ロード・マーシャル時事報告場

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STAP細胞

2014-01-30 08:21:42 | Weblog
マウスの体細胞を酸性の溶液に浸して刺激を与えることで、あらゆる細胞に変化できる万能細胞を世界で初めて作製することに成功したと、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)など日米の共同研究チームが発表した。作製が容易で、人工多能性幹細胞(iPS細胞)で問題になるがん化や染色体への影響も確認されていない。iPS細胞では作れなかった胎盤への変化も確認され、より受精卵に近い能力を持っていると考えられる。画期的な成果で、30日付の英科学誌「ネイチャー」に掲載される。

 今回の万能細胞は「STAP(スタップ)細胞」(刺激惹起<じゃっき>性多能性獲得=Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency=細胞)と名付けられた。細胞が刺激を受け、受精卵に近い状態に逆戻りする性質(初期化)があることを証明したのは初めて。

 研究を中心に進めた同センターの小保方晴子(おぼかた・はるこ)・研究ユニットリーダー(30)によると、マウスのリンパ球を弱い酸性(pH5・7)の溶液に30分間入れた後、別の培養液に移すと、2日以内にリンパ球が本来の性質を失った。細胞の数は7日目に約5分の1に減ったが、残った細胞のうち3~5割が万能細胞特有の性質を示した。

 これらを別のマウスの受精卵に移植すると、体のあらゆる部分にSTAP細胞からできた体細胞が交じったマウスが生まれ、STAP細胞がさまざまな細胞に変化することが証明されたとしている。

 今回、万能細胞の作製効率はiPS細胞より高く、作製期間もiPS細胞の2~3週間より短かった。また、リンパ球の他にも皮膚などの細胞で成功したほか、細胞を細い管に通す▽毒素をかける--など、さまざまな「ストレス」を与えることでも初期化できたという。

 動物の体は、元は全ての種類の細胞になる能力を持った1個の受精卵から始まる。一度、特定の細胞に変わると元に戻らないが、山中伸弥・京都大教授が細胞に4種類の遺伝子を入れて、初期化に成功、iPS細胞と名付けた。初期化は核移植(クローン技術)でも可能だが、今回の方法は、遺伝子の導入も核移植も必要としない。

 今後はヒト細胞での作製が課題となる。成功すれば、再生医療や創薬など幅広く応用できるほか、初期化のメカニズムの解明によって、体内で細胞を若返らせたり、老化やがん、免疫などの研究に役立つ可能性がある。

 小保方リーダーは「研究をさらに進めれば、体の中での臓器再生やがんの抑制技術に結びつく可能性がある」と説明した。【斎藤広子、根本毅、須田桃子】

 【ことば】万能細胞

 初期の受精卵のように皮膚や心臓、胃、腸など体のあらゆる器官の細胞に変化できる細胞。再生医療への応用が期待される。ES細胞(胚性幹細胞)や、山中伸弥・京都大教授が作製したiPS細胞(人工多能性幹細胞)は胎児の全ての細胞に変化できたが、胎盤は作れないため「多能性幹細胞」という。

 ◇発見者は30歳女性

 STAP細胞の研究を主導した理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)は千葉県松戸市出身。2006年早稲田大先進理工学部応用化学科卒。早稲田大大学院に進んだ後、東京女子医大先端生命医科学研究所の研修生として再生医療の研究を始めた。博士課程1年だった08年から約2年間、米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授の研究室に留学し、今回の成果につながる研究を開始。11年に理研の客員研究員になり、13年3月から現職。

 ◇日本人の成果、誇り…iPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発した山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長の話

 重要な研究成果が、日本人研究者によって発信されたことを誇りに思う。今後、人間の細胞からも同様の手法で多能性幹細胞が作られることを期待している。マウスの血液細胞に強いストレスを加えると、多能性が誘導されることを示した興味深い研究であり、細胞の初期化を理解する上で、重要な成果である。医学応用の観点からは、iPS様細胞の新しい樹立法ともとらえることができ、人間でも同様の方法で体細胞において多能性が誘導された場合、従来の方法とさまざまな観点から比較検討する必要がある。

mixiニュースより

昔超飢餓状態で同じような細胞作って遊んでたが、もし同じだったら、とてつもなく惜しいことしてたなあ。2007年の出来事である。ミューズ細胞と睨んでいたのだが。
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「パシフィック・リム」視聴感想

2014-01-29 22:51:00 | Weblog
映画「パシフィック・リム」を見た。エヴァと平成ガメラとGODZILLAとインディペンデンス・デイ、そしてラストにはアポロ13、そしてあのクソ映画バトルフィールド・アースを合わせた感じ。
「カイジュウ」の動きやイェーガーの「戦い」はいいのだが、古典的な「怪獣」ファンとしては、やはり重厚な日本の怪獣、たとえばゴジラや、“メカッガッズィラ”(平成版メカゴジラww)の重量級対決の方が好きである。まあ、「パシフィック・リム」自体はアメリカウケしそうな映画だとは思う。
しかしやっぱり、どうしても日本人としては、ラストも、平成版「ゴジラvsメカゴジラ」や、「ゴジラvsキングギドラ」の方が私は好きだ。
怪獣が「隠れたり策謀したり避けたり」しちゃあ、いかんでしょう!!
カイジュウならばカテゴリー5でも、Gフォースですらなく、特殊戦略作戦室の黒木特佐率いる自衛隊でなんとでもなるレベル。

昨今の鬱状態で、自身の評価を自ら貶め、他人の評価を過剰信奉した結果だと思う。

信奉していた他者の評価。
正直なトレイラー:『パシフィック・リム』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22104806

比較参考動画として、怪獣映画で日本初のSF大賞を受賞した、
「ガメラ2 レギオン襲来」の予告編も紹介しておく。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17766536

関係ないが、「ゴジラvsキングギドラ」の続きとして、「ゴジラvsメカゴジラ」の、メカゴジラのメインコンピューター名称はREIKO。豆知識である。
メーサー(挨拶)。
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「クルスク戦史」と「戦術」に関する記述

2014-01-28 21:21:24 | Weblog
独ソ戦の分岐点は、最もよく言われているのは、スターリングラードである。私自身はモスクワ攻略が失敗した時点でもはやカタストロフが始まったと考えているが、それでもなおドイツは戦争の主導権を握るべく、スターリングラード後の1943年夏、クルスクにおいて人類史上最大の会戦を起こす。
この時ドイツ側で問題とされているのは、ヴァルター・モーデル率いる中央軍集団の積極性の無さである。同会戦におけるドイツ側の計画は、ソ連の兵力の6分の1が集中しているクルスク突出部に、マンシュタインの南方軍集団とモーデルの中央軍集団が挟撃を仕掛け、包囲、適宜殲滅して東部戦線を安定させるというものであった。
中央軍集団への批難としては、南方軍集団のように戦車を先頭にした積極的な攻勢に出なかったことにより、進撃が頓挫し、結局南方軍集団だけで進撃をしなければならなくなった点であると思う。
実際問題、南方軍集団の活躍はクルスク一体を要塞化して消耗戦術で待ち構えていたソ連軍にも予想外で、同会戦後半で追撃戦に用いるはずだった予備戦力を消費せざるを得ない状況を発生させている。
だが、これでモーデルと中央軍集団を非難するのは早計である。
そもそも、この作戦は無謀であり、さらにヒトラーにより作戦そのものが2か月近く延期され、ソ連は非常な準備を整えて待ち構えていたのである。
モーデル自身は作戦の延期を支持したが、これは延期に延期を重ねることで攻勢作戦そのものを中止にする意図があったと言える。これを裏付ける証拠として、作戦会議でモーデルはヒトラーに対して、ソ連が高度に組織化された要塞陣地を構築していることを報告している。攻勢は明らかに無謀だったのだ。
また、南方軍集団と比べて戦車自体の数が少なかったことも、積極性を欠かざるを得なかった要因としてあげられる。
これら明らかに見えている作戦の失敗、自軍の戦力の少なさから、モーデルは戦車隊を先頭に投入することを控え、来たるべきソ連の反攻への備えとしたと考えれば、中央軍集団の積極性の欠如は合理的に説明できる。
そもそも、クルスク会戦の最沸騰点、プロポロフカ戦車戦が南方で行われていた同日7月12日、ソ連は中央軍集団を逆攻撃するクトゥーゾフ作戦を発動しており、ドイツ軍は攻勢どころではなくなった。これに対してモーデルは全航空戦力を侵攻してくるソ連戦車迎撃にあたらせる間に、前線の部隊を引き戻している。判断的には最善の策を講じていたのではないだろうか。この時もしも戦車部隊を先頭に進撃していれば、、進撃そのものが頓挫した挙句に反撃を受ける恐ろしい結果になっており、1年倒しのバグラチオンが待っていたかもしれない。
そもそも、モーデルは防御戦の達人であった。スターリングラードの敗北と前後して、ソ連の名将ジューコフはモーデル指揮下のドイツ第9軍を包囲すべく攻撃したが、防御戦の達人たるモーデルはこれに大損害を与えつつ、「整然とした撤退」を行い、最終的に22個師団の予備部隊の抽出にまで成功している。この時点で、崩壊しつつあった南方戦線はマンシュタインにより修復され、逆にハリコフを奪還し再度勢いに乗っていたドイツ軍南方戦線であるが、或いはこの時、中央軍集団が休養を宣言し、中央方面からの攻勢を拒否してクルスク突出部が出来た時点ですでにドイツの「スターリングラードからの逆襲」は限界を見ていたのかもしれない。いずれにせよ、春の泥濘によって独ソ両軍の行動は阻害され、そのあいだとクルスク攻撃の是非をめぐるドイツ内でのゴタゴタによる延期の時間を得て、ソ連は大規模な防御陣地をクルスクに構築できたのだから。

次に、戦術の話題である。
「人海戦術」というと、その、なんだ、ウラー!なイメージしかないとか、中華ー!なイメージしかないかもしれないが、実はこれもきちんとした理論に基づく戦闘計画であり、一般的なイメージとはだいぶ実態が異なることはあまり知られていない。
そもそも独ソ戦時、ソ連がウラー!で勝てるほどの数的優位は誇っていなかったのである。
では、人海戦術とはそもそも何ぞや?となるが、それはwikipedia先生によると、以下の通りである。

「ソ連は、ミハイル・トゥハチェフスキーが理論化した縦深攻撃のドクトリン(=基本原則)(人海戦術)を持っていた。このドクトリンでは、攻撃正面を広くとり、数波に分け間断なく攻撃することで、防衛軍を全域にわたって拘束する。阻止される箇所がいくつあっても、戦力の優位によってどこかで弱点を突破できる。その後は追撃局面となり、なおも抗戦を続ける防衛軍がいれば、包囲して殲滅する。このような攻撃にさらされたとき、防衛側の司令部は、予備軍を突破に備えて待機させなければならず、前線は援軍なしで戦わなければならなかった。さらに、前線の部隊は、自分の担当正面からの圧力が弱いときにも安心できず、他の部隊の崩壊を恐れなければならなかった。枢軸国軍は、ソ連軍の数的優位を何倍にも増幅して感じた。このドクトリンは、大量の砲弾と多数の戦車(および理論上はさらに多数の航空機)を組み合わせ、火力と機動力と物量で敵を圧倒することを中心にしており、人の数だけで押し切ろうとするものではない。攻撃正面を絞り込まないため、不利な戦場をいくつか抱え込むことになったが、ソ連軍の考えでは、それも全体での決定的勝利のために必要な犠牲であった。」

同時に、日本軍が採用した「肉弾戦術」も、誤解されがちである。こちらも、wikipedia先生によれば以下の通りである。

「大日本帝国陸軍が第一次世界大戦の戦訓を元に戦間期の陸軍基本戦術としたのがこの浸透戦術である。旧陸軍はこの戦術を肉弾突撃と名づけた。これは別に戦車に兵が地雷を持って突撃する事ではなく、分隊等の小単位の兵力が相互に援護し合いながら敵陣を突破する戦術である。すなわち、傘型陣形の小隊を「弾丸」に見立てたものである。分隊レベルを指揮する下士官に戦闘面でかなりの選択を迫る戦術である。彼らは一部隊の指揮官として援護・突破・防御を自由に行う裁量が最初から与えられていた。この浸透戦術の成功例が第二次上海事変であった。蒋介石率いる中国国民党と日本軍との間に戦闘が始まり、これにより盧溝橋事件以降の北支事変が一気に中国全土に波及する。国民党の軍事顧問だったファルケンハウゼンがうち立てた上海・南京間に立ちはだかるゼークトラインに上海の日本軍をひきつけて損耗を迫るという作戦計画に対して、日本軍は兵力的に劣勢にもかかわらずその防御陣地を各所で突破した。これにより国民党軍の戦線は崩壊し、我先にと南京へ敗走した。蒋介石も日本軍が南京に迫ると南京を脱出している。」

うむ、後半はwikipedia先生頼みになったが、前半のクルスク戦史に関する記述だけでも良しとしよう。
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無駄知識

2014-01-24 17:49:12 | Weblog
マリにあるニジェール川の内陸三角州ではナマズの事をソンボロと呼ぶ。
これが本当に本当の「無駄知識」。

酵素摂取でダイエット。
これは本当に本当の「無知」。
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ブロンドのドイツ娘をさらえ、それは諸君の戦利品だ!

2014-01-23 21:09:44 | Weblog
ベルリン攻防戦時、ベルリン市内には150万人の女性がおり、その6.7%が強姦され、さらにそのうち10%が性病に罹患した。
つまり、約10万人の女性が性的暴行にあい、うち1万人が性病に罹患したということである。また、別の1万人は心的外傷から自殺している。
この事象は、ベルリンだけに限ったことではなかった。
標題は、ソ連の兵士を煽った言葉である。
共産主義って、ステキである。

なに?
ソ連の共産主義は悪い共産主義で、今の共産主義はきれいな共産主義?

どっかで聞いたな、その文句。
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九条を守るには

2014-01-22 17:40:02 | Weblog
憲法九条を守るためには武力蜂起もやむなしという、新左翼的テロリズムに基づくステキ共産党ポスター。
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ロボット史上もっとも美しい壊れ方をしたロボットといえば

2014-01-18 19:56:52 | Weblog
http://blog.livedoor.jp/robosoku/archives/36484508.html

リバティ・プライムだろう。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14397088

いや、CeeGeeのロボットかもしれんが。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm660534
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私は出汁になりたい

2014-01-16 17:33:14 | Weblog
私は貝になりたい、ではない。
具になりたい、でもない。

確かに具は主役的存在として魅力的だが、どうも私は違うみたいだ。
また一方で、貝のように閉じこもって暗い暗い海底に引きこもりたいわけでもないみたいなのだ。

本日、リワークでマルチタスクという高負荷プログラムがあり、プレゼン資料作成を私が担当した。
成果物をカウンセラーに提出したところ、ゲラゲラ笑いながら、
「個性的!読んでいて面白い!潜在能力がある!!」
と三拍子の評価をもらい、我がチームは順位づけで見事優勝した。
私はリーダー的存在ではないが、確かに個性的かつ補佐、発案提出者的側面を持っている。
その能力をなぜここで使わないといわれれば、それは「潜在的」であって、引き出してくれる人がある意味で必要だと、甘えてみる限りである。

考えてみれば大学でもそうだった。
大学入学が許された私の合格理由は明確であった。
「その個性を以て周囲への起爆剤となること」
以上が私の大学入学を大学側が許した理由である。

つまり、私は元来「出汁」として他者の滋味を引き出す役割があると考える次第である。
私は出汁になりたい。

そうそう、思いつきでついでに述べたいことを。

私は、大学研究時代後半から現在の如き状況にあるいはなっていたと思われる。
故に大学・大学院において学んだことはこれまで少ないと考えておった。実際、教科書的な資料の部分部分は抜けておる。
しかし、大学・大学院と6年在籍した結果は、確かに成長の証としてあるのではないか、と本日マルチタスク後帰宅中の限界の思考の中で思いついたわけである。
まだ、それが具体的に何かとは言えぬが、確かに、私は大学・大学院在籍中に様々な経験をし、成長をし、成果を収めてきているはずである。
だてに九州大学・大学院を出たわけではない。
その自信を復帰できただけでも、本日の成果としてよかろう。
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初夢の内容

2014-01-15 22:07:30 | Weblog
特に書くこともないので、暇つぶし程度の扱いにはなるが。

初夢の内容は教えない方が願いがかなうというが、いつも通り意味不明な内容だったので、別に公開しても差し支えなかろう。

あれは、ノロウイルスに罹患してうなされていた1/1午前4時頃の夢。

まず、予備知識として、下の動画を見てほしい

「ロード・オブ・ザ・リング ~二つの塔~ 予告編」 (youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=HlXIOPlXCuE

本当は本編を見てほしいのだが、いかんせん第二部だけでも3時間もあるので負担であろう。
1:20からの動画を注視してほしい。

私は、夢の中でサルマンであった。

私(サルマン)
「城壁がなくなれば、あそこは陥落する」

蛇の舌
「たとえ城壁がなかったとしても、あそこを攻略するためには数千の大軍団が必要です」

私(サルマン)
「数万だよ」

蛇の舌
「しかし殿、そのような大軍勢が一体どこに??」

プオップオ~

私(サルマン) 上記動画1:20からのように
「新たな勢力の誕生だ」

しかし、そこに集まっていたのは、たった数百人のウルク=ハイだった(しかし、なぜか全員意気軒昂)。
茫然とする私。
突然、蛇の舌が、上司に変わり、
「リワーク決定だね」
と肩を叩く。

場面が変わり、私はサルマンの役から外れ、リワークを行う「私」になる。
そして、そのリワークとは、福岡にある九州大学にある自衛隊学校(意味不明なのだが、夢の中でそうなのだから仕方ない)にて行われている大学数学の講義であった。
その講義を受講しつつ、いよいよすべての受講終了ということで、成果物をなぜか百道にある九州大学の自衛隊学校(場所が全然違うが、夢の中でそうなっているのだから仕方ない)の件の数学教授に提出しようとしたのだが、なんと、提出することを忘れて期限を1日遅らせてしまった。
しまった!!これでは卒業できない!!今から言って届けるか。私は福岡市の箱崎に住んでいる設定だ行けるか??しかしここは関東だ、新幹線で行っても1日かかる、さらに遅れてしまう、どうしよう(くどういようだが、意味不明ながら、夢の中ではそうなっているのだから仕方ない)。
しかし、人事部(??)の決定は下されている。
私は、滋賀県の自衛隊駐屯地へ配属決定となった。
ただし、そこには友人も配属決定しているらしく、心強い。
また、滋賀は(なぜか)内陸だから敵の侵攻もなく、予備部隊的扱いでいろいろとゆるいらしい。
ただし、自衛隊は自衛隊。私はやっていけるのだろうか、心配だ。
そもそも、成果物提出が遅れているのに決定が下されている状況で、私は配属出来るのだろうか。
という、焦りと不安に悩まされた。

そして、気付いたら朝5時だった。
1/1、1時間で見た、初夢である。

一体全体、いつものことながら、どう言うことだろう。
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語源(クライスト・フ・アーミー)

2014-01-09 20:42:54 | Weblog
ロシアでは、装甲軍(機甲軍、戦車軍)の事を、「クライスト・フ・アーミー」と呼ぶが、
これは第二次世界大戦独ソ戦以降のことである。

語源は、ドイツの軍人、「エヴァルト・フォン・クライスト」である。

なぜ、敵国軍人が名前になったのかを知るには、彼の経緯を知らねばなるまい。

彼はもともと騎兵隊出身ということもあり、実は電撃戦や戦車を利用した機動戦術には懐疑的な、古典的、保守的な軍人であった。
対フランス戦でも、グデーリアーンの上官として戦い、彼の電撃戦術を理解できず、彼を罷免しようとまでした。
しかし、ここからが彼のすごいところというか、当時かなりの高齢だったにも関わらず、
対フランス戦がドイツの電撃、機動戦術により大勝利すると、自身の非を認め、謙虚に電撃戦、機甲戦術について指導を仰ぎ、
その成果を対ソ戦で存分に活用。
気付けばあだ名はパンツァークライスト(「パンツァー」は、概して戦車の意)となって、多くの戦果を挙げた。
この、ゲルマンスキーの戦いぶりを脅威に感じたソ連側は、敵の機甲部隊をすべて、クライストの軍、「クライスト・フ・アーミー」と呼称。
それが定着して、今に至るというわけである。
ちなみにクライスト自身はその累々たる戦績がソ連に対する憎しみとして仇になり、ロシアの捕虜収容所の中で手ひどい扱いを受けながら死亡した。

しかし、彼は、ロンメルやグデーリアン、マンシュタインのような派手さは無いが、堅実で手堅い采配は高く評価され、今日でも「ドイツ軍における優れた機甲戦術家」としての評価は高い。


というわけで、大嘘である。
具体的には、クライストの経歴とその評価以外は、大嘘である。
「クライスト・フ・アーミー」なんて、まったく言わないし、ロシアでそのような呼称は全然ない。

新年早々、大法螺から始まるのであった。

ああ、ただ、ドイツ人の名前が、ソ連を震撼させて、戦争における特定の呼称になること自体は実際にある。
例えば、エレファント重駆逐戦車の当初の名前、ポルシェ氏からとられた「フェルディナント」は、ソ連に甚大な被害を与え、それ以降ドイツの突撃砲をソ連兵士はみな、「フェアジナント」と呼ぶようになったのは、事実である。
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