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ホラー小説と受け皿

2015-11-10 18:33:06 | Weblog
ホラー小説の読破が私の中二病であった。
リングとかあの時代だしな。

そんなわけで、日本のホラー文学には割と明るいつもりである。
以前、ホラーと映画化について日記を書いたが、本日は少し異なるものを。

ホラーにも、伝記ロマン(「狗神」など)からSF(「二重らせんの悪魔」など)まで、実に多彩であるが、手ごろで読みやすくなおかつ頭を金づちで殴られたような衝撃を与えるのが、

「D・ブリッジ・テープ(沙籐一樹)」

である。
Amazonの書評でもいろいろ書かれているが、なんと表せばいいのか、巻末の解説の言葉を借りれば、「真っ赤に焼けた石炭を掌に載せられた」感覚を覚える。
石炭片自体は小さいのである。しかし、それは確実に掌を焼き尽くす強い衝撃を伴っている。

ボリュームも少なく、1ページあたりの空白も多く、読書好きなら1時間もあれば十分読み切れる内容なのだが、なんでこんなに大きな衝撃なのだろうなぁ。

グロい、リアル、悲惨、過酷、様々な書評でこの作品が表現されているが、どれも似てはいるものの今一つ表現しきれていない、表現できない。
やはり「衝撃」が非常に大きな作品である。

途中何度も本を閉じたくなるも、なお読み進めてしまうこの「魔力」に多くの人が(悪い意味で)「魅了」されてしまっている。

いきなりホラー文学の世界に出てきて、第2回ホラー小説大賞短編賞を本作により受賞した沙籐一樹氏の作品は本当に衝撃的なものが多い。

「プルトニウムと半月」は、もはや現在の福島で起きているかもしれないと考えると、やはり衝撃的である。

沙籐一樹氏は、日本ホラー文学において、「鬼才っているんだな」と感じさせてくれる人物である。

蛇足だが、今回の日記で少し触れた「二重らせんの悪魔」は少し内容が突飛すぎであり、「レフトハンド」とともに、ホラー小説というより「トンデモSF」に分類したほうがいいような気がする。


「受け皿」の話である。
以前、景気回復なこの日本は精神障害者などレールを外れたものに対して厳しく、自己責任の名のもと福祉も受け皿も少なすぎる、と述べたと思う。
別に犯罪者を擁護するわけではない事を最初に記して強調するが、同様のことが犯罪者が法律上の罪を償った後社会に復帰できず、再犯を繰り返すという構図にも当てはめることができると思う。
社会的制裁という名の自己責任において。

もう、世論がそのつもりなら下手に更生とか考えずにずっと監禁とか最終解決させとけという話。

これはこれで一つのホラーが書けそうなネタであるな。
ちょっと違うが保険関係のホラー小説「黒い家」も昔映画化されていたな。

案外、「人間の特別性を剥がす」という意味では科学教本が、「人間の盲信とその行いに関する無関心」という意味では聖書が、それぞれ代表的なホラー作品といえるかもしれないな、というちょっと上手いこと言ったでしょう的でいて実際は微妙という、本ブログの真髄を記して本日の日記を終わりとしたい。
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