生理法が世の中にある。
朝鮮もこれまでは、実に死に瀕して居たのだから、
これからきっと蘇生するだろうヨ。これが朝鮮に対するおれの診断だ。
しかし、朝鮮を馬鹿にするのもただ近来の事だヨ。
昔は、日本文明の種子は、みな朝鮮から輸入したのだからノー。
特に土木事業などは 尽く朝鮮人に教わったのだ。
いつか山梨県のあるところから、石橋の記を作ってくれ、と頼まれたことがあったが、
その由来記の中に「白衣の神人来りて云々」という句があった。
白衣で、そして髭があるなら、疑いもなく朝鮮人だろうヨ。
この橋の出来たのが、既に数百年前だというから、
数百年も前には、朝鮮人も日本人のお師匠様だったのサ。
日清戦争直前の勝海舟の談話(『氷川清話』より)
江戸時代に日本にやってきた朝鮮通信使は中国や朝鮮の文化や遠くヨーロッパの文化も日本に伝えました。
明治になって日本人の視野が狭くなった
それが明治になると朝鮮を低く見る傾向が広がり、「朝鮮侵略は日本のため」と考えられるようになりました。日本人の視野が狭くなり、日本中心の考え方が、その後のアジア侵略につながり、さらには大東亜共栄圏という妄想になっていきました。その結末は大日本帝国の敗戦です。
戦争への反省から地理教育では使われなくなった「地政学」という言葉が、最近本のタイトルに
地理教育は敗戦前の日本で、他の教科とともに戦争に協力しました。その反省から敗戦後には民主主義教育が進められましたが、この国に民主主義が根付いたのかは考えさせられます。地理業界では敗戦前の地理学・地理教育は「地政学的であった」と言われ、「地政学(ゲオポリティクス)」という言葉はタブーでした。しかし、最近は「地政学」を関した書籍を書店でよく目にするようになりました。「地政学は世界史で学べ」(茂木誠・2015年・祥伝社)という本が平積みになっていて「オヤッ」と思いました。地理でタブーの「地政学」の本が世界史がらみで出版されていたからです。ボクは30年ほど前から「正しい地政学を確立すべき」と言っていたので、世界史業界から「地政学」の本が出ていて、チョッと怪訝(けげん)に思ったのでした。
地政学の基礎を分かりやすく説明。世界の見方がガラッと変わります! | 後悔しない生き方
TERUです。  [...]
後悔しない道を歩こうよ
「国益」絡(がら)みの「地政学」という言葉より「地域研究」とでもしたほうがいい?
その後、「地政学」を冠した出版物は流行しましたが、地理業界で正面から取り組んだ研究は見られないようです。「地政学」という「学」そのものに政治的意味があり、情緒的な記述や「国益」絡みの記述になりがちだからです。ですから「地政学」というよりも「地域研究」とでもしたほうが適切な表現のように思っています。
国際関係では、お互いを尊重することが大切
「巣籠もり」的な気分が増している日本では国内だけでなく、周辺地域との関係を冷静に考えることは重要といえるでしょう。悪口を言って溜飲を下げるような風潮は日本にとってよいことはありません。国際関係では、お互いを尊重することが大切です。国家間の外交だけでなく、民間レベルの交流も重要で、相互理解を深めるためにはさまざまなチャンネルの交流が重要となります。
「タリバンは社会運動組織」と言っていた中村哲さん
話は変わりますが、アフガニスタンの混乱が報じられています。心配なことはいろいろありますが、そもそも、タリバンはアフガニスタンを支配していたわけで、そのアフガニスタンイスラム首長国が米国などの軍事介入によって崩壊し、カルザイ大統領を立てたアフガニスタンイスラム共和国となったのでした。それから20年、トランプの政策転換(軍事力から知的財産・特許による覇権)によって米軍がアフガニスタンから撤退すれば当然タリバンが復権することは想定内のことでした。中村哲さんが「タリバンは社会運動組織」と言っていたことを思い出します。
故・中村哲医師が語ったアフガン「恐怖政治は虚、真の支援を」
アフガニスタンで支援活動を長年続けてきた中村哲医師が12月4日、現地で銃撃を受けて亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げ、2001年10月2...
日経ビジネス電子版
タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。
タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている「隠れ学校」。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。
我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。
(2001年当時の中村哲さんへのインタビュー)
女性を差別するのはイスラームの戒律ではなく、地域の伝統的習俗
欧米や日本のメディアが言うような乱暴は、欧米的価値観からの批判であって、イスラームの視点からみれば違和感のないものです。女性の人権侵害が心配されていますが、イスラームで問題になるのは男女が同じ場所で学ぶことなのであって、女性が教育を受けることではありません。イスラームでは女性にも教育を推奨しているので、女性にも教員になるための高等教育を認めています。女性を差別するのはイスラームの戒律ではなく、地域の伝統的習俗ということを理解する必要があります。
欧米的価値観でイスラーム世界を眺めると現実理解を誤らせる
ボクたちの「物指し」(欧米的価値観)でイスラーム世界を眺めて批判することは現実理解を誤らせ、解決不能につながることを考える必要があります。
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