ロード・マーシャル時事報告場

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2016

2016-12-30 10:02:14 | Weblog
今年最後の日記となる予定だが、特にこれといった感慨もない。
油断しているのか、日々に忙殺されているのか、あるいはその両方かもしれない。

まあ、年の節目というものはいろいろと区切りをつけやすいものであるが、別にそういったものに頼らなくてもいいのではなかろうか。

直近の名言(迷言)ブームでいうならば、よく

「お前が今日無駄に過ごした一日は昨日死んだ人たちが死ぬほど生きたかった一日なんだぞ?」

という言葉があるが、せっかく「一日」を題材にするのなら、アメリカの薬物中毒患者救済機関の設立者チャールズ・ディードリッヒの、

「今日という日は、残りの人生の最初の日である。」

という言葉の方を当ブログとしては推したい。

そうそう、2016年の当ブログのテーマソングは、長年の「オペラ座の怪人」の「learn to be lonely」から「レ・ミゼラブル」の「one day more」に変更となったので、ここに記す。
また、今年はいくつか映画を観たが、第一に「いまを生きる」、第二に「帰ってきたヒトラー」を推奨映画とする。このかけ離れた2つの映画を観たという事をポジティブに考えれば、偏在の程度が軽減されたという事かもしれない。
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口嚙み酒について、あと萌え酒

2016-12-28 03:05:26 | Weblog
口嚙み酒について、以前の日記よりさらに現実可能なレベルで検討してみたい。

口嚙み酒の「唾液」が、酵母育種等で使われる突然変異剤であるEMSぐらいの扱いでいいのであれば、実現できなくもない。

すなわち、新鮮な唾液をバッファーに懸濁後、フィルター濾過する。
濾過液をあらかじめ滅菌しておいたでんぷん溶液に添加し、でんぷんをグルコース等の糖に分解させる。
この分解液をオートクレーブ等で滅菌後、N源等を添加して培地を調製し、ここに純粋な「きょうかい酵母」等を添加して培養、増殖させる。
あとはもろみにこの培養液をそのまま添加すれば、一応は可能なのかもしれない。

まあ日本人大好きな「生」ではないがな。

ちなみに、現在萌えやオタク等に対する清酒の展開はラベル絵程度にとどまっているが、例えばもし人気二次元萌えキャラクターの設定において、
誕生日や血液型のように、アミラーゼのアミノ酸配列等が公式設定で公表されれば、それを元手にnonGMOとはいかないもののグレーなレベルの萌え酒を造ることも可能である。

遺伝子を経て異次元世界への伝播を行う。
まるで昔のホラー小説、「リング」、「らせん」に続く「ループ」の様な話であるな。

αヘリックス!!(勢い)
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新潟火災について

2016-12-26 04:13:08 | Weblog
毎日新聞が、新潟火災について、「地域の気遣い」が死者をゼロにした要因の一つとして、
地域コミュニティを美談化した記事を出していた。

表があれば当然裏もある。

そのように根深い地域コミュニティならば、出火元のラーメン店は弁償以前に、村八分状態になることは容易に想像できよう。
残りの二分のうち、葬式についても誰も来ないだろう。
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菜食主義の弊害と口嚙み酒

2016-12-24 13:09:44 | Weblog
世間の一部ではクリスマスおよびこれが三連休であることを「嘆く」輩もいるが、今になって落ち着いて考えれば、そのように嘆くこと自体が自身のコンプレックスを表出しているだけに過ぎない。

というわけで本日も当ブログは当ブログ風に行く。

まず、菜食主義の弊害についてである。

晩年のヒトラーは事実上錯乱状態であったことは良く知られているが、これには実は理由がある。
とある理由からヒトラーは菜食主義に転じたが、それにより様々な身体的弊害が出始めた。
これを主治医が劇薬を使って対処してたため、その劇薬が手の震えや錯乱などの症状を引き起こしていたのである。
「なんだ、菜食主義というより劇薬対処が問題ではないか」
という意見もあろうが、大元を辿ればそのような劇薬に手を出したのは菜食主義故であり、ユダヤ人絶滅と同様のことを大戦末期においてドイツ人に課そうとしたヒトラーの行為(ネロ指令等)の動機の一部には、菜食主義も含まれていると考えるのが妥当である。


次に、最近何度も取り上げているが、映画「君の名は。」において口嚙み酒が出てきた。ヒロインの妹が「現役女子高生の口嚙み酒」として売ればいいと冗談を言っていがた、これについて「博士の異常な愛情」風に評してみたい。

ストレンジラブ
「大統領、しばしお待ちを
 酒類製造における試験研究を行った身として、2000年代ですが、私は確かに類似の構想を冗談として言いました
 しかし、その冗談の先を検討した結果、これは商品化不可能であると判断致しました。
 その理由は、この日記の後半部分で明らかになるでしょう」

マフリー
「しかし、その製造自体は可能なのかね?」

ストレンジラブ
「大統領、テクノロジー的には、最も未開な人類社会さえ可能なレベルです。
 造ろうという意思さえあれば、造れる」

マフリー
「が、実際ありうるだろうか。一度口にしたものを吐き出すといったことが?」

ストレンジラブ
「大統領、有りうるどころか、そうでなければ意味がない。この手の酒造ではそれこそがまさに必須条件
 酵母に資化可能な炭素源を与えて初めてエタノール発酵となる。口嚙み酒は、炭素源であるでんぷんを唾液の中のアミラーゼで分解かつ空気中の酵母を使って発酵させる。
 単純にして明快、だからこそ、非常に造りやすい」

マフリー
「しかし炭素源といっても、どうやって?」

ストレンジラブ
「現在醸造に使用されている酵母の大部分は、でんぷんを資化できない・・・」

(中略)

ストレンジラブ
「しかし、神社の伝統文化としているからこそ、酒税法を免れているのだ。販売しては意味がない。何故糸守町の税務署は動かなかった!!」

税務署
「月曜の監査で調べる予定だった。土日は休みでね」


こんな感じで、以下に、酒類研究者として得た知見を基に、商品不可能の理由を述べていきたい。

1.衛生面
人の口に入るものである限り、これは免れない。
人の口腔の汚さは尋常ではなく、粘膜を介した感染症の危険もある。それを加味してなお安全が担保出来る体制でなければ、まず造られない。

2.量産性
採算を取るためには、一定量以上を製造しなければならない。口嚙み酒のキモはヒトの唾液のアミラーゼを使ったでんぷんの分解であるから、アミラーゼの能力・変性・失活を考えると、大量の新鮮な唾液が必要となり、唾液供給者の大きな負担ともなり、量産の大きなネックとなる。
なお、秘伝のタレのように継ぎ足して使った場合さらに2つの問題が出現してくる。
第一に、人間の唾液のアミラーゼ以外のアミラーゼ等(例えば液化酵素や麹菌だったり)を都度補う必要があるが、それなら現在の手法の方が手っ取り早い。
第二にバッチ式(毎回醸造する)のではなく、連続発行式にしてしまえば、上記衛生面を含めた雑菌汚染の問題・リスクが非常に大きくなる。例え衛生面をクリアできたとしても、乳酸菌などによる品質面での汚染が懸念される。

3.品質
「美味しんぼ」の作者は激怒するかもしれないが、現在の技術を用いて造った清酒は、古今最高の出来栄えである。
江戸時代の伝統的技法で造られた酒よりも、現在の酒の方がはるかに品質において洗練されているのだ。
口嚙み酒は、麹を入れる以前の古代の酒で、その神事との関連性もあって「酔えれば何でもいい」というレベルのものであり、その品質の改善には大きな余地がある。
逆に言えば、現在の酒に太刀打ちできない酷い品質である、というわけだ。
特に麹を入れないことは並行発酵などによって出来る複雑な香味を無視することであるから、その低品質を補って余りある求心力が口嚙み酒商品には必要である。

4.流行り
口嚙み酒のニーズをより厳密に分析すれば、流行のアイドルの口嚙み酒というところに帰着すると予想される。例えばもうすでに時期を逸しているかもしれないが、「橋本環奈の口嚙み酒」といった具合である。しかし芸能界の流行り廃れは非常に速い。多数の技術・法的困難を乗り越えていざ発売というときに、既にそのアイドルの流行が終わっていれば何の意味もない。酒造協会は芸能界との関係性を密に保って、新たな展望を迎えるかもしれないが、そこまでして一時的な流行に乗って「コアなファン」程度しか飲まないものを売るコストメリットがあるのかは、大いに疑問である。

なお、上記(特に衛生・量産・品質)問題の解決策として、流行のアイドルの体の一部を採取して“その人の”アミラーゼとマルターゼ遺伝子についてcDNAを調製し、これをコウジカビのゲノムに挿入させ、発現・分泌・機能維持を確認したのち、このコウジカビを用いた清酒を作る、という方法で「○○さん由来の清酒」を造る手法が挙げられる。
但しこの場合、セルフクローニング以前の異種発現、それもヒトの遺伝子であるので、「遺伝子組換え食品」以上に紛糾する事案であろう。特に醸造という事実上「解放系」であれば、組換え菌の外部漏出は防ぎようがない。
これを推し進めるには橋本環奈を例にとれば、「カルタヘナより環奈さん」を合言葉に、相当なロビー活動が必要であり、結局この手法も製造以前にリスク要因が多すぎて商品化は不可能であろう。

最後に、ネタバレになるが、映画「君の名は。」のヒーロー役はヒロインが3年前に作った口嚙み酒を飲んでいたが、あのような環境下でも、火入れすらしていないものを3年も放置していれば、「老ね」以前の酷い品質になっているだろう。ヒーロー役がそのあと「夢を見た」のは、足を滑らせて頭を打った以外にも、これによる影響も考えられる。
また、3年間のあの環境の放置は酢酸菌がエタノールから酢酸を生成するのにも好適な環境であり、既に口嚙み酒は酢になっていたかもしれない点も指摘したい。
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アドルフの画集

2016-12-21 04:13:36 | Weblog
映画「アドルフの画集」は、その知名度および評価はさておき、2002年において極めて野心的な作品である。
「帰ってきたヒトラー」の14年も前に(ドイツ以外ではあるが)制作された事実は極めて感慨深い。

なお、個人的にはユダヤ人批判内容の演説の出来栄えについて純粋に喜々として(当時の)ユダヤ人の友人に訪ねるシーンが、まるで当ブログを彷彿とさせて印象深い。

しかし、「アドルフの画集」では、アドルフ・ヒトラーは政治活動に傾倒したからこそ、初めて絵画において独自の大成出来うる才能を開花させられたともいえ、ラスト以前にまさしく皮肉な運命と言えるだろう。
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前前および前前前回の日記の補足

2016-12-19 05:59:06 | Weblog
「君の名は。」関連三部作日記である。

以前の日記で、後半は「ドニー・ダーコ2のハッピーエンド風である」と評した。
なぜ「2」であって「ドニー・ダーコ」ではないかといえば、やはり落ちてくるものであったり、“専門家”様の評価であったりというあたりに強い相関がみられた為である(「ドニー・ダーコ2」はただでさえ難解な「ドニー・ダーコ」を視聴していないとそもそも理解できないあたりで失敗作とも言われている)。

飛行機のエンジンよりは隕石の方がより近かろう。

なお、あれだけの「改変」を行ったのだから、「シュタインズ・ゲート」(未視聴)みたく世界に非常に大きな影響が及ぼされなければならないのではないだろうか。
まあ、「君の名は。」のウケるストーリーがややこしくなるからダメなのだろうが。

もう一つ、主人公が何の「半分」も置いていかず御神体から出て行ったことも気になる点ではある。

なお、「君の名は。」のラストについては、きっと新海誠監督の本意ではなく、周囲からの強い要望(ないし圧力)によって、あのようになったと思われる。
新海誠監督なら「秒速5センチメートル」のようなラストで終わらせたかもしれないし、ドニー・ダーコの脚本と監督とを手掛けたリチャード・ケリーなら「その対価」を支払わせたに違いない。

映画は娯楽であるので、私や“専門家”様がいかなる評価をしようとも、究極的には「人それぞれ」ではある。

したがって、私にとって「君の名は。」は、「ドニー・ダーコ」未満、「ドニー・ダーコ2」程度というわけだ。
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スターリングラードのドイツの対応に学ぶ失敗

2016-12-17 06:18:00 | Weblog
以前、「クラウゼヴィッツの経営何某」がどうこう述べたが、基本的に今回の日記はそれと同じである。

スターリングラードの戦いにおいて、ヒトラーが「最後の一弾まで戦え」という趣旨の、死守といういつもの総統命令を出したことは、総統の悪癖の最たるものとされている。

しかしこの判断は実は過去の成功、すなわちデミャンスク包囲戦において空輸によって状況を打開できたという経験とそれを後押しした空軍元帥ゲーリングの太鼓判が基となっている。
もちろんデミャンスク包囲戦とは、必要としていた物資の量をはじめとしたあらゆる要素が違うわけであるが、その点を度外視しても、過去の成功経験にとらわれ過ぎていれば、とんでもない大失敗を招くという、後世への良い教訓ではなかろうか。

謙虚さと貪欲さは相反せず、いつも持ち合わせていたいものである。

なお、ドイツ第6軍を中心とする枢軸軍30万が包囲され続けた中で死守を命じられたことは、副次的にドイツ軍にとって良い効果を生み出した側面も忘れてはならない。
すなわち、ソ連軍がスターリングラード包囲に戦力を割かれつづけている間に(ヒトラーは反対はしたものの)、A軍集団は手痛い損失を受けながらもコーカサスから撤退することができたわけである。
当時のヒトラーにそこまでの合理的思考は見受けられないが、別の視点で見れば、第6軍などの救出が困難となったその時点で、第6軍にその場の死守を命じることで、軍集団を救うことが出来るという選択をしたともいえる。

過去の成功や失敗に固執するのが良くないのと同様に、物事について単一的ではなく別の側面を見てみることの重要性も、スターリングラードでドイツ軍が被った膨大な「授業料」から我々は知ることが出来るのである。
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視聴感想「君の名は。」2 コモドゥスの視点

2016-12-15 06:31:44 | Weblog
コモドゥス「君の名は。」
マキシマス「我が名はマキシマス・デシマス・メリディアス。
      北軍指令官にしてフィリックス団将軍。
      真の皇帝マルクス・アウレリアスの忠実なる僕。
      殺されし子の父にして殺されし妻の夫。
      今世か来世で復讐は必ず果たす。」

(BGM)前前前世(♪)

少しネタバレになるが、コモドゥス的視点でみれば、「君の名は。」のラストは納得がいかないだろう。

コモドゥスは、はなから自らに興味をあまり持たない、場合によっては嫌悪されている対象(それが大人数であろうとなかろうと)について、
何故助けるだろうか。

むしろそのような存在は罰されてしかるべき、というのがコモドゥス論であろう。
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「君の名は。」視聴感想

2016-12-13 03:34:26 | Weblog
いろいろとあるが、第一に、


「さすが教師、黒板という縦面にきれいな文字を神速で書けるんですね!」


前半は、「帰ってきたヒトラー」の青春バージョン(それは「帰ってきたヒトラー」とはいわない)、

後半は、「ドニー・ダーコ2」の簡易ハッピーエンドバージョン(それは「ドニー・ダーコ2」とはいわない)、

を連想した次第である。

偏ったものしか見ていないので偏ったものに共通点を見出してしまうが、それもまあ良いことである。

あれだな、ラスト含めて結局しまりがちょっと、というところが、女性ウケして大ヒットして、批判されている点であろう。
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シールズ vs 回教徒

2016-12-11 06:23:44 | Weblog
シールズ「敵が攻めてきたら一緒に酒を飲んで守る」

回教徒「酒は飲まない」


日本のゆるいシールズは、少なくとも現在問題となっている事項の一つ、イスラム関連のテロ・紛争には何ら解決能力を持たない。
基本的に彼らは空想的社会主義者であるから仕方のないことではある。
偉大なる将軍様の掲げた「先軍政治」をすこしは参考にしてはどうか。
まあ、その結果第二の日本赤軍になれば、「歴史は繰り返す」、というだけのことである。

なお、アメリカの特殊部隊のほうのシールズならば、なんと心強いか。
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