ロード・マーシャル時事報告場

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「人間」と「優良国家(デンマーク)」

2016-01-30 10:03:20 | Weblog
本日もくだらない日記を綴っていくぞ。


1.人間について

漫画・アニメ「鋼の錬金術師」に登場する「エンヴィー」というキャラクターは人間に嫉妬しているようである。

たとえそれが、HELLSINGの少佐であっても、嫉妬するのだろうか。

しかし、HELLSINGの少佐も「人間であること」にご執心であった。

そこまで人間であることは重要なのだろうか。

生物学的にはこの「人間の特別視」は憤死レベルの事案なので(創造的進化論者は逆に肯定するだろうが)、「ヒト」を「人間」として重きを置くことについてあまり理解できない。


2.デンマークについて

難民問題に揺れる欧州であるが、北欧のデンマークが移民から一定額の金品を巻き上げ、かつ給食に豚肉を食べさせることを義務化させる法案を通過したようである。

福祉などにおいて、

「北欧を見習え」

という空想的社会主義者どもは、この行動について大いに見習って欲しい。

まあ、「移民お断り」というデンマークの総意と、「相容れない意見お断り」という空想社会主義者の主張は似通っているので、ある意味では見習ってはいるか。

この、デンマークの感情で動き理論で拒絶するスタイルは嫌いじゃないし、別に驚かない。
何故なら歴史が示しているように、彼らはナチスに6時間未満で降伏した、「優性人種」を唱えるナチスお墨付きの「モデル国家」なのである。

その後ちゃっかり連合国側としてふるまって、NATOや欧州連合に加盟しているあたり、北国の陰湿さがうかがえる、韓国・イタリア並みの事大主義国家といえよう。
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「人生には使命がある」という考え方の危うさ

2016-01-28 06:01:34 | Weblog
「人生には使命がある」

この「道徳的」かつ「より良く生きるための考え方」は、現代科学特に生物学とは相容れない考え方である(創造進化論者は好みそうだが)。

しかし、この考え方は「教育的」にも非常によろしくない側面を持っていることは注意しなければならない。

まず、「人生に使命」とした場合、それは「人々の役に立つ」とか「自分や家族の幸せ」といった“プラス”の側面ばかりを取り上げるのは極めてナンセンスな話である。
例えば、「戦争を起こす」とか「人を殺す」、あるいは「他人を不幸に陥れる」といった“マイナス”の「使命」も考慮しなければならない。
でなければこの考え方は単なる空想的かつ理想的な道徳“論”にしかならず、現実世界との剥離が生じる。

したがって、「人生には使命がある」という考え方は、戦争の発生やヒトラーの所業という、この考え方が望まないものを肯定してしまう、ダブルスタンダードなものになってしまう。

ちなみに、前々から言っている「ヒトラーを人間視すべきだ」という当ブログの主張は、「使命」云々ではなく、「人間としての分析を拒否すれば再発する」という意味なので、注意してもらいたい。


もう一つ、「人生に使命」を前提にしてしまうと、例えば国王や貴族のような、「生まれつきの特権階級」を認めかねず、その意味で現代西側社会あるいは共産主義の自由や平等とは相容れない考え方となってしまう。ともすれば「優性人種論」の補強にもなりかねない。

そもそも現代の教育における平等性が「理科」をはじめとする現代科学の「自然は無目的」という考え方を担保にしているのである。


そういうわけで、聞き心地の良い「人生には使命がある」という宗教的な考え方は、大変危険な落とし穴があるので、これらを主張する人々や宗教家は注意が必要である。


「怒るな、まあいわば、冗談だ。」
(映画「太陽」より)



追記

漫画・アニメ「ヨルムンガンド」というものがあるらしい。
ネタバレになるが、作中には「ヨルムンガンド計画」というものが存在する。
これは強制的に人間から兵器運用法を取り上げ、戦争を出来なくさせる事を骨子とし、
さらにはそれを人間の歴史の「恥」として記憶させ以降の戦争をも抑止する、ということらしい。

当然のようにマンガもアニメも観ておらず、wikipedia情報である、といつものように予防線を張って以下に持論を展開する。

特に情報通信・管制誘導を中心とした「空の使用」を出来なくさせ、人間の移動を強制的に停止させる様である。
前回の日記で紹介した「遺伝的浮動」の考え方としては大変興味深いが、戦争の抑止になるかと考えれば、それは無理であると私は結論する。

確かに、現代のハイテク武器は使えないだろう。
しかし、第二次大戦レベルの兵器は十分に使用可能であり、その意味で第二次大戦レベルの戦争の遂行が依然可能である。
また、アナログ兵器を多数所有している発展途上国(例えば北朝鮮)にとっては、これまでかなわなかった大国への対抗が可能になるので、世界各地で現在問題となっている低強度紛争がより頻発すると考えられる。
すなわち、この種の方法は戦争の抑止にはならない。

そもそも、第二次大戦の時点で原子爆弾もそれを運用する長距離戦略爆撃機も使用されており、またハイテク対空兵器の使用が著しく制限されるであろう状況を考えると、核兵器による相互確証破壊も維持される。

ただ、その結果として再び、慣性航法と天測航法により外部からの指示を一切受けない大陸間巡航ミサイル「スナーク」が実戦配備されると考えると、なかなかロマンのある話である。

※ミサイル「スナーク」は、自ら天体(星)を観測して自分の位置を確かめる誘導方式を持つ。
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アリの巣を参考とした政治哲学への生物学的アプローチ(主として遺伝的浮動に変化)

2016-01-26 07:51:52 | Weblog
たとえば、アリの巣は、女王アリと働きアリによって構成される。

しかし、遺伝学的見地からみると、アリの巣を支配しているのは、実は女王アリではなく働きアリである、ということが判っている。
これはアリの性における染色体配分の特徴から、女王アリにとって最も望ましい性比と、働きアリにとって最も望ましい性比を予測し(女王アリ 雄:雌=1:1、 働きアリ 雄:雌=1:3)、実際に調査して判明した事実である。

結局のところ、働きアリのフェロモン等によって、女王アリは支配され、働きアリにとって都合の良いように利用されているのである。


このような、常識的概念を覆す生物学的アプローチを人間の社会にも当てはめれば、非常に有効なツールとなり得る。

以前、遺伝的浮動について、政治哲学で応用が利くのではないか、と述べた。
これには「遺伝子プール」の概念の導入が理解するのに手っ取り早いが、誤解を恐れず要約すると以下の通りとなる。

生存率・繁殖率に差のない対立遺伝子(例えば血液型)は、基本的に淘汰されることはない。
しかし、偶然孤島に流された10人の人間のうち、9人がO型、1人がA型だとする。
この状況で、1人のA型の人間が死ぬと、その集団においてA型の遺伝子は永久に失われてしまう。
これによって、隔絶された小集団は母集団と遺伝的に異なるタイプを示す。
これが蓄積されることで見かけ上の進化が加速される、というものである。

この効果は隔離された(または個体数が減少した)小集団でますます顕著な傾向となり、
進化には偶然の要素が大いに関わっていることを示しているモデルであり、中立進化説の論拠でもある。

もちろん、実際には偽遺伝子の存在など、進化には多数の要因が紆余曲折して存在していると私自身は考えている。

ちなみに、創造的進化論者に対して偽遺伝子などの遺伝子・生命の「非効率的な歴史」について説明を要求すると、極めて不快になるので、やってみると面白いかもしれない。

この遺伝的浮動を、強引にドーキンスが主張するもう一つの我々の支配者「ミーム」(すなわち思想等)にも当てはめられないだろうか。
もしそうならば、小集団になればなるほど面白い結果になるだろうし、世の中の思想が単一化すればむしろ自由主義より「見かけ上の進化」は早まるかもしれない。
また、世間の思想が偏在化すれば、それは止められない流れになるかもしれない。

この「法則的潮流」に対して「多様性に価値を置く自由主義、という単一主義」がどのように対処できるのかは、大いに見ものである。


社会・政治哲学だけでなく、科学を含む各種学界においても、多様性が失われていれば変化は少なく革新性に乏しくなるかもしれないし、少数の論者がニッチな分野で多数を占めれば、それがマジョリティになるかもしれない。

このように、本日記は導入部分こそ「アリの巣の支配者」として入りやすくしたが、「遺伝学的浮動」一つとっても上記以外にもさらに多くの可能性・問題の提起が可能なのである。より多くの知見を用いればもっと楽しいことは言うまでもない。


追記

現在日本で開発されている「機動戦闘車」は、アレだな。主力戦車を「戦艦」に例えると「巡洋戦艦」みたいなものかもな。
「ユトランド沖海戦?うっ、頭が!」
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ルーク vs ルウク

2016-01-23 07:59:20 | Weblog
漫画「ワンピース」を嘲笑する際に、登場人物「ルフィー」を「ルヒー」と記す場合があるようだ。

映画「スター・ウォーズ」ではどうだろう。
「ルーク」が「ルウク」になるのだろうか。

しかしこれは、すでに実在しているのだ。
ルークはエピソード5で右腕を切り落とされたが、その腕を帝国軍はひそかに回収しており、
そこから作られたのが「ルウク・スカイウォーカー」なのである。

ルークとルウクは対決し、ルークは危うく殺されかけるところであった。

自分との闘い(※物理)というのは、珍しい。


そういうえばエピソード7でラスボス、「スノーク」の正体についてあらかた予想がついていると以前述べたが、
もし予想が当たっているならば、レジスタンスやルーク達は、銀河帝国皇帝パルパティーン以上の試練を迎えることになる。

試練といえば、敵側のカイロ・レンもエピソード7は試練であった。
スノークにの問い対して、

「どどど、動揺してないわ!」

的な答え方をしている時点で既にアレだが、
映画のラストにスノークは、

「彼の最後の修業が終わった」

的なことを言っていた(修業が成功したとは言っていないことはポイントではあるが)ので、
案外パルパティーンより“優しい”シスだったりするかもしれない。



追記
映画「オペラ座の怪人」にみる中国の非人道性


映画「オペラ座の怪人」の終盤付近のラウルのセリフ

「Free her!」

の箇所を、

「Free Tibet!」

に変えると、ファントムの黒さがよくわかるというものであり、
また逆jに中国共産党の醜さがより際立つというものである。
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温故知新

2016-01-21 06:26:10 | Weblog
古い知恵は、それだけでなく、新しい技術と融合させて初めて有効な手法になることを忘れてはならない。

追記1
映画「スター・ウォーズEP7」のスノークは、映画「ハンニバル」のアイツ(メイスン・ヴァージャー)に似てると思うのは、単に頭の傷のせいだけだろうか。

参考
スノーク
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AF

メイスン・ヴァージャー
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj_y568nbnKAhWo3aYKHYRYDuQQ_AUIBygB&biw=1600&bih=775

ちょっと微妙か。


追記2

昔の戦艦をはじめとする主力艦は、現在の核兵器に類似した側面を持っていた。予算の問題もあるとはいえ、増勢やまない各国海軍戦力に歯止めをかけるために、戦略兵器削減条約のようにワシントン海軍軍縮条約が締結されたのが、その証左である。


追記3

温故知新ついでに、ミッドウェー海戦に代表されるように、上層部の判断に「揺らぎ」があると、如何に勢いに乗っていようと、末端で大損害を被ることになることを、「上層部」の方々は忘れてはならない。
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最高指導者スノークの正体

2016-01-19 07:04:00 | Weblog
標記の件、

「大体見当がついているが、現段階では“X人”と称してこれに備えるものとする」

これだけだと寂しいので、追記。

ニコニコ動画 東方二次創作の歌「もうみんな死ねばいいのに」の歌詞を大戦時枢軸に置き換えてみた

参考
ぱるぱるぱるぱるぱるぱるぱるぱるぱるぱる!!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9178360

ドイツも日本も戦線広げやがってああもう悩ましい(イタリア視点)
空振り、パレード、皆でわいわい?最近殆どありゃしない!(日本視点)
Dデイ?枢軸同盟?ハッ 好きな国には裏切られました―www(ドイツ視点)
「一人酒すればいいじゃない」?俺は呑めねえんだばかやろう!(ヒトラー視点)
先月末に入った兵員の使い道が 東部 西部 イタリア 戦線 おしまい(ドイツ視点)
あー ユダーヤにスラブ人 みんなしねばいいのに―
ユダーヤにジョンブル みんあしねばいいのにー(ドイツ視点)
気づけば各地で敗北ですよ 毎日毎日飽きないね! あなたの心に銃声を!(ロンメル、モーデルら視点)
連合は講和してくれやしない(枢軸共通視点)
壕から覗いた蝶々 無意味に 小学生が懐かしい(西部戦線異状なし)
生活リズムがどういうことなの 朝日が昇れば眠くなる!(ヒトラー視点)
音沙汰なくて 久しぶりに会ったシュペーアが「ネロ指令無視したよ―」報告するな しにたい(ヒトラー視点)
43年で隣の国が降伏した時!(ドイツ視点)
石油取りに進撃したら自分の目の前でちょうど油田が破壊されたとき!(ブラウ作戦)
攻撃する気満々でいざ総統会議行ったら「今じゃないよ」って言われた時!(クルスク)
フィンランドとの署名が全部ペテンであった時、ぬかるみにはまって動けない時!(ドイツ視点)
どうして自分はこうも資源がないのか!(枢軸共通視点)
日頃の行いが悪いとでも言うのか!(ブーメラン)
何が悪いのか分からない、この向ける先のない矛をどこへしまえばいい!(ヒトラー視点)
現実を見ろとか言うな悲しくなる!頼むから俺に石油をくれ石油を!(枢軸共通視点)
ユダーヤにスラブ人 みんなしねばいいのに―(ドイツ視点)
鬼畜米英 みんな死ねばいいのに―(日本視点)
ユダーヤにスラブ人 みんなしねばいいのに―(ドイツ視点)
鬼畜米英 みんな死ねばいいのに―(日本視点)

うん、ダメダメだな。
やはり急造の粗製であれば、空母「信濃」なみのひどさである。

「スノークの正体について判っているが、言えない」というのが本日記の骨子である。
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キースツアーにみる海外と日本との時代比較(安全神話のまやかし)

2016-01-17 18:28:02 | Weblog
長野県で起きたバス転落事故について、
運転手の待遇と乗客の一部の人間の格差が象徴的だと話題になっていた。

「航空機事故調査」を調査するのが趣味の我々の間では、安かろう悪かろう、は常識であり、
いやむしろ「失うのはお金や信用ではなく、人命」である点ではるかに損というものである。

今回キースツアーが法令の定める最低金額27万円を下回る19万円でツアー決行(を事実上強要させた)ように、
航空業界でも経営難から模造部品の航空業界への蔓延を許し、結果、北欧において重大な事故が起きていることは航空機事故調査マニアの間では有名なところである。

この、現在日本で起きているコストダウンによる安全欠如の事例と、北欧の事故に代表されるコストダウンによる航空業界全体を揺るがす事例(エアフォース・ワンにも模造部品が使われていた)とは、非常に似通っているが、問題はその時代である。
欧米の航空業界のそれは、1980年代、すなわち今から30年ほど前なのだ。

以前、不正規戦的観点から日本の政情は欧米のそれの20年後を行っていると述べたが、
政治だけでなく、このような経済の動向もまた、欧米の数十年後ろを行っていることが証明され、我が国はしょせんアジアの「後進国」であることは認識しなければならない。

また、欧米では合理的かつ再発予防につながる解決策が図られる傾向が(航空機事故では)あるが、

日本の「村社会」場合、福知山線にしろ今回にしろ、
野ざらしにしている体制への批判と改善に議論が行くのではなく、
誰かに責任を落とし込んで抹殺して世間は溜飲を下げ、
正義気取りで解決


という村八分的解決傾向が強い。
それって、ダース・ベイダー率いる「死の小艦隊」の運用法と全く同じである。
我々はシスだった!

それはさておき、これはすぐに変えられる体質ではない。
インパール作戦に代表される官僚主義の悪い側面が、GHQ主導により一度日本が「なくなっても」なお、脈々と存在しているところを見ると、より確信を強くしてしまう。

別に欧米万歳でもなければ、日本は結局中韓並と主張するつもりもない。
そもそもそういう比較問題ではないと考える。

ただただ、我々は「安全神話」だとか「日本製」に安心することなく、「現実的対処」を行う必要がある。

ちなみに、上記の事故については、垂直尾翼を固定するボトル4本のうち3本が模造品であったことが事故原因の一つとされている。

「たった4本で支えるなんて、メーカーは考慮せよ」

と考えるのは「民衆的村社会」の考え方である。
逆に数十本のボルトで留めているエンジンのメンテナンスがめんどくさいという理由で、エンジンメンテナンスの正規の手順を守らず別の部位からばらしていたことが原因で起こった飛行機事故もあるのだ。

このように、むしろ厳重に安全を守った設計(上記垂直尾翼も部品が模造品でなければ問題なかった)にすれば、裏マニュアルが出回るのは世の中の常である。
日本も、東海村臨界事故で同じ経験をしているはずであるが、どうも教訓を活かせているようには見られない。

「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」
の合言葉のもと、「改善」を行ったことで正規状態から大きく逸脱し、極めて致命的な状態の製品に改悪することは良くあるし、昔も現在も日本はそれが大好きである。
これまでは熟練の人が一人の責任において行ってきたことであるが、今後は、少なくとも同様の悲劇を繰り返さないためには、欧米流に改めなければならないのかもしれない。

臨機応変な対応が叫ばれている昨今であるが、航空機事故の大部分の原因や今回のような事例を見るに、今だからこそむしろ、アスペルガー的杓子定規な頑固さも必要ではないかと考える次第。
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ロシアより愛を込めて

2016-01-17 17:03:40 | Weblog
昨日今日はセンター試験であるな。
懐かしい記憶である。

私の場合なかなかの好成績が出せたのだが、唯一残念でならないのが、(私の)主力科目生物で1問が判らず、97点であったことである。
様々な模試において生物1位を取っており、他科目の知識が重なっても「生物」であればスラスラと解け、実際東大生物過去問から生物オリンピック問題までスラスラ受験勉強中解いていただけに、センター生物の100点は当たり前だと思っていたのだが。

実際100点の人間は何人もいるので、100点と97点とでは雲泥の差である。


さて、本日もチラシ投函口に日本共産党のチラシが押し込まれていた。
中身を見てみると、「暴走政権を潰そう!ストップ、アベにNOを!」とかぬかしておった。

建設的な話をするなら、
「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」
であるな。

となれば彼らの理想は何かといえば、共産主義の日本への蔓延および相違する勢力の粛清であるのだから(実際自分たちが受け入れられない自民党相手にアジってる)、

やっぱり共産主義は腐っている。

共産主義は世界のガンである。

それを産むだけでなく世界にまき散らしたロシアは案外、「世界の国力を減じる」という観点から、すで1917年から「総力戦」または「超限戦」の草分け的存在だったのかも知れない。
共産主義が世界にまき散らした損害は、地雷のそれを軽く上回る。
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スローンの攻撃

2016-01-15 21:35:00 | Weblog
「歴史は動いているのだ、艦長。それに追いつけん者は、取り残されるか指をくわえて見守ることになる。だがわれわれの行く手を阻む者は、見守ることもできんだろう」

スローン大提督の前には、かのグリーヴァス将軍も完膚なきまでに負けたかもしれない。
とすれば、独立星系連合との戦争は極めて早期に終わり、ダース・シディアスことパルパティーンは出来レースで非常事大権を受け取る段取りも出来ぬまま戦争が終結、ジェダイもシスも釈然としないまま存在し続けたかもしれない。
その意味では、スローンとパルパティーンの接し方が違えば、彼こそフォースに安定をもたらす者になっていたかもしれない。

なお、日本語では「スローン」と「クローン」は一文字違いであるが、英語だと大違いである(“Thrawn”と“Clone”)。
しかし、おっちょこちょいキャラで安定なドロイドが、眼前の敵に対して、

「Clone!」

と驚くより、

「Thrawn!」

と驚いた方が、お茶目さも絶望もより深くなるというものである。


さて、本題は以下の2つである

その1
絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1982551?ver=video_q


ニコニコのニュースである。
大いに関心があるが、対策を読んでいると映画「スターリングラード」(2001年)の冒頭シーンを思い浮かべる。

以下、要旨

フルシチョフ「ここは(人が畑で採れる)中国でもロシアでも韓国でもない、日本だ」
からの、
ダニロフ「希望を与えるのです!」

的な。
「スターリングラード」(2001)は歴史的には少し眉唾ものであるが、どうせならアルマゲドンのように各年で新作を作ってみてもいいかもしれない。
もっとも、「スターリングラード1942~1943」(史実)には到底かなうまい。
同時上映は「レニングラード1941~1944」だとなおいい。

対抗馬として別枠で上映してもらいたいのは「インパール1944」と「タリ=イハンタラ1944」(本物の映画)である。
こちらは、日本軍の官僚主義的な側面(現代もなお引きずっている影である)と、フィンランド軍の的確な対応のコントラストが際立つであろう。

まあ、興味を引く記事だから見てみたら頭の中で連想したのは「スターリングラード」(2001)だった、という話である。


その2
地雷について

地雷についてのドキュメンタリーに触れる機会があった。
多くの市民団体が主張している、「大多数の犠牲者は何の罪もない民間人」という理論について、現実問題として第二次大戦以降の戦争はまさしく「総力戦」であり、その概念的には「戦時に民間人など存在しない」というセリフで答えることができる(「ヒトラー ~最期の12日間~」より)。

もちろん、何の「現在の」問題解決にはなっていないが、これは少し注目すべき点でもある。
総力戦(ゲリラから金融まで)という概念で考えた場合、敵国の「戦後の国力を減じる」という点におけるコストメリットで、地雷は何の矛盾もなく使用される。

現代の戦争が民間人を巻き込むことが「当然」になってしまっているのは、不可逆的な流れである。
これについて人道上の観点から何の具体的展望もないまま批判し続けるという行為は、
アメリカ南北戦争において「潜水艦は卑怯者の使う兵器だ!」という当時の風潮とほとんど同じではないかと考えられる。

ここにはある種の「囚人のジレンマ」の陰湿的アプローチ法という回答があるかもしれないのである。

そんなことをふと感じた昨今。
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上級国民

2016-01-12 05:49:50 | Weblog
アメリカで9人けが、4人を自動車で死亡させた少年が「金持ち病」故に極めて軽い刑になったようである。

日本も千野志麻は逮捕されず一般国民は問答無用の逮捕を考えるに、

さすが上級国民は違う、というものだな。

確かに、共産主義に馬鹿がシンパシーを感じてしまうことも判らんではないが、
共産主義はより悪い選択なので注意が必要である。

とはいえ、現在のアフリカにみる資本主義・自由主義による白身魚(ナイルパーチ)・コーヒー・カカオ等における明確な「奴隷制度の存在」とマネーゲームによるアフリカ生産者へのしわ寄せは、資本主義の悪い側面であるし、自由主義の見事な矛盾でもある。

自由主義もダメ、共産主義はもっとダメ、とくると出てくるのが、「奴隷制度を肯定する」側面も含む意味で整合性の取れる「国家主義」である。

ナチス・ドイツはダメでも、現在のロシアは成功しつつある例かもしれない。

むろん、自由・共産・国家以外のほかの選択肢も大量に存在するだろうから、それらを発見・選ぶことが肝要である。
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