Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「珍妃の井戸」浅田次郎著(講談社)

2009-01-31 | 日本の作家
「珍妃(ちんぴ)の井戸」浅田次郎著(講談社)を読みました。
「蒼穹の昴」に次ぐサイドストーリー。ネタバレありますのでご注意ください。
義和団の乱を制圧するため列強の軍隊が介入し荒廃した北京で、ひとりの美しい妃が紫禁城内の井戸で命を落としました。彼女の名は、戊戌(ぼじゅつ)の政変に敗れ、幽閉された皇帝・光緒帝の愛妃、珍妃。

事件の調査に乗り出したのは四カ国の貴族たち。
英国の海軍提督ソールスベリー卿。
独国のフォン・シュミット大佐。
露国の銀行総裁、セルゲイ・ペトロヴィッチ。
日本の松平忠永教授。

物語は珍妃の死の謎を知る関係者の証言で構成されています。
ミステリー仕立ての歴史物語です。

新聞記者トーマス・バートン、元太監の蘭琴(ランチン)、袁世凱(ユイアンシイカイ)将軍、皇帝の側室で珍妃の姉・瑾妃(きんぴ)、瑾妃おつきの宦官・劉蓮焦
(リウリエンチャオ)、廃太子プーシー。

それぞれ語る人物が抱いている感情が絡むため、聞くたびに珍妃の死の場面の状況も、犯人も違う。
視点が違うという点もありますが、もちろん嘘もある。自分を良く見せようとする見栄もある。
いったい真実は何で、犯人は誰なのか?

聞き込みを続けるうちに傾きかけている清国の悲しい状況も浮き彫りになります。
瑾妃の語る袁世凱の姿。
「科挙の試験に二度も敗れた袁世凱はね、儒教の教えを逆手に取れば、周囲の進士出身の連中はみんなやっつけられると考えたわけ。理に適っているわよ、それって。
上に対しては「悌(てい)」に見せかけた「おべんちゃら」。下に対しては「慈」に見せかけた「圧迫」。仲間には「信」に見せかけた「裏切り」。
でもあいつは見かけによらず臆病者よ。もともと「侠気(きょうき)」のない男だからね。ということはつまり、袁世凱という人物は限りなく文明から退行していく、人間から獣へと退行していく獣です。でも、獣が天下を取れば、大変な時代がやってきますね。」

そしてついに四人は皇帝自身の口から真実を聞き出すため、幽閉された光緒帝の元へ・・・。

皇帝が語る珍妃の死。
皇帝が訴えたかったのは、真の犯人が誰かではなく、珍妃はどうして死ぬことになったのか、だと思いました。
そこまでわれわれ大清国を追い詰めたのはおまえたち外国の勢力だろうと。

エピローグは珍妃自身の言葉。
歴史の本当の真実はどうだったのでしょうか・・・。

「園芸家の一年」カレル・チャペック著(飯島周訳)恒文社

2009-01-30 | エッセイ・実用書・その他
「園芸家の一年」カレル・チャペック著(飯島周(いたる)訳)恒文社
を読みました。
無類の園芸マニアであったチャペックが、園芸作業のあれこれを1月から12月まで順に紹介する、楽しいエッセイです。
芝生、草花、サボテン、樹木、野菜、果物など、300種類以上の植物が登場。
文章を弟カレルが書き、挿絵を兄ヨゼフが描いた兄弟合作の素敵な本。ふたりとも園芸好きだったそうです。
以前「園芸家十二ヶ月」(小松太郎訳)の題で出版されていた本の新訳です。

園芸のマニュアル本ではなく、園芸家の気持ち(いまいましい悪天候、つい買いすぎてしまう苗、新しい植物を植えるスペースを必死で探す姿)をユーモラスに描いた笑える本です。いとうせいこうさんが薦めていたので読みました。

一般的な「ガーデニング」という優雅なイメージとはかけ離れた、あくなき情熱とのめりこみ、どたばたの数々!

ニシキヘビのようにのたうちまわるホースとの格闘。

種を蒔き、わくわくしながら生えてきた小さな芽は必ず雑草。

悪天候に悩まされる二月。
「なぜうるう年に限って、この気が変わりやすくて、カタル性の、陰険な小人の月に、一日分おまけしてやるのかさっぱりわからない。うるう年には、あのすばらしい五月を一日増やして、三十二日にすべきだろうに。」
あは!確かに。

花壇を行き来するのにじゃまな短すぎる自分の足。
せめて自分の体に四本の手が生えていたり、あるいはカメラの三脚のようにのびちぢみできたなら。

栽培家のところにお客が行くのは欲しいものを注文するためではなく、おしゃべりをするためなのだ。

そして1月から12月まで土を耕し、鋤きならし、掘って肥料をやり、剪定し、種を蒔き移植し、撒水し除草し・・・なにか忘れていたことを思い出すチャペック。
「すなわち、庭を眺めることだ。なぜなら、おわかりいただきたいが、そんな暇がなかったのである」
ここで私、爆笑してしまいました・・・。

ひたすら楽しいこのエッセイですが、最後に「春の芽生え」について書いた素敵なフレーズを紹介します。
「書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹き鳴らせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから。」

「多賀城焼けた瓦の謎」石森愛彦・絵(文藝春秋)

2009-01-30 | エッセイ・実用書・その他
「多賀城(たがじょう)焼けた瓦の謎」石森愛彦(よしひこ)・絵(文藝春秋)を読みました。
大化の改新の本当の意味とは?
奈良の大仏に貼った大量の金箔はどこから来たのか?
なぜ、桓武天皇は東北に三度も軍勢を送ったのか?
律令国家にあって、蝦夷たちになかったものとは?
伊勢の斎宮にかかった五色の雲に「いつきのみこ」は何を見たのか?
数々の疑問をときあかす、考古学と歴史学を学べる本。

子供向け(高学年くらいからかな?)に作られているのが逆に大人でもわかりやすく読める本です。石森さんのカラーの絵がドラマチック。
文章は文藝春秋の担当編集者である下山進さんが書かれているそう。
もともと下山さんの長女が五年生だった当時に調べた、夏休みの自由研究が元になっているそうです。

多賀城とは仙台の東、海の近くにあった城。
蝦夷(えみし)攻略のために律令国家が建てたものですが、砦というよりは地方官庁だったそうです。

東北の地攻略のために朝廷が立てた作戦はみっつ。
まず初めに「饗給(きょうきゅう)」。
蝦夷に食料・その他の物資を与えたり、位を与えたりして蝦夷を味方に引き入れること。これが政府の基本政策だったそうです。
まずそれぞれの地域の族長を接待し、位(くらい)を与え、朝廷への恭順を誓わせます。
朝廷に従う蝦夷には位と姓があたえられ、その地域を治めることが許されたそうです。
それでも従わない地方には「斥候(せっこう)」が入ります。
蝦夷側の動向を探り偵察することです。
そして最終手段としての「征討(せいとう)」。
武力で蝦夷を討つ、という流れがありました。

ふむふむ・・・。
征夷大将軍は初めから「野蛮人を討つ」つもりで遠征したわけではなかったのですね。知らなかったです。
そして蝦夷たちは決して「野蛮人」などではなく、その地に先祖代々住んでいた人々。稲作を行い、律令国家に住む人々となんら変わることない農耕の民だったそうです。

では蝦夷たちの世界と、律令国家の何が決定的に違ったのか?
それは「文字」だとこの本では語られています。
文字により軍の規律を守り、物資の管理をし大軍勢を組織していた律令国家。
おのおのの族長が話し合いで決めていた蝦夷連合。
短期的には蝦夷たちが勝利を治めることはあっても、長期的な軍配は律令国家にあがりました。
さらに有名な坂上田村麻呂将軍。
彼は蝦夷と正面から戦うだけでなく、それぞれの蝦夷の族長に条件の違う和睦を図ったりして、連合の分断を図ったそうです
さらに蝦夷の水田を焼き払い、兵糧攻めにしたなど、武力だけでなく、知力にもたけた人だったことがよくわかります。

この本はあからさまな表現ではありませんが、そこかしこに蝦夷への同情がにじみでています。
領土を広げるために征服される少数民族・・・。
現在も世界のどこかで行われている出来事に胸が痛みます。

多賀城から出土した焼けた瓦をきっかけに古代に思いをはせる・・・。
このような物語を知ると、遺跡を見る目がまったく変わってきそうです。


「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦著(角川書店)

2009-01-29 | 日本の作家
「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦著(角川書店)を読みました。
「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「私」(彼女から見たら「先輩」)。
「私」は夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めます。
けれど先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する「偶然の出逢い」にも「奇遇ですねえ」と言うばかり。
そんな2人を待ち受けるのは個性溢れる曲者たちと、珍事件の数々でした。
山本周五郎賞を受賞し、本屋大賞2位にも選ばれた作品です。

自由に動き回るたくさんの人々が次第につながっていき、最後は大団円に。
作品としては凝ったつくりなのですが、それを忘れるほどに、とにかく楽しめて笑えて、最後はほこっと温かくなる本でした。

装画の中村祐介さんの絵もすくっとたつ乙女の絵がとても素敵です。
(後ろの先輩も情けない感じがヨイです。)
文庫版の表紙は新書版と異なりますが、作中にでてくる小道具がちりばめられていてこちらもまた楽しい装画です。

しかし、こんなに頻繁に会っているのに先輩の気持ちに気づかない黒髪の乙女、鈍すぎる!
でもそれが彼女オリジナルで可愛くもあります。
猫手で「おともだちパンチ」したり、緋鯉のぬいぐるみをしょったりするとぼけた女の子。

第一章「夜は短し歩けよ乙女」
始まりは新郎新婦の披露宴に同席した私と黒髪の彼女。
彼女が歩く夜の街、出会う奇妙な人々。
そして彼女はついに李白という老人と飲み比べをすることに。
三階建て車の外観がなんとも不思議。京都ならではの山鉾みたい!?
偽電気ブランの味、私も味わってみたいです。

第二章「深海魚たち」
真夏の古本市に古本の神様が訪れます。
李白老人は貴重な古本を賭ける火鍋大会の主催者として登場。
「本はまわりまわって人をつなぐのだ」というセリフがよかったです。

第三章「ご都合主義者かく語りき」
大学の学園祭、変な人たちや団体が大集合!
韋駄天コタツ、パンツ総番長、象のお尻、偏屈王、プリンセス・ダルマ・・・。
いやー、とにかく愉快な章です。

さまざまな奇人の中でも、特に私のお気に入りは学生天狗の樋口さん。
「地に足をつけずに生きることだ。それなら飛べる」
こののらりくらりキャラがなんともいえません。。

第四章「魔風邪恋風邪」
京都中に猛威を振るうたちの悪い風邪。その正体とは?
途中の、「私」の内面会議、これは恋か!いや・・・という実りのない煩悶が、いかにも青くて甘酸っぱくて面白かったです。

「性欲なり見栄なり流行なり妄想なり阿呆なり、何といわれても受け容れる。いずれも当たっていよう。だがしかし、あらゆるものを呑み込んで、たとえ行く手に待つのが失恋という奈落であっても、闇雲に跳躍すべき瞬間があるのではないか。今ここで跳ばなければ、未来永劫、薄暗い青春の片隅をくるくる廻り続けるだけではないのか。」

う~ん!力強い。
でもやっていることは迂遠な「永久外堀運動」。せつない。でも笑えます。

最後は「私」の内面から見れば「大」がつくくらいのハッピーエンドなのですが、はたで見れば「恋の始まり」の静かで暖かな終わり方。よかったです。

しかしキテレツな団体が数多く所属する大学のなかで、ふたりが所属しているクラブって何なのだろう?
気になります。




「彼岸花はきつねのかんざし」朽木祥著(学研)

2009-01-29 | 児童書・ヤングアダルト
「彼岸花はきつねのかんざし」朽木祥(くつき しょう)著(学研)を読みました。
おきつねさんは、人を化かす。おばあちゃんは、しょっちゅう化かされます。
そして少女・也子(かのこ)の前に現れたかわいい子ぎつね。
きつねは聞きます。「あたしに化かされたい?」
お互いの存在を気にし、時を過ごすうちに段々とかけがえのない存在になっていく、也子と子ぎつね。
ですがある夏の日、あの恐ろしい爆弾が落とされます。

物語は民話のような、子ぎつねと也子のとてもかわいらしい物語。
その温かな時間が原爆によりぶつっと断ち切られてしまいます。
爆弾によって一瞬で亡くなってしまった沢山の人々。
原爆症により、時間がたってから命が切れてしまった人々。
そして命を失った沢山の生き物たち。

著者は広島県生まれの被爆二世だそうです。
実際に戦争と原爆を経験した親の世代を間近に見て育ったことを思うと、朽木さんはこの物語をどのように書こうかと、きっと思い悩んだことだろうと思います。

物語の大半は原爆の悲惨さよりは、也子の子どもらしい生活がメインで描かれています。
あとがきで著者は「そんなあたりまえの暮らしが奪われることこそが戦争の悲しみなのだと、わたしはいつも考えています。」
この本を読めば、小学生であってもきっと「なぜこんな日々が突然になくなってしまうのか?どうして?」と疑問に思わずにはいられないでしょう。
これが起きたことがほんの60数年前という事実が胸に迫ります。

朽木さんのあとがきの最後のことば。
「子どもが子どもらしく生きることのできる日々が、いつまでも続いていきますように。」
私も本当に本当にそう思います。


「星の綿毛」藤田雅矢著(早川書房)

2009-01-28 | 日本の作家
「星の綿毛」藤田雅矢著(早川書房)を読みました。
どことも知らぬ砂漠の惑星。
そこでは「ハハ」と呼ばれる銀色の巨大な装置が、荒れた大地を耕し、さまざまな種子を播きながら移動を続けていました。
「ハハ」に寄生する人々のムラで、少年ニジダマは暮らしていました。
どこかに存在するというトシに憧れる彼は、ある日トシからの交易人を名乗る男ツキカゲを迎えます。
それは、世界に隠された秘密に迫る出会いでした。
農学博士でもある著者が描く、不思議な植物が生える星を描いたSFです。

砂漠の星で、移動する銀色の機械「ハハ」だけが荒れ野を耕し、作物を育てられる存在。その「ハハ」に依存し移動するムラには、水が流れるジャグチの木、畑に実るトマトマの実、コップになるユノミダケなど、面白い植物がいっぱい生えています。

そのムラに住む少年ニジダマが出会った交易人ツキカゲ。
交易人とは、巨大なクモのような生き物ジャランダに乗り、トシからはドウグを携え、ムラからは食料を運び行き来する、人々のことです。
交易人はクロモチップと呼ばれる遺伝子操作のチップを体に装着することによって、砂漠を渡れる体に自分自身を作り変えることができます。
(たとえば「鱗小人」。体中に鱗が生えます)
ニジダマはツキカゲの後についてトシ・マンマンイスンに行くことになります。
ニジダマとツキカゲには実は過去の縁があるのですが、それは読んでのお楽しみ。

不思議な植物の中でも特に不思議なのはトシをかたづくるイシコログサ。
意識と記憶を持つ、多肉植物の群生です。
緑のビル、燐光を放つ広場や街・・・。幻想的な光景が思い浮かびます。
トシの人々は宇宙船を作り、新しい星に旅立とうとしています。
トシの人々の行く末、ムラとトシとの関係が次第に明らかになっていきます。

人間ドラマというよりは、この不思議な植物たちが群生する世界をどっぷり味わう物語です。
植物に包まれる生活って・・・安らかだけれど、その成長にとりこまれる自分が怖い気がします。植物大好きな人がこの物語をどのように感じるのか、興味があります。

「天山の巫女ソニン 3 朱烏の星」菅野雪虫著(講談社)

2009-01-26 | 児童書・ヤングアダルト
「天山の巫女ソニン 3 朱烏(あけがらす)の星」菅野雪虫著(講談社)を読みました。
江南(かんなむ)につづき、ソニンがイウォル王子の供として向かうのは北の国・巨山(こざん)。それは国境付近で捕らえられた森の民を救うためでした。
一方、自分の将来を考え始めている親友ミンや、兄王の傍らで着実に仕事をこなすイウォル王子を見ているソニンは、自分が取り残されていくように思えてしまいます。
やがてソニンは巨山で孤独で賢明な十五歳の王女・イェラに出会います。

華やかな海沿いの南国・江南と対照的に、凍てつく空気の森の国・巨山。
発達した天文学、あたたかな室内の装い、進んだ技術。
そして暴君と思っていた「狼殺しの王」に実際に会ったときの印象の違い。
今までいろいろな経験を積み、書物でつちかってきた知識があるからこそ、ソニンもイウォル王子も冷静に公平に巨山の実力を推し量ることができたのでしょう。
実際に自分の目で見るというのは、本当に大事なことですね。

今巻では言葉をもたない森の民という少数民族が登場。
動物と言葉を話せる能力をもつ女性がいるなど、最近読んだル・グウィンの「ギフト」の高地の民をなんとなく思い出したりしました。

そして今回新登場の魅力的な人物・王女イェラ。
美しく勉強熱心で冷静で・・・そして友のいない孤独な王女。
これからどうやって成長し、女王になる道を歩んでいくのか楽しみです。

最後に、印象的だったソニンの言葉より。

「理由もなく授かった力など、同じように理由もなく失ってしまうものなのだとソニンは思いました。イルギの剣の技や、ミンや絵師の妻の商才のように、鍛錬して苦労して磨き上げた力ならば、体の一部のように身について離れないでしょう。けれど生まれついての力は、雪が消えるように、花が散るように、いつか消えてゆくのです。残るのはむしろ、<朱烏の星>の記憶のように、学んで覚えたことなのだと思いました。」

「才能がなくたって、見ることと考えることはできるのにね。人に聞くことも勉強することも。」
「そうだ、才能なんかなくたっていいんだ。もし、自分の持って生まれた、天から与えられた才能をすべてなくしたとしても、わたしは生きていける。こうして友達に相談して、自分のできることを探して。しゃべることのできない王子が、それでも人と関わって生きていけるように」

大人である私はもちろんのこと、「自分には特になんの取り柄もないけどどうしよう・・・」と、これから進学し、何の仕事に就くかを悩み考えている若い世代の人たちには、もっとこの言葉が温かく力強く感じられるのではないかと思いました。

装丁も前二巻につづいてとても素敵。今巻は雪原の景色。
第四巻も読むのが待ち遠しい~。

「ぼくは貝の夢をみる」盛口満著(アリス館)

2009-01-25 | エッセイ・実用書・その他
「ぼくは貝の夢をみる」盛口満(もりぐち みつる)著(アリス館)を読みました。
千葉県舘山市に育ち、子どもの頃から貝ひろいが大好きな著者。
夜、夢に見るのは色とりどりの貝を拾う自分の姿。
成長するうちに「いつまでも貝拾いや虫とりに夢中な自分は幼いのではないか?」
「普通でありたい・・・」と悩み過ごした学生時代。
そして就職し、やがて気づいた「普通」より「自分」であることの大切さ。
丁寧な貝のイラストが素敵なエッセイです。

個人的に私の実家が海のある町なので、著者が貝を拾い集める姿に特に親近感がわきました。私も子供の時、からすがいやふじつぼを拾って大事にお菓子の箱にいれていたなあ。
いろいろな貝の知識、エピソードを知ることができ興味深い本です。

しかし、それ以上に著者の生き方に親近感。
「貝が大好きだ!」と堂々と生きてきたわけではない著者。
小学校も高学年になると貝拾いや虫取りをしているのは自分だけ。
中学に入り、理科部も気にはなったが「そこに入ったら普通の人とかけはなれてしまう!」と焦って、運動オンチなのにバレー部へ。
高校時代は「このままだと女の子にもてなさそうだ」と、音痴で不器用なのにギターを買って一曲もひけずに終わり。
大学は理学部に入ったものの、植物生態しか扱っていない大学であることを知らず、いそしんだのは森の研究。

この「自分が好きなこと」と、「「それが好きな自分」は人にどう見られるか」の葛藤。
私の昔も思い出して、ものすごく共感しました。
「変」「おたく」グループには入れられたくないという気持ち。
こういうグループ格差みたいな意識って嫌ですよね・・・。
でも正直、私も高校時代はそういうこと、思ってました。

そして著者が教師になってから気づいたこと。
「だれも普通の人なんかいないんだ。
だから、だれもがどうしたら自分になれるかと悩むんだ」

なんとなく高校に行き、とりあえず大学受験。
そんな風にみんながだんごになっていた学生時代と違い、社会に出ると本当にみな違う道を歩み始めます。
そうして本当に危機感をもって自問自答するようになるのでしょう。
「自分はどうやって生きていきたいのか?」

そんな自分を海を旅する貝になぞらえる著者。
私も著者と同じくまだ旅の途上です。

著者は今現在沖縄のフリースクールの教師をしていらっしゃるそうです。
沖縄の貝はどんな色をしているのでしょう?



「丕緒(ひしょ)の鳥」小野不由美作(新潮社)

2009-01-23 | 日本の作家
「丕緒(ひしょ)の鳥」小野不由美作(新潮社)を読みました。
「十二国記」シリーズの最新作ですが、サイドストーリーに近いかな?
雑誌yomyomの第六号(2008.3月)に収録されています。ネタバレあります。ご注意ください。

丕緒(ひしょ)は新任の上官から大射の準備を命じられます。
大射とは、鵲(かささぎ)に見立てた陶製の的を投げて射る儀式で、今回の仕事は慶国の新王の即位に伴って行われる重大な仕事でした。
大射で使う的の陶鵲(とうしゃく)を誂えるのが丕緒の仕事。
上官からは趣向をこらしたものを、と言い付かります。
しかし三代続いた無能な女王の治世に失望した丕緒は気がのらぬまま工舎に向かいます。

丕緒が企図を考えているときに「頭が空白になった」というくだりに、小野さん自身の創作にまつわる話を聞いているような気持ちになりました。
(特に十二国記の続編が長い間書かれていないので・・・深読みしすぎ?

「次をどうしようか、詰まったことは多々あった。だが、そういう場合にも丕緒の頭の中には、あれこれの断片が無数に漂っていたものだ。その中から何かを選ぼうにも気が乗らない。何となく気を引かれて取り出してみても続かない。
思案に詰まるというのはそういうことで、肝心の頭の中に何もない、断片すらなく、綿のような空白しか存在しないという経験は初めてだった。」

民のことを案じる丕緒は、日々の製作にはげむだけの蕭蘭(ショウラン)を現実に背を向けていると思います。
くすくすと笑いながら返す蕭蘭。
「あなたが哀れんでいるおかみさんは、王がどうとかより、今日の料理は上手くいったとか、天気が良くて洗濯物がよく乾いたとか、そういうことを喜んで日々を過ごしているのかも。」

この蕭蘭の台詞で「頭を使うより手を使え」ということわざを私は思い出しました。
丕緒から見れば私もきっと「卑近なこと」で日々頭がいっぱいなのでしょう。
でもそれは「卑近」ではなく、「小さな」だけのこと。
国政の目から見れば小さな世界だけれども、その「小ささ」は意外と侮りがたく、
日々生きていくことは楽勝ではないことも事実。
芥川龍之介の言葉のように、「人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」という感じでしょうか・・・。
自分の生活にかかわってくる「政治」のことは念頭にあっても、まずは手を動かして日々の仕事をこなしていかなければいけない。

蕭蘭の弟子の青江(せいこう)の言葉。
「(蕭蘭は)決して現実に正面から向き合う方ではありませんでした。ただ、だからといって現実を拒んでおられたわけではないと思います。」

人それぞれの、世界との対峙のしかた・・・。

まわりまわって、蕭蘭(しょうらん)の希望したような陶鵲を作る丕緒。

「蕭蘭は何も言わなかったが、同じ気分でいたのだと思った。いや、丕緒が聞こうとしなかっただけだ。かたくなに自分の望みだけを追い、望みを失った今頃になって同じところに辿り着いた。」

自分の頭の中の考えだけでなく、他人の声が聞こえるようになった丕緒にとって、最後の慶王の「耳を傾ける、語り合いたい」という気持ちの伝わりはとてもありがたく、うれしいものだったでしょう。
形状はまったく違いますが、セレモニーのために趣向をこらしたもの、というと花火を思い浮かべました。丕緒が作った陶鵲(とうしゃく)、私も見てみたいです・・・。


yomyom第六号の特集は「ファンタジー小説の愉しみ」。
ほかにも畠中恵さんの「しゃばけ」の若旦那シリーズの一篇「ひなのちよがみ」。
荻原規子さんの読んだ欧米のファンタジー小説の紹介、「ライラの冒険」の著者フィリップ・プルマンのインタビューなど、盛りだくさんで面白かったです。

「天山の巫女ソニン 2 海の孔雀」菅野雪虫著(講談社)

2009-01-22 | 児童書・ヤングアダルト
「天山の巫女ソニン 2 海の孔雀」菅野雪虫著(講談社)を読みました。
隣国・江南(かんなん)のクワン王子に招かれた沙維(さい)の国のイウォル王子とソニン。
ふたりは豪華な王宮や南国の華やかさに目を見張る一方で、庶民の暮らしぶりがあまり豊かでないことに疑問を持ちます。
クワンとイウォル、対照的な二人の王子の間で戸惑いながらも、自らの役目を果たそうとするソニン。
第二巻の舞台は江南の国と、そこに住む人々の暮らしです。

たくましい憧れのクワン王子その人に誘われて留学を決めたイウォル王子。
ソニンは周囲にわざわざ異国に行って苦労しなくても、と説得されますが、王子に随行することを選びます。
「わたしは王子とは違う。たまたま力のある人に仕えているだけで、その力を巡っての争いや駆け引きに巻き込まれても、いつでも逃げられる。でも、王子は逃げられない。だから自分は行くのだ。」

ソニンもまっすぐでたくましい。王族に仕える人がみんなソニンみたいだったらいいでしょうね。でももちろんそうはいかないのは江南でも同じ。

江南に着いたふたりが目にしたのは庶民と王族の暮らしの激しい格差。
ふたりの王子・正妻の子である長男ハヌル王子。
母親が庶民の出の次男クワン王子
正妻ミナ王妃はキノ一族という豪商の娘。
一方クワン王子の母は海竜商会という、海での仕事を生業とする組織の出自。
ミナ王妃はできのいいクワン王子を憎み、どうにかして彼を陥れようと画策します。

一方クワン王子には知的障害をもつ妹リアンがいる弱みが。
しかしクワン王子もやられっぱなしではありません。
クワン王子がソニンにある仕事を頼む場面、善悪の判断はともかくとして、ハラハラする場面でした・・・。

今巻では特に「上に立つ人間はどうあるべきか」が強く描かれているように思いました。
ミナ王妃は「わたしが望みを口にするだけで何でも願いがかなう。まわりが勝手に動く」と考えていましたが、そのことを認識しているならば、その権力を濫用しないように王族は自身の言動を慎むべきもの。
江南の王がその王妃の性格を「得体のしれないもの」と評するのは最もです。

それとは対照的なのがふたりの王子。
自分より年下であり目下の身分のソニンの前で膝をおるクワン王子。
自らの過去の考え方の傲慢さを悔いてソニンの気持ちを聞くイウォル王子。
王族である以上、人に頭をさげることがいままでほとんどなかったであろうふたりがしたこの行動、一般人である私たち以上に大変なことだと思います。
そして将来がとても楽しみなふたりだなあとも感じます。

異国に旅をしてひとまわりもふたまわりも成長したソニンとイウォル、第三巻も楽しみです。