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絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

私が絵の道に入るまで 1

2011-04-23 | 絵のこと
私の絵の道に入るまでをお話しします。

私は、小学校の時、写生会で廊下に張り出されることはなかったとお話しました。
そして、その当時に描いた絵を振り返ってみても、確実に上手くはありません。
ただ、私は、父が中学の美術教師でした。だから、友だちからは絵が上手いと思われていました。
そこに大きな勘違いがありましたが、自分でも上手い気になり、周りも勘違いしていたのです。
私が美術教師になってから、父に言われましたが、「お前は小学校の時は、上手くなかったよ」でした。

中学になって、美術の授業があり、そこで椅子のデッサンを描かされました。
鉛筆デッサンです。それは、いまでも残してありますが、大人の見方で描けています。
透視図法を知っているようです。あまり狂いがありません。教師になってから見つけて、へええと思いました。
そして、笑い話ですが、100点が付いています。その判子が菅野です。
お分かりですか?父の採点です。本当の美術の先生が産休?か何かでお休みになり、代わりに父が来たのです。
そして、デッサンの採点をしたのです。その点数が100点です。笑っちゃうでしょ。まずいですよね。
ただ、これに100点を付けないと、他の子がそれより点数が悪くなっちゃうからしょうがないんだと言っていました。

だから、色を着けた絵はまだ上手くなかったですが、物を見る目は大人の感覚があり、鉛筆だけのデッサン力はある程度はあったようです。

次の記憶をたどると、中学1年生のときの写生会で、私は先輩たちと合せた選考の中で5人の中に入り、学校代表でどこかの展覧会に出品することに選ばれました。それは、私にとっては画期的なことでした。なぜなら、小学校の時の経験から廊下に張り出されたこともなかったのですから。ただ、それもちょっと私には解せないことがあるのです。

先生たちの審査の時、他の先生たちが私の父にゴマをすったのではないかという疑惑です。
これは、私が勝手に思っている疑惑なのですが、父は私の絵を選ばなかったようなのです。
ところが、他の先生がこれがいいと私の絵を推薦するものだから、自分の意見よりも多数決で決まってしまったようです。
俺は選ぶつもりはなかったんだけど、と家に帰ってきてから言っていたのを覚えています。

確かに私が後で見ても、父が選ばない理由がわかります。やはり上手くはありません。ただ色味が良かったのは評価できます。他の人にない色味です。ただこれも原因を探すと、私の父の師匠であり、後に私が高校に行ってからお世話になる古川弘先生がすばらしい水彩画を描かれる先生で、その先生が絵を描くときを私は子ども時代から見る機会があったのです。だからその時の絵は、古川先生のような色味を出したくて真似をしたような気がします。それがちょっと中学生離れをしていたのだろうと思うのです。そのような経験のある中学生はほとんどいませんから、私の環境が良かったのです。

でも、私が選考委員になっていても選ばなかったかなという程度の絵です。だから、やはり客観的に見ても私は絵は上手くなかったですね。

次の記憶は、中学二年生の時の授業で描いた風景画です。
これは、渡された紙の表と裏を間違えて使ったことが功を奏したという事だと思いますが、自分でも意外といい感じで描けました。それは、表が白で裏が段ボールみたいな薄茶色の紙でした。本来は白い方で描くべきところを薄茶の方で描いてしまったのです。それが、他の子と違いなかなか味が良かったのです。そして、そのときなぜか、風景画の遠近法を理解したようです。
何かを掴む時は、突然やってくるような気がしますが、物心がつくということと同じかどうか、物の見方がある時、掴めた気がしました。それは、子どもの絵から大人の絵に切り替わるところなのかもしれません。

そして、中学の最後の記憶は、おばあちゃんを描いたデッサンでした。
実は、なぜだかそっくりに描くということができる気がしました。
父がよく炬燵でテレビを見ている家族をデッサンするのですが、私も真似してやってみました。
そのとき、本当にそっくりに顔が描けた気がしました。なんでこんな能力が授かったのかなと思うほど良く似ていました。
理由は、環境なのでしょう。父が絵の先生で、父の友だちと言えば、画家の仲間で、遊びに来たその方たちが私の絵を見て、上手いねえと褒めてくれます。褒められるから嬉しくて、また褒められたくて描くという経験が積み重なって行きました。
そして、常に父やその方たちの絵を見ています。そういう積み重ねがあったからだと思います。

水彩画も家の近くで10号の大きさですが、何枚か描いていました。
美術の宿題でもなく、自分の時間に暇な時に風景画を描くなんてことは、やはり普通の子どもにはないことでしょう。
私の父が美術の先生で、普段から絵を描いていたから私も真似して描いたのだろうと思います。

というのが、私の中学までの体験です。
まあ、とりあえず、自分で絵の歴史をたどると、このようなことが思い出されます。
なぜ、絵が上手くなったのかと考えると、私は環境が良かったからというのが、結論です。

まだ、この段階では、バスケット部でしたから、絵よりも運動が大好きな中学生でした。

ただ、面白いのは、おばあちゃんが私の描いたおばあちゃんのデッサンを見て「お前はお父さんより上手い」と言ったことでした。この時点で、私は一度だけそっくりに描けるという勘違いをしました。

つづく





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絵は子どもの時から上手じゃないとダメか?

2011-04-23 | 絵のこと
絵は、才能だとおっしゃる方がいます。

私は、そうは思いません。

全く関係ありません。

私は、自分自身を振り返ってみたら、客観的に見て、絵は下手でした。
小学生の時、写生会で上手な子は、廊下に張り出されました。
それを、いいなあと羨ましく眺めているのが、私でした。
私は、廊下に張り出されたことはないのです。

それでも、私は美術の教師になり、何十年も絵を描いて来ました。
どうしてでしょう。

それは、絵をバスケットと同じように、練習したからです。
絵も練習で上手くなるのです。

絵は才能だからとおっしゃる方は、子どもの時から上手くなければダメだと思っているでしょうか。
それは、大きな間違いです。絵は練習で上手くなります。センスも学べます。

だから、申し訳ないですが、子どもの時絵が上手だったんですよというお話を聞いた時、
そうですか、それがどうかしたんですかと思います。
言ってみれば、へでもないのです。

子どもが、絵が下手で困りますなどとおっしゃるお母さん方に、そんなこと何でもないですよと
お話ししたいですね。

運動部の選手が苦しさと戦いながら、きつい練習に耐えているように、絵を学ばせて見てください。
そうすれば、必ず上手くなります。小学校の時に絵が上手だったという子なんて比較にならないほど
上手くなります。

ピアノが上手に弾ける子は、上手になるまで練習したのです。そのことを考えてください。

私はそろばんの授業は、バカみたいでやっているのが、退屈でした。
なぜなら、授業でやるそろばんは、6級くらいなのです。
私はそろばん塾へ行っていたので、3級位をやっていました。
だから、6級はバカみたいに簡単なのです。満点を取るのは当たり前でした。

要するに、練習したからです。

実は、絵も同じなのです。ただ、子どもの絵を教えている絵画塾へ行ったのでは、あまり上手くならないでしょう。
大人のような絵を教える人に教えてもらわないと、お楽しみだけで終わってしまいます。
子どもの絵は楽しませる範囲のことなのです。絵に親しむということで、心の教育にはとても良いことです。
そして、本来はその方が、本質的なことかもしれません。

ただ、大人になって、通用するような絵の上手さにはなりません。

私の言っている、練習とは、子どもの絵が上手というレベルの話ではないのです。

子どもの時、絵が好きだったと言う事は、良いことです。
しかし、子どもの時、絵が上手だったとか、展覧会で賞をもらったとかは、
大人になると、関係ありません。通用しないと言う事です。







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Sさんの県展制作 2

2011-04-23 | 絵画指導
Sさんが、ここまで進めてくれました。



本人いわく、「上手く行ってないので、写真に撮らないでください」でした。

私は、上手く行ってないとは思わないし、途中経過を撮らないと、どこでどのように
苦労したかがわからないので、この状態を撮影しておくことは重要だと話しました。
次に描くときに、同じ問題に出くわすのです。その時に、あの時はこうやって
解決したということが力になるのです。

「上手く行ってないというのは、どこですか?」と私は尋ねました。
すると、本人がブロックの辺りや、どこかその近辺の話をしましたが、
私は、全く気にならない部分でした。

「それより、もっと気にしてほしい部分があります」といいました。

1、左上の樽の口の中が平面的です。樽自体も平面的です。
2、右の茶色の壺が空中に浮いています。
3、その壺の口の丸みが足りません。色が他と比べて派手です。
4、左下の壺の底の丸みが足りません。
5、中心の白い壺の影がブロックに落ちていません。
6、右下のバケツの底の丸みももう少し丸く。
7、左下の壺と後ろの茶色い箱が揃ってしまっています。
    これは、モデル組みの時に気がつきませんでした。ほんの少しでも重なった方が良いと思います。
    ピッタリと重なっているのは、気になります。

8、それぞれの壺の左下にできる影の方向を平行になるように気にかけること。

などを指摘しました。
具体的には、もっと詳しく説明しましたが、箇条書きで書くとこのようなことです。

色味は良くて、構図が良いですから、必ず良い作品になりますから頑張ってくださいと言いました。

もう、歳だから、なかなか根気が続かなくて、30分やると疲れちゃうんですよと笑いながら言っていました。
おいくつなんでしょう、70代には違いないのですが。
でも、まだゴルフ場のコースを歩いて18番をやり通す人なのです。だから、大丈夫ですよと話しました。

本人は「県展には、間に合いそうにありません」とも言っていました。
しかし、出さないと決めるといつでもいいやとなって、なかなか描きあがらないので、
「出すつもりで描いて、最終的に間に合わなかった場合は、しょうがないでいいですよ」と話しました。

「プロではないですから、体調を見ながらできる範囲のことでいいですよ」というアドバイスです。



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MNさんの県展制作 

2011-04-23 | 絵画指導
MNさんが、ここまで描いて見せてくれました。



かなり進みましたが、どうも平面的です。
このまま、平面的で良いのか、本人に尋ねますと、
今まで通り、きちんと立体的に描きたいといいます。

私は、シャガールの絵や現代絵画などを思い浮かべると、
敢えて、平面的な描き方もあるので、自分がどういう描き方をしたいかに
よって、アドバイスが変わるんですけどと話しました。

このMNさんは、なかなか色の感覚が良いので、敢えて上手な絵にしなくても
いいのです。しかし、それでは、どう描くかという段階になると、どうして
良いのかわからなくなるのです。素人は、その辺で、手段がありません。

だから、下手に描いてもいいんですよと言われても、困る訳です。

やはり、見える通りに描くという姿勢の中から、自分なりの展開をしていく以外にないのです。

そのため私の指導も、立体感を出したいという要望に答える形になります。

平面的な表現を立体的にするには、どうすれば良いかというと、それは、光と影の関係を描けば
よいのです。本人は、それを描いているつもりだと言うのですが、どうも平面的に見えてしまいます。
そういう場合は、思いきって明暗の差をつけるのです。

それで、私が、青と黒を混ぜて、思いっきり影をつけてあげました。
それは、全く真っ黒のような色でぶち壊しにしたようなものです。
しかし、そのくらい思いきったことをしないと、どうも本人の望んでいるようなものに
ならないことを感じました。

以前も、高校生の指導でよくやったことです。
高校生の場合は、泣いてしまった子もいました。

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