Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「園芸家の一年」カレル・チャペック著(飯島周訳)恒文社

2009-01-30 | エッセイ・実用書・その他
「園芸家の一年」カレル・チャペック著(飯島周(いたる)訳)恒文社
を読みました。
無類の園芸マニアであったチャペックが、園芸作業のあれこれを1月から12月まで順に紹介する、楽しいエッセイです。
芝生、草花、サボテン、樹木、野菜、果物など、300種類以上の植物が登場。
文章を弟カレルが書き、挿絵を兄ヨゼフが描いた兄弟合作の素敵な本。ふたりとも園芸好きだったそうです。
以前「園芸家十二ヶ月」(小松太郎訳)の題で出版されていた本の新訳です。

園芸のマニュアル本ではなく、園芸家の気持ち(いまいましい悪天候、つい買いすぎてしまう苗、新しい植物を植えるスペースを必死で探す姿)をユーモラスに描いた笑える本です。いとうせいこうさんが薦めていたので読みました。

一般的な「ガーデニング」という優雅なイメージとはかけ離れた、あくなき情熱とのめりこみ、どたばたの数々!

ニシキヘビのようにのたうちまわるホースとの格闘。

種を蒔き、わくわくしながら生えてきた小さな芽は必ず雑草。

悪天候に悩まされる二月。
「なぜうるう年に限って、この気が変わりやすくて、カタル性の、陰険な小人の月に、一日分おまけしてやるのかさっぱりわからない。うるう年には、あのすばらしい五月を一日増やして、三十二日にすべきだろうに。」
あは!確かに。

花壇を行き来するのにじゃまな短すぎる自分の足。
せめて自分の体に四本の手が生えていたり、あるいはカメラの三脚のようにのびちぢみできたなら。

栽培家のところにお客が行くのは欲しいものを注文するためではなく、おしゃべりをするためなのだ。

そして1月から12月まで土を耕し、鋤きならし、掘って肥料をやり、剪定し、種を蒔き移植し、撒水し除草し・・・なにか忘れていたことを思い出すチャペック。
「すなわち、庭を眺めることだ。なぜなら、おわかりいただきたいが、そんな暇がなかったのである」
ここで私、爆笑してしまいました・・・。

ひたすら楽しいこのエッセイですが、最後に「春の芽生え」について書いた素敵なフレーズを紹介します。
「書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹き鳴らせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから。」

「多賀城焼けた瓦の謎」石森愛彦・絵(文藝春秋)

2009-01-30 | エッセイ・実用書・その他
「多賀城(たがじょう)焼けた瓦の謎」石森愛彦(よしひこ)・絵(文藝春秋)を読みました。
大化の改新の本当の意味とは?
奈良の大仏に貼った大量の金箔はどこから来たのか?
なぜ、桓武天皇は東北に三度も軍勢を送ったのか?
律令国家にあって、蝦夷たちになかったものとは?
伊勢の斎宮にかかった五色の雲に「いつきのみこ」は何を見たのか?
数々の疑問をときあかす、考古学と歴史学を学べる本。

子供向け(高学年くらいからかな?)に作られているのが逆に大人でもわかりやすく読める本です。石森さんのカラーの絵がドラマチック。
文章は文藝春秋の担当編集者である下山進さんが書かれているそう。
もともと下山さんの長女が五年生だった当時に調べた、夏休みの自由研究が元になっているそうです。

多賀城とは仙台の東、海の近くにあった城。
蝦夷(えみし)攻略のために律令国家が建てたものですが、砦というよりは地方官庁だったそうです。

東北の地攻略のために朝廷が立てた作戦はみっつ。
まず初めに「饗給(きょうきゅう)」。
蝦夷に食料・その他の物資を与えたり、位を与えたりして蝦夷を味方に引き入れること。これが政府の基本政策だったそうです。
まずそれぞれの地域の族長を接待し、位(くらい)を与え、朝廷への恭順を誓わせます。
朝廷に従う蝦夷には位と姓があたえられ、その地域を治めることが許されたそうです。
それでも従わない地方には「斥候(せっこう)」が入ります。
蝦夷側の動向を探り偵察することです。
そして最終手段としての「征討(せいとう)」。
武力で蝦夷を討つ、という流れがありました。

ふむふむ・・・。
征夷大将軍は初めから「野蛮人を討つ」つもりで遠征したわけではなかったのですね。知らなかったです。
そして蝦夷たちは決して「野蛮人」などではなく、その地に先祖代々住んでいた人々。稲作を行い、律令国家に住む人々となんら変わることない農耕の民だったそうです。

では蝦夷たちの世界と、律令国家の何が決定的に違ったのか?
それは「文字」だとこの本では語られています。
文字により軍の規律を守り、物資の管理をし大軍勢を組織していた律令国家。
おのおのの族長が話し合いで決めていた蝦夷連合。
短期的には蝦夷たちが勝利を治めることはあっても、長期的な軍配は律令国家にあがりました。
さらに有名な坂上田村麻呂将軍。
彼は蝦夷と正面から戦うだけでなく、それぞれの蝦夷の族長に条件の違う和睦を図ったりして、連合の分断を図ったそうです
さらに蝦夷の水田を焼き払い、兵糧攻めにしたなど、武力だけでなく、知力にもたけた人だったことがよくわかります。

この本はあからさまな表現ではありませんが、そこかしこに蝦夷への同情がにじみでています。
領土を広げるために征服される少数民族・・・。
現在も世界のどこかで行われている出来事に胸が痛みます。

多賀城から出土した焼けた瓦をきっかけに古代に思いをはせる・・・。
このような物語を知ると、遺跡を見る目がまったく変わってきそうです。