ロード・マーシャル時事報告場

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技術の未発達

2015-11-29 13:49:40 | Weblog
スター・ウォーズEP7では、鍔(つば)付きのライトセイバーが登場するようである。

かの名将グリーヴァスも、時代が時代ならば「鍔がなかったために腕ごとライトセイバーを切り落とされる」という失態はしなかっただろう。
技術の未発達が悔やまれる。

というか、グリーヴァスはフォースも使えない機械の体(ついでに脳もいじくられている)で、本当によくやった。


さて、本日「住民が政治を変える 日本共産党」というポスターを見かけたが、古今東西共産党の例を見るに、これは間違いであり、正確には

「政治が住民を変える」がイデオロギー的にも正しいと考えられるので、早急に日本共産党はポスターを修正したほうが良いと考える。
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ベヴェル・レメリスクは8度死ぬ

2015-11-26 21:45:24 | Weblog
007は2度死ぬそうだが、

デス・スターの設計者ベヴェル・レメリスクは8度死んでいる。

いや、実際死んでいるのである。それも結構エグいやり方で。

たとえば、初代デス・スターが破壊されたとき、パルパティーン皇帝によって巨大な昆虫に食い殺されている。

しかし、設計者としては有能だったので、処刑されるたびにシスの秘術を使って強制的にクローンの体に精神を蘇らされていたのである。

新共和国軍による最後の処刑の時には「今度こそちゃんと殺してくれよ」と言い放ったという。

なんというか、悟ってるな。ある意味。

いや、「その秘術をパドメに使えよ」というのは、シスを理解していない。

パドメを失うことによってダース・ベイダーの暗黒面は維持されているので、パルパティーンがこの状況を変える危険をわざわざするだろうか。

とはいえ、シスの秘術でベヴェル・レメリクスが実際復活していることから、パルパティーンはプレイガスと同程度以上の生命制御術を有しているということになる(ミディ・クロリアンについては判らないが)。

しかし、デス・スター以外にも、アイ・オブ・パルパティーンとかサン・クラッシャーとか、なかなか素敵な超兵器があってロマンである。
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喫煙問題と共産党

2015-11-24 06:15:22 | Weblog
喫煙者の記事に違和感を覚える。

やれ肩身が狭いだの、モンスター嫌煙家だの、

「加害者が被害者ぶるのはおやめください!」
というやつだな。

喫煙はアルツハイマー予防などに有効であるそうだが、それは吸っている当人の話であって、望む望まぬにかかわらず煙を吸わされる我々からすれば、余計なお世話というか、トータルで見ればなお不利益を被っている点について強い侵害感を覚える。

もちろん、喫煙者から健康の保障やそのための医療費をもらえるのならばいいという考え方もあるが、お金の力にも限界はあって、治療に費やす時間だとか治療そのものの苦痛だといった点について喫煙者からはなんら保証は得られない。

飲酒運転者が人を轢いた場合厳罰が下されるのに対して、喫煙者が周囲のものを肺がんや発達障害者(両親の喫煙と子供の精神障害には相関がある、壮大な因果応報であるな)にしていてもなんらおとがめなしというのは極めて不条理なダブルスタンダードである。

健康・迷惑に限った話だけでなく、タバコ休憩が黙認されているのに、おやつ休憩は怠け者とされるのもおかしなダブルスタンダードである。

これには書き方の問題もあって、たとえば「公務員の喫煙休憩による日本全体の経済損失は960億円である」とすれば、「許すまじ!公務員!」になるのだから、その意識を民間にも向けてもらいたい。

前提として、喫煙者の「弁明」記事は「肩身が狭い」から始まって「大部分の喫煙者はポイ捨てもしない善良な者」と逃げ道を作っているが、巷にあふれる禁煙地区での違法喫煙の多さや吸い殻のポイ捨ての多さを見るに、そもそも「大多数の喫煙者は善良」という予防線そのものを疑ってかからなければならない。

記事を書いているような「善良な喫煙者」ならば、違法喫煙やポイ捨ての現場を見ればすぐにこれを是正するように動くというのが筋である。
それを見て見ぬふりをしながら、「大部分は善良なのに肩身が狭い、風当たりが強い」というのは単なる「逃げ」でしかない。
まあ、喫煙行動という依存症を患っている者にそのようなこと(内ゲバ的な何か)を期待すること自体が無理というものであろう。
彼らの自浄作用は不可能なのである。

そもそも、医学的に言えば「依存症」にかかっている者が自己正当化を偉そうに語るというのもナンセンスな話である。
アルコール依存症患者が「善良な飲酒を禁止されて肩身が狭い」といえば「何を言っているんだお前は」となるのに、喫煙ではこれがまかり通っているのが現実である。

喫煙者の自浄作用を期待できないのならば、「同じ目的を達成できていない」という点で、官僚や大企業の自浄能力のなさを喫煙者が批判するのもナンセンスということになる。

「俺たちはできなくていいけど(同族の違法行為を黙認していいけど)、官僚・政治・企業のそれは許されない」

というのは虫のよすぎる話ではなかろうか。

喫煙家が書いた記事で「モンスター嫌煙家」として最たるものとされていた、

「付き合っている者からの受動喫煙はいいが、赤の他人の受動喫煙は絶対いや」

という主張も、それを「モンスター」と捉えるのは喫煙家目線であって、彼らに嗜好品として喫煙する権利があるならば、当然周囲に迷惑をかけない義務も生じるし、
また我々にも受動喫煙者を選ぶくらいの権利があってもいいと思う。

究極的な話、「好きな人との性行為はいいが、赤の他人との性行為は絶対いや」ということを「モンスター」とは言うまい。それは常識というものである。


さて、共産党が本日も元気に街宣車で「アベ戦争法案を廃案に追い込もう!」と息巻いていた。
だが、ここは共産党などが外交法で主張しているお得意の「対話」でなぜ解決しようとしないのか、はなはだ疑問である。
国内の異なる勢力にも対話ができないのに、民族も宗教も違う異国人との対話はできるとほざくその理論がすでに宗教じみた盲信に近くて、気持ち悪い。

あるいは、彼らの言う「対話」というのは、そういう類のものであると考えれば、確かにカンボジアやソ連や中国や北朝鮮での虐殺を考えるにうなずけるので、そういう意味でとらえれば我々に判るように解釈すれば共産党は「外交で衝突があれば対話というボディーランゲージで戦争をして解決します!」と言っているのかもしれない。
こちらの方がよほど合理的である。
しかすそうすると「戦争対話」しかできないのに「戦争立法を廃止しよう」と主張するあたりにも矛盾が生じてしまう。

まあ、彼らは空想社会主義者の神無き盲信教徒なのだから、そこらへんは空想ファンタジーで補完しているのであろう。
だから、カンボジアでは虐殺が起きたのだがな。

共産党は最終解決されなければならない。

もちろんこれは問題発言でもなんでもなくて、ソ連が戦後「ユダヤ人絶滅計画」を実行していたこと(戦勝国ゆえにすべてナチス・ドイツにフォーカスが移っておりあまり知られていない)を考えるに、彼らのやり方に立ってあげた、大変優しい方法である。

まさか、資本主義な日本の官僚・大企業のように、

「あれはスターリンのせいです」

とトカゲの尻尾切りで逃げようとか考えていないよな?
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母乳にみるダブルスタンダード

2015-11-22 19:54:52 | Weblog
日本人のオーガニック天然もの至上主義はとどまるところを知らない。

たとえば、育児における母乳。

ほとんどの日本人ならば、可能ならば「母乳」を飲ませる方が良い、と答えるだろう。

確かに、母乳の糖組成などは非常に複雑で、人工乳はまだまだ及ばない部分がある。

しかし、かたや牛乳のミルクの中に抗生物質が入っていれば騒ぎ立てるのに、
産後から離乳までの間赤ちゃんが意外と大病にかからないのは、

「母乳がいい」

と崇め奉る姿勢は、大変片腹痛い。

母乳の中には母親由来の「抗体」が存在しており、これによって免疫系が未発達な赤ちゃんがウイルス等から守られていることは、生物学を知っているものならば常識中の常識であろう。

抗生物質ももともとは微生物由来の天然物である。

もう言いたい事はわかるな?

「母親由来の抗体」は「生命・母子の愛」等としておいて、抗体の微生物バージョンである抗生物質を「合成したもの」は悪の権化として騒ぎ立てるというのは、実にナンセンスなことであり、その姿勢自体が医学に大きな足枷を作っている可能性を考慮することを拒絶している。

天然物フードファディズムここに極まれり、である。
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連結アスペ

2015-11-20 20:45:28 | Weblog
私の「思考停止状態」での頭の中のイメージ連想パターンを検討すると、微妙なところで共通点がある事項について接合させてしまう傾向がある。

例えばクリーンベンチ作業中頭の中は暇なので、脳内映画を流しているのだが、

「ゴジラが、鹿児島湾に現れました!」
「鹿児島!?名古屋じゃないのか!?」

という感じである。
前者の発言は「ゴジラ vs スペースゴジラ」のシーン、
後者の発言は「ゴジラ vs ビオランテ」のシーンである。
後者の「鹿児島!?」のところは脳内補完部分である。

そのあとは「ゴジラ vs スペースゴジラ」独特のマーチによるゴジラ御一行様九州観光へと映像は変わるのだが、
「名古屋じゃないのか!?」のところだけ、Gフォースから特殊戦略作戦室に切り替わるのだが、アレだな。組織からして違うはずなのにな。

今日はそんな与太話で終わりにしたいが、最後に一つ、

「オペラ座の怪人」でファントムが、「何を下でもないのに迫害された、この顔のせいで!」みたいなことをうたっていたが、普通にファントムは人を殺しているからな。
幼少期に。
これを、

「心がもともと歪んでいた、やはりファントム」

と捉えるべきか、

「顔のせいで後天的に心が歪んでしまった哀れなファントム」

と捉えるかは議論に値すると思う。

「God give me courage to show you, You are not alone」

からの「learn to be lonely」エンディングである。


追記

ニコニコ動画において、ロシア制作の第二次大戦(独ソ戦)ドキュメンタリーが存在している。
コメントを注視してみると、「ドイツマンセーじゃない分欧米と、ましては日本のドキュメンタリーと比てはるかに中立的観点である」といった旨の者が多い。
果たして人間において中立というものは存在しうるのか、という哲学的疑問は置いて、
実際問題NHKでも

インパール作戦が何故決行されたのか、個人の責任に帰結せず組織官僚的弊害を取り上げてラストに、「現代の社会は当時と変わったといえるのでしょうか?」

と投げかけるドキュメンタリーを作っていたりしているので、案外よく機能している。
大河ドラマばかりではないのである。
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福祉テロ

2015-11-18 19:50:42 | Weblog
以前の日記で、「眼瞼痙攣」であると述べたな。

あまり知られていない病なので、概要を述べよう。

繰り返しになるが、瞼が瞑ったままになってしまい、事実上の失明に至る病である。
原因は不明。故に治療法もない。

対症療法として、ボトックス(美容整形で聞くやつであり、ボツリヌス菌の毒素である)を瞼に注射することで、一時的に症状は軽減される(治るとは言っていないところがミソである)。

このような病であるが、あまりに無名なため、医療費等の福祉や障害者手帳の認定などはなされていない。

結果、患者はフォースを使って生活するか、高額なボトックス注射を生きている限り受け続けなければならないかの二択を迫られる。
また事実上目が見えないのだから、仕事にも大きな支障をきたす。

眼の機能自体は正常であり、瞼やむしろ脳の病気と捉えたほうが適切だと考えられる。

では精神科や神経内科の出番かといえば、ここが現代医学の限界であり「原因不明」「治療不可能」なところである。
現代医学の敗北である。

最初から盲目の人と違って、見える状態から失明に落とし込むあたりに意地の悪さを、
杓子定規過ぎて目が「事実上」見えなくなるのに何の補助も提供されないあたりに行政の怠慢さを感じさせる一幕がある。

まあ、こういったことは精神を病んでいると往々にして観察できるので、「微笑ましい日常」であろう。


ボトックス注射は、下手をすれば20万円以上/年かかるので(これでもなんと健康保険適応後の値段である!)、患者には大きな負担となる。

このボトックス注射に健康保険が適応されたのも21世紀以降であるので、行政に限らず日本の社会の腰は重い。

しかし障害者でもなければ、何の規制もないので、法律上車を運転することは可能である。

というわけで、眼瞳痙攣を発症した状態で「合法的に」車を運転して大事故を起こし、

「眼が見えませんでした!」

で押し通せば
、少なくとも騒ぎにはなって事後的に対策なり福祉なりが動く、というアプローチをすることも出来る。
てんかんの時の様に。

もちろん、運転して事故を起こした場合、「眼が見えないとわかっていて運転した」のであるから、裁判は有罪であろうが、直接行動としてはできることはできるのである。

それを社会では「テロ」といい、患者では「人柱」という。

そうしなければ動かない日本の行政は案外外山恒一が言うとおり「ぶち壊す」以外にないのかもしれないが、
とはいえ自棄になって「テロ」をしたところで協調に重きを置く日本社会の中での風当たりなども考えると、
やはり黙って耐えるのがベターな選択といえる。

さて、目が見えないので(手で瞼を無理やり開ければ見えるので余計に)いろいろと不便である。

精神、視覚ときて、これに聴覚までやられたら、「ヘレン・ケラー」ネタを掲げて吉本喜劇の門をたたこう。
不謹慎とかいう輩は、その時点において当人が差別的感情を抱いていることを思い知らせるようなジョークを考えるのもいいだろう。

「w」を指さして「ヒャッハー!水だ!」とか言ってみたいものだ。
大丈夫、精神も障害者なのでな。

そんな儒教的日本の世の中であるが、直近ネット上で「内定を取りやすい教育」というようなニュアンスの記事を見かけた。
一昔前にはやった「いい大学に合格させるための教育」の焼き直し版であるな。
きっと次は、「仕事で使える人間に育てる方法」が流行るに違いない。

こういった点や、以前述べた鬼畜牟田口の作戦を追認・促進させた官僚主義的な側面を存分に引きずる日本社会は、なかなか歪である。

歪さを根治する方法は、きっと眼瞼痙攣と同じく、無いのだろう。
ボトックス対症療法のように歴史は繰り返しで軌道修正を定期的にかけていくのが、「正しい」人類史の発展の仕方なのかもしれない。

もちろん、この状況を治す・治さない、その手段についての方法が政治家先生の居眠り会議であれば、なんだかイスラム国の強硬テロ手段の方が立派に見えるから不思議である。

しかし(イスラム国人は)地獄行く。

古いネタを披露して、本日の日記の終わりとしたい。
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力のインフレ化を借りた異文化融合妄語

2015-11-16 06:50:46 | Weblog
とあるシリーズについて調査してみたところ、強さのインフレが起こっていてびっくりである。

以前グラント・モフ・ターキンの方がデス・スターの運用権限を持つという意味で「とあるシリーズ」より強いのではないかと書いたが、なんかもう銀河とか世界とか別世界とか巻き込んでのインフレになっている。

これでは、グラント・モフの有力者ターキンや、ダース・ベイダー、さらにその上位のパルパティーン皇帝すら力の及ばないレベルである。
パルパティーンの師ダース・プレイガスも、フォースを操り生命を誕生させるところまではできていても、「しょせんはそこ止まり」であり、銀河や宇宙のその先の大きさの異世界を含むスケールにはついていけない。
もちろん、銀河外から攻めてきたユージャン・ヴォングに苦戦するような新共和国やルークでは歯が立たないであろう。

私のシリーズ映画ものの興味はゴジラ、スター・ウォーズ、指輪物語であるが、

核の申し子ゴジラとて、より大きな科学の代償「オキシジェンデストロイヤー」によって倒される、ないし内部核が暴走して地球道連れ程度である。
指輪物語で力の上位を考えると、ナズグルとイーブンなレベルでカラフル魔法使い(ナズグルは元人間であるので種族の立場が違うが)、魔法使いを統べていたのがサルマン、それを従えたサウロン、その上位にあたるモルゴスとくるが、モルゴスもヴァラールの中で最も力が強いレベルであった。彼らが音楽を奏でてアルダ(世界)を創り、この音楽の主題を示したのがイルーヴァタール(全知全能の神)である。

というわけで、急激な力のインフレを続けている「とあるシリーズ」は現段階においてゴジラ、スター・ウォーズを超えて、指輪物語のイルーヴァタールのレベルに来ていると考えてよかろう。

しかし、ライトノベルでこのような急激な力のインフレはあまりよろしくない傾向なので、そろそろ店じまいの方法を模索する必要もあるかもしれない。

なお、たとえ「スペック比」で及ばなくても、それぞれの作品には各々の深みがあり、それを愛するファンの力も忘れてはならない。
例えスペックで「とあるシリーズ」の神レベルの存在に我らがゴジラがかなわなくても、なおゴジラは無敵の存在であり、スクリーンで東宝自衛隊を叩きのめし、ライバル怪獣を倒していることで良いのであるし、白の魔法使いとなったガンダルフがアングマールの魔王とミナス・ティリスで対峙する場面の迫力は少しも色あせない。

逆に言えば、だ。我々の趣味の領域からも「とあるシリーズ」に茶茶を入れるのも筋違いであり、ふさわしくないファンともいえよう。

しかしまた、異種分野の融合によって新たな世界が創造されること、それには対立も伴うことは「この宇宙」では道理というものである(詳しくは膜宇宙論参照(ホーキングは否定している部分だが))。

そのようなわけで、多くの失敗発明家が行う共通項ともいえる、「異なるものを融合させる」ということは楽しく、そこにアスペルガー的定義判定を行うことが私の愉悦の一つでもある。

いやほら、食蜂操祈 vs ゾーリン・ブリッツ中尉とか、能力がかぶっている分、想像すると楽しくないか?
もしガンダムな太陽系に銀河帝国軍が攻めてきたらどうなるのか、どのぐらいの戦力比なら拮抗するのか、
フォースが弱ってしまったベイダー vs 半ニュータイプなシャアとか、
とあるシリーズ学園都市に迫るゴジラとか、
戦闘力53万のフリーザに対抗するHoI2の完全充足5個師団5個旅団とか、
戦意をくじく程度の能力を持つナズグルの幻想郷入りとか。

大体自分の好きな方を贔屓してしまうのだが、それすらもまた割り切れば楽しいものである。
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巴里の盲目

2015-11-14 19:12:36 | Weblog
「巴里は燃えているか」

ヒトラーのこの問いかけに、アラブ人が人種宗教問題なりに答えたようである。

この件に関しても我々は、国民啓蒙省ゲッベルス大臣の言葉を参考にすることができる。

「同情しないね。
 同情など感じない。
 彼らが選んだ運命だ。
 驚く者もいようが・・・我々は国民に強制はしてない。
 彼らが我々に委ねたのだ。
 自業自得さ」

そう、移民を受け入れたとかそういう問題以前に、何世紀もかけての因果応報である。

ニコニコ動画の最近のしつこい広告に「パリといえば~」のくだりで始まる広告があるが、これからは「テロ」の街ともなるのだな。
自粛してくれないかな、あの広告。

社会主義がその手法を虐殺か空想に頼っているように、現段階では人類は「相互理解」を行えるほどに発達していないと見て取れることも出来る。
その場合、その手法を開発・発展させることも重要であるが、現段階において行える有効な対処策を実施するということも必要である。

その有効な対処策は、ナショナリズムだとか、粛清による体制強化だとか、ボンバー・ハリスの思想(「反体制アラブ人一人ひとりに500ポンド爆弾を投下しろ」)しかない。
真に自由主義が過去の反省を以てその存在を唯一無二とするのならば、今まさに試されているといえよう。
もちろん、日本において移民大好きなSEALDsの背後の共産主義が元来宗教を否定しているように、彼らも、宗教家もまた試されているのだ。
まあ実際は、ナチスを倒すために自由主義と手を組んだ共産主義者の気持ちでいるのだろうが、彼らは。

現段階においては、同様の機会でナショナリズムやナチズムも評価・分析・活用してもいいと思うのだが。


しかし、「カルネアデスの板」のように、本日の主題はパリの百人以上の命ではないのである。

この度、正式に私は眼瞼痙攣であることが診断された。
速い話「まぶたが開かなくなり、事実上失明」しているのだ。


さて、どうしよう。

原因不明・治療法無しとのことで、今後の人生自体大きく変わってしまう。

「作戦での変化が集積して戦術は次の段階へと進化する。戦略は進路を示す。」

と、アレクサンドル・スヴェチンの言葉を引用して今後の人生について強がってみてもむなしいものだな。

死ぬ直前にスター・ウォーズEP7を観れた者がすでにいるようだが、私も目の不自由なく観たかったなぁ。

この動画で紹介するように、スター・ウォーズは新旧どちらも映像がいいのだ。
EP1~EP3についてはいろいろあるようだが、人ぞれぞれの好き好きである。

そういったことが許せないのが、一神教のトゲである。
スター・ウォーズのユージャン・ヴォングも宗教上の理由で銀河侵攻しており、案外現実社会の問題をスター・ウォーズに当てはめてオマージュすると(現代社会では)大変な問題作が出来上がるのではないかと期待しているので、ブラック・ジョーク専門家の監督はぜひとも一味もふた味も利いたものを作ってみてほしい。

爛熟した自由主義・格差社会の果てに人々が求めるのは、秩序と規律である。

銀河帝国爆誕。

そういえばパルパティーンも元老院の大喝采の中で皇帝になっていたし、ローマ帝国もそうだった。
案外人間の考えること、想像力は限られた方向にしか向いていないのかもしれない。


なお、目が事実上見えないのに、どうやってこの日記を書いているのかといえば、すべては理力によるものである。

「恨み、妬み、やっかみ、誹謗中傷、悪口、陰口、逆切れ」を具現化した暗黒理力にならないことを祈る。

フォースとともにあらんことを(世界情勢へもてきとうに)。
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とある太古のグラント・モフ

2015-11-12 20:16:26 | Weblog
ライトノベルとかアニメの「とあるシリーズ」であるが、普通に考えれば、遠い昔、はるか銀河の彼方では、グラント・モフの有力者ターキンによって、地球サイズの惑星を一瞬で吹き飛ばす能力が運用されていたのである。
レベル5だとかレベル6の神だとか、小さなことであり、権力こそが一番の力なのかもしれない。そこに社会がある限り。

ちなみに、HoI2研究機関的には、山本五十六はレベル9で神である。

さて、本日共産党がビラ配りをしていた。
なんで共産党員はああも「プロ市民臭」がするのか、疑問である。

そのような人間がそういった活動をしやすいのか(ということは極論すれば優性人種の存在を肯定しかねない)、
そのような活動がそういった人間にしていくのか(ルイセンコ歓喜の逆転劇である)、

興味深い。

世界同時革命を主張したトロツキーは、

「資本主義者のテロは共産革命をせいぜい遅らせる程度であるが、共産主義者のテロは歴史を覆す」

という、「きれいな核」に似た主張をしている。おそらく、日本の共産主義者やそれにけしかけられたSEALDsユーゲントも類似の思想を持っているのだろうが、当のトロツキーが命欲しさにメキシコに逃亡した挙句、その甲斐むなしくピッケルを頭に突き刺されて殺された(人材の発掘である)ことを考えるに、かような輩は哀れである。

もしかしたら、日本の共産主義者の中にはトロツキーを殉教者ととらえているアホもいるかもしれないが、これに対して我々は国民啓蒙省ゲッベルス大臣の言葉で返すことができる。

「同情しないね。
 同情など感じない。
 彼らが選んだ運命だ。
 驚く者もいようが・・・我々は国民に強制はしてない。
 彼らが我々に委ねたのだ。
 自業自得さ」

ちょっとニュアンス違うが、言いたいことは察してもらえると思う。
ちなみに、「エッチスケベ」の空耳部分である。
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ホラー小説と受け皿

2015-11-10 18:33:06 | Weblog
ホラー小説の読破が私の中二病であった。
リングとかあの時代だしな。

そんなわけで、日本のホラー文学には割と明るいつもりである。
以前、ホラーと映画化について日記を書いたが、本日は少し異なるものを。

ホラーにも、伝記ロマン(「狗神」など)からSF(「二重らせんの悪魔」など)まで、実に多彩であるが、手ごろで読みやすくなおかつ頭を金づちで殴られたような衝撃を与えるのが、

「D・ブリッジ・テープ(沙籐一樹)」

である。
Amazonの書評でもいろいろ書かれているが、なんと表せばいいのか、巻末の解説の言葉を借りれば、「真っ赤に焼けた石炭を掌に載せられた」感覚を覚える。
石炭片自体は小さいのである。しかし、それは確実に掌を焼き尽くす強い衝撃を伴っている。

ボリュームも少なく、1ページあたりの空白も多く、読書好きなら1時間もあれば十分読み切れる内容なのだが、なんでこんなに大きな衝撃なのだろうなぁ。

グロい、リアル、悲惨、過酷、様々な書評でこの作品が表現されているが、どれも似てはいるものの今一つ表現しきれていない、表現できない。
やはり「衝撃」が非常に大きな作品である。

途中何度も本を閉じたくなるも、なお読み進めてしまうこの「魔力」に多くの人が(悪い意味で)「魅了」されてしまっている。

いきなりホラー文学の世界に出てきて、第2回ホラー小説大賞短編賞を本作により受賞した沙籐一樹氏の作品は本当に衝撃的なものが多い。

「プルトニウムと半月」は、もはや現在の福島で起きているかもしれないと考えると、やはり衝撃的である。

沙籐一樹氏は、日本ホラー文学において、「鬼才っているんだな」と感じさせてくれる人物である。

蛇足だが、今回の日記で少し触れた「二重らせんの悪魔」は少し内容が突飛すぎであり、「レフトハンド」とともに、ホラー小説というより「トンデモSF」に分類したほうがいいような気がする。


「受け皿」の話である。
以前、景気回復なこの日本は精神障害者などレールを外れたものに対して厳しく、自己責任の名のもと福祉も受け皿も少なすぎる、と述べたと思う。
別に犯罪者を擁護するわけではない事を最初に記して強調するが、同様のことが犯罪者が法律上の罪を償った後社会に復帰できず、再犯を繰り返すという構図にも当てはめることができると思う。
社会的制裁という名の自己責任において。

もう、世論がそのつもりなら下手に更生とか考えずにずっと監禁とか最終解決させとけという話。

これはこれで一つのホラーが書けそうなネタであるな。
ちょっと違うが保険関係のホラー小説「黒い家」も昔映画化されていたな。

案外、「人間の特別性を剥がす」という意味では科学教本が、「人間の盲信とその行いに関する無関心」という意味では聖書が、それぞれ代表的なホラー作品といえるかもしれないな、というちょっと上手いこと言ったでしょう的でいて実際は微妙という、本ブログの真髄を記して本日の日記を終わりとしたい。
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