絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

クロッキーのポイント

2011-04-29 | デッサン会
昨日のデッサン会で、クロッキーのポイントを指導しました。

私は、全体はフワ―ッと掴んで、後は、頭と手と足を描けば良いとお話ししています。

そのことを3分くらいで、描いて示しました。

それが、これです。



どうですか?

普通、デッサンを始めたばかりの人は、逆を言われませんか?
手や顔や足なんかに拘らずに、全身を描けと。
確かに、私もそのように言うことがあります。しかし、全体の構図が掴めるようになったら、
それだけを言っていては、デッサンが良くなりません。
大きさと位置が良くなったら、比例を考えて全体がシルエット的に掴めるようになったら、
今度は、全身を詳しく描くことをやめて、柔らかくフワーッと掴んで、ポイントになる部分を描くという
ことに勤めてほしいです。今のデッサン会ではそれを勧める段階になりました。
どうしても、固く全体を同じ力で描くことばかりしてしまいます。
それで、このようなことを描いて示しました。

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今朝の国会中継

2011-04-29 | いろいろ
今朝の国会中継を見て、感動しました。
民主党の渡辺恒三議員の質問です。

ご本人も福島県出身だそうですが、被災地の人々の気持ち、状態を切々と訴え、
この被災地の人々を、国を挙げて救わなければならないという内容でした。

そして、その質問というより訴えの中で、渡辺議員は野党を褒めました。
自民党から共産党まで、全ての野党が党利党略ではなく、日本国民一丸となって
この危機を乗り越えるために協力しなければならないということで、建設的な
意見をたくさんくださったと言いました。そのことが、実に立派であると褒めました。
政権与党の議員が質問に立って、野党を褒めるというのは、異例のことでしょう。

私は文章力がないので、それを渡辺さんに代わって伝えることができませんが、
あの中継は、何度でも再放送をしてもらいたいと思います。

日本が太平洋戦争で負けた時、渡辺さんは中学1年だったそうです。
あの焼け野原の中から立ちあがって、戦争に勝ったアメリカに追いつくまでに
復興した日本の底力を例に出して、絶対に日本は復興する。そのために頑張ろうと
訴えたのです。

そして、菅総理もそれに答えて発言し、国会の会議場は、シーンとして渡辺議員の話に聞き入り
二人とも話が終わった時、それぞれ拍手をいただいていました。

私は単純ですから、とても感動しました。
あんな風に言われたら、野党も総理大臣を辞めろと言い難いだろうなあと思いました。

そうです、今は総理を下りろなどという議論の時ではないですよね。
総理がだれであっても、やるべきことは同じです。今の総理に進言しやるべきことを
やらせるのです。

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原発事故についても、私が言っていたロボットを使う事も始まりました。自衛隊のヘリで水をまいていた時は、
あまりにもやり方がお粗末なので、呆れてしまいましたが、やっと頭を使った方法に切り替わったようです。
仕事についている東京電力の方たちに命がけの仕事をさせてほしくないです。
だから、私はロボットを使えと初めから訴えていました。

しかし、遅いですね。「詳しいことは、まだわかりません」などという説明が多すぎます。
専門の頭のいい人たちがたくさんいるはずなのに、何をしているのでしょう。
コンクリートを上から流し込んで、完全に固めてしまうという方法ではダメなのでしょうか。
そんなことをしたら、原爆並みの爆発でも起こってしまうのでしょうか。
中が爆発しても壊れないくらいのコンクリートの厚みというのは、どのくらいなのでしょうか。
また、その中身を出して冷やす休息のことができるなら、それを海の中に沈めたらどうなるのでしょうか。
それこそ、汚染されてしまうのでしょうか。
使い終わった核燃料棒を最後は海に沈めるということを聞いたことがありますが、それは間違いですか?
地面に埋めるのでしたか?
海でも地面でもどちらでもいいですが、それは、できないのでしょうか。

何とか、直して使えるようにしたいとか考えて、今の対応なのでしょうか。
わからないから、苛々しています。











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カッサンドラについての疑問

2011-04-29 | いろいろ
みなさんは、ギリシャ神話に出てくるカッサンドラをご存知ですか?

アポロンから求婚され、先が読める能力を授かった女性です。
そして、アポロンが浮気をして自分が泣いている姿が読めてしまったので、
慌てて、アポロンから逃げました。
振られたアポロンは、悔しいので、カッサンドラがいくら先が読めても、
それを信じる人が誰もいないように魔法をかけたのでした。

結局それが、トロイ戦争の木馬の計を見破ったにも関わらず、耳を課す人が
誰もいなくて、トロイが火の海になってしまうのでした。

ここまでは、私は納得して読みました。

しかし、その後です。見破ったのならなぜ逃げなかったのでしょうか?
これが、疑問です。

逃げる余裕がなかったのでしょうか。
そして、結局、ギリシャの総大将アガメムノンの女にされてしまいます。
それも読めていたはずですよね。
ということは、それを望んでいたのでしょうか。
なぜなら、神であるアポロンからさえ、逃げた人なのですから。

そして、次にそのままアガメムノンに連れられて、スパルタに行きます。
そこで、アガメムノンと共に、アガメムノンの妻とその愛人に殺されてしまいます。
それも、読めていたはずです。
なぜ、逃げなかったのか、なぜ、アガメムノンに教えなかったのか?

ここが私の疑問です。
どなたか、ご存知の方がいるでしょうか。
きっと、何かの本には、その答えが書いてあるのでしょう。

今は、それを知りたいなあと思っています。

ーーーーーーーーーーーーーー
因みに、アガメムノンの妻とは、ヘレネの双子の姉妹です。
名前は、クリュタイムネストラと言って、ゼウスとレダの子どもです。
ゼウスが人妻であるレダに恋をして、レダが好きな白鳥に化けてレダと交わるというお話です。

最近読んだ本で知ったのですが、このゼウスとレダは、卵を二つ産むのですね。
その一つが、男の双子であり、ふたご座になったカストルとポックルでしたっけ?
もう一つが、この姉妹でした。
私は、この話を何度か別々に読んだことがあり、どちらも双子の話なので、こんがらがっていました。

卵は二つで、それぞれに双子が入っていたということですね。
しかし、それにしても人間が卵から生まれてくる話です。おかしいですね。
もしかして、桃太郎も桃ではなく卵だったりして。

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岡本太郎の絵

2011-04-29 | いろいろ
岡本太郎という画家は大変有名な人です。

「芸術は爆発だ」と言って、芸術は上手くてはいけない、綺麗ではいけない、心地よくてはいけないと言っていました。
私は、そういう言葉を発したり、世の中に対するメッセージを出したりする姿勢がとても面白くて、楽しみでした。

そして、時々テレビも特別番組の如く扱いますが、最近、冷静に見ると疑問に感じるようになりました。
というのは、あの眼のシリーズを県展で評価したら、果たして入選するかなと思ったのです。

有名だから、強烈だから、入選するでしょうか?

私が審査したら、落ちそうですよ。

もちろん、本人は県展なんか出さないし、そんなことを言われることをなんとも思わないでしょうが、そして、私の絵を見せたら、あんた何のために描いてるの?とでも言われるでしょうが、それでも私ごときでも、感じた事を言うのは勝手なので、どうしても受け入れられないものは、受け入れられないのです。

岡本太郎の絵について、何かを言う事は、とても勇気のいることだと思いますが、敢えて言えば、芸術は心地よくてもいいのです。癒しでもいいのです。それを見ることで、心が安らぐなんてすばらしいことじゃないですか?

強烈で驚かすようなものばかりが芸術であるはずがないのです。
私は、絵の指導をしているとき、岡本太郎のような一つの考え方を持って、絵に向かう事は大切だと言います。
しかし、常に求めるのは、品の良さです。強烈であっても品を求めたいです。

「明日の神話」は、主役と脇役がありますね。バランスもとれていますね。その二つにおいては、心地いいですよ。何も気にしていないと言うのは嘘ですね。主従とバランスを考えているのですから、造形要素を意識しています。ただ、色に品がない。赤は完全に外れている。
品を求めると、絵が弱くなるとでも言っている気がする。

岡本ファンの方たちからおしかりを受けるかもしれませんが、私も岡本ファンの一人かもしれないので、
敢えて、先生に反抗する弟子のようなつもりで、自分は自分の考える絵を描いて行こうと思います。

岡本太郎は、綺麗ではいけないと言いながら、美しければ良いと言い直しています。
私もその意見には、同感です。よくデパートなどで綺麗な売り絵が並んでいます。あんなもの世の中に出すなよと思います。
それを、喜んで買う絵が分からない人もたくさんいるので、困ります。風呂屋のペンキ絵とよく言われたその類の絵です。
そういうものを頭に思い描くと、岡本太郎の言わんとすることは、同感です。
しかし、そう言っている、答えが、岡本太郎の絵であるとすれば、私は疑問です。
岡本太郎の絵は、美しいでしょうか?
単なる小奇麗からは、外れています。しかし、美しいでしょうか。
私は、美しさには、品があると思います。色が強烈であっても品が必要だと思います。
その辺が、私と岡本太郎の美しさという点で、違いがあります。

先日放送されたテレビの岡本太郎の眼のシリーズを見ると、品が無いと思います。

岡本太郎の絵を全て知っている訳ではありませんが、あのように紹介されると、
あれでいいんだと、テレビが言っている気がします。
どれも、すごいという感想で締めくくっています。
どうも、疑問です。





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私が絵の道に入るまで 8

2011-04-29 | 絵のこと
三年生の県展にやっとの思いで入選して、なんとか面目を保ちましたが、
デッサンは相変わらずで、上手くならないことに耐えていました。

三年生のもう一つの展覧会は、秋でした。
昨年、特選というものを初めて手にした麓原展です。

昨年特選になったからと言っても、まぐれに近いので、また特選になるとは
限りません。それに、段々と私もデッサンをしているうちに、自分の絵は、
たまたまラッキーで入選したり、特選になったりしていることに気付いてきました。

そうなると、益々実力をつけないと、安定した力にはならないので、そうそうまぐれは
続かないという不安さえ出てきました。

しかし、まだ構図のことやテーマのことをしっかり意識しているわけではないので、
どうしてよいのかわからず、ただひたすら石膏デッサンをしているだけでした。

私が高校3年の秋に描いた絵は、次の2点です。
左は麓原展、右は県北展に出品したものです。

 

麓原展の作品は、昨年に続いて、夜の台所をテーマにしました。
そして、今度は上から2番目の特選になりました。本庄市長賞です。

昨年とは角度を変えて描きましたが、汚れることを恐れないで思い切って明暗の対比を考えています。自分では「汚れた美しさプラス新鮮さ」をテーマにしたと友達に語っていました。

また、県北展の絵は、絵の具ダンスの上に花瓶と花というテーマですが、たまたまアトリエに父が置いてくれた花があったので、それを描かせてもらいました。
この絵は、ただ単にきれいに描くというだけでなく、背景の処理などを見ると、結構絵を知っているなあと今見ても思います。
やはり、デッサンを始めて1年経つので、いくらか空間を意識するようになったようです。


コメント (2)
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