絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

コメントについて

2013-07-10 | 絵のこと
ここのところ、何度か通りすがりの者という方から、ご指摘と非難のようなコメントをいただきました。
それについて考えてみたところ、私にも反省点があることをここで述べたいと思います。

私は、このブログのどこかで、上手い絵イコール良い絵ではないとはっきり語った覚えがあります。
しかし、才能云々の話では、上手いイコール良いと思われるような書き方をしたと思います。
それは、反省しなければなりません。

ただ、素人にわかりやすく伝えるには、そのような表現の方が伝わるかなと思って書きました。
通りすがりの者とおっしゃる方は、素人ではないと思います。いろいろよくご存じの方のようです。
プロが聞いたら、私の言ってることは、上手い絵が良い絵だという言い方をしているじゃないかと非難するのも尤もです。だから反省しなければなりません。

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私は、実は、才能について、いろいろ聞こえてくる言葉に、怒りをおぼえて、書きました

展覧会を見に来た小学生をお持ちの母親の言葉です。
「うちの子はだめよ、絵はそれこそへたくそ、才能ないもの。こういうのは才能よね」
という言葉でした。

それを聞いて、私は、こういう母親の言葉が子供の可能性を潰していると思いました。
へたくそとは、誰が見て判断しているのか?へたくそじゃ描いちゃいけないのか?そもそも才能なんて誰がわかるのか?

という怒りでした。

だから、子供の時の絵のうまい下手なんて、関係ないよと言いたかったのです。

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私は、高校生に絵を教えてきました。
言ってみれば、素人です。
そして、教えていて、だめだなと思う子は、ほとんどいなかったです。
みんな上手くなりました。上手いだけでは誤解を受けるので、みんな良い絵を描きました。
ダメな子なんていませんでした。
もちろん、絵が好きで割と得意な子が多かったことは確かです。

しかし、こんなに描けない子は珍しいと思われるような子でも、
県展に入選したり、県展はだめでも、ほかの展覧会で高成績をあげました。

それは、やる気と根性でした。みんな共通している点は、努力家でした。

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やる気と根性があれば、何でもできるとはいいません。
しかし、私が言うようにやれば誰でも絵が上手くなること、良い絵を描くことはできます。
それは、そろばん塾で習った子は、授業が簡単でしょうがないとか、
部活でバレーボールをやっている子は、体育の授業なら、ほかの子を相手にしないくらい上手いのと
同じです。

だから、たとえ下手というコンプレックスを持っている子でも、上手くなることは可能だと言っているのです。上手い下手などということは、大したことじゃないと言っているのです。

だからと言って、誰でもプロ野球の選手になれるわけじゃない。長嶋一茂さんが、やるきもないのに野球をやらされたかどうか、私は知りません。しかし、それは自分も決断してやったことだろうと思うし、プロ野球の選手になれたことだけでもすごいと思います。しかも、球団の記念すべきホームランを打ったこともありますね。一茂さんをだめだとは思いませんけどね。

しかし、私がやればできると言ったように聞こえるなら、それはそんなすごい話じゃない。
部活で毎日取り組めば、それなりに周りの人よりはるかに優れた絵を描くことは可能だということです。

それ以前に、たとえ下手だったとしても、大丈夫です。良い絵は描けます。

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私の考えは、百害あって一利なしと言われてしまいましたが、それは、私が「上手いイコール良い」というものさししか持っていないということに対してですよね。

もう一つありましたか。「へたな根性論で生徒たちを焚き付けるな」でしょうか。能力のないやつが、自分も芸大へ行くなどというやっても無理なことに挑戦しかねないという危険ですか。

おっしゃる通りかもしれません。

どちらも私ではありません。もしそうなら、通りすがりさんに同感です。

私は、生徒に芸大を勧めたことはありません。
むしろ、芸大に拘るなと言ってきました。

上手い絵じゃなければだめだとも言いません。
しかし、上手く描きたいならその方法を教えます。
上手いことが悪いことでもないからです。
上手く描くということは、見えるものとの対話です。

見えるものと、自分が描いたものとの違いに気づくことは、絵を学ぶことの一つです。
その作業過程の中に、学ぶべきことがたくさんあります。
デッサン力とは、見る力のことです。それに描くことが並べば、自分が描きたいことが画面の上で実現できるということです。

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ただ、難しかったのは、上手くなくてもいいということを教えるのは、難しいですね。
下手な人をなぐさめているというように、受け取られました。
その時に、例を出すのは、アンリルソーであり、ピカソであり、マチスです。
それが、魅力のあるものだと生徒が思ってくれたらよいのですが、どうもそう思ってもらえません。
それは、私の能力が足りないのでしょう。
かろうじて、わかってもらえるのは、セザンヌの赤いチョッキの少年、ムンクの病める少女などです。
形が違っても魅力がある、画面に傷がついているようでも美しいという例です。

ただ単に写真のように上手く描けても、味気ないつまらない絵もあるということと比較しながら語りました。

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いま、私は大人の人たちに絵を教えています。
この方たちも、すごく熱心な方たちです。もし仮に私がすごい指導者であったとしても、あの熱意がなければ
今のように県展入選はしないでしょう。だから、誰でも上手くなれると言いますが、やる気と熱意がなければ、お手上げです。

また、誤解を受けるといけないので、「誰でも」の前に、「私が言うようにやれれば」と付け加えましょうか。


本人が病気がちならできないし、家族に病気の人を抱えていてもできないし、仕事が忙しければ描けないし、
といろいろその人の状況が違いますからね。


































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