私の絵の道に入るまでをお話しします。
私は、小学校の時、写生会で廊下に張り出されることはなかったとお話しました。
そして、その当時に描いた絵を振り返ってみても、確実に上手くはありません。
ただ、私は、父が中学の美術教師でした。だから、友だちからは絵が上手いと思われていました。
そこに大きな勘違いがありましたが、自分でも上手い気になり、周りも勘違いしていたのです。
私が美術教師になってから、父に言われましたが、「お前は小学校の時は、上手くなかったよ」でした。
中学になって、美術の授業があり、そこで椅子のデッサンを描かされました。
鉛筆デッサンです。それは、いまでも残してありますが、大人の見方で描けています。
透視図法を知っているようです。あまり狂いがありません。教師になってから見つけて、へええと思いました。
そして、笑い話ですが、100点が付いています。その判子が菅野です。
お分かりですか?父の採点です。本当の美術の先生が産休?か何かでお休みになり、代わりに父が来たのです。
そして、デッサンの採点をしたのです。その点数が100点です。笑っちゃうでしょ。まずいですよね。
ただ、これに100点を付けないと、他の子がそれより点数が悪くなっちゃうからしょうがないんだと言っていました。
だから、色を着けた絵はまだ上手くなかったですが、物を見る目は大人の感覚があり、鉛筆だけのデッサン力はある程度はあったようです。
次の記憶をたどると、中学1年生のときの写生会で、私は先輩たちと合せた選考の中で5人の中に入り、学校代表でどこかの展覧会に出品することに選ばれました。それは、私にとっては画期的なことでした。なぜなら、小学校の時の経験から廊下に張り出されたこともなかったのですから。ただ、それもちょっと私には解せないことがあるのです。
先生たちの審査の時、他の先生たちが私の父にゴマをすったのではないかという疑惑です。
これは、私が勝手に思っている疑惑なのですが、父は私の絵を選ばなかったようなのです。
ところが、他の先生がこれがいいと私の絵を推薦するものだから、自分の意見よりも多数決で決まってしまったようです。
俺は選ぶつもりはなかったんだけど、と家に帰ってきてから言っていたのを覚えています。
確かに私が後で見ても、父が選ばない理由がわかります。やはり上手くはありません。ただ色味が良かったのは評価できます。他の人にない色味です。ただこれも原因を探すと、私の父の師匠であり、後に私が高校に行ってからお世話になる古川弘先生がすばらしい水彩画を描かれる先生で、その先生が絵を描くときを私は子ども時代から見る機会があったのです。だからその時の絵は、古川先生のような色味を出したくて真似をしたような気がします。それがちょっと中学生離れをしていたのだろうと思うのです。そのような経験のある中学生はほとんどいませんから、私の環境が良かったのです。
でも、私が選考委員になっていても選ばなかったかなという程度の絵です。だから、やはり客観的に見ても私は絵は上手くなかったですね。
次の記憶は、中学二年生の時の授業で描いた風景画です。
これは、渡された紙の表と裏を間違えて使ったことが功を奏したという事だと思いますが、自分でも意外といい感じで描けました。それは、表が白で裏が段ボールみたいな薄茶色の紙でした。本来は白い方で描くべきところを薄茶の方で描いてしまったのです。それが、他の子と違いなかなか味が良かったのです。そして、そのときなぜか、風景画の遠近法を理解したようです。
何かを掴む時は、突然やってくるような気がしますが、物心がつくということと同じかどうか、物の見方がある時、掴めた気がしました。それは、子どもの絵から大人の絵に切り替わるところなのかもしれません。
そして、中学の最後の記憶は、おばあちゃんを描いたデッサンでした。
実は、なぜだかそっくりに描くということができる気がしました。
父がよく炬燵でテレビを見ている家族をデッサンするのですが、私も真似してやってみました。
そのとき、本当にそっくりに顔が描けた気がしました。なんでこんな能力が授かったのかなと思うほど良く似ていました。
理由は、環境なのでしょう。父が絵の先生で、父の友だちと言えば、画家の仲間で、遊びに来たその方たちが私の絵を見て、上手いねえと褒めてくれます。褒められるから嬉しくて、また褒められたくて描くという経験が積み重なって行きました。
そして、常に父やその方たちの絵を見ています。そういう積み重ねがあったからだと思います。
水彩画も家の近くで10号の大きさですが、何枚か描いていました。
美術の宿題でもなく、自分の時間に暇な時に風景画を描くなんてことは、やはり普通の子どもにはないことでしょう。
私の父が美術の先生で、普段から絵を描いていたから私も真似して描いたのだろうと思います。
というのが、私の中学までの体験です。
まあ、とりあえず、自分で絵の歴史をたどると、このようなことが思い出されます。
なぜ、絵が上手くなったのかと考えると、私は環境が良かったからというのが、結論です。
まだ、この段階では、バスケット部でしたから、絵よりも運動が大好きな中学生でした。
ただ、面白いのは、おばあちゃんが私の描いたおばあちゃんのデッサンを見て「お前はお父さんより上手い」と言ったことでした。この時点で、私は一度だけそっくりに描けるという勘違いをしました。
つづく
私は、小学校の時、写生会で廊下に張り出されることはなかったとお話しました。
そして、その当時に描いた絵を振り返ってみても、確実に上手くはありません。
ただ、私は、父が中学の美術教師でした。だから、友だちからは絵が上手いと思われていました。
そこに大きな勘違いがありましたが、自分でも上手い気になり、周りも勘違いしていたのです。
私が美術教師になってから、父に言われましたが、「お前は小学校の時は、上手くなかったよ」でした。
中学になって、美術の授業があり、そこで椅子のデッサンを描かされました。
鉛筆デッサンです。それは、いまでも残してありますが、大人の見方で描けています。
透視図法を知っているようです。あまり狂いがありません。教師になってから見つけて、へええと思いました。
そして、笑い話ですが、100点が付いています。その判子が菅野です。
お分かりですか?父の採点です。本当の美術の先生が産休?か何かでお休みになり、代わりに父が来たのです。
そして、デッサンの採点をしたのです。その点数が100点です。笑っちゃうでしょ。まずいですよね。
ただ、これに100点を付けないと、他の子がそれより点数が悪くなっちゃうからしょうがないんだと言っていました。
だから、色を着けた絵はまだ上手くなかったですが、物を見る目は大人の感覚があり、鉛筆だけのデッサン力はある程度はあったようです。
次の記憶をたどると、中学1年生のときの写生会で、私は先輩たちと合せた選考の中で5人の中に入り、学校代表でどこかの展覧会に出品することに選ばれました。それは、私にとっては画期的なことでした。なぜなら、小学校の時の経験から廊下に張り出されたこともなかったのですから。ただ、それもちょっと私には解せないことがあるのです。
先生たちの審査の時、他の先生たちが私の父にゴマをすったのではないかという疑惑です。
これは、私が勝手に思っている疑惑なのですが、父は私の絵を選ばなかったようなのです。
ところが、他の先生がこれがいいと私の絵を推薦するものだから、自分の意見よりも多数決で決まってしまったようです。
俺は選ぶつもりはなかったんだけど、と家に帰ってきてから言っていたのを覚えています。
確かに私が後で見ても、父が選ばない理由がわかります。やはり上手くはありません。ただ色味が良かったのは評価できます。他の人にない色味です。ただこれも原因を探すと、私の父の師匠であり、後に私が高校に行ってからお世話になる古川弘先生がすばらしい水彩画を描かれる先生で、その先生が絵を描くときを私は子ども時代から見る機会があったのです。だからその時の絵は、古川先生のような色味を出したくて真似をしたような気がします。それがちょっと中学生離れをしていたのだろうと思うのです。そのような経験のある中学生はほとんどいませんから、私の環境が良かったのです。
でも、私が選考委員になっていても選ばなかったかなという程度の絵です。だから、やはり客観的に見ても私は絵は上手くなかったですね。
次の記憶は、中学二年生の時の授業で描いた風景画です。
これは、渡された紙の表と裏を間違えて使ったことが功を奏したという事だと思いますが、自分でも意外といい感じで描けました。それは、表が白で裏が段ボールみたいな薄茶色の紙でした。本来は白い方で描くべきところを薄茶の方で描いてしまったのです。それが、他の子と違いなかなか味が良かったのです。そして、そのときなぜか、風景画の遠近法を理解したようです。
何かを掴む時は、突然やってくるような気がしますが、物心がつくということと同じかどうか、物の見方がある時、掴めた気がしました。それは、子どもの絵から大人の絵に切り替わるところなのかもしれません。
そして、中学の最後の記憶は、おばあちゃんを描いたデッサンでした。
実は、なぜだかそっくりに描くということができる気がしました。
父がよく炬燵でテレビを見ている家族をデッサンするのですが、私も真似してやってみました。
そのとき、本当にそっくりに顔が描けた気がしました。なんでこんな能力が授かったのかなと思うほど良く似ていました。
理由は、環境なのでしょう。父が絵の先生で、父の友だちと言えば、画家の仲間で、遊びに来たその方たちが私の絵を見て、上手いねえと褒めてくれます。褒められるから嬉しくて、また褒められたくて描くという経験が積み重なって行きました。
そして、常に父やその方たちの絵を見ています。そういう積み重ねがあったからだと思います。
水彩画も家の近くで10号の大きさですが、何枚か描いていました。
美術の宿題でもなく、自分の時間に暇な時に風景画を描くなんてことは、やはり普通の子どもにはないことでしょう。
私の父が美術の先生で、普段から絵を描いていたから私も真似して描いたのだろうと思います。
というのが、私の中学までの体験です。
まあ、とりあえず、自分で絵の歴史をたどると、このようなことが思い出されます。
なぜ、絵が上手くなったのかと考えると、私は環境が良かったからというのが、結論です。
まだ、この段階では、バスケット部でしたから、絵よりも運動が大好きな中学生でした。
ただ、面白いのは、おばあちゃんが私の描いたおばあちゃんのデッサンを見て「お前はお父さんより上手い」と言ったことでした。この時点で、私は一度だけそっくりに描けるという勘違いをしました。
つづく