「園芸家の一年」カレル・チャペック著(飯島周(いたる)訳)恒文社
を読みました。
無類の園芸マニアであったチャペックが、園芸作業のあれこれを1月から12月まで順に紹介する、楽しいエッセイです。
芝生、草花、サボテン、樹木、野菜、果物など、300種類以上の植物が登場。
文章を弟カレルが書き、挿絵を兄ヨゼフが描いた兄弟合作の素敵な本。ふたりとも園芸好きだったそうです。
以前「園芸家十二ヶ月」(小松太郎訳)の題で出版されていた本の新訳です。
園芸のマニュアル本ではなく、園芸家の気持ち(いまいましい悪天候、つい買いすぎてしまう苗、新しい植物を植えるスペースを必死で探す姿)をユーモラスに描いた笑える本です。いとうせいこうさんが薦めていたので読みました。
一般的な「ガーデニング」という優雅なイメージとはかけ離れた、あくなき情熱とのめりこみ、どたばたの数々!
ニシキヘビのようにのたうちまわるホースとの格闘。
種を蒔き、わくわくしながら生えてきた小さな芽は必ず雑草。
悪天候に悩まされる二月。
「なぜうるう年に限って、この気が変わりやすくて、カタル性の、陰険な小人の月に、一日分おまけしてやるのかさっぱりわからない。うるう年には、あのすばらしい五月を一日増やして、三十二日にすべきだろうに。」
あは!確かに。
花壇を行き来するのにじゃまな短すぎる自分の足。
せめて自分の体に四本の手が生えていたり、あるいはカメラの三脚のようにのびちぢみできたなら。
栽培家のところにお客が行くのは欲しいものを注文するためではなく、おしゃべりをするためなのだ。
そして1月から12月まで土を耕し、鋤きならし、掘って肥料をやり、剪定し、種を蒔き移植し、撒水し除草し・・・なにか忘れていたことを思い出すチャペック。
「すなわち、庭を眺めることだ。なぜなら、おわかりいただきたいが、そんな暇がなかったのである」
ここで私、爆笑してしまいました・・・。
ひたすら楽しいこのエッセイですが、最後に「春の芽生え」について書いた素敵なフレーズを紹介します。
「書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹き鳴らせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから。」
を読みました。
無類の園芸マニアであったチャペックが、園芸作業のあれこれを1月から12月まで順に紹介する、楽しいエッセイです。
芝生、草花、サボテン、樹木、野菜、果物など、300種類以上の植物が登場。
文章を弟カレルが書き、挿絵を兄ヨゼフが描いた兄弟合作の素敵な本。ふたりとも園芸好きだったそうです。
以前「園芸家十二ヶ月」(小松太郎訳)の題で出版されていた本の新訳です。
園芸のマニュアル本ではなく、園芸家の気持ち(いまいましい悪天候、つい買いすぎてしまう苗、新しい植物を植えるスペースを必死で探す姿)をユーモラスに描いた笑える本です。いとうせいこうさんが薦めていたので読みました。
一般的な「ガーデニング」という優雅なイメージとはかけ離れた、あくなき情熱とのめりこみ、どたばたの数々!
ニシキヘビのようにのたうちまわるホースとの格闘。
種を蒔き、わくわくしながら生えてきた小さな芽は必ず雑草。
悪天候に悩まされる二月。
「なぜうるう年に限って、この気が変わりやすくて、カタル性の、陰険な小人の月に、一日分おまけしてやるのかさっぱりわからない。うるう年には、あのすばらしい五月を一日増やして、三十二日にすべきだろうに。」
あは!確かに。
花壇を行き来するのにじゃまな短すぎる自分の足。
せめて自分の体に四本の手が生えていたり、あるいはカメラの三脚のようにのびちぢみできたなら。
栽培家のところにお客が行くのは欲しいものを注文するためではなく、おしゃべりをするためなのだ。
そして1月から12月まで土を耕し、鋤きならし、掘って肥料をやり、剪定し、種を蒔き移植し、撒水し除草し・・・なにか忘れていたことを思い出すチャペック。
「すなわち、庭を眺めることだ。なぜなら、おわかりいただきたいが、そんな暇がなかったのである」
ここで私、爆笑してしまいました・・・。
ひたすら楽しいこのエッセイですが、最後に「春の芽生え」について書いた素敵なフレーズを紹介します。
「書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹き鳴らせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから。」