ロード・マーシャル時事報告場

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暴走民主党

2015-07-31 22:09:46 | Weblog
民主大粛清が止まらない件について、何か言いたいことはあるか。

https://twitter.com/nakatsuma/status/625802744448679936

国民、市民のレッテル張り、公開。
ナチスとどこが違うのかよく分からない。
あとは「計画的虐殺」だけではないか。

「日本民主党小一点」

自身が「民の王」だと「勘違いしているだけでは」というツッコミは、して良いし、
そもそも計画的虐殺をしたくても日本の民主党に「計画」という概念がないのではないか、というツッコミも、して良い。
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全力

2015-07-29 18:29:14 | Weblog
「何事も全力で当たってこそ初めて実を結ぶ」

果たして本当にそうであろうか。
ならば、きっと日米は1941年からなかなか素晴らしい「対話」が出来ていたに違いない。
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埋もれている才能

2015-07-27 20:12:30 | Weblog
「才能」の定義は人それぞれだが、
「それを活かせずに才能を埋もれさせているまま」な人もいるというのはおおむね意見が一致していると考える。

あらゆる分野に量の多少はあれど、必ず才能のある人間がいると仮定すると、
現代の日本では、自衛隊幹部ぐらいでないと、「軍事分野に対して才能を持つ人」は、
「才能を埋もれさせている」もったいない人、ということになる。

マンシュタイン、ロンメル、グデーリアン、ルーデル、デーニッツ、
ジューコフ、パットン、
山本五十六、栗林、山下、小沢、

戦略から戦術レベルまで、第二次大戦で名将が多いのは(その分もちろん、牟田口のような無能も多かったが)、
時代がそれを求めているからであって、当時が「軍事界のバブル」だったというわけではない。

その意味では、時代に合わないがために使われないまま消えゆく才能は数多く存在すると考えられる(先の第二次正解大戦で言えば、現代の芸術家のような「才能」の持ち主にとっては、あるいは不遇の時代であったかも知れぬ)。
もちろん、現在の時代において軍事関係に才能を持つものが組織の運営にその才能を活かしたり(「会社」という組織の起源は「軍隊組織」を基に作られた)、第二次大戦中のチャップリンやピカソ、あるいはディズニーのように、その芸術的才能を「プロパガンダ」として活用するなど、「少し工夫」して本来の才能から派生させて能力を開花させている例も存分に存在することも事実である。


追記1
よく左翼の声がでかいが、これは「馬鹿でかい声で彼らに与えられた全ツールを使用して馬鹿な主張をしているので目立っている」だけであって、声が大きければそれが正しいということはない。ただ、アドルフ・ヒトラーの考え方が真理であるとすれば、総合的な意味合いでの「声が大きい」者ほど影響力は高いということなので、左翼が騒いでいるのを見付けたならば、彼らの花の下にチョビ髭を付けてみると、結構しっくりくるかもしれぬ。


追記2
脳内御花畑の人々は、「動物を虐待するな」とよく言うが、そういう輩は一度歴史を勉強して、ソ連の「地雷犬」を見直してみてはどうだろうか。
「地雷犬」とは、犬に地雷を括り付けて、「戦車の下にはエサがある」と学習させたうえで運用する「生物兵器」である。
ただ、実戦では轟音を放ち火炎放射まで繰り出すドイツ軍戦車におびえて自軍に逃げ帰り、さらに「戦車の下にはエサがある」という学習させられていた時に使用していた「戦車」が味方の戦車であったことから、ソ連側が大損害、という結果もあったという。
当然、地雷犬の発案者は粛清されたそうであるので、その意味ではソヴィエト・ロシアは人間も犬も命は同じ価値であることを示した尊い例かもしれぬ。
同様の失敗はアメリカも経験しており、アメリカの場合では、「コウモリに時限式の焼夷弾を背負わせ日本の町の上空で放ち、コウモリ達が工場や民家の屋根裏に入ったのちに着火する」装置を開発していたという。もちろん結果は、実験中に味方基地の屋根裏に侵入して被害を与えたので計画はボツになった。
さらにアメリカでは、同じ方式で「ネズミを使用する」というアイデアもあったらしい(ネズミはコウモリより多くの火薬を運べ、さらに工場二いても疑われない)。
民間人をネズミやコウモリで殺そうという発想もまた、アメリカがコウモリやネズミの命の日本人と同じ程度尊重していた、という意味において大変な「動物権国家」だったので、きっと動物愛護団体にとっては感涙モノのエピソードに違いないので、ここで紹介しておく。
もちろん、だからと言ってむやみに動物を虐待するのは後味の悪い事であるのも事実であるし、またその感覚自体が、人間の感情のエゴであることも事実である(WASPはいい人種、左翼の軍事はきれいな軍事、と同じであるな)。
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扇動

2015-07-26 16:10:38 | Weblog
「俺だけはきちんと情報を精査出来る!!」

という奴に限って、案外情報を鵜呑みにしやすいものである。

もちろん、私も諸君もその一員であることは、自覚せねばならない。

とはいえ、精査するにしても「そもそも興味がなかった」り、「報道自体を信用していない」、「都合のいいところだけしかとらない」というのは、
全ての人間に当てはまるものであるし、我々が情報の精査を試みたところで、それはそれ以上の価値をほとんど産まない。

我々はあくまでも「無知の知」を「自覚」するだけでよく、それを「振りかざして優越感に浸る」という愚行は決してやってはいけない。

なおそれらを踏まえたうえで、
「むしろその方が楽である」と、してしまうのも一つの手である。

メリットは、都合の良い情報、単純な世界の見方が出来ること(これはしかし悲観主義等に対する重要な事である)、
デメリットは、ヒトラーのような人間を「民主的に賛成して輩出してしまう可能性がある」ことである。

しかし、だからと言って自民党=ナチス、という考え方はそれこそ極端極まりないし、
もちろん、とはいえ左翼=キチガイ、という考え方に傾倒するのも極端である。

物事には様々な側面があり、むしろ重要なのは、我々が「どの視点で立ってみているか」を自覚・表明することであると思う。

例えば、私が現代の日本マスコミを信用していない最も大きな点は、
「公正中立」などという、人間上あり得ない立場に立っている「つもり」で、情報を流しているところであり、
むしろ、「わが社は左側から物事を観察します」、「わが社は保守的立場から物事を観察します」ということを「ジャーナリズムの使命」のもとに「否定」してしまっているためである。
そのような人間が出来ないことを堂々と「やっています」と抜かすその姿勢こそが信頼できないのである。

従ってむしろ、NHKのようにもはや「どの立場なのか明確な」存在の方がはるかに「安心」出来るのである。

というわけで、このブログは反共の立場で物事を観ているので、共産主義はクソであることを改めて表明したい。

右も左も極端はいかんな。
無責任な(言い換えれば「自由な」)記事が書ける現状は、案外悪くないのである。
ただくどいようであるが、それを行うに当たって、「私は公正中立正義だ」等というのは、それこそ真の無責任であり、これは非難されていい。
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差別の中の差別

2015-07-25 16:36:56 | Weblog
共産党もクソであるが、儒教も儒教でクソである。

さて、沖縄について語るとき、とかく沖縄人や翁長らは、

「沖縄だけが第二次大戦以降日本のツケを払ってきた、
 そもそも沖縄は、元は琉球で・・・」

等という言葉をいっているが、

その「沖縄」自体が、露骨に奄美出身者を差別していたことについてどう思っているのか、コメントをもらいたい。

「それとこれとは関係ない」

であれば及第点であり、

「奄美も沖縄のもの」

とくればパーフェクトである。
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建前と本音

2015-07-22 17:13:41 | Weblog
自衛隊は違憲という人たちは、同じく左のソ連・ロシアが「航空母艦」を「巡洋艦」と押し通してることについてどう思ってるのだろうか。
多分何も違和感を感じていないだろう。
同型艦を中国共産党は大々的に「航空母艦」と呼んで宣伝しているが、まあ左の人も色々とあるのだろう。
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汚物の消毒と、ダーウィンの悪夢

2015-07-21 18:25:40 | Weblog
この前の日記で「ダーウィンの悪夢」について書いたが、
別にその時一緒に語っていた「地球温暖化」と「ダーウィンの悪夢」は関係ないからな。
「ダーウィンの悪夢」は、
ヴィクトリア湖における現状、
すなわち、放たれた外来種とそれを機に発展した経済、そしてそれに伴う貧困などの各種問題と、飛行機の積(検閲により削除)、という話だからな。

あと
、よく「汚物は消毒だー!!」という言葉が使われているが、
元ネタの人は、
「わははは土下座しろ!!消毒されてえかー!!」
と火炎放射器を手に行っているが、
こちらもアレだぞ。
火炎放射器は「火を出す」兵器ではなくて、「着火した燃料を噴射する」兵器なのであって、
土下座しようが、燃料は重力に従い落下して結局火だるま必至である。
本来は。
モヒカンの人が慈悲で「火だけを出すもの」に火炎放射器を改造していれば話は別だが。
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カルピスと心の健康

2015-07-20 17:53:56 | Weblog
http://calpis.jp/quality/index.html

カルピスが心の健康との相関を示唆している。
どう突っ込んでくれよう。

カルピス自体ではなく、「カルピスを友人や家族と作る事」に相関の焦点があてられている点がなおさらタチが悪い。
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暑い!

2015-07-20 15:50:12 | Weblog
このような日は、冷房を効かせて、
「ダーウィンの悪夢」のようなドキュメンタリーを観るに限る。

地球温暖化問題が、福島原発で日本国内で吹っ飛んだが、
もしも、「温暖化賛成論者」のいうように、地球が温暖化しているのならば、
問題の本質は変わっていない。

「ダーウィンの悪夢」は、我々に対して一つの回答を示してくれる。
それはすなわち、
「もはや元には戻れない」ということである。

昔、「理科という観点から社会を考える」大学講義において、講師が、

「地球温暖化対策を進める事と、現代社会を存続させることは、併用できない。
 もし温暖化対策を本気で行うのならば、1970年台の生活水準に今すぐ戻す必要があるが、
 君たちには想像もできないでしょうね、生まれる前の生活水準なんて。
 我々はもう戻れないのです」

と言っていたが、それは案外正しいと思う。

問題提起やドキュメンタリー、啓発&国民啓蒙宣伝省じゃなかった、
仮にそれが事実であるとしても、「元には戻れない」のであって、
「懐古」「保守」ではなく、今後どのような運営がなされるべきかを論じる必要がある。

NHKもなかなかドキュメンタリーは面白くて、以前、

地球温暖化→北極の氷が溶ける→これまで不可能だった海底石油資源が開発可能に→北欧諸国とロシアの壮絶な利権争い

ということを取り扱っていた。

その意味では、我々は北朝鮮並みに無慈悲に「懐古保全主義」から脱却して、現在の流れをさらに促進させるしか手は無いとも考えられる。
それがどんな未来になるかは、我々自身が未だ無知によって判らないが、進むしかもう手は残されていないのだ。

まあ、万が一二酸化炭素が地球温暖化の原因だったとしても、案外大丈夫である。
人類は間氷期に誕生した生き物である。
これは、氷河期の中にあって比較的暖かい時代に出現した、という意味でもある。
(言葉遊びではあるが)マクロに観れば再び地球は氷河期へと突入することが予測されており、
地球温暖化はむしろその意味では我々人類自身を救う手立てになるのかもしれないのである。
そもそも地球温暖化理論そのものが、本来は氷河期再突入の恐怖に希望を照らすために作られた一つの理論でしかない事は特筆に値する。

まあ、その期間を500万年とみるか、今後数十年とみるか、という点は大いに違っており、問題はそのスピードなのであるがな。

しかし、東京湾で百年以上も発見されていなかった種が今再び再発見されているように、案外生命はタフである。
いや、「赤の女王仮説」によれば、「走り続けなければその場に留まることは出来ない」のだから、こちらもこちらで(我々に対して)無慈悲である。

人類が今後どのようになろうとも、それはある意味「決まってしまった未来」であってただ単にそれを我々が観測出来ないだけなのである。
科学をはじめとした各種学問がさらに発展しない限り、ダーウィンの悪夢にしろ、地球温暖化危険主義にしろ、
それらは「トートロジー的投げかけ」から発展しないのが現実である。

だからこそ、我々は一層、国民啓蒙宣伝じゃなかった、知を磨かねばならないのである。
応用学問ばかりではなく学問そのものを発展させる意義はそこにもある。

暑さから、環境問題、人類の持ち駒、未来の予測不可能性、そして最後は「学問擁護」になってしまったが、
「ダーウィンの悪夢」の「経済・道徳的側面」はともかく「環境・科学的側面」からのコメントはこんな感じ。
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マイナス×マイナスはプラスだ

2015-07-20 14:12:38 | Weblog
高い城の男的挨拶。

参考url
https://youtu.be/zzayf9GpXCI

というわけで、よく野党が与党に質問をしているが、
国会とは本来、国民の代表機関なのであるから、

「野党→与党」ばかりの質問しかないのでは、
それは「会」とは言えず、どちらかというと「逆独裁」である。

たまには、
「与党→野党」の方向の質問や議論があっても、
いいのではないだろうか。

これを「とんでもない」と考えている風潮は、
それ自体が「民主主義の放棄」である。
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