ロード・マーシャル時事報告場

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講義資料である

2006-07-24 13:47:04 | 学問
カリキュラム・マネジメントに先立つ用語として「教育課 程経営」という言葉をあげ「教育課程経営の概念の延長上に,カリキュラム・マネジメントを位 置づける」としている。 1998 年の学習指導要領の改訂で「教育課程の大綱化,弾力化」「学校の裁量拡大」 といった経営環境が変化したことにより,学校の自主性や自立性,創意工夫を生かした学校改善 への取り組みが可能になった。この意味合いを強調する必要からも「カリキュラム・マネジメン ト」という考え方が広まってきた。 カリキュラム・マネジメントは,教育課程経営の発想を受け継ぎながら,より自由に,ダイナ ミックに学校改善を進めていくものであると言える。
より具体的にいえば、カリキュラム・マネジメントは,日々の教育活動を通して,学校教育の改善を図っていく営みである。その目標とは,その学校の現在の子どもの姿や学習経験から決め出された学校教育目標(めざす子ども像)である。学校がその目標に向かっていくためにはその構成員で ある教職員が,計画(Plan),実践(Do),点検(See),改善(Improvement)というマネジメント・サイクルを通して,自らの教育活動を向上させていくことが必要である。
現在の子どもの姿,学習経験の点検(See)あるいは(Check)と改善(Improvement)あるいは(Action)を出発点と考える。つまり子ども達の学習経験,学力を観察すること,また「確かな学力」という観点から今のカリキュラムを点検し改善を重ねていくことが,カリキュラム・マネジメントとなる。
これらを踏まえてカリキュラム・マネジメントを表現するとすれば「自分たちがもっている資 源を上手に使って,自らの手で我が校をより良いものにしていく取り組み」と言えよう。これを一言で表すなら「学校改善」への取り組みということである。「学校改善」とは「一つあるいは複数の学校で,学習条件とそれにかかわる内部条件の改善をめざした体系的で持続的な努力であり,最終的には,教育目標のより効果的な達成をめざしたもの」である。


http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88&sp=1&tid=top_v2&search_x=1&ei=UTF-8&fr=top_v2&SpellState=n-1786377761_q-5hstacl5n6BcKOov8LtcJgABAA%40%40&u=www.edu-ctr.pref.nagano.jp/kjouhou/h17_kenkyu/17project.pdf&w=%22%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%A0+vc%3A%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%22&d=dsfbNGP9NCzU&icp=1&.intl=jp

カリキュラム・マネジメントという考え方は,どのような背景を踏まえて提起されてきたので あろうか。 西南女学院大学の中留武昭先生は,カリキュラム・マネジメントに先立つ用語として「教育課 程経営」という言葉をあげ「教育課程経営の概念の延長上に,カリキュラム・マネジメントを位 置づける」としている。

ところが,1998 年の学習指導要領の改訂で「教育課程の大綱化,弾力化」「学校の裁量拡大」 といった経営環境が変化したことにより,学校の自主性や自立性,創意工夫を生かした学校改善 への取り組みが可能になった。この意味合いを強調する必要からも「カリキュラム・マネジメン ト」という考え方が広まってきたのである。 カリキュラム・マネジメントは,教育課程経営の発想を受け継ぎながら,より自由に,ダイナ ミックに学校改善を進めていくものであると言えよう

カリキュラム・マネジメントは,日々の教育活動を通して,学校教育の改善を図っていく営み である。その営みが向かう先は,その学校の現在の子どもの姿や学習経験から決め出された学校 教育目標(めざす子ども像)と言えよう。学校がその目標に向かっていくためにはその構成員で ある教職員が,計画(Plan),実践(Do),点検(See),改善(Improvement)というマネジメント・サ イクルを通して,自らの教育活動を向上させ ていくことが必要であると考えられる。

現在の子どもの姿,学習経験の点検(See)あるい は(Check)と改善(Improvement)あるいは(Action)を出発点と考えるところであろう。つまり子ど も達の学習経験,学力を観察すること,また「確かな学力」という観点から今のカリキュラムを 点検し改善を重ねていくことが,カリキュラム・マネジメントとなる。

これらを踏まえてカリキュラム・マネジメントを表現するとすれば「自分たちがもっている資 源を上手に使って,自らの手で我が校をより良いものにしていく取り組み」と言えよう。これを 一言で表すなら「学校改善」への取り組みということである。 東京学芸大学の児島邦宏先生によると,学校改善とは「一つあるいは複数の学校で,学習条件 とそれにかかわる内部条件の改善をめざした体系的で持続的な努力であり,最終的には,教育目 標のより効果的な達成をめざしたもの」であるという
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ハーツ・オブ・アイアンの操作方法

2006-07-20 03:43:42 | Hearts of Iron
「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに指導者のいいなりになるように仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。」
  ニュルンベルク裁判にて
   ヘルマン・ゲーリング 獄中ダイエット&獄中麻薬克服法を成功させたその人

さて、私の敬愛するところのストラテジーゲーム、Hearts of Iron Ⅱであるが、今日はその操作方法についていくつか述べてみたい。ハッキリ言って、このゲームは非常に複雑であり、そこは戦略ゲームらしく事前の計算が非常に重要になってくる。事前の計算と準備ですでに10年後の勝敗が決しているといっても過言ではないのである。この、Hearts of Iron Ⅱに比べれば、信長の野望などは、ひよっこルーキーのおもちゃ芸でしかないのである。
で、このゲームの基本的ルールだが、単純に突き詰めれば、外交、戦争などを通して、全世界2800に分割されたプロヴィンス(州)のうち、ビクトリーポイント存在するプロヴィンスを獲得していき、最終的にそのポイントの多かった勢力(単に国家ではなく同盟でもよい)が勝利となる。もちろんこれは最も「単純な」ルールであり、本当の楽しみ方はそんなものではないのであるが、とりあえず、ではこのビクトリーポイントのあるプロヴィンスをどうやって獲得していくか・・・
最も簡単なのは、さまざまな国に戦争を吹っかけ、侵略していけばよろしいのである。ただし、そんな身勝手な事をすればもちろんデメリットもある。また、上手く外交を立ち回れば、一度も戦争をせずに勝利することも可能ではあるが(弱小国でも、大戦の成り行きを予測し、どの勢力が最終的に有利か、ということを予測し、その国と同盟を結べるように国内の政治体系などを改革しつつ、土壇場になって同盟をするという「外交的勝利」ももちろんある)、とりあえず「基本」ということで、戦争についてのみの、しかも基本的な「戦争のやり方」などを紹介していく。
戦線全体の事を話すとキリがないので、その中でも局所的な、1つのプロヴィンスの取り合いについてのみ言及しよう。さて、今諸君らはたとえば今、ドイツ側でプレイしており、ソ連の領土に侵攻しようとしている。当然そのソ連領土を守るべく、ソ連軍が防衛線を張っている。
さて、攻めるにあたっていったい何が重要か。
当たり前であるが、まず自軍の戦力である。いったいどれほどの規模で、その装備の更新度合いはどうか、またドクトリン(戦術)の研究はどれほど進んでいるのか。そしてそれを指揮する指揮官の能力。なお、現実の(第2次大戦当時の)状況においては当然であるが、敵軍についてのこれらの情報は、たとえ対峙していても判るわけではない。せいぜいがんばっても何個師団か、指揮官の名前程度であり、この情報もあらかじめ直接戦力とは関係の無い暗号関係の技術を開発していなければわかるわけではない。もちろん、その指揮官の能力、敵師団の装備などは知る由もない。さて、諸君はどう考えるだろうか。最も単純なのは、最新式の師団を多数用意し、有能な指揮官をつける、最新の戦術を用いるというものだろう。しかし、それで勝敗が決まるほど甘くはない。我々が攻める場合、まず上記の情報の確認は当然として次に以下のことについても注意を払わねばならないのである。まず、自軍の統制値。これはその師団がどれほど統制が取れているか、というもので、当然ながら戦闘する過程でどんどん下がっていく。その後任務を与えていなければ徐々に回復していくが、この統制値が低いまま戦闘をやらしても、どんなに装備がよくて指揮官が有能であっても、それは単なる人間の集まりにしか過ぎず、簡単に敗北する。次に有効補給率である。当然ながら部隊は戦闘をしていくと消耗する。そしてその消耗分を補給するわけだが、これらの補給を行うためのインフラが整備されていないと、当然補給効率はままならず、これまた簡単に負ける原因になる。さて、最新式の装備、大量の部隊、優れた指揮官、もちろん統制値も補給効率も万全の状態であったとしても、次は攻め込む先の地形を把握しなければならない。そこはいったい平地なのか、丘陵なのか、森林なのか、湿地なのか、山岳なのか、はたまた密林なのか。たとえば戦車を用意したとしても、戦場が山岳であれば、ほとんどその効力は発揮できず、簡単にやられる。これは湿地や密林、丘陵などにおいても同じことが言える。また河川も部隊の移動に支障をきたす要因である。それぞれの師団を適切に配置しておかなければ、単なるアホを見る。電撃戦をやろうとしても、それが泥濘地であったなら、見事戦車の性能をブチ殺すことになる(戦車の利点は、その強さだけではなく、歩兵に比べての「速さ」である。入念な下準備の後、戦線の一部を集中攻撃、戦車師団を集中運用、戦線の突破、敵部隊が対処しようにも戦車は「速い足」で一気に進撃、取り残された敵部隊を歩兵が包囲、各個撃破するのが、史実においてもゲームにおいても「電撃戦」の形である。泥だらけのなかを無理に戦車を動かして壊滅ではなく、「自滅」した例は、史実における春の目覚め作戦だけで十分である)。そして地形の確認が済んだら次は、お天気や日時である。その日の天候、気温、季節、昼夜なのか、これら全ても戦闘に影響してくる。たとえ大嵐でなくても、雨が降ればインフラの整備されていないロシアの大地は泥濘地と化す。春先は雪解けで泥だらけだ。そしてこの泥濘地に戦車などの重火器は最悪の組み合わせであることはナポレオンの時代から明らかである。また単純に夜間であれば、敵部隊の発見は難しく、攻撃側としてはこれまた効率の悪いものとなろう。これらの要素は非常に重要な影響を及ぼす。
さらに敵の防衛力についてである。一般に戦争になると、全ての軍は自軍の配置されている場所で塹壕を構築し、防衛力を向上させる。塹壕の構築度合いは、その軍がその地域に配置されてからどのくらい経つか、によるが、かなりの障害となる。また要塞などの障害物も敵の防衛力をはるかに頑強なものとする。これらの状況をひとしきり確認して初めて攻撃を「考える」段階に入るのだ。され、これらの状況を踏まえて「勝てる!」と判断したとしよう。
そうするとプレイヤーは、攻撃に参加する師団を(攻めるプロヴィンスに隣接する地区に展開している兵力から、)選択し、「攻撃」の任務を与える。一度戦いが発生したら、後は自動解決する。明らかにこちらに不利になれば、勝手に戦闘を中止、撤退をはじめる。この操作は完全に自動化されているので、プレイヤーの意志でなんとかなるものではない。一度攻撃の指令を与えたら、後は固唾を飲んで見守るしかないのである。戦闘は、最低でも1個師団単位で行われる。そこには、英雄だとか、ヒーローだとか言うものは存在しない。あくまでも自他の戦力、状況によって自動的に、無機質に決着が決まるのである。これが現代戦なのである。実際戦闘をして、攻め込むべきプロヴィンスに存在する敵に勝ったとしよう。攻撃の任務を与えられた師団は、占領したこのプロヴィンスに急行し、ここを確保する。ちなみに攻撃にも2種類あり、支援攻撃という任務を与えると、攻撃はするが戦闘に勝ってもそのプロヴィンスには行かない。ここは使い分けると便利である。
さあ、ついに攻めようと思っていたプロヴィンスを占領できた!しかしここで喜ぶのはあまりにも早計である。現実的に考えれば当たり前なのだが、敵側は通常その奪われた地区を(可能であれば)奪還しようとする(それが無い場合戦略的撤退もありうるのでさらに注意が必要である)。防衛側には「防戦支援」という指令が存在する。この任務が与えられた部隊は、近くのプロヴィンスが敵から攻撃を受けると、そこに急行し、防戦を行う。これを敵側がしていた場合、占領地に到着した戦闘間もない、戦力や統制値が低下している我々の部隊は、絶妙のタイミングで、集中攻撃を食らい、すごすごと敗走していくことになる可能性があるのだ。そして、非常に長い戦線に薄く配置されていた敵の部隊が、あるタイミングでこの一点に集中してしまい、敗走して戦力統制値ともに低下しきっている部隊に今度は集中攻撃をかけることになる。指揮統制値の低下したままの我々の部隊はこの攻撃に耐えられずに敗退、戦線に大穴が開いてしまい、敵の侵入を許してしまう、何てこともありうるのだ。
進入してきた敵部隊が戦車部隊だったりした日には目も当てられない。足の速い戦車はあれよあれよと戦線から奥深くに進入し、あっという間にその戦線に張り付いていた部隊は包囲されることもある。そうなってしまえば負けはほぼ確定。攻撃にほぼ全力を注いでいれば全軍を消滅させることになり、ある程度国内に兵力を温存していたとしても、その現場に急行する際に各兵科で移動速度にバラつきが出てしまい(歩兵や戦車、自動車化師団、機械化師団などの兵科の違いだけでなく、たとえ同じ種類の師団でもその装備などによってどれも移動速度が違う)怒涛のように流れ込んでくる敵に各個撃破され、あっという間に国が滅亡、という状況だってありうるのだ。一つの地区での攻撃の失敗(突破)が戦線全体の崩壊、果ては国の滅亡に関わる、などということも非常にありうることであるのである。そして、そのような状況はもう史実における第2次世界大戦のフランス戦線だけで十分なのである。
このようなわけで、ただ一つの地点を攻撃するにしても、入念な下準備や戦略が必要になってくる。事前の準備攻撃、あらかじめ航空機を使用した施設破壊、地上攻撃、阻止攻撃、敵の補給効率を下げるための兵站攻撃などや、敵の航空機の脅威を取り去るための制空権の確保、同じ意味合いでの滑走路攻撃、場合によっては空挺部隊による空挺降下など、を行い、単に陸の攻撃だけではなく、陸、空の連携した立体的な作戦を行わなければならない。また、戦略爆撃も同時に行えば効果的である。戦略爆撃は敵の工業力を攻撃する。工業力は直接戦闘とは関係ないが、敵の部隊の生産、補充、物資生産、国民の資材など全てを請け負うものであり、敵を直接拳で叩く一方、このような戦略爆撃でジリジリと「綿布で首を絞める」作業をすることで敵を追い詰めるのは重要である。もちろん防衛側もこれらに対して対空砲を生産したり、迎撃機を用意するので、このようなものには護衛戦闘機をつける必要があるし、当然こちら側の航空部隊にも損害は出る。場合によっては敵の補給を阻止するために艦船まで繰り出して海上阻止を行ったり、沿岸砲撃を行ったり、敵の艦船から自軍の輸送船も守らねばならない。つまるところ陸、海、空3つの同時連携した立体的作戦が必要なのである。もちろん敵側だってこれらのことを黙ってみているわけではなく、陸、海、空を連携した効果的抵抗、反撃を行ってくる。
結果、最も考えねばならないのは、「そのプロヴィンスを攻撃する意味はあるのか」ということである。どうしてもそのプロヴィンスを取らねばならない理由、たとえば敵補給路を遮断できる、敵を包囲できる(包囲した場合敵の補給を遮断できる。こうなれば後は敵は弱っていくばかりである)、工業力やエネルギー生産量、資源量などが非常に多く、敵にダメージを与えられる、進撃する際の交通の要衝である、などなどである。単に「敵の領地だから」では、無駄な消耗戦に過ぎないのである。また、占領した地域は大抵の場合パルチザン活動が展開される。これらを抑えるためには、通常部隊、特殊な部隊を配置して対パルチザン活動を行わねばならない。放っておくと反乱軍が出来ることにもなるが、それが無くてもこのパルチザン率が高いと、インフラが低下し、補給の面で重大な支障を生じかねない。このようなこと全てに対処して、初めて1つのプロヴィンスを攻略できるのであり、これを戦線の全面で行わなければならない。もちろんこの戦線も1つだけということではなく、たとえば3箇所の場合もあるだろう。このようなことを全体的に把握し、1つのプロヴィンスにこだわらずに総合的に判断して、適切な戦略を立ててこそ、初めて「戦争」という行為が可能なのである。
もちろん攻撃側だけでなく、防衛側も同じようなことが言える。絶対死守などというこ考えは捨てて、わざと敵を突破させて包囲したり、敵の攻勢限界(補給効率などによる)が見えてきたら、一気に反撃したりするなどして対処すべきである。




・・・なんだか今回の話が上手く整理されてないのは、他にも言いたいことがたくさんあるなかで、とりあえず書きなぐったただけ、だからである。




まあ純粋に「局所的な戦闘」だけの観点を見ても判るとおり、一つ一つの戦闘地域が戦争全体と関連しているのである。もちろんこれは「戦闘」だけの場面で、同時にプレイヤーは国内の政治、国民不満度の調節、生産力の適正配分、技術の開発、外交、資源輸出入なども行わねばならない。

まあ、何でも出来るから楽しいのであるが。

あー、言い忘れたが、話の途中で戦車とか歩兵とか護衛戦闘機とか、戦略爆撃機とか、輸送船とか、艦船とか出たが、それらももちろん、ほぼ全てプレイヤーが生産しないといけない。
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日本で新撰組がなぜ人気なのか考えてみた

2006-07-16 02:18:29 | ネタ
新撰組の役割を考えてみた。
どうもゲシュタポっぽいようだ。
それだけ。
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北朝鮮追加事項

2006-07-10 15:52:59 | Weblog
前回の日記について、実は7発のうち何発かがスカッドであったとか、わざと失敗させたとか、いろいろとうわさが飛び交っておるが、

基本は変わらない。

中距離弾道ミサイルぐらいでえらそうに吼えるな。バカ豚が。
スカッドの焼き直しにもう一つスカッドをつけるという、
急造
捏造
粗悪品
の3拍子そろったもので何が国防能力の向上だ。アホか。


せめて旧ソ連のトーポリぐらいのミサイルを作ってから出直して来い。

トーポリ
西側コードネームSS-25
戦略核ミサイル(ICBM) 射程およそ7000キロ
広島型原爆の40倍の威力をもつ核弾頭を1発搭載。
車両に搭載され、そのまま車両から発射できるため、いつでもどこでも自由なときに発射が可能である。車両移動が可能であるため衛星による追跡がむずかしく、アメリカがもっとも警戒しているミサイルのひとつ。

せめてこれくらいのスペックがなければ、恥である。

ちなみにこのトーポリ、ソ連では1985年にすでに実戦配備されている。
いかに北朝鮮が遅れているか。
「我々は、大学2年生になって、ついに因数分解が解け、高度な知識を世界に示した」と、言っているようなものである。
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北朝鮮の方針転換

2006-07-06 04:40:42 | Weblog
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060705-00000094-jij-pol

どこに落ちるかわからない・・・
素人剣道のような怖さがあるな。これはこれで脅威である。気をつけよう。

ただ、北朝鮮に一言アドバイス。まかり間違っても、宗主国様やアメリカの本土に落とさないように。今回は技術員の首が足りない飛距離分飛んだだけですんだが、このような事態になれば北朝鮮という国事態がブッ飛ぶ可能性もある。

しかし、アレである。がんばって発射したのに、失敗とは、恥ずかしくないのだろうか。
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教育問題に関する根本的解決

2006-07-05 17:23:12 | 社会
学力低下、不登校、ドラッグ、少年犯罪・・・。
今の教育現場は課題が山積している。そしてこれらからどう子供たちを守り、救っていくのか・・・。

ここに、偉大なるロード・マーシャル様はひとつのことを提案したい。

すなわち問題の一本化である。

すなわち、学力低下の著しいものは、須らく不登校になり、薬に手を出し、犯罪を起こすような校風、世間を作るのである。もちろん起点となるものは学力低下だけである必要はなく、不登校でも薬物でも少年犯罪でもかまわない。
いずれかに該当する青少年は、いずれはすべての事項に手を染めるような状況を作り出すのである。
そして、それらすべてを網羅した青少年が誕生したところで、これらをまとめて社会から排除するのである。
この問題の一本化により、各分野における問題がまとめて一つの「犯罪」として排除、処理される、実に合理的かつ効率的な方法である。
よく「教育の現場で、教育では「不良品」は「返品」できない。一回一回が真剣勝負であり、失敗は許されないのだ」といわれるが、なあに、不良品がでたら返す(再教育)するのではなく、捨てればいいだけのことである。

なに?仮にも教育実習を行った奴が言う言葉か、だと?

よろしい、我が実習先での担当教諭のお言葉をここに書こう。

クラス内にいる不登校生徒について教員控え室で
「一度不登校になった奴はどうせもとにもどらんのんじゃーや。むしろきっぱり学校やめてくれたほうが助かる」

臓器移植について(移植を受ける人たちについて)
「私は、そもそも生命として何らかの欠陥があるものは、生きていくべきではないと思うのです」

実習授業後の反省会で
「中学生は、山猿です。だから、上から押さえつけるぐらいじゃないといけません」

生物学にのっとったワイルドで、かつ教員の本音が見え隠れする素敵なお言葉ではないか。

このような先生に、実習期間中だけでなく、中高あわせて6年間ついていたのである。

ほんと、教育とは人間形成の上で非常に重要であるな。

なお、本ブログ指導教諭を非難するつもりはまったくない。教諭の発言は、現在の教師たちの偽らざる本音であるととらえてもらいたち。一部違う気もするが、とにかくそうとらえるのだ。
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ドルトムントの悲劇・・・

2006-07-04 17:04:13 | Hearts of Iron
ハーツ・オブ・アイアンⅡに夢中になっておったら、いつの間にやらワールドカップで日本は負けていたようである。
まあ、そんなものであろう。サッカーなど知らぬ。
かのような生ぬるい闘争など血湧き肉踊るべくもないのである。

さて、いったいワールドカップの何が不満か。
サッカーという平和ボケスポーツか?
いや、ちがう。
手のひらを返したような日本国民の反応か?
そんなもの、元から判りきっていた対応である。

マスコミやファン達の間で言われる、オーバーな物言いか?
そうである。

この物言いが大嫌いである。
具体的には、ドルトムントの悲劇なる言葉が大嫌いなのである。

いったい神話でも歴史でもないのに、なんなのだ、このドルトムントの悲劇とか言う言葉は。

いったいどれくらいの者がちゃんとヨーロッパ地図を渡されてドルトムントの正確な場所を言い当てることができるであろうか。

ちなみに私はできる。おおよそ、西ヨーロッパの有名な地域と、その地形は全て頭に叩き込んである。これも、ハーツ・オブ・アイアンⅡの思わぬ副産物である。(ハーツ・オブ・アイアンⅡの戦闘では地形や天候を考慮しないといけないので、結果的に地形も覚えてしまう。その日の天候を見て軍を動かすなど、まるでどこぞのこだわり製麺所のようである。このゲームでは細やかな神経が必要なのである)

さて、ドルトムントであるが、では一体、どういったところであるかというと、非常に戦略上、重要な地域である。この地におけるエネルギー生産量は非常に多く、この地域だけで全ドイツの数割のエネルギーが産出されている。また、金属生産や工業力についても高い生産力を誇り、ドイツの心臓部、ルール地方の中心をなしている地域である。さらにはライン川を挟んでオランダと国境を接しており、経済・戦略両方面で非常に重要である。

しかるにドルトムントの悲劇というものは、連合軍にかの地域を空爆されただとか、電撃戦の時にわざわざ見逃してやったオランダごときが、ソ連と戦争をしている最中に突然宣戦布告しやがって、がら空きになっている同地域を占領するだとか、この時その戦線に迅速に戦力を投入できないがために、泣く泣く元は自国の領土であったこれらの地域の工場に空爆を行うことでその経済的価値を下げて敵を消耗させるしかできないというような、そういう本当に非常に泣けてくる状況を言うわけである。
ああ、なんという悲劇であろうか。これこそが悲劇というものである。
闘争とはルールのない世界である。裏切り、敵が弱ったところを全力で叩く。これこそある意味もっともフェアな勝負である。そしてこれこそがドルトムントの悲劇が本当に意味するものである。
闘争とは、須らく情け容赦のないものである。そして、だからこそ愉しいのである。

諸君、私は戦争が(以下略

ちなみにその後、オランダが新兵器の実験場、もとい、激しい空爆にさらされて、工業生産力ゼロになり、戦力の補充も何もままならなくなったところで、恐ろしい数の戦車がゆっくりと近づいていき、退路を絶たれた上で包囲され、ヨーロッパに展開していた全地上兵力が消滅したのは言うまでもない。
小国ごときがたてつくからこうなるのだ。情け容赦なくやらしてもらった。
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