絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

絵と感動について 2

2015-11-13 | 絵のこと
私の絵画指導の初めは、テーマと構図に最も重点を置きます。

他の絵画指導を見ていると、どうもそれに時間をかけている様子がありません。

そこが、私と違う点でしょう。

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このテーマの部分が、絵の出発点ですが、そこには、感動が伴います。

平たく言えば、ここを絵に描いてみたいと思った理由です。

描いてみたいと思ったのですから、なんらかの感動があったということです。

もし、それなしに描き出したのだとしたら、良い絵にするのはかなり大変でしょう。

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何か描きたい、適当にここでいいやと始めたら、素人は特に、大した絵にはなりませんね。


ただ、いろいろ指導していると、感動にもいろいろあって、大したことないことに感動したり、
そんなものじゃ平凡すぎると思うものに感動したという場合があります。


本人が感動したんだから、つべこべ言う必要はないと言えばそれまでですが、
結構、個人的などうでもいいものを描いている場合があります。

例えば、静物画などで言うと、個人的な特別な思い出の品です。
それは、本人にとってみれば、とても価値のあるものなのです。
しかし、それは、客観性を持ちません。
そして、それは、指導する側から見れば、絵にならないものであることが多いです。


困ったなと思います。

人物画で言うと、よく描けていても、顔を取り換えたいと思う絵があります。
私がそんなことを言うと、そんな失礼なと怒られますね。
だから、言えない場合が多いです。
特に、身近な人がモデルの場合は、言えません。

しかし、絵としてどうかと客観的に言うと、取り換えた方が良いとなるのです。
人物画は、顔が命です。その顔が、魅力がなければ、その絵の価値が下がります。
誤解してほしくないのは、美人かどうかという意味ではありません。
片目が義眼であっても、ピカソの青の時代の絵にある人物は、とても魅力的です。

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結論から言うと、絵の出発点になっている感動が、どの程度のものかということがかなり重要だということです。

良い絵を描きたいなら、見た物に感動して描いてみたいという衝動に駆られることがもちろんですが、
その感動がどんなものかによって、絵の良しあしに関わるということも知ってほしいです。

感動が、低いレベルの場合や独りよがりではだめだということです。

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これは、例をたくさん示さないとわかりにくいと思います。

例えば、素人は富士山に感動します。
そして、富士山だけを描きます。しかし、プロはなかなか富士山を描きません。
かなりのプロになると、富士山を描きますが。

私はまだ、富士山を描く気になりません。

素人は、一点透視に感動します。そして、真っ直ぐに伸びる道を描きます。
遠近が出て、いままで描けなかった絵が描けたので、気分が良いのです。
しかし、プロは、その一点透視がきつすぎて単調だと言います。
珍しくもなんともなく、感動しません。

本人は、感動して良いと思って描いた。しかし、プロが見るとありきたりで魅力を感じないということがあるのです。

そういうのを描いている内はまだ素人だなと思われるということがあるのです。

これは、説明するのが、大変です。例を挙げるのが、難しいです。絵を見ないとなかなか言えません。

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結論は、感動にもいろいろあって、レベルがあるのです。

どんなものに、造形的な魅力を感じて、その魅力に感動して絵にしたのか?
ここに感動のレベルがあるなんてと思われた方は、新たな発見があるでしょう。
目の付け所が変わるかもしれません。

これが、テーマ探しの重要なところです。














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