ロード・マーシャル時事報告場

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爆撃の才能

2015-10-31 19:47:56 | Weblog
テーマに入る前に、前回の日記について「リョナとドSは違うのではないか」というツッコミがあるかもしれぬ。
確かにそうである。判りづらいな。
私は、ドSでかつ、リョナなのだ。

甘えに派生したドSに派生したリョナととらえてもらって問題ない。


本日はそんなドSかつリョナな私もドン引きな「絨毯爆撃の効率」あたりを主軸に日記を書きたい。

絨毯爆撃とは、その名の通り「絨毯のように」見境なく都市などを爆撃することである。

「見境なく」と書くと、「やみくもに爆撃」するだけと考えられがちであるが、もちろんそんなわけではなく、そこには「効率的に爆撃を行う方法」が存在する。

この研究・実施者として有名なのは、アメリカでは「鬼畜ルメイ」ことカーチス・ルメイであろうか。
変態紳士の国イギリスにも同様の「爆撃狂」というか爆撃卿がいて、「ボンバー・ハリス」こと、アーサー・ハリス準男爵である。

この二人はもうなんというか、ノリノリで戦略爆撃を計画・研究・実施した人物である。
その背景には、軍人として任務遂行および戦争での勝利が至上命題であり、かつその実現には「絨毯爆撃の実施」が最も近道である、という考え方による。

果たして絨毯爆撃の効果は絶大で、東京大空襲やドレスデン大空襲は死者だけでも数十万人を記録している。

ルメイは

「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいのなら、そんなものは忘れることだ」

としているあたりに徹底ぶりがうかがえるし、アーサー・ハリスに至っては、第二次大戦前に植民地パレスチナの独立運動について

「「不穏な言動をする村を250ポンドか500ポンド爆弾で各個撃破しろ。アラブ人が理解することはただ一つ、厳しい行動だけだ」

としているあたりに爆撃狂ぶりをうかがわせている。

良く爆撃の王様と聞くと、ついつい我々は個人単位ですさまじいスコアを出したドイツ空軍のルーデルを思いついてネタにしてしまうが、指揮者としてより効果的行動をしていたのはルメイやハリスなどであろう。

彼らの爆撃は如何に敵に損害(民間人をもちろん含む)を出させるかという点で徹底している。

たとえば、

第一波で榴弾を投下して建物を破壊・内部の木材を露出させる
第二派で焼夷弾をばらまき、露出させた木材に着火させ大火災を引き起こす
第三派で再び榴弾を投下して消火・救出活動を妨げる
また消火活動や救助隊を効率的に殺傷するために、投下した爆弾の中に時限信管を用いたものを混ぜ込む、
爆撃の翌日も同じ場所を爆撃し、がれきの片づけなどで防空壕から出てきた市民を再び殺傷する、

というものである。

タイトル回収になるが、個々人にそれぞれの才能というものがあるのなら、彼らは絨毯爆撃についての才能があり、めでたく開花させた例なのであろうな。

結果は諸君らもご存じのとおりで、ドレスデン大空襲の損害の項目には何とも生々しい写真が載っている。
乾燥してミイラ化したあと、頭がい骨が割れているのもあるな。

さすがにこれには味方内からも非難の声が出ていたり、あのウィンストン・チャーチルがドン引きしたりと問題はあるものの、第二次大戦以降の総力戦とは通常このような側面をぞんぶんに含むものであるうえに、実際効果があったのは事実である。したがって、現在においても、不正規戦ではなく「正規戦」が行われれば、当然同じことがなされるであろう。
というか、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも実施されているな(「石器時代に戻してやる」は、ルメイの言葉)。

どっかの監督が「中国に攻め込まれたら、おとなしく占領されよう」などとぬかしておったが、ああいった輩にはこういう事実が見えないのだろうな。

ドイツではハリスは当然「許されざる者」であるから、イギリスで彼の銅像が建てられたときは、ネオナチとひと悶着あったらしいし、現在のドイツ極右政権は自分たちのユダヤ人問題を棚に上げて、「あの爆撃は爆弾によるホロコーストだ」と言っているが、まあ、わからんでもない。

一方日本は、ルメイに勲章を贈った。
ちなみに、送った理由については慣例と、「功績があるなら過去でも報いよう」とかいう意味不明な理論による。
日本は、イスラエルの軍人を戦車戦講義で招いて、「日本に戦車は必要ない!」と檀上で言われたのに、「日本の戦車戦の発展に寄与した」として勲章を授与したりしているから、もう「しきたり」なのであろうな。

そういう、なんだか冷めた目でとらえると、日本人のノーベル賞への執着と大騒ぎもなんだか儀式めいて見えて面白い。
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あまがみドS

2015-10-28 21:45:36 | Weblog
本日も小ネタ多数でいくが、タイトルは最初の話題のみとした。


あまがみドS

性癖を公開してもアレなのだが、私はドSである。私に近しいものは賛同するものと思う。
というか軽くリョナってる(リョナについて判らなけれは調べてもらいたい)。
しかし私は最初標榜した通り、甘え原理主義者であり、大変な甘えん坊である。

この矛盾は何かと考えた結果、元来私は甘えん坊であり、そこから派生してドSが生じているという結論を得た。

すなわち、猫のあまがみと同じようなもので、それをしても相手が攻撃してこないことで愛情を確かめる手段なのだ。
諸君、ドSで甘えん坊は成立するぞ。
というか、すさまじい甘えん坊である。



南雲校長

校長の話は長いと相場が決まっている。
おそらく、校長はこれから人生を歩む若者に「なるべく多くの教訓」を伝えようとしているのだが、
未熟な人生しか歩んでいない若者たち(究極的に肯定的言い方をすれば「時間が資本の若者たち」)は、その長さにくたびれるのである。

映画「トラ・トラ・トラ!」の南雲長官は、出撃のあいさつに際し、敢えて多くを語らずZ旗を掲げてこれに替えた点において、理想的な校長になりえる。



「暴走するバイオテクノロジー」

というタイトルの本を書店で見かけた。
それで食っている者としては、なお科学の未熟さゆえに「まだまだ」とツッコミを入れたくなるタイトルだったので、あらすじを調べてみた。
内容は、

「フクシマの悲劇」→「制御できない科学」→「バイオテクノロジーの暴走」

だったような気がする。詳細までは知らないが、大まかな道筋は正しかろう。
軽く理論飛躍しているあたり、「それが暴走の原因なのだ」とツッコミたくなるが、そもそも生命に「ハードル」を設けているあたり、神秘主義なのかな。



パプリカの妄言

そういえば、映画「パプリカ」の理事長も当たらずとも遠くないようなことを言っていたな。まあ、アレだったがな。
以前「アニメーター泣かせ」としてパプリカのパレードを紹介したが、
患者の夢を植え付けられた所長の意味不明な妄言は一聞に値する。

何を言わんとしているのか、意味不明なはずなのになんとなく判ってしまうあたり、絶妙というか、怖いというか。



リトルウィッチアカデミアに期待するもの

ニコニコのCMで知った「リトルウィッチアカデミア」である。別に見に行くつもりはない。
ただ、この作品が自らをして「アニメは動くことによって命がある」的なことを言っているからには、パプリカ並みの期待(ネタバレがあるので注意)をしてしまうのが当然といえよう。



東方巨大ロボ

シューティングゲームの東方に出てくる東風谷早苗というキャラクタ―は、巨大ロボにご執心のようである。
しかし、そういったものが「襲う」という戦闘行動を取ると必要になってくるのが、信頼性である。

この信頼性について、我々はプライベート・ライアンのラメル攻防戦の戦闘シーンを参考にすることができる。
音といい振動といい、ティーガー戦車(T-34)の迫力たるやすごいものがある。
しかし映画でメカニカルな音をうならせているティーガーでさえも信頼性は乏しかったのである。
逆に言えば、あの地鳴りにも似た駆動音を響かせ大地を振動させるほどの出力でも、あの程度の信頼性しかなかったのであるから、「侵攻してくる巨大ロボ」の迫力を想像するに、これは幻想郷崩壊ものの異変である。

ちなみに、アメリカ軍がティーガーを破壊するために即席の吸着地雷を使用しているが、当然機能的合理性が重視される兵器においては、その対策のために(見てくれが悪くても)戦車の表面をわざと凸凹にしていたりする。
なお、動画においてパンツァーシュレックをジャベリンとコメントしてしまうなど、一部にわかが散見されるが、そういった過程は私を含めて軍ヲタが通過しなければならない門であるから、そっとしてやってほしい。



若者と空想社会主義

若者をユーゲントよろしくけしかけて巷をにぎわせていたSEALDsが、最近息をしていない。当ブログでも何度か取り上げてみたので、ここはぜひとも共産ゲリラ並みの粘り強さを発揮してもらいたい。

ここからが踏ん張りどころなのではないか。

思うになんとなく集まってみた程度の集団であれば、彼らは空想社会主義(理想は知っていても、実現の仕方を知らない原初社会主義)だったのかもしれない。ちなみに、大昔そんな理想を掲げてネタになった唯一神又吉イエスというのがいたな。さらにその前には、実際にそのスタンスで政権を獲得して理想を追求したポル・ポトというアジア的な優しさ(朝日新聞談)に包まれた人間がいたな。彼らの行動を観れば、手段を持たずして理想を実行する惨劇は予測できるだろう。



失敗帝国ナチス

ナチス・ドイツは発明帝国であるが、それだけその発明の背後に多くの失敗を抱えていたことは容易に推察できる。
V2ロケットなどはその代表であろう。
少々の失敗にへこたれずに理想を追求するその姿勢は悪の組織の鏡そのものである。
ロマンのために手段をいとわない姿勢はユダヤ人排斥などの政策にも存分に表れており、ここにも我々は理想主義の危険性を感じることができる。

また、一度成功していても、その成功にこだわった結果失敗してしまう、という事例もある。

ナチス・ドイツの空軍は急降下爆撃により多大な戦果を上げたが、おかげで上層部が「急降下熱」にうなされ、戦略爆撃機にも急降下爆撃を要求するようになり、航空機開発を阻害してしまったのは有名な話である。

柔軟に対処しなければならないという教訓である。

しかし、だからと言って「柔軟に依存」しすぎる昨今も、結局それも一極集中という意味で本当に大丈夫かと、私はふと疑問を感じてしまう。
もちろん、硬直や集中に対応する語としての「柔軟」であって、私の疑問はもしかしたら言葉のあやなのかもしれないが。



アルマゲドンの過ごし方

世の中には、世界の終末(アルマゲドン)に備えて、核シェルターを備えたり、むしろそのシェルターを個人に販売することをビジネスとしている会社もあるが、当ブログでは、アルマゲドンが来た場合の過ごし方の提案として、外山恒一の演説を聞いて過ごすことを提案する。

「こんな世の中はアルマゲドンでしかるべきだ!」

というポジティブな気持ちで終末を迎えられれば、なかなかいいことではないだろうか。
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共産主義の優位性

2015-10-26 20:46:42 | Weblog
以前、「Russian Apple!!」を紹介したと思うが、左翼の肩だけ持つのは不釣り合いなので、右翼の極地、国家社会主義的Bad Apple!!を紹介する。

総統閣下がBad Apple!!を歌うようです【Bad Führer!!】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9558955

再生数、再生時間、内容、どれをとってもロシアの方が圧倒的ではないか。

これは共産主義が国家社会主義と比べて極めて優秀なることを示しているに他ならない。

地理的にも「東方」だしな。

同様のことが、資本主義との比較でもいえる。

資本主義は、貧富の格差が増大し、汚職が横行し、崩壊の崖っぷちに立っている。
しかし、共産主義は資本主義の一歩先を常に行っているのだ。

鉄板ネタだな。


ソ連の悲観主義者と楽観主義者のジョークも嫌いではない。

ソ連の悲観主義者「もう最悪だ、これ以上悪くなる余地はない」
ソ連の楽観主義者「なあに、まだまだ悪くなるさ」


さて、喫煙についての話題に切り替えよう。

私は煙草は吸わぬ。
それゆえに、受動喫煙を強要されることに極めて強い侵害感を覚える。

しかし、実際問題私の友人でも喫煙者はいる。

多くの喫煙者はこう思うかもしれない。

「友人からの受動喫煙は良くて、路上での受動喫煙は許せないとは、ダブルスタンダードも甚だしい!!」

と。

しかし、どこの馬の骨ともしれない輩のせいで私の寿命がストレスでマッハされることが不快なのであって、それならば明確な敵意を向けてくれている北朝鮮製の鉛弾でくたばったほうが、はるかに救われる。

なお、「ヒトラー=嫌煙家」のせいで、国が過剰に健康管理をすることをナチス的とみなす現代ドイツであるが、彼らからみると、現在の日本はいまだ反省していない国家、なのであろうか。


以下、現在のヒトラー像が出来上がるまでを「なんJ民」風に概説して終わりとしたい。


彡(゜)(゜)「ひどい大戦やった!原因究明して再発を防がなあかんで!」

彡(゜)(゜)「フム、ヒトラーの行動を病理学・心理学的に捉えると・・・」

精神障害者「喧嘩売ってるのか、コラ!」
医学「あんなものと一緒にしないでくれ」

彡(゜)(゜)「・・・」

彡(゜)(゜)「ほな、ヒトラーが民主的に選ばれた理由を・・・」

自由主義「ああっ!もう一回いってみろ!」
ドイツ国民「ふざけんな!」

彡(゜)(゜)「・・・」

彡(゜)(゜)「イメージ戦略が共産党とぴったり・・・」

共産主義「シベリアの木を数えたいかね?」

彡(゜)(゜)「・・・」

彡(^)(^)「ヒトラーは悪魔だったンゴ!!
     あんなのは特殊で、誰のせいでもないやで!!
     巧妙な宣伝手段でドイツ国民を騙して世界を地獄に変えた狂気の申し子やで!!」

ドイツ国民「せや!ワイらは単に騙されただけやで!せかからワイらには何の罪もないんや!!」

自由主義「その通り!宣伝が上手いから、虚像でも政権をとれたんやで!!ワイらの制度には落ち度はないんや!!」

共産主義「ヒトラーは悪ンゴ!それを倒したワイらは偉大ンゴ!」

彡(^)(^)「せやからもう考えることはやめや!考えること自体が彼の行為を認めるタブーにしたろ!!」


アドルフの画集「せやろか?


うむ、やはりなかなかはうまく出来ないものだな。
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便利と忙しさ

2015-10-24 12:51:37 | Weblog
以前、便利な発明は、繰り返し使用されるのでむしろ人々は忙しくなったりして、その意味では便利な発明はおしなべて失敗であると書いた。

類似例で、例えば

石油が高くなる

燃費の良い車が登場

これまで車を持っていない人も手をだす

ますます石油需要が高まる

ということも挙げられる。
しかし、もう後戻りは出来ないのである。

本日、
携帯のバッテリーについて相談すると2時間待ち

眼科にいくと人だかりが出来ていて

ふと思う。

とはいえ、現代日本で携帯がないと困る以前の問題であるし、
目の症状について改善出来るならばそれに越したことはない。

そして私自身、携帯について予約→眼科→メガネ作成→携帯の受付

として「より多くを」求めている。
やはり、後戻りは出来ない。

可能性が広がる、便利になることは、これまでの「のんびり」と決別して、もう後戻り出来ない点、しかし「必要」な点は注意すべきである。
この道を我々が歩くとして、限りある資源という環境においてすべき事は、他の集団が可能性を開発または使用することを「阻害」する、競争かもしれない。
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魔法哲学(2単位)

2015-10-22 20:44:26 | Weblog
魔法哲学

魔法が人間に大きな影響を与えるなら、科学のようにその運用法について(一般的に言われているように)学ばなければならないかもしれない、「魔法倫理」とかな。
あるいは魔法という手法を用いて、人間自らの存在そのものについて考えることもできるかもしれない。
きっと魔法学校には、タイトルのような単位が存在するのだ。たぶん。


さて、次の話。今回は小スケールでいくつもりである。


核兵器

最近の核兵器を観ていると、なんだかんだで「落ち着いた」感じがする。人間の成長ではないのだが、一通り可能性を出し切って、潜水艦搭載型ICBMのように「効率的な」運用方法が確立していると思われる。
冷戦時代は核魚雷とか核爆雷、果ては核砲弾とかまであったからな。



テロゲと身内ネタ(政的な表現)

昔、「リトルバスターズ」というゲームがあった。うん、いつものようにやったことはないのだが。
つい昨日、そのネタバレを確認したところである。
「ひぐらしの鳴く頃に」とかの時代だが、あれかな?
泣きゲーというものでは、ループものが流行っていたのかな?
まだ調べてはいないが、「シュタインズゲート」もループがどうとかいうので、やっぱりそういう方面は「感動を演出」しやすいのかもしれないな。

ちなみに、私の友人は映画「立候補」で泣き、私は映画「グラディエーター」で感動してたりするので、あまり他の「感動ジャンル」のことを言えない。
コモドゥスの最期の言葉が「誰か剣をくれ」だったが、あの直後のコモドゥスの気持ちが判らんでもないあたり、非常に悲しい。

リトルバスターズについては、以下の動画ぐらいしか覚えておらぬ。

ロシアンマスターズ!EX
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5088258

ただ、動画の解説で紹介されている別の動画については、いくつか言いたいことがある。

別の動画
【東方恐露西亜】RT-2PM(トーポリ)飛翔 ~the Lunatic Царь
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5094567

設計された不協和音が天才のそれではなく、秀才レベルだがそれでも序盤の時計のところで笑ってしまったが、言いたいことはそこではない。
You Tube上での削除回数について、

「国際的にはむしろ楽しいのに何で削除してしまうのか」

というコメントが散見されるが、あれだぞ、世界的な総統閣下とは違って、「東方」なんて知ってるの基本的に日本人関係だけだぞ?
そんなどこの馬の骨かもわからないネタで盛り上がられても、周りからみればそれは身内ネタで盛り上がるマスコミのバラエティーを見させられるようなもんだぞ。しらけるだろ、普通。

同じようなことが、映画「スター・ウォーズ」についても言えるかもしれない。
つい先日EP7の新しい動画が公開されたが、これに興奮してしまった私はLINEで友人達に、
EP6以降のストーリーと、今回の話はどこに該当するのかの予測、を過度に語ってしまい、総スカンを喰らってしまったのだ。
「東方」のように、我らが大好きな「スター・ウォーズ」も、一般からみたらそんなものなのかもしれない。

どの領域に興味があるかは、個人の特性であれば、それを個性と乱暴にまとめることができるかもしれない。
また、その差の衝突も必然的に発生するだろうし、それを経て「人付き合い」を学ぶのかもしれない。

「新たな冷戦を恐れてはいけない」

メドジェーネフのこの言葉も、そういった意味でとらえなおせば前向きになれる気がする。
しかし、核ミサイル「トーポリ」も(非公式ながら)楽器として使われるとは、設計者は予想だにしなかっただろうな。
大砲を用いる曲はあるが、核ミサイルはさすがにあるまい。あってたまるか、それは有事の中でも最悪の非常時だ。


スター・ウォーズについて

せっかく「スター・ウォーズ」が出たので。
インペリアル級スター・デストロイヤーは帝国の顔だが、大気圏内を航行できないのは大きな障害となっただろうな。ならば一昔前のヴィクトリー級スター・デストロイヤーも重宝されただろう。インペリアル級にはもう一つ、センサー類はすごいが、その性能を活かし切るために、それらが集中しているブリッジのシールドは弱い、という致命的な弱点がある。共和国側からみれば175000箇所の欠陥が見つかったとかいう。あれだけ巨大なのだから少々の不具合はあるだろうが、

インペリアル級:ブリッジのシールドが貧弱
スーパー級:同上
デス・スター:副排熱口が致命的な弱点
第2デス・スター:設計者「完成すれば無敵です」→皇帝「完成前に使おう」
エンドアの戦い:帝国「精鋭の地上部隊1個大隊を配備」→原住民のぬいぐるみに倒される

これは、「ツッコミ待ちなのか」と疑問を呈さずにはいられない節がある。
オーダー66でもジェダイ取りこぼして皇帝直々に戦わなければならなくなるし、シスは1000年以上耐えていたのなら、そこらへんしっかりして欲しい。
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陥落と魔女と暴君

2015-10-19 20:37:14 | Weblog
本日も複数の話題を取り上げる。
内容は、

1.陥落(ヒトラー ~最期の12日間~の一般的感想に関する疑問符)
2.魔女(リトル ウィッチ アカデミアに対するロード・マーシャル様の連想)
3.暴君(ネロより残虐なローマ皇帝と政治)

である。



1.陥落について

映画「ヒトラー ~最期の12日間~」のYahoo!映画の感想を観ていると、あまりこの作品の意義が活かせていない感想が多い。

やれ戦争はやっぱりダメだの、「狂気」がどうだの、的を得ていない。

別にツウぶる必要はないが、やはり「優しいヒトラー」というのは、「一般国民」には新鮮だったのだろうか。
これでは制作陣の「質の高い議論をして欲しい」という意向を汲めない。

いやむしろ、ドイツ人の制作陣でさえ、いまだ「ヒトラー認識」について古い偏りがある中で作られているのだから、二重に問題である。

実はこの日記にもよく登場する法哲学の友人にも紹介したのだが(映画「立候補」で泣くような人間である)、やはり反応はイマイチであった。
彼は意志の強い自由主義者なのだが、強すぎてもしかしたらこの映画を単なる「全体主義の敗北」とか「創造性という意味においてイマイチ」と感じたのかもしれない。

ドイツ制作陣の意図の問題を除いてこの映画について何か言うならば、原題が「Untergang(陥落、没落)」ということを意識しなければならない。
一つの勢力が滅ぶという事実を、淡々と記したのが、この映画であるといえるのだから、何もこれはナチズムに限った話ではない。あらゆるものが「陥落」する際に必然的に繰り返される事象であって、

子供に毒殺を強制する母親、
ヒトラーの自殺方法をまねて自殺する者、
無秩序になった状況、

を、単に「狂っている」として現在の我々と切り離してはならない(「平和だからこそ見るべきである」という意見も同様である)。

「人間味のあるヒトラー」を描いた映画に最初に出会ったのは「アドルフの画集」であるが、wikipediaにストーリーがそのまんま載っている件について。
まあ、微妙な映像美を除いて「アドルフの画集」は、「ヒトラーを人間的に解釈しよう」という実験だったと割り切れば、それに気づくだけで十分で、後はwikipediaでもいいのかもしれない。



2.魔女について

ニコニコ動画の強制CM(プレミアム会員ではないのである)で「リトル ウィッチ アカデミア」を知った。
調べてみると、魔法仕掛けなパレードだそうだ。

ハハッ!!

いや、水分子様のキャラクターの出番ではない。
魔法仕掛けと聞くと、なんだか「時計仕掛け」とか「機械仕掛け」を連想するな。
前者に関しては「時計仕掛けのオレンジ」、
後者に関しては「機械仕掛けの神」、
を連想するな。「機械仕掛けの神」といえば、水戸黄門様とか、Hellsing一発小ネタ集とか思い出すな。

話がまたそれ始めたので急いで短縮するが、「リトル ウィッチ アカデミア」を調べて感じたことは、

a.○○仕掛けの~

b.魔法=指輪物語カラフル魔法使いシリーズ


そして、

c.パレードといえばアニメーター泣かせのシーン

である。c.は映画「パプリカ」。「オセアニアじゃあ常識なんだよ」もいい言葉だが、印象に残っているのはむしろ「思い知るがいい、三角定規たちの肝臓を!」である。映画後半の「誰が渡すかこの玉座」「我こそが皇帝なり!神が定めたのだ!」「わしはそんなこと定めておらん!」もいい。

話がそれたついでに、北京オリンピックの開幕式にパプリカの平沢進のparadeをかぶせるとよくなじむ。これは平沢進×なめこのなじみ方とは別で、一言でいうと風刺である。



3.暴君について

歴史的な暴君というと、ローマ皇帝ネロが出てきやすい(ヒトラーや共産党説も捨てがたい)のだが、
実際ネロの暴君レベルを調べると、そこまでひどくはない。いやむしろありきたりである。

彼は不幸なことに、たまたまローマ大火の際別荘にいて、

「ネロがローマに火を放って、別荘でその様子を芸術として楽しんでいる!」

という熱い風評被害をくらい、
その風評被害を否定するべく、大火の犯人として、当時勢力を増しつつあったキリスト教徒をでっち上げたこと、に起因する。

西洋が長らくキリスト教の文化圏でありつづけることも、彼の評価に影響を与えているであろう。

そういうわけで、見せしめとかでっち上げとかしているが、ネロはそこまで(当時のレベルでいえば)暴君ではない。

むしろ私は病後のローマ皇帝カリギュラを暴君候補として推したい。

病から回復した(はず)のカリギュラはもうほんと、上記「ヒトラー ~最期の12日間~」のレベルではなく狂っている。

病気前は気前のいい皇帝だったために病気を知って多くの人が「命に代えても救いたい」と発言していた。
病気後の狂ったカリギュラは“体調”が回復した「手始め」に、
「命に代えても救いたい、といったな。では、約束を守ってもらおう」として崖から突き落し、
もう後はめちゃくちゃである。

特に残酷な処刑を好み、

袋に入れて闘犬に喰わせる、
籠に入れてのこぎりで真っ二つ、
串刺しなんて当たり前、

で、それを自ら好んで見ていたほどである。
末期には「神と同等である」などと言い出して、

雷が鳴ると、それを神からのサインととらえて、負けずに地上から光を発信させて「対等です」とか、

もうわけがわからん。
あまりにひどすぎて数々の暗殺が試みられるも、片っ端から見つけてカリギュラ大好きな「残忍な処刑」の生贄にしていたが、ついには30回のメッタ刺しで暗殺される。
最期の言葉は、のたうちまわりながらなお「私は生きている!生きているぞ!」
だったという。

もちろん、古代の例に漏れず、カリギュラに関しても参考となる書籍が古すぎて偏っているので、そもそも論で彼の暴君さを受け入れることはできないが、それでもなお現在において、彼の狂気を髄膜炎、あるいはてんかん、はたまた甲状腺機能亢進症説として議論されているのだから相当である。

我らが大好きなコモドゥス帝もなかなかの暴君だが、彼は「剣闘士」にあこがれて自らを鍛えていたので、うかつに暗殺者側も手を出せず、最終的に毒殺および絞殺されている。

「皇帝」というと我々はついつい中国の皇帝のようなものを想像して絶大な権力を持っていると思いがちであるが、ローマにおいては皇帝の地位は市民の機嫌ひとつで奪われるものなので、歴代皇帝は基本的に市民のご機嫌取りに終始している。

「ご機嫌取り、妄言、民主党、うっ!頭が!!」

となる者が日本には少なくとも7割はいるはずである。
ヒトラーも最終的には合法的に政権を獲得しているので、民主主義である以上選ぶ側も精査しないと大変である。
でないと、すぐまた、

ヴァイトリング「2万人の若い将校が倒れています」
ヒトラー「若者の使命だろう」

となる。
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「発明」という名の失敗、および昨今の日記の「唐突のなさ」について

2015-10-17 20:57:00 | Weblog
「便利になることは良いことである」

これが盲点となる。
別に前近代主義というわけではない。

ある番組によると、

物事を便利にこなす発明は、むしろ人々がその行為をより多くこなそうと繰り返して使用していることで、人々の休憩時間が昔より減少しており、その意味において「便利な発明」は失敗であるといえる

などとしているものもある。

しかし、これも以前述べたように「引き返せない道」なのであろう。

このブログを書くこと一つにしても、ホームページ時代などは編集中に間違えて消してしまったらそれで終わりであったが、現代は編集画面を開きなおすと「データ保存」として復元されてくる。これを、「復元してくれて便利」としても、はたまた「考えを煮詰まらせる状況から脱却するチャンスを失わせる」としても、いずれにせよこれらは「ありがたい機能」であり、それゆえにリフレッシュのできないへんてこな日記が出来上がってしまうわけであることを考慮すると、微妙な問題である(リフレッシュしてもへんてこな日記ではあるだろうが)。


一方で人の営みは、昔も今も変わらない。

平安時代の人が、
「一大事だ!そうだ和歌を詠もう!」

なんて悠長なこと言っているが、そういう現代も、

「一大事だ!ツイッターに投稿しよう!」

としているあたり、間違いなく平安時代の人々は我々の先祖である。

清少納言は現代風に言えばブロガーであるが、とはいえ
「じゃあ私は平安時代の清少納言レベルである」
と言えないあたりが何ともいえない気分になってくる。

そういえばネットで炎上・被害を避けるための方法をとある新聞が提示していたが、その中に、

「ネガティブな発言は控える」

というものがあった。
ネガティブは何も産まないという点では大いに同意できるが、だからといって、

ネット上のフェイスブックやツイッターやらがすべてポジティブな意見で埋め尽くされていたら

それはそれで宗教じみていて気持ち悪いし、何より本来の「便利」に、加えて「自由」な姿ではないから、

ネガティブな発言を控えるその社会そのものが健全なのか?

という疑問を発生させてしまう。


そもそも、「究極の効率性」などというものは、人の生き死にがダイレクトかつ重大に関わる「軍事」とか「医療」とかでいいのではないだろうか。

軍事に関して言えば、兵器と戦術などは機能美の最たるもので当時の技術で出来うる最高の効率性が実用化されている(枯れた技術という信頼性も含む)。

たとえば(適切なたとえかはこの際問わないが)、第二次大戦開始前ドイツの対空砲一つとっても、

連続射撃に便利な水平スライド式の尾栓から、
対戦車戦を最初から考慮した設計、
果ては名前まで、効率が徹底されている。

※「8.8 cm FlaK 18」
8.8cm:砲の口径が8.8cm、
FlaK:「対航空機砲」の略、
18:第一次世界大戦敗戦でこの種の新規兵器開発が禁じられていたので、第一次大戦時すでに配備していた、という欺瞞耕作


しかし、航空戦艦伊勢の敵急降下爆撃機回避戦術などを考えるに、やっぱりまだまだ「人間の常識」は強固に作用していて、効率の追求は案外、全体の2割程度しか進んでいないのではないかと私は考える。


医療に関して言えば、「生命倫理学」という学問がある。しかしこれは人間“様”にとっての技術の発達による不都合を解消するためのまやかしの学問であり、本当の意味で深く「生命倫理」を追及するならば、やはり数理生物学や進化系を専攻すべきだとも私は思う。もちろん、逆に現在の数理生物学者や進化系の専門家が人間様の「倫理」に強いわけではないので、そこは学問の融合を行っていくほうが良いとも思う。


さて、賢明な諸君らはもう気づいているだろうが、最近の日記は微妙なレベルのネタを複数無理やり結合して長文にしている。
投稿日からもわかるように、更新頻度目標を最短でも2~3日に1回としているのだが、次期関係なく追及できそうな「可能性のある」ネタはどんどんあがってくるので、そのすべてを拾おうとしてこのような微妙な日記になってしまうのである。

私には精査が必要なのだろう。
そのために、趣味に短歌とか和歌とかをやってみるのもいいかもしれないな。

そんなわけで、本日の日記もいくつものトピックスの複合であったが、一番最初に思いついたネタ(になるほどでもない微妙な内容)を記して終わりとしたい。

東方系の二次創作で、

【東方ヴォーカルアレンジ】 パリティ Persian Villainess
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22659786

というものがある。
一年以上前に投稿されたもので、再生数も微妙な、東方をやったことすらない私が「何で見つけたんだ」といういつものアレだが、まあそこは、
物事を狭く深追いしすぎる私が、唯一「風刺ジョークなどを笑うため」だけに広く浅く世間からマニアックな方面までの知識も一応は吸収している、その微妙な収集癖故である。

本質はそこではなくて、最近この動画がふと頭に(主に歌として)思い浮かんだのだが、その次に連想して思い浮かんだのが「アドルフの画集予告編」なのが、いかにも私らしい微妙さなので、紹介したかった。

どうだ、この微妙なネタ!

ちなみにこの連想は、前述の動画で水橋パルスィが持っている画用紙とヒトラーの持っている画集が重なって連想されたものではないので、

「じゃあいったい何が連想の主原因だったのか」

というどうでもいいことをツッコみ、考えてくれると、嬉しい。



誰もが清少納言になれるなら、誰もがヒトラーになれるよね。
「そうはならない」という逆も含めて、それは正しい。
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キャッチコピー

2015-10-14 21:12:10 | Weblog
キャッチコピーは重要である。

特にそれが、世間にあまり知られていないものを紹介する場合、心をつかむ最初の機会としてますます重要になってくる。


ブラック・ホーク・ダウン
「あなたはこの戦争に言葉を失う。しかし、知るべき時が来た。」


太陽
「天皇ヒロヒト―。彼は、悲劇に傷ついた、ひとりの人間。」


ヒトラー ~最期の12日間~
「彼の敵は、世界。」


秒速5センチメートル
「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」


エイリアン
「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」


そんな中、アイアン・スカイ

「宇宙人よりもナチスはハードに攻めてくる」


・・・。
え?なんだそれ。
その言い回しからしたら、過去に宇宙人に攻められた経験でもあるのだろうか(もちろん、それが他の映画のことを指しているという程度のニュアンスなのだろうが、やはり気になってしまうのである)。


なぜこのような話になったかというと、予告編という「映画のプレゼン」は、より観客を動員しようと「ハイライトを詰め込む」ので、
じっさいに観てみるとそのシーンが予告編から思い描いたものと全く違っていたり、
ストーリーそのものが予告編から大幅に異なっていたりすることがある。

「そんなもんだ」と社会常識のようにふるまわなくてはいけないのだろうが、やっぱり私は「それはおかしい」と思う。


さて、そのような融通の利かない私であるが、時にそれが長所(というか特徴)として出てくることもある。

場面やシーンがそっくりそのまま覚えられてしまうことがあるのだ。

たとえば、「ヒトラー ~最期の12日間~」と聞けば、私は以下のセリフが流れるシーンを、映像・字幕・音楽について頭の中で再現することができる。


1945年4月30日ー
総統は自決なさり
忠誠を誓った我々を残したまま逝かれた
ドイツ軍諸君は総統命令に従い
抗戦を続けてきたが
武器弾薬も尽きた今これ以上の抵抗は無益である
即時戦闘中止を命令する
戦闘を続けても市民と負傷兵の苦しみを長引かせるだけである
ソ連軍最高司令部との合意に基づき
ここに命令する
即時、戦闘を中止せよ
ヴァイトリング 前ベルリン防衛地区司令官
水をくれ

このセリフが流れるシーンは「ヒトラー ~最期の12日間~」で私が最もよく記憶しているシーンである。
それは、単に印象に残っている、というだけではなくこのシーンが、「全てが終わった」象徴と捉えられなくもないからだと思う。

直前のシーン、というかこのシーンの最初、救急キットの供えられた車のドアで死んでいる女性のシーンも良く記憶している。

このシーンの直後、ペーターの両親が殺されているシーンについて、あのデブの親衛隊がらみを憎む声も多いかと思う。

しかしこのペーター、実はエクステンデッド・エディションで人を殺しているシーンがあったりする。
まあ、通常版でも「敵戦車を2両かたづけましたよ」的な感じでヒトラーにペーターの「戦果報告」は伝えられるシーンがあるので、じっさい殺しているのだろう。
だから彼の両親の死が、などと喚くつもりもない。
そもそもペーターは架空の設定であって、製作者もそんなところに重点は置いていないはずだ。

そんな意味において、対空砲に張り付く映画初期と、ユンゲとともに自転車に乗る映画最後のペーターを観察するに、
どのような状況でも人は成長するんだな、程度に、その方面では感じていたほうがよさそうである。

ただ、そんな程度の感じ方でも、それならば現実世界においても「酒鬼薔薇聖斗」な少年Aにも、当然「更生の可能性」を認めてやることが必要なのかもしれないな。

今回の日記は、キャッチコピーから、少年法の是非までアレだが、そんなフワフワとしたあやふやな話の持って行き方が、当ブログの特色でもあるのだから仕方がない。

ところで「ヒトラー ~最期の12日間~」はユンゲの告白で飾られているが、本物のユンゲさん曰く、
「若かったというのは 言い訳にならない
 目を見開いていれば―
 気づけたのだと」

だそうである。
ガンダムのシャアさんやフル・フロンタル涙目の発言であるが、例えこの言葉が「謝罪」の取り繕いであろうとも、このセリフが映画のラストに来るからには、それなりに重要なのだろう。
というわけでペータ―くんにも、やっぱり「言い訳」は通じないのだろうか。
とはいえ、ペーターはあまりにも若すぎて、
ということは少年法も―

そんな感じの無限ループに陥る脆弱性が、本日記には存在する。


では、無限ループを脱却するために、話題を変えて終わりにしたい。

航空機事故の調査は、一部の人間を熱狂させる。
ニコニコなどでは、「FND」という単語が使われるまでである。

FNDとは、「フィクションじゃないのかよ、騙された」の略で、動画への賛辞である。

航空機“事故”マニアなら、ロシアで墜落した飛行機+"児童"操縦、ときたらすぐにピンとくるものがあると思う。

ロシアで機長が子供へのサプライズとして自動操縦中の旅客機コックピットへ子供を案内、
「自動操縦だから大丈夫」として、子供に操縦桿を握らせて遊ばせていたら、
自動操縦が解除されてしまい、本当に児童が操縦、墜落

という「フィクションのような事故」が実際起こっているのである。
もちろん、機長をはじめとしたクルーの意識が事故主原因として挙げられたが、
操縦していた機体も「30秒間自動操縦と異なる運動を操縦桿がしたら、何の警告もなしに静かに手動操作に切り替わる」という脆弱性もまた、事故原因として挙げられる。

我々はとかく原因を一つに究明したい。そのほうが判りやすいし、安心できるからだ。
しかし、実際は複合的な要因が重なって事故は起こるのである。

その複合要因の一つしか取り上げなければ、いつ同様の事故が起こっても不思議ではない。
その意味で、「原因の単純化」は極めて危険である。

とはいえ、「児童操縦事故」に限って言えば、

「何の警告もなかったのが悪い」

とも一概にいえないのが事実であって、
たとえば新鋭の超大型旅客機エアバスA380では、

「アクシデントが起きた際に50以上のエラー警告が表示され、副操縦士がそのエラーをクリアするのにいっぱいになってしまった」

という事故があったり、

あるいは航空機のセンサー部分を塗装を塗り替えるためにテープで塞いだままにした為に、

真夜中の海上の目標物一つないフライト中、
機長席、副操縦士席、予備3つの計器それぞれが、
全部バラバラな矛盾する情報を表示し続け、
実際は高度が低下していましたという結果だったりするので、

あまり人間のカンに頼るのもアレだが、かといって計器に頼りすぎるのもいけない、
非常に難しい境界を進まなければならないことだってあるのだ。

そんなわけで、本日はなんの日記だったか、

1.キャッチコピーに代表される「期待値」と「実測値」のズレが気になる
2・「若さは言い訳にならない」という観点から少年法の無限ループ
3.航空機事故にみる「原因の簡素化」の危険と「中庸の難しさ」

そんな感じか。
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南極ナチス

2015-10-12 13:47:08 | Weblog
南極ナチス!!

伍長閣下も大いに語る(褒め言葉)


というか、アレだ。メイキングなどから推察するに、実は我々からみればなお「ヒトラー認識」に偏りがある制作陣でさえ「ヒトラー ~最期の12日間~」を作れるのだから、物事の理解と表現の仕方はあまり関係はないかもしれない。

さて、友人が東工大の学祭に行ってみたらしく、
「東工大生が疑似科学について一生懸命考えてみた」
という冊子をお土産としてくれた。

ざっとしか目を通していないが、疑似科学の概要からいきなり我らが宿敵ルイセンコ学派とソ連に話が飛んでいた。

その熱心な調査能力は認めよう。
二次元絵を表紙にしたそのニッチさもまあいい。
題名も及第点である。

しかし、ジェネラリストではないというか、いきなり中身でしょっぱなから100%前回で深く突っ走ってしまうのは、
「読んでもらおう」という意図があまりに稀薄である。

東工大生といえばなんとなくしかイメージを持っていなかったが、この冊子のせいでその「なんとなく」のイメージがより強くなった。
いかにも東工大らしいではないか。

もちろん、大学が単なるジェネラリスト養成講座であるならば、もう職業訓練学校にしろというべきで、学問についての場として大学があるのならば、その姿勢はあったほうが良いとも思う。

最近大学について「一流」と「職業訓練校」に分けようという主張があるが、その思考がすでに大学を100%職業訓練校にしている点は注意したい。
大学が増えすぎたともいうが、そもそも大学とはどのような場所か、ということについては十分に議論する必要がある。

さて、では我が学び舎(少なくとも、母校大学の理学部の特定の学科の研究室)についてはどうだ、と考えれば、実は私を含めて、多くが、「気づき(問題発見・追及能力)」は鋭いが「応用・リーダーシップ・マネジメント」とは遠い存在である気がする。

それではいけないという意見もあろうが、それは「社会視点」であって、研究および探究においてはまた別の問題であることにも注意したい。

ただし、私は少なくとも今、社会で生きているから、やっぱり足りないところはなんとかしないといけないと考えている。

そんな私であるが、この2~3日、少し気になることがあった。

「物語シリーズ」(西尾維新)の「終物語」がアニメ化されていたのだが(もちろんシャフト)、そのOPがなんというか、気になるのだ。

終物語 第1話
http://www.nicovideo.jp/watch/so27301482

相変わらず“シャフト特有”の「ハイセンス」なOPであるが、
逆にそれにマンネリを感じている

このジャンルはすでに爛熟期になっているのではないかとさえ思う。

新しい方面での何かこう、ブレークスルーが必要だと思う。

シャフト関係はマンネリ化。
新海誠は電車オタク。
細田 守はジブリの後釜狙い。
宮崎 駿も低調気味。
押井 守は深く考えすぎ。

なんというか、もっと新しい方面で革新的な何かが欲しいな。

もちろん、私はアニメについてはほとんど知らない、良い意味でも悪い意味でも「ド素人」であるし、
より言えば、物語シリーズにしたって、とある車載動画の影響を受けてアニメ化されるはるか前に原作を買ったはいいが、お得意の強迫性障害と非集中とによって、第一話「ひたぎクラグ」を読んだだけで古本として売り払ったりしているのと公開して、
予防線を張っておく。
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タカ派とハト派

2015-10-10 12:02:40 | Weblog
今回の日記は、微妙に間違っているかもしれない。
まあ、大学を卒業して長いのでな。気になったりツッコミを入れたい者は、そこを起点に「学ぶ」と良い。

日記のタイトルは、「優しさ」を生物学的に解析するための単純なモデルである。

タカ派の個体は常に自己中心的にふるまう、対して、
ハト派の個体は常に利他的にふるまう。

この2タイプにより、以下の3パターンの集団が出来上がる。

タカ派ばかりの集団。
タカ派とハト派が混在した集団。
ハト派ばかりの集団。

タカ派ばかりの集団は、お互いの足を引っ張りあって滅亡する。
タカ派とハト派が混在した集団は、タカ派のみが恩恵を受けて子孫を残し、次第にタカ派のみになって滅亡する。
ハト派ばかりの集団は、繁栄する。よって、優しさは進化したというのが、極論するならば「群淘汰」理論の流れである。

しかし、群淘汰理論は否定されてしまっている。
理由は簡単だ。
ハト派ばかりの集団は、内部に突然変異などでタカ派が生まれたり、外部からタカ派が侵入することで容易に崩壊する。
“ユートピア”は不安定なのだ。

つまり、淘汰の圧力は「群れ」にかかるのではない。

その後解析が進むにつれて、個体にもかかるものではないことが明らかになってくるが、このあたりから微妙に複雑になっていくので、調べたい者は調査すればよいだろう。

では結局何に対して圧力がかかるのかといえば、答えは「遺伝子」である。これについては「遺伝子プール」という概念を導入するとわかりやすい。

この単純な内容は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」、「遺伝子の川」に判りやすく載っている。

もちろん私はドーキンスの回し者ではない事は注意してほしい。

法哲学を専攻した友人などは、「ミーム」をもって「ジーン(遺伝子)」に対抗する人間の理性的な営みを重要視していたが、

私にとっては「ミーム」にしろ「ジーン」にしろ構図は変わらないし(ミームについては人間の「理性」が影響を与えられるという主張があるが、延長された表現型も含めたうえで考えればこれは無限ループ問答に陥るのでここでは割愛する)、わざわざ「抵抗」しなくてもいいような気もするのだが。
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