魚離れに歯止めがかからないという。消費増税による小売市場の冷え込みに加え、師走選挙などもあって、年末商戦もパッとしなかったらしい。
家計消費が落ちている分、外食や中食は伸びているから心配ないという声もあるが、どうだろうか。また、量販店の魚売場が定番商材中心のディスカウント化する中で、ローカルスーパーが躍進し、沿岸魚種の新たなチャネルとなりつつあるという指摘があるが、メイン=量販あってのサブ=ローカルという市場ポジションは否めない。
農水省は「攻めの農林水産業」として6次産業化による競争力アップ、輸出振興を盛んに喧伝しているが、水産物の貿易、市場構造は輸入の席巻が実態との冷静な分析がある。荷姿や加工度を変える形でフリーに輸入水産物が国内市場にあふれ、業務筋では常識化しているというのだ。
輸出や加工に適した魚種は攻めの戦略で良いとしても、基本的に多品種、不定量、品質のバラツキ、季節変動の激しい沿岸漁業はどうしたら良いのか。
話しはガラリと変わるが、水産情報誌『アクアネット』12月号(湊文社)で「資源変動と環境」を特集している。そこでは、水産庁の「資源管理のあり方検討会」の座長を務めた桜本和美東京海洋大学教授が海洋生態系における「密度効果」は幻想であるとして、最大持続生産量(MSY)の概念は実際には成立しないことを論じでいる。その肝は「漁獲をやめても、資源は減る時は減る」という事実を認め、「どこまでなら資源の減少を容認できるか」という発想で資源管理を考えるべきであるという指摘にある。
「現実の世界は、密度効果が作用するより遥か早い段階で、環境の変化よる加入量変動が起きる、それが実際に起こっている資源変動のメカニズムではないか」。うーん、真実の論理的な解明は直感や常識より難しいぞ。
さて、同じ雑誌に「丸魚裸売りが人気の食品スーパー」として東京都東村山市にある「食品の店おおた」久米川店が紹介されている。この店の月商6,500万円のうち、水産部門の売上構成比は16%を超えるという。つまり1,000万円以上を水産物が稼ぐ。売場には定番魚種のほか、珍しい魚や丸魚がずらりと並び、リーズナブルな価格帯で売っている。しかも、周辺に有数の飲食街を抱え、高級魚も売れるというからなかなかである。無料の調理サービスが丸魚人気を支えているという。
そう考えると、佐野雅昭鹿児島教授が推奨するローカルスーパーの沿岸漁業に対する販売機能(「流通からみた産地再編の動向と地域漁業」北日本漁業経済学会シンポ報告2014.11)も今年は特に注目していく必要があるという気持ちになってきた。月刊『漁業と漁協』1月号に出ていた久賀みず保(鹿児島大)の「ローカルSMによる地元水産物販売チャネル確立の取り組み」にも同様の事例が紹介されている。
さらに『水産振興』第564号(東京水産振興会)では、魚価安定基金から移行した水産物安定供給機構の船本博昭専務が「水産物安定供給機構が実施している事業の概況―調整保管事業を中心として」を書いている。ここには魚価安定対策(調整保管事業)の歴史的な試行とその成果、さらに国内水産物の流通の目詰まりを解消する新たな加工・流通対策である「国内水産物流通促進事業」の概要が紹介されている。
何かまとまらない話になってきたが、やはり沿岸漁業は環境変動と国内流通の変化に対応した生産構造の革新が必要であると同時に、生物多様性に裏付けられた豊かな資源の利用を真剣に考える時代を迎えている。
つい最近まで「資源高」と言われた世界の資源エネルギー市場は、米国シェール革命によるオイル・ガスの増産を受けた原油の供給過剰によって「資源安」の局面に大きく動いた。1バーレル50ドルを切る水準を受けてアナリストは、中長期的に原油価格の低落が続くとみている。
食糧危機を煽る物言いにも閉口するが、食部門の一角を担う水産物が原油と同じような投機的な市場環境で取り扱われる時代は終わったような気がする。市場主義では沿岸魚種を有効活用できず、結局、ムダになってしまいかねない。
市場に介入する手法は、今や時代遅れのような論調が根強いが、価格支持のメカニズムをつくることで、経営は安定し、資源も維持され、担い手不足が解消するという「正のスパイラル」が機能する期待は高い。
確かにEU の共通漁業政策が目指した価格支持は挫折し、直接支持や資源回復に方向性が移っている。しかし、正面から水産物の価格政策に取り組んだことのない我が国は、その失敗を安易に論評するのは差し控えるべきだ。市場主義的な実験や構造改革ではない手法を試み、本質的な政策目標をめざすこと。それが戦後70年を迎える漁業先進国のリーダーシップではないか。(う)