麓原展で、二度目の勲章を得た私は、学校では、相変わらずデッサンをしていましたが
やはり、なかなか思うようにはいかず、ただ、下手なままでした。
美術部の後輩でも器用な子は、ろくに枚数を描いていないのに、私より上手い子がいて、その上手さに驚かされます。そういう子を見ていると、私はダメなんだなとまた、気持ちが塞ぎました。
しかし、私は性格的には楽観主義者で、その内なんとかなるさという気持ちはどこかにありました。
絵の道に入るのに貴重な体験として、次に思い出されるのは、3年生の時の県展制作です。
私は美術部に入る前に県展に入選したのです。今度はデッサンを始めて半年経っています。昨年より良い作品ができてもおかしくありません。私はそう考える人間でした。
時間が経てば上達するはずだと。それはバスケットの経験から来ています。
練習は必ず実を結ぶという期待であり、実感でした。
ところが今回は違いました。
それはスポーツとは違って、上達が目に見えてわからないのです。バスケットは、シュートが入るようになった。試合で何点取ったなどというのが、小さい変化でも形で現れます。しかし、絵はあまりわかりません。
少しは上手になったということはわかっても、それが絵として良いかどうかは先生に聞いてみないとわからないのです。要するに、上手いかどうかが絵の良いか悪いかではないからです。バスケットで言えば、ドリブルが上手くなっても得点にはならないのと同じです。
絵が良くなることをバスケットの得点で例えたら、どうすれば得点を延ばせるのかということで考えるべきなのです。その得点とは何か?です。
それをこの3年の県展制作で、知らされました。
私は、県展のために20号の風景画を描いていました。
今回は、児玉町の小山川という川へ行き、現場で制作をしました。
そして、ある程度描けたところで、古川先生に見てもらいした。
すると、「もう少しだな」と言ってくれました。
私は、喜んで、また描いて持って行きました。
すると、また「もうすこしだな」と言われました。
まだ、足りないのか、じゃあこれならどうだと三回目にもういいと言われることを期待して持って行きました。
そうしたら、また、「もうすこしだな」と言われました。
なんだ??
私は、もう十分描きこんで、これ以上はもうできないというまで描いたつもりでした。
しかし、3回も持って行ったのに、いつも言われる言葉は同じでした。
もしかして、もう少しというのは、どこまでいってももう少しなのかな?と思いました。
それなら最初からそう言ってくれればいいのに、まるで禅問答のようでした。
私はその絵をひとまず停止して、次の絵に取り組みました。
次の絵は、もう搬入が近いので、遠くまで描きに行くことをやめて自宅の裏の畑で描きました。
すると古川先生がそれに気づいて、私が描いているところまで見に来てくれました。
実は、古川先生は私の家のとなりです。私が中学2年のとき、となりに引っ越してきたのです。だから、私は実に恵まれた生徒でした。
先生は私の絵を見るや否や「これなら入る」と言いました。
私は、えっと驚きました。なぜなら、まだ描き始めていくらも経ってないのです。
鉛筆で形をとって、下塗りの絵の具をつけ始めたばかりでした。まだ、色が着いてない部分がたくさんあるのです。
とことん描きこんだ絵が、もう少しなのに、まだ描き始めたばかりの絵がもういいのか?
これは、何だ???です。
私が、この先この絵をどのように仕上げるのか、先生はわかるのだろうか。私は逆に不安になりました。途中で良いと言われると、その先描けなくなりますよね。
このことから、私は絵は、構図が大事なんだなと思いました。
風景ならどの場所をどのような構図で描くか?ということです。
それによって、同じデッサン力でも、絵の出来が違う。
要するに、バスケットのポイントにつながるのは、その部分なのだと。
もちろん、それだけでないことは、その後さまざまな経験で知りますが、この時の先生から教えられたことは、その後の私の高校生への指導で生かされます。
構図の悪い絵は描かせないという姿勢になっていきます。
そのときに、入ると言っていただいた絵は、これです。
結局、この絵を出品して、2年連続入選を果たしました。
もう少しは、もう少しではなかったという経験でした。
もう少しと、言われた絵は、この場所を描いたのですが、その絵が見つかりません。
県展の後、描き直したのが、これだったと思います。
しかし、やはり構図が平凡かなと思います。
やはり、なかなか思うようにはいかず、ただ、下手なままでした。
美術部の後輩でも器用な子は、ろくに枚数を描いていないのに、私より上手い子がいて、その上手さに驚かされます。そういう子を見ていると、私はダメなんだなとまた、気持ちが塞ぎました。
しかし、私は性格的には楽観主義者で、その内なんとかなるさという気持ちはどこかにありました。
絵の道に入るのに貴重な体験として、次に思い出されるのは、3年生の時の県展制作です。
私は美術部に入る前に県展に入選したのです。今度はデッサンを始めて半年経っています。昨年より良い作品ができてもおかしくありません。私はそう考える人間でした。
時間が経てば上達するはずだと。それはバスケットの経験から来ています。
練習は必ず実を結ぶという期待であり、実感でした。
ところが今回は違いました。
それはスポーツとは違って、上達が目に見えてわからないのです。バスケットは、シュートが入るようになった。試合で何点取ったなどというのが、小さい変化でも形で現れます。しかし、絵はあまりわかりません。
少しは上手になったということはわかっても、それが絵として良いかどうかは先生に聞いてみないとわからないのです。要するに、上手いかどうかが絵の良いか悪いかではないからです。バスケットで言えば、ドリブルが上手くなっても得点にはならないのと同じです。
絵が良くなることをバスケットの得点で例えたら、どうすれば得点を延ばせるのかということで考えるべきなのです。その得点とは何か?です。
それをこの3年の県展制作で、知らされました。
私は、県展のために20号の風景画を描いていました。
今回は、児玉町の小山川という川へ行き、現場で制作をしました。
そして、ある程度描けたところで、古川先生に見てもらいした。
すると、「もう少しだな」と言ってくれました。
私は、喜んで、また描いて持って行きました。
すると、また「もうすこしだな」と言われました。
まだ、足りないのか、じゃあこれならどうだと三回目にもういいと言われることを期待して持って行きました。
そうしたら、また、「もうすこしだな」と言われました。
なんだ??
私は、もう十分描きこんで、これ以上はもうできないというまで描いたつもりでした。
しかし、3回も持って行ったのに、いつも言われる言葉は同じでした。
もしかして、もう少しというのは、どこまでいってももう少しなのかな?と思いました。
それなら最初からそう言ってくれればいいのに、まるで禅問答のようでした。
私はその絵をひとまず停止して、次の絵に取り組みました。
次の絵は、もう搬入が近いので、遠くまで描きに行くことをやめて自宅の裏の畑で描きました。
すると古川先生がそれに気づいて、私が描いているところまで見に来てくれました。
実は、古川先生は私の家のとなりです。私が中学2年のとき、となりに引っ越してきたのです。だから、私は実に恵まれた生徒でした。
先生は私の絵を見るや否や「これなら入る」と言いました。
私は、えっと驚きました。なぜなら、まだ描き始めていくらも経ってないのです。
鉛筆で形をとって、下塗りの絵の具をつけ始めたばかりでした。まだ、色が着いてない部分がたくさんあるのです。
とことん描きこんだ絵が、もう少しなのに、まだ描き始めたばかりの絵がもういいのか?
これは、何だ???です。
私が、この先この絵をどのように仕上げるのか、先生はわかるのだろうか。私は逆に不安になりました。途中で良いと言われると、その先描けなくなりますよね。
このことから、私は絵は、構図が大事なんだなと思いました。
風景ならどの場所をどのような構図で描くか?ということです。
それによって、同じデッサン力でも、絵の出来が違う。
要するに、バスケットのポイントにつながるのは、その部分なのだと。
もちろん、それだけでないことは、その後さまざまな経験で知りますが、この時の先生から教えられたことは、その後の私の高校生への指導で生かされます。
構図の悪い絵は描かせないという姿勢になっていきます。
そのときに、入ると言っていただいた絵は、これです。
結局、この絵を出品して、2年連続入選を果たしました。
もう少しは、もう少しではなかったという経験でした。
もう少しと、言われた絵は、この場所を描いたのですが、その絵が見つかりません。
県展の後、描き直したのが、これだったと思います。
しかし、やはり構図が平凡かなと思います。
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