ロード・マーシャル時事報告場

ロード・マーシャルによる日記等である。閲覧するにはトップページにある警告(規約)に同意すること。

ムスカ、グデーリアン、グリーヴァス

2017-03-29 04:54:46 | Weblog
前々回の日記で旅団とそれを指揮する将校クラス、およびグデーリアンについて触れた。

以下、妄想的融合

グデーリアン「手ぬるい!あんな戦線、すぐにでも突破できたのだ!」
ムスカ「事を急ぐと元も子もなくなりますよ、閣下」

・・・。
グデーリアンへのあからさまなネガティブキャンペーンは置いといて、ムスカ大佐は特務という性質を加味して考えるに、旅団を率いるにふさわしい指揮官と言えよう。
部隊名は、「ラピュタ捜索旅団」であろうか。

ゴリアテ一隻だけならギリギリ指揮できそうな位であるし、その点はムスカ大佐自身がモロウ将軍との通信をわざと切って非常事態として運用したことからも妥当と推察される。

逆に言えば、たかが特務の大佐が総軍指揮官も超えて「ラピュタ王」を名乗るのはおこがましい。
ムスカがラピュタ王家の血を継ぐ者であったことは認めよう。
しかし、それはあくまでも分家である。
ラピュタ語で「真」を意味する「トエル」がムスカの名になく、逆にラテン語で「従属」を意味する「パロ」がついていることからもそのことは明らかである。

また、その軍事力が(本当の意味で)機械化された部隊だったことは、我々にスター・ウォーズのドロイド軍指揮官、グリーヴァス将軍を容易に連想させる。

彼もまた、ドロイドという虚無に近い存在の指揮官かつ、操り人形だったことは興味深い。

ムスカ大佐がスター・ウォーズを観たら、案外「力こそ正義」という荒っぽいグリーヴァス将軍の境遇に、自身を重ねて共感するかもしれない。

まあ、独立星系連合主力のドロイド軍総司令官と、ラピュタ捜索特務では、そもそも格が違うともいえよう。
かたや飛行石なしには何もできない射撃の名手、かたや自らライトセイバーを操りジェダイ狩りを楽しむ存在である。

ああ、ただ、両者ともに最期が「目が~」だったり「目から火が出る」だったりと案外似通ってはいるのだな。
主の存在の有無にかかわず操られた人生であることも、あんな状態でも妻子がいることも同じであるな。

モロウ将軍ではなく、グリーヴァス将軍のもとで働ければ、ムスカもグリーヴァスもお互いを認め合い、案外いいコンビになったかもしれない。
即決と現場主義のグリーヴァスと、参謀としてのムスカである。

本日の日記はムスカを利用したアンチグデーリアンからいつの間にか「グ」しか同じ点がないグリーヴァス将軍との話になったが、“まあよかろう。”

“怒るな、まあいわば、冗談だよ。
 みんな、胸焼けのせいだ。
 今日のお茶いつもと味が違っていたね。
 大正13年に、何があったのかな?”

これで勘弁である。
コメント

精神疾患に関する患者自身の認識と対策

2017-03-28 04:23:10 | Weblog
標記の件、これまでであれば散々「つらい」とか、あるいは社会に対する「不満」ばかりであった。

今回は少し視点を変えて、患者自身がより良い人生を歩むために必要な認識と対策とについて考えてみたい。

「うつは心の風邪」→賛同できない。

「うつは心のガン」→おおむね賛同できる。
最近よく提唱されている話である。
「風邪」等として放っておくと、確実に進行し、死に至る点は賛同する。

しかし、うつによる自殺がその人の「こころの寿命」であったとする認識については、なお疑問の余地が残る。
体験談からして、うつ病などに代表される精神疾患・精神障害のもっとも怖いところは、

「放っておくと死に至る病」

なのではなく、

「自ら命を取りに来る病気」

であるという事である。

大げさな表現に聞こえるが、
精神疾患において「完治」という言葉が存在せず「寛解」に置き換えられている事実や、
実際問題精神疾患者では採算が合わぬとして各種保険から学資ローンに至るまでさまざまなサービスの利用を当の提供企業が拒否していることからもかなり正確な見方だと個人的には思う。

ではどうすればよいのか、であるが、基本的に一生再発のリスクに危機感を持ちつつ再発予防にあらゆる手を尽くすことが現段階では最善の人生を送る唯一の道だと考える。
絶対に治りはしないのである。これはいくらきれいな言葉を綴っても隠せない、事実である。
上記「寛解」の診断が下された後数年以上たって突然再発という事は十分にあり得る。

再発におびえるがん患者と同じように、一生再発に対して常に観察を続け、予防に努め続けることこそが、生きる最重要項目である。

逆に言えば、そこまで恐ろしい病気なのである。
常に監視し続けることは辛い。毎日一生薬を飲み続けなければならない状況もあり、それに加えて自らの心の観察である。
しかし、それをしなければいつかは再発すると考えて差し支えない。
常に監視し続ければ、それなりに「慣れてくる」。そうすれば「いつもと違う」ことにもすぐ気付くことができ、再発を未然に防ぐ手立てにもなる。

「それは果たして楽しい生き方か」という問いは、精神病・障害について深く知らない、浅はかな意見である。
精神疾病者は、とにかく恐怖心を持ち続けることこそが肝要である。
ガンと同じように「病気は怖い」という事を常に認識し、「だから防ぐために予防」をし続けること。
それなしでは、そもそも論で「治療」とは言えない。
その意味では再発という恐怖心は常に持ち続けるべきだと考える。
よく「ガンとともに生きる」とか「鬱と歩む」的なフレーズがあるが、根本的に間違ってはならないのは、奴らは「命を取りに来る病気」であることだ。
従って決して奴らと「仲良く共生」するなどという隙を見せてはいけない。それは再発への道となる。

「共に歩む」とは、常に病気と小競り合いをして境目を作り続け、戦いを行い続けることである。
大丈夫、奴らは絶滅はしない。
自らを律し続けること、すなわち、自らの過去を“学び”、原因を分析した後に対策を考え、それを“実行し続けること”。
これこそが、最終的に精神病患者のQOLにもつながると考えて差し支えない。

精神病は風邪などではなく、心のガン以上の積極性を持った、「命を取りに来る病気」と、少なくとも罹患者は認識しなければならない。
だからこそ、治療は一生続けて自らの命を守るのである。
「充実した生活」云々はそれからであるし、むしろ精神病の場合、そのような状態はおおむね再発の前兆であるので、恐怖感を持って対処すべき事項である。

それほどまでに、精神疾患は怖い病気なのである。

なお、これは一般健常人は絶対に理解不能な領域である。
従って、健常人から「もう大丈夫でしょ」、「普通と変わらないよ」等という心無い言葉(実際には励ましであったり、率直な感想であったり様々だが)に惑わされてはいけない。
いつまでたっても、恐るべき再発の恐怖を意識して、それに対する予防策を講じ続けることこそが、重ねて言うが重要なのである。


追記

とはいえ、当ブログは「真っ黒」かつ「慈悲深い」ので、上記のような能天気な言葉を言っていた健常人が精神疾患に罹患すれば、"Welcome To The Black Parade"を聞かせてみる次第である。真っ黒なのは歌のタイトル、慈悲深いのは歌詞の内容であるが、書いててふと、これではツンデレに近い何かになってしまう点が気になるな。
コメント

幻影総軍

2017-03-26 12:07:44 | Weblog
マンガ・アニメ「HUNTER×HUNTER」で「幻影旅団」というものが登場していた。
旅団というからには標記のようなものが(略

ちなみに実際の旅団は数千人程度の人員で構成され、大佐から少将レベルがこれを指揮する。

しかし、標記の様なものや、「幻影」ではないものの、似たようなあだ名の兵器・部隊は存在する。

以下、その例。

幽霊(KV-1)

独ソ戦でT-34とともにドイツ軍を驚かせた重戦車。
KV-1の正面装甲は75mm、当時のドイツ軍の標準的な対戦車砲は37mm。
いくら撃っても撃破できない「不死身」のKV-1は「幽霊」としてドイツ軍から恐れられた。


幽霊師団(第7装甲師団)

アフリカ戦線で砂漠のキツネと言われたエルヴィン・ロンメルが、対フランス戦で率いた師団。
ロンメルの「戦場でのコツは常に部隊を機動させること」を体現した、その神出鬼没さから名付けられた。

ただし、ロンメルがはたして現在信仰されているほどに優秀な指揮官だったかは疑問が残る。

例えば、同じく優れた将校であったアルベルト・ケッセルリンク(空軍所属ながら陸軍も指揮、イタリア戦線で連合軍を最後まで遅滞させ続ける優れた防衛戦を展開させた)によれば、ロンメルの指揮能力は「軍レベル」であり、それ以上は手におえなかった評している。

また、上記ロンメルの「戦場でのコツ」は、ソ連軍が完成させたドクトリン「縦深作戦」においては、圧倒的な砲兵戦力によって「そもそも敵を機動させない」ということにおいて、有効ではなかったと考えられる。

よくロンメルと1万両もの車両(独ソ戦で使われた半分にも上る数)をアフリカという不毛の地に投入したことを惜しむ声もあるが、泥濘のロシアと上記縦深作戦の前には、「いくらロンメルがすごくても無理なものは無理」だったのではなかろうか。これは実際グデーリアン、マンシュタイン、モーデルら優れた将校が東部戦線で遂に戦略的勝利を達成できなかったこととも一致している。

グデーリアンが出てきたのでついでにいえば、グデーリアンも現在信仰されているレベルの天才ではなかったかもしれない。
彼は独ソ戦初期、ミンスク攻略に際して先を急ぐあまり包囲を疎かにして、ソ連軍の脱出を許しているのだから。
コメント

映画「君の名は。」と「シン・ゴジラ」に関する“評論家様”のご意見

2017-03-23 04:00:08 | Weblog
標記の件、基本的に「君の名は。」はこき下ろして、「シン・ゴジラ」はもてはやす評論家様が多いこと多いこと。

両方とも観たが、個人的に両方ともダメな塩梅であった当ブログという、少し遠い視点からこの風潮を見ると、

「君の名は。」は、「あり得ない理想に共感するオタクが多いだけ」としつつ、
「シン・ゴジラ」は、「奥が深い」
とか、片腹痛い。

「シン・ゴジラ」だって「一億総特攻」に容易に類推可能な背景に「共感と陶酔」をしているのではなかろうか。

そんな“馬鹿馬鹿しい理想だけ”によってのみで片方をけなしつつ、片方をもてはやすとは、自らの視野の狭さを(当ブログ並みに)アピールしているようなものである。

「日本ガ―」、「社会ガー」の指標で、真逆の評価を下す。

そんなもの、一皮むけてないというか、「くっだらねえ」の一言に尽きる。


では評論家様に知見で足元にも及ばない当ブログが何か勧められる映画があるのかということで、3つほど挙げてみたい。


1.「アドルフの画集」

ヒトラーを最初に人間的に描いた映画であるものの評価も知名度も低い「アドルフの画集」であるが、数多の邦画よりはるかに洗練されていると当ブログは感じる。

画家を目指すヒトラーが、己の描きたいものを見いだせずに苦悩し、鬱積する不満。
描く技量を評価しつつ、「中身がない」としながらも、ヒトラーの境遇に友情を禁じ得ない画商マックス。
ヒトラーの鬱積を「政治というアートで、大衆というキャンパスにぶつけろ」と深く考えず勧める軍部。
その鬱積した思いは、軍部の「彼は虚無の申し子」という評価とは真逆に大衆を大いに共感させ、軍部自体を怖気づかせるほどの扇動を引き起こす。

しかし、政治に傾倒したからこそ、ヒトラーが本来画家として描きたかったものが明確化し、才能が開花する。
そこに気付き、ヒトラーが「ただの下絵」と評した画にすら「芸術家としての大成」を発見するマックス。

そしてあのラストである。

まさに、「皮肉な運命を手繰り寄せたのは、芸術への情熱」である。


(ヒトラーの人間的側面を史上初めて描いたが)いまいちぱっとしなかった「アドルフの画集」でもこれである。

「日本社会ガー」の「シン・ゴジラ」より数百倍奥が深い。



2.「コンタクト」

当ブログは理系ブログであるが、科学者が観るべき映画として「2001年宇宙の旅」のみならず「コンタクト」も勧める。
「我々とは何か。」この人間に関する根源的問題でありながら、客観を前提とする科学から帰ってくる答えは冷徹以外の何物でもないにも関わらず、当ブログは「コンタクト」を推奨する。
そこには、科学者としての矜持以外の、重要な部分も描かれていることは非常に素晴らしい。

純粋な科学者だった主人公がラストの公聴会で人間的主張をしなければならないシーンを観た時、我々科学者は科学者としての「立ち位置」を認識する機会に恵まれるかもしれない。



3.「太陽」

この映画については過去に散々述べているから敢えて多くは語らないが、映画のラスト、人間宣言を録音した若者技師が自殺した事実と、それを止めなかった侍従、悲しみに打ちひしがれる“ヒロヒト”。
しかしここで初めて、これまでセピア調の映像で一切出てこなかった「太陽(Sun)」が焼け野原となった東京を照らし出すラスト。
全てがここに凝縮されている。
まさに
「彼は、あらゆる屈辱を引き受け、 苦々しい治療薬をすべて飲み込むことを選んだのだ」
である。

これまた奥が深い。


そんなわけで、映画「君の名は。」や「シン・ゴジラ」について自身の指標にこそ偏りがあるにも関わらず片方を受け入れ片方を拒絶する姿勢は、作品そのものの出来栄え以前にまことにくだらない所業である。

そのような“評論家様”には、
「アドルフの画集」を見て「凡庸な映画の奥深さ」を発見し、
「コンタクト」を見て「矜持およびそれと受け入れないことを主張しなければならない葛藤」にこそ「自身の立ち位置」を認識し、
「太陽」を見て「その険しい道のりを進む」ことを、少しは意識してもらいたい。

あるいは、「高い城の男」の「易経」のほうがずっと「価値ある」評論かもしれない。


追記

近くの怪しい「国際カフェ」が豊洲問題について責任追及の断固たる姿勢を示していた。
しかし、これが「国際なのに生粋の日本人」の問題点なのであるが、責任追及もいいが、「現状をどうしていくか」というビジョンが全くないことには呆れてしまう。
それでいて「気持ちはアジアのリーダー」だそうなので、きっと心はポル=ポトに違いない。
コメント

一部反戦派は世界人口を「計画的に削減」しながら霞を食べるしかない

2017-03-20 18:15:16 | Weblog
当ブログは、必要があれば武器を取り戦うべきだと考える。

この「必要」がどのレベルなのかが問題なのであるが、反戦派の中には「何が何でも戦争反対」という人がいる。
家族子供父母がロシア軍に殺されてもきっと大丈夫なのだろう。だから彼らの親族は遠慮なく「総括してもいい」という理論にも通じるが、これはまた別の話。

さて、このような強固な反戦派の中には、以前紹介した「戦争から派生した技術はすべて使用すべきではない」という極端な山本太郎脳もいる。

しかし現在、肥料の原料として重要な硝酸を製造する方法は、第一次大戦中ドイツが軍事目的で開発したものである。

「化学肥料が云々」と言われる昨今であるが、現在の人口増加に対して唯一対応可能なのが化学肥料を代表とした「技術」に他ならないことは事実である。

従ってそういう一部反戦派は自然農法に頼るべく増加する世界人口を計画的に削減する明確なロード・マップを打ち出さなければ整合性が取れない。

逆に言えば、「戦争技術転用を避けるために今後10年間で30億人を低コストで削減する計画書」を提出しないで「戦争に使われる技術はダメ」と言っている反戦派は嘘つきというか、詐欺師というか、そこまで頭が回らないバカなので、やはり総括が必要である。或いは彼ら自身がジェノサイドの対象となっても致し方ない観点もある。

とはいえ、自然農法についてはとあるナチス高官が率先してやっており、現在なお自由主義諸国においてその方法を信奉する人間が多いのも事実である。
従って上記一部反戦派は化学農法と同時に自然農法についても「ナチス的であるから論外」との結論を出さねばならない。

結果何も生産できなくなるから、霞を食べて生きていけることを自ら実践して初めて彼らは「理の適った主張」をすることが出来る。


しかし、こういった過激な主張をする人間は往々にしてエネルギッシュである(エネルギッシュにバカな方向に突っ込むから問題なのではあるが)。
きっと霞ではなくエネルギー源豊富なものを食べているに違いない。

世界人類の「最大子福」的観点からみて、そのようなムダなエネルギー消費をする輩は総括どころか再定住対象にしてもいいし、またそれは致し方ないことなのかもしれない。
コメント

ゴジラ3題

2017-03-18 08:10:14 | Weblog
1.シン・ゴジラ海外不調について

前回の日記ついでに述べる。
まずそもそも「日本ガー、日本ガー」の「日本人ドストライク」な構成は、言い方を変えれば「海外から著しくズレている」と言える。
「理解しがたい」主人公たちの行動とその背景に、日本の陳腐なCG技術とくれば、内容・映像ともに評価されないのは当然の帰結と言える。
これを「悲報」と捉えたり(あるいは揶揄したり)、または「日本人にしかわからない」等としていれば、永遠日本の将来は過去に結論を得ることが出来る。


2.抗核エネルギーバクテリアトランスポーター

「ゴジラ vs ビオランテ」では、ゴジラに打ち込んだ抗核エネルギーバクテリアの効果がゴジラの体温と相関して語られていた。
しかし、ラストにおいて「海水により体温の下がったゴジラ」は再び目覚める。
ここに、生物学的な抗核エネルギーバクテリアの特徴を見て取れる。
すなわち、もし本当に抗核エネルギーバクテリアが「核を食べる」のであれば、無補給の続いたゴジラの体内でバクテリアの活動が低下しようがゴジラは目覚めないはずである。
おそらく抗核エネルギーバクテリアに組み込まれたゴジラの遺伝子は、「核を食べる」部分ではなく「核を吸収する」部分であり、熱依存的に取り込みと排出を行うトランスポーターを細胞膜上に発現させているのではなかろうか。
本来の目的から外れたバクテリアとなってしまったが、こればかりは「核(原子力)に関する遺伝子」等という前代未聞の分野に手を付けたわけであるから一概に白神博士を批判はできない。昏倒させただけでも大きな成果である。
後は膜上タンパク質と推測されるトランスポーターの機能解析について興味が持たれるが、膜上にて活性を発揮すると聞いた途端、一部分子生物学者からはその解析に嫌気がさしてくるかもしれないが、このような時こそ、白神博士の様な「天才」ではなく「地道な解析」を連続して実施することが必要である。
一般的に言われている「1%のひらめきと99%の努力」の落としどころはそこらへんかもしれない。


3.技術者の鏡

「ゴジラ vs メカゴジラ」において青木 一馬は自身が開発したガルーダに愛着を持ち、「ガルーダは僕じゃないとダメ」と発言している。
その昔、新型の航空機初飛行テストパイロットが病気になったため、急遽開発者がテスト飛行を実施することになったという。
開発者はその時からテスト飛行当日まで航空機の改設計・組み立てに缶詰になったという。
「設計する人と乗る人は違いますので」という別の技術者の言葉が示されている通り、いざ自分の命を預けることになると慌てふためくことが常の昨今、
自ら設計した兵器に自ら搭乗して出撃までする青木 一馬はまさに技術者の鏡と言える。



追記

トランスポンダー→トランスポーター

軍事(通信)と生化学がごちゃ混ぜであるな。
このような初歩的ミスは疲れている指標であるので、ケアが必要だな。
コメント

海外シン・ゴジラ

2017-03-16 06:05:04 | Weblog
海外で映画「シン・ゴジラ」が大コケしたそうである。

やはり国(体)護持のための一億総特攻という思想に共感するのは日本人のみなのだろう。
それだけ異質という事である。


追記

よく「日本人凄い!」的な番組があるが、
間違ってはいけないのは、

「凄いのはあくまで個人であって、別に日本も日本人も凄くはない」

成果は国民のもの?
まるで部下の成果は上司のもの的な考えであるな。
儒教はもう古いはずである。いつまで引きずっているのであろうか。
コメント

近くの怪しい"国際カフェ"

2017-03-14 04:03:44 | Weblog
怪しい店があるのだが、最近店の前で掲示板を使って様々な政治的主張をするようになってきた。
いよいよ末期である。

その中で、「天狗からのメッセージ」なる言葉が書いてあった。
内容は、「トランプのゲームに負けて云々」(以降読む気も失せる)であったが、この最初の一言で強烈な違和感を感じる。

トランプのゲームに負けてとは、すなわちトランプ氏がアメリカ合衆国大統領になったことへの不満の現れであるが、アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人の為の政治においてアメリカ国民が選んだ大統領にこのようなことを述べるのは、「内政干渉甚だしい」し、世が世ならそれを口実として宣戦布告されかねない。

どうも「天狗」は狭い視野を持った自己中心的な考えであるようだ。
そのような輩が「国際○○」等といっているあたり大変片腹痛い。

こういった輩は何故ああも声だけがデカイのであろうか。
空想社会主義者よりも手に負えない。
コメント

日本凄い的なノリ

2017-03-13 04:43:44 | Weblog
社会に閉塞感が出てくると、ナショナリズムが台頭することは過去の歴史から見て特段珍しいことではない。

もちろんこれにナチスの事例を重ねて「危ない」と警告することも実際はナンセンスである。

「歴史は繰り返す」とはよく言ったもので、「ナチスでなくとも」ナショナリズムが出てくる一連の流れはもはや見事な様式美である。

トランプ氏勝利しかり、遥か昔のガリア人しかり、である。

ただ、このようなナショナリズムを補完ないしは定義付けする目的で、自国の文化を「世界に類を見ない」的に喧伝することには注意が必要である。
これまた致し方ないことなのであるが、行き過ぎるとオカルトヒムラーのような滑稽さを含みはじめる

せめて自国内だけで完結してほしいものである。


あと、上記のような極端な思想は、

「菜食主義者にヒトラーがいた事実を鑑みて、菜食主義者は表では「動物たちの命が、食糧供給が」と言っておきながら裏で「肉食主義者絶滅計画」を“実施”しているに違いない」

という妄想や、

「インテリに反論されると怖いからインテリを粛清したいがその指標として、眼鏡をかけてる奴→勉強している→インテリに違いない、として眼鏡使用者をジェノサイド対象に含めたアジア的優しさ(朝日新聞談)のポル・ポト」

という事実と極めて親和性が高い。それが意味することは稚拙な理論に大多数が同調する可能性が高いという事である。
同調性が大好きな日本人において第二のヒトラー(右派)あるいはスターリン(左派)が出現する率は、トランプ氏率いるアメリカより高いとみなしてよかろう。

「現状を批判すること」は決してリベラルではないことを意識して日本のマスコミを見ると、どうもマスコミは童貞合田一人のように上記のような「英雄」をプロデュースしたいのかもしれない。
というか、日本のマスコミ自身未熟な存在であれば、何をどう報道すればいいのかわからず、主観を丸出しにしてしまうのであろう。
こればかりは報道網の歴史の浅い日本マスコミの稚拙な事実として認めなければならないが、せめて主観の背景にある「○○派」ぐらいは公にしてもらいたい。
人間の介在するところには全く「公正中立」等という事はあり得ないのだから。


そういえば日本共産党が原発撤廃を「条件付き」に修正したそうだ。
山本太郎氏達は日本共産党を「修正主義者」として総括対象にしても良いのだぞ。
コメント

日本の主要産業

2017-03-12 05:31:00 | Weblog
日本の主要産業は第二次産業であると義務教育で教育を受けたが、これは大きな誤りである。

まぎれもなく日本の主要産業は(それが効率的に富を生み出しているかは別として)第一次産業、より狭義にいえば畜産業である。

これは都市部・地方隔たりなく昨今顕著な成長を遂げている(それが効率的に富を生み出しているかは別として)。

すなわち、社畜である。

効率的に富を生み出していないという事は、非効率ということだが、人でないから、いいんじゃないのか?

「歯車」、あるいは「磁石に吸い付く鉄の一分子」に過ぎないのだから。

一億総特攻を叫んだ国にふさわしい、北朝鮮も真っ青な体制である。

こんな国に誰がした?
ゲバルトでもする?
否、したのは諸君ら自身なのだよ。
コメント