全日本マスターズ・SKI大会は終わった。 | |||||||||
だが惜敗の2位であることに、やるべきことを全部やっていなかった、自分にくやしさが残った。 | |||||||||
3kmレースは10分の勝負。1秒を大事にしなくてはならない。 | |||||||||
この理解に真剣さが不足で、1位との差4.5で2位になってしまった。 | |||||||||
ただし3位の選手には0.7秒の差で勝てた。 | |||||||||
だが4.5秒の差の敗北は、心に重く残った。 | |||||||||
写真:優勝した、北海道旭川の金丸選手。全く同年令。
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H21年(2009年)から、戦っているが、この選手にだけには1回も勝ったことがない。 | |||||||||
マスターズ大会の「白鵬」のような選手。 | |||||||||
冬季間は、1週間に4回2時間雪上練習しているとのこと。 | |||||||||
100km大会なら勝てそうなのだが・・・・。 | |||||||||
SKI技術が上なのだろう。 | |||||||||
仲間としては、誇りに思える、りっぱな選手だ。 | |||||||||
コースの途中の「登り」でスパートすべき場合もある。 | |||||||||
スパートはゴールでするだけではなっかった。 | |||||||||
このことはある程度予測はして練習したのだが・・・。 | |||||||||
途中の登りを想定して、ローラーSKIで、300mの登りを繰り返し練習した。 だが、大会中、このことができなかった。 |
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300mのスピード。、 | |||||||||
1/13 1分48秒 | |||||||||
2/23 1分48秒 改良できていない。「you tube」を研究して改良した。 | |||||||||
1/24 ストック折れ | |||||||||
2/4 再度ストック折れ | |||||||||
2/8 ストック修理完、長さ8cm長いものにした。道具に問題があることを発見。 | |||||||||
2/18 1分37秒 改良し始めた。 | |||||||||
2/19~2/24 不幸事で練習休止。残念・・・・。 | |||||||||
2/25 秋田へ、雪の上に立てた。 | |||||||||
3/2 大会会場へ | |||||||||
3/3~3/4 大会 | |||||||||
3/8 千葉ばへ、再びローラースキー練習、反省練習。 | |||||||||
同じコース で 1分34秒 | |||||||||
3/21 1分28秒 | |||||||||
3/28 1分26秒 大会前より11秒も速くなった。 | |||||||||
なぜ、このスピードを出せなかったのか。 | |||||||||
理由: | |||||||||
漫然としか1秒の重みを実感していなかった。 | |||||||||
技術的に未熟な点を「you tube」を繰り返し見て改良した。 | |||||||||
オリンピックでは、30kmも走って、5cmの差をあらそっている。 | |||||||||
写真判定の差なのだ。 | |||||||||
全体でもっとパワフルに走らねばならない。 | |||||||||
300mの登りを、スースーと登るのと、ガガガーと登るのとのタイム差を研究した。 | |||||||||
実戦の際の時間配分ができていなかった。 | |||||||||
この点に意識を集中した結果、11秒も速くなった。 | |||||||||
では、ウルトラ・マラソンとの共通点は何か・・・・。 | |||||||||
3kmのSKI大会での1秒は、ウルトラでは、1分になるだろうか。 | |||||||||
時間に対する感覚、管理、マネージメントの「技術」が共通する。 | |||||||||
5kmごとのエイドが20か所。各エイドで2分休憩する。5か所の関門では、4分追加。 | |||||||||
2分×20個所=40分。4分×5個所=20分。計60分。 | |||||||||
時間に追われてくると、この時間を1分単位で削る。 | |||||||||
秋田大会の第4関門(阿仁)の81kmからは、 | |||||||||
5km標識ごとに、今走ってきた5kmのタイムを認識して予定時刻との差を計算する。 | |||||||||
次の5kmで1分の遅れを取り戻す。 | |||||||||
98kmの鷹巣橋は17時40分に渡るように逆算計算する。 | |||||||||
残り2kmに20分は取っておく。不足の事態に対処もできるように。 | |||||||||
「小」は22秒、「大」は2分40秒も、もちろん計算に入れ、95km以降はぜったいに「しない」。 H23年は、91kmの第5関門で「大」を済ませた。 |
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これらは、全て1分を「争う」自分との戦い。 当管理者も、H14年に75kmでリタイアーしたときは、 かみしめている。 |