降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★『紙つなげ!』泣けた泣けた❷

2014年07月14日 | 新聞/小説


【きのう7月13日付の続きです】
佐々涼子さん(46)の新刊ノンフィクション『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている/再生・日本製紙石巻工場』(早川書房、本体1,500円=写真)を読んだ。
とてもいいカバーデザインだな、と思ったら、売れっ子の
「装幀=鈴木成一デザイン室」
だった。

【「日本製紙(にっぽんせいし)石巻工場」データ】
▽敷地面積は約33万坪(東京ドーム23個分)で、年間生産量は100万㌧。
▽2011年3月11日、貨物線の石巻港駅、石巻湾、旧北上川の三方から最大7.7㍍の巨大津波に襲われた。
当日の勤務者は本社員・協力会社員を含め1,306人。
奇跡的に全員無事も、非番・OBには犠牲者が出た。
▽日本製紙は、日本の出版用紙の4割を生産し、同社石巻工場はその主力工場。
当日は、8号抄紙機(しょうしき)で角川文庫用紙を生産していた。
▽石巻工場の前身は1936年、昭和恐慌や昭和三陸大津波により疲弊した東北地方を救済するために設立された「東北興行株式会社」。
つまり、石巻工場自体が津波で被災した東北の地を経済支援するために造られたものだった................。

【抑えた描写だからこそ胸あつく】
この石巻工場であった復興ドラマは、被災地で数限りなくあった事実の一つに過ぎないとは分かっているけど、
佐々さんの抑えた描写だからこそ、胸に迫るものがあった。
涙で活字が滲んで読みすすむことがなかなかできなかった
(以下、本文から引用しました)。

その頃村上(僕注=石巻工場総務課主任、48歳)は南光寮脇で救助にあたっており、当時の様子をこう述べている。
「とにかくにおいがすごかった。震災のにおいっていうんですか。本やビニールや人が燃えている。
当日と翌日
(僕注=2011年3月12日)までに50人は助けました。そして、その倍の人を見殺しにした。助けられなかったんです。そのことは一生忘れないでしょう。」(後略)

僕の両親の実家跡は、宮城・仙台の海側。
津波で一帯が全滅した。
震災後、同じ話を「生き残った」土地の人に聞いた。

................続く。