Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「うわさのベーコン」猫田道子著(太田出版)

2009-04-30 | 日本の作家
「うわさのベーコン」猫田道子著(太田出版)を読みました。
脈絡のないストーリー展開、数えきれないほどの誤字脱字、敬語のむちゃくちゃな用法の嵐。
私が3歳になった頃、兄は交通事故にあって亡くなった。二十歳になって、いとこに兄のかたみのフルートをあげた表題作ほか、未発表作品「西山さん」「正一新聞」「卯月の朝」を収録した著者の処女作品集です。
高橋源一郎さんが絶賛していたので読んでみました。

地の文、会話文、回想文、文章のルールを破った(というより頓着してない)私的なノートにつづられたものをのぞいているような気分。
著者の手書きのクセ字(私の想像です。)まで思い浮かぶような、独特の文体、文章です。「不思議田乙女」系。
本来出版時に直されるべき誤字脱字にこそ著者の個性が現れている!?その逆説が面白い。
私が一番いいと思ったのは「西山さん」。
これ、純文学の文体で書けば一家族のサーガ&西山さんの純愛。
しかし猫山さんが書くとそうならないくだけっぷり。
語り手はまじめなのに周りから見ると間が抜けている、その落差がなんともいえず面白いです。

「オリガ・モリソヴナの反語法」米原万里著(集英社)

2009-04-28 | 日本の作家
「オリガ・モリソヴナの反語法」米原万里著(集英社)を読みました。
1960年代、日本人留学生の小学生・弘世志摩(ロシア語での愛称シーマチカ)は在プラハのソビエト学校に通っていました。
その学校の舞踊教師・年齢不詳の老女オリガ・モリソヴナは、その卓越した舞踊だけでなく、鋭い舌鋒の名物教師。「美の極致!」と濁声で大袈裟に誉めるのは罵倒の裏返し。その「反語法」で彼女は学校内の人気者でした。
そんなオリガを志摩はいつも慕っていましたが、やがて彼女、そしてオリガと親しいフランス語教師のエレオノーラ、ふたりの過去には深い謎が秘められているらしいと気づきます。
物語は、30数年後、大人になった志摩が1992年ソ連崩壊直後のモスクワで、少女時代からずっと抱いていた疑問を解くべく、かつての親友カーチャや、関係者に会いながら、ついに真相にたどり着くまでが描かれています。
この作品は第13回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞しており、文庫では巻末に選者の池澤夏樹さんとの対談が収められています。(解説は亀山郁夫さん)

シーマチカが少女時代の記憶をたどりながら、文書館で教師オリガの名前を見つける。そしてダンサー時代の彼女を知る、劇場衣装係のマリヤ・イワノヴナとの出会い。親友カーチャとの再会。収容所ラーゲリ時代の手記を書いたガリーナ・エヴゲニエヴナとの面会など、次第にオリガとは何者だったのか、どのような人生を歩んだのかが明らかにされます。
そしてそれはソ連の暗い歴史と密接に結びついたものでした。

「ラーゲリ」とは反革命罪などの体制に対する罪を犯したと判断された政治犯や重犯罪を犯した者の収容所。特にスターリン体制下では「外国人と接した」というだけでスパイ扱いされ、家族ごと収容され、ろくな調査もなく処刑されることが多かったそうです。
作中に「アウシュビッツは知っていても、ラーゲリは知らない人が多い。そしてアウシュビッツに関わったものは裁かれたけれど、ラーゲリに関わったものたちは今のうのうと年金をもらって余生をすごしている」という意味のセリフがあります。
私もラーゲリはこの本を読んで初めて知りました。
そしてそれが夫婦をひきさき、親から子どもたちを引き離し孤児院に入れてしまう残酷な制度だったということも・・・。
この本ではラーゲリの悲惨な生活が描かれていますが、そこで夜行われた学芸会がみんなを夢中にさせた、という描写が印象的でした。
「「花より団子」というけれど、私たちは「花」によって生き延びた」
ガリーナの言葉、胸に迫ります。

そしてオリガの同僚のエレオノーラ・ミハイロヴナの人生も数奇なものでした。
当時尋問官の助手をしていた残酷な男ミハイロフスキー、彼とエレオノーラとのつながり・・・おどろくべき事実が最後にジーナの話から明らかになります。

ひとりの人間の個人史と、ソ連という大国の歴史が交差する。
読み応えのあるとても面白い本でした。(←これ、反語じゃないですよ!

「ヴァニラの木」ジョルジュ・ランブール著(小佐井伸二訳)白水社

2009-04-27 | 外国の作家
「ヴァニラの木」ジョルジュ・ランブール著(小佐井伸二訳)白水社を読みました。
ヴァニラの香りに魅せられたオランダ人のチョコレート商ヴァン・ホーテン。
彼はヴァニラの木を原産地メキシコからインド洋上のレユニオン島に移し、人工栽培に乗り出します。
ところがヴァニラの花はいつまでたっても実を結びません。
ある日黒人奴隷エドモンのある行動から人工授粉が発見され、ヴァニラは実を結ぶことになります。

できごとのあらましだけを聞けばサクセス・ストーリーになりそうなこの話。
しかし少女ジェニー、そしてその母はヴァニラの人工栽培に反対していました。
利益・対費用効果、生産性を重んじる生粋の商売人ヴァン・ホーテン。
ヴァニラの栽培は人間の「成功」でしたが、同時に自然の「屈服」でもありました。
そして最後は商業主義が島を覆い始めます。
皮肉なことに、ヴァニラが実をつけたのと同日に、「人工受粉」された乳母セイラの子どもも生まれます。
自然をねじまげる人間の意図には終わりがありません・・・。

「九年目の魔法(上・下)」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著(浅羽莢子訳)東京創元社

2009-04-25 | 児童書・ヤングアダルト
「九年目の魔法(上・下)」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著(浅羽莢子訳)東京創元社を読みました。
何か、おかしい。
壁にかかった懐かしい「火と毒人参」という写真も、愛読したベッドの上のこの本も、おぼえてるのとはちがってる。まるで記憶が二重になってるよう。
ことの起こりはポーリィが十歳のとき。ハロウィーンの日に近くのお屋敷で葬式があり、そこに迷い込んだ彼女は、リンさんという背の高い男の人に出会います。ずっと年上なのになぜか仲良くなるふたり。
それからふたりは英雄の空想ごっこの文通をはじめますが、そのおとぎ話がどんどん現実になります。

英雄が乗る馬が欲しいといえば、ロンドンの街中で脱走した馬に出会う。
空想のなかの英雄タン・クールが仕事をしている雑貨やストウ・オン・ザ・ウォーターが実在する。
英雄に3人の友がいるといえば、リンさんがちょうどカルテットを始めようとした時期で、そのメンバーをポーリィが写真を見ただけで当てる。
そしてリンさんが前妻ローレルの母から遺贈された絵(実はポーリィが遺贈の指示がなかった絵も混ぜ込んだもの)もおとぎ話にからんできます。
中国の馬、ピエロ、遊園地。

偶然なのか?
それとも、本当にふたりが作ったお話が現実世界に影響を及ぼしたのか・・・?

そしてあることをきっかけにポーリィはリンさんのことを忘れてしまいます。
おばあちゃんも、親友だったニーナも、だれも彼をおぼえていない。
母アイビーと父が別居しおばあちゃんの家に預けられ、現実世界に居場所を感じられないポーリィ。
彼女は自分の記憶を追い求めます。
自分は孤独から話をでっちあげたのだろうか?自分の頭はおかしいのではないだろうか?ポーリィの不安。
童話仕立てになっているのに、・・・こわいです!

「now here(いま、ここ)」と「no where(どこでもないところ)」。

ここからラストのネタバレ(考察)ありますので、未読の方はご遠慮ください。

ラストが・・・私にはどうもよくわからず・・・。

「でっち上げた話が真実になり、あとで我が身にはね返る」ローレルの呪い。
でもリンさん自身は真実(モートンの生餌であること)を語ることができない。
だからポーリィに同じような内容の本を贈って、ほのめかそうとした。
でもなぜ「つくり話が真実になる」力があるのに、モートンを倒したり、自分が自由になるという物語はつくれなかったのでしょう?
「わが身にはね返る」とは、自分に都合のいいような物語を作っても、必ず自分に都合が悪くなるような要因となって戻ってくる、という意味?
その呪いを、ポーリィもあの葬式の場にいたことでリンさんと共有している?
ポーリィの放った言葉。
「もう顔も見たくない!」
それが逆にはねかえって、「ずっと顔を見れることに」なった?
・・・う~ん・・・よくわからない。もやもや。
本自体は面白かったのですが、理屈が難しかったです。

「モンキー・ビジネス VOL.5 対話号」(ヴィレッジ・ブックス)

2009-04-24 | 柴田元幸
「モンキー・ビジネス VOL.5 対話号」(ヴィレッジ・ブックス)を読みました。
今回の特集は「対話」。
冒頭は村上春樹さんへのインタビュー。インタビュアーは古川日出男さん。

「いろんな話が出てきて、絡み合い一つになって、そこにある種の猥雑さがあり、おかしさがあり、シリアスさがあり、ひとつには括れないカオス的状況があり、同時にまた背骨をなす世界観がある。そんないろんな相反するファクターが詰まっている、るつぼみたいなものが、ぼくの考える総合小説なんですよ。」

5月に発売される長編小説もそんな小説なのかなあ。
今からとっても楽しみです。

次に小川洋子さんと川上弘美さんの対談。司会は編集者の柴田さん。

柴田「ぼく、『風花』でいちばん好きなのは、登場人物の一人が「いいも悪いも、あたしたちは結局みんな、自由なのよ」って言うところなんです。」
川上「はい、自由なんです、しかたなくみんな。」
柴田「自由であらざるをえないっていうことですよね。」
川上「はい」

登場人物によりそう小川さん、作品世界を遠景でみて、あっちこっちにふらふらする川上さん、そのふたりがお互いの作品を語り合い、自分自身の創作姿勢を語る。とても興味深い対談です。

このふたつだけで十分満足なのですが、ほかにも俳句・詩・短歌を創作→英翻訳→それをさらに和訳創作する試みなど、面白い企画がいろいろあります。

片山廣子さんの「赤とピンクの世界」も面白かったです。

「死ぬということは悪いことではない、人間が多すぎるのだから。
 生きていることも悪いことではない、生きていることをたのしんでいれば。」

「タイのお茶、アジアのお茶」森下ヒバリ著(ビレッジプレス)

2009-04-24 | エッセイ・実用書・その他
「タイのお茶、アジアのお茶」森下ヒバリ著(ビレッジプレス)を読みました。
アジアの旅をくりかえしているうちに出会った、いくつものおいしいお茶の記録です。
タイのメーサロン、ビルマのチャウメ、雲南省のシーサンパンナなどマイナーな場所が多いのが特徴です。
せっかく一般の観光客が行かないような土地に行っているのに、写真がないのが残念。
風景や食べ物の描写、旅の相棒との会話、本で調べたことの抜書き、の繰り返しで盛り上がりがなく、ちょっと文章が単調に感じました。
もう少し章立てを細かくして順序を工夫し、「お茶の話の本」として、一本筋を通した方が読みやすいかも?と感じました。

「チーム・バチスタの栄光」海堂尊著(宝島社)

2009-04-24 | 日本の作家
「チーム・バチスタの栄光」海堂尊(かいどう たける)著(宝島社)を読みました。
東城大学医学部付属病院では、心臓移植の代替手術であるバチスタ手術の専門チーム「チーム・バチスタ」を作り、成功率100%を誇っていました。
バチスタ手術とは、創始者バチスタ博士の名を冠した俗称だそうで、肥大した心臓を切り取り小さく作り直すという、単純な発想による大胆な手術だそうです。
ところが、三例続けて術中死が発生します。
高階病院長から内部調査の役目を押し付けられたのが、神経内科教室の万年講師で、不定愁訴外来の責任者・田口公平。
そしてさらにこの調査に加わったのが、厚生労働省の変人役人・白鳥でした。
医療過誤か、殺人か。
この作品は第4回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、映画化・ドラマ化もされた(未見です。)ベストセラーです。
犯人のヒントがあります!ので、未読の方はご遠慮ください。

白鳥の語るアクティブ・フェーズ、パッシブ・フェーズについては理論は難しいですが、実践はひたすら興味深いです。
口に出す言葉、会話自体が狙いなのではなく、それに対する反応、それを見ている者の反応を冷静に観察し、さらに、次に聞き取りする者への影響をも予測する。
できる刑事の聞き取りってこんなのなんでしょうか?
私がもし犯人だったら、隠そうとするほどあっさり見透かされそうでコワイ人物です・・・。

しかし、私の犯人予想ははずれました。
手術範囲の指定でウソをつき、手術ミスに結び付けていたと思ったのです。
ところが真犯人は・・・。
しかし犯人の名前の由来、実体とかけはなれすぎ。

白鳥の傍若無人な変人ぶりは面白かったです。
そして「対人のルール」破りをすることにより、その人の本性をあぶりだすところも。奥田英朗さんの『空中ブランコ』に登場する伊良部医師を思い出しました。
(巻末についている香山さんの選評にも「伊良部一郎とは別タイプの超変人」と書かれています。)

「バガージマヌパナス わが島のはなし」池上永一著(文藝春秋)

2009-04-23 | 日本の作家
「バガージマヌパナス わが島のはなし」池上永一著(文藝春秋)を読みました。
神様のお告げで、ユタ(巫女)になれと命ぜられた19歳の綾乃。困った彼女は86歳の大親友オージャーガンマーに相談します。
沖縄の言葉、三線、歌。神と人とが隣り合う島。
この作品は第6回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しています。

とびかう沖縄の言葉がなんとも気持ちいいです。
一応(かっこ)して、音のあとに意味が書いてあるのですが、これは沖縄言葉じゃないと迫力でないよなあ、という言葉ばかり。

「アガーッ(痛い)」「ワジワジッー(不愉快)」「サリンドー(ぶっ殺す)!」

これ、何も汚い言葉ばかりを選んで並べたわけじゃありません。
主人公綾乃がよく使う言葉。
綾乃・・・黒髪に白い肌の美少女。
その外見とのギャップがすごい、暴力的でがさつでフラー(馬鹿)な娘。
面倒くさがりで、ガジュマルの木の下で老婆オージャーガンマーとユンタク(おしゃべり)するのが何よりの楽しみ。
綾乃がユタになったのはもともと霊感があるという資質もさることながら、世俗に染まってないことも多分にあったと思います。

そして綾乃にユタになれと宣託する神様とのやりとり。
「ターガヒーガプッ(誰がやるかよ、そんなもん)」と暴言を吐く綾乃、怒って神罰をくだす神様。このバタバタぶりが面白いです。

この島の神様とは、畏れ敬い神棚にあげられたままの存在ではなくて、人とともに生きている、そんな感じがしました。

そしてオージャーガンマー。
オレンジの髪にルイヴィトンのバッグ。(中身は生魚、ほか。)
綾乃と遊びまくり感覚がずれている彼女ですが、海にむかって三線を弾く場面は印象的でした。

「みっともないさあ。もっといっぱい泣いて、さっきの涙を押し流さないといけないさあねえ。むかしは泣いて地面に落としてしまえばすぐに忘れられたのに、今じゃあ体にしみこんでまた戻ってくるさあ。」

ユタはなぜ拝むのか。
「私たちは死んでしまったから、形はもうないんだよ。
私たちが姿や思い出を保つのは、人間界に住む人々の故人を偲ぶ心だけなんだよ」

死者を拝むこと、それは自分のルーツを大事にすることでもあり、見えないものを感じることでもある。
土地と人と霊と神に耳を傾けるユタ、そしてその島を思い浮かべました。


「ジーザス・サン」デニス・ジョンソン著(柴田元幸訳)白水社

2009-04-22 | 柴田元幸
「ジーザス・サン」デニス・ジョンソン著(柴田元幸訳)白水社を読みました。
麻薬におぼれ、社会の底辺でもがきながら生きる、破滅的な人びと。
幻覚のような語りの11の短篇集です。
この短編集はアメリカで1992年に刊行されて以来、20世紀末のアメリカ短篇集の最高峰として、誰もが名を挙げる一冊でありつづけているそうです。

表題はルー・リードの「ヘロイン」という曲より。
 目いっぱい薬やって イエスの息子みたいな気分のとき・・・

生と死がいつ入れ替わってもおかしくないような暮らし。
猥雑に行き違う人々、ゆきずりの女。モラルのない会話。損なわれた自分自身。

 「どうやったら人間そこまで堕ちられるのか?
 その問いは俺にも理解できる。それに対し、俺はこう答える。
 冗談でしょ?そんなの簡単ですよ。
 俺、もっとずっと下まで堕ちたことありますよ。
 それでもまだ、きっともっと下まで行くよなって思いましたよ。」

印象的だった作品は「緊急」です。
緊急治療室で働きはじめた「俺」。ぶらぶらするか、雑役夫と薬を盗むしかない日々。ある深夜、目にナイフが刺さった男が連れられてきます。その結末とは。

不思議なできごと。突拍子もない台詞、ぶつっと断ち切られるラスト。
これは「小説を書く」ことを自覚して書ける文章なのでしょうか?
ほかに似たような小説がない、オリジナルな短編ばかりです。

「ナチュラル・アーキテクチャー」アレサンドロ・ロッカ著(大塚典子訳)BNN新社

2009-04-21 | エッセイ・実用書・その他
「ナチュラル・アーキテクチャー」アレサンドロ・ロッカ著(大塚典子訳)BNN新社を読みました。
18組のアーティストや建築家が、オーガニックな素材や自然環境を用いて創り出した美しく神秘的な環境アートの実録を、写真やスケッチ、模型で紹介した写真集です。

すごいなーと思ったのはマルセル・カルベレールさんの植物で作る大聖堂。
生きたヤナギの木を植え、枝で形を作り、そこに緑の葉が芽吹いていく。
そのほかにも、歩道に植えられたヤナギがオーケストラの楽器を表し、その高さは音の高さを、道幅は音の強さを、ヤナギの間の距離は音の長さを表している、という「触れる楽譜」の発想が面白かった。

それから見てみたいと思ったのはクリス・ドルーリーさんの石の家。
家の上や横に穴があいており、そこにレンズと鏡を設置することにより、家の中がカメラ・オブ・スキュラになる。
家の壁や床に映し出される水面や雲。とても面白いアイディアです。

童話に出てくるような建造物を実際に形にする仕事、素敵です。