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「うたかたの日々」ボリス・ヴィアン著(伊東守男訳)早川書房を読みました。
夢多き青年コランと、美しく繊細な少女クロエの恋。だがそれも束の間、結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取り憑かれていました。
パリの若者たちの姿を描いた著者の代表作。新潮社版では「日々の泡」という題名で出版されています。私が読んだ早川の文庫の解説は小川洋子さん。
内容について触れますので未読の方はご注意ください。
音楽をかなでるとカクテルができるピアノ。水道管を伝ってパイナップル味の歯磨き粉を食べに来るうなぎ。キッチンに住むハツカネズミ。寒さをしのぐために鳥かごを首の下に入れて歩く通行人。鳩の首をもつスケート場の係員。
「コランは黄色いシルクのハンカチで風向きを測った。すると、ハンカチの色が風に持ってかれ、不規則な形をした大きな建物の上に乗っかった。すると、それがモリトール・スケート場だった。」
シャガールの絵のように、自由に飛び交うイメージの交差。
小説ってこんなに遊べるジャンルなんだ!と読んでいて楽しくなります。
クロエとコランが初めてデートする場面。
「私に会えてうれしい?」
「うん、もちろんさ!・・・」
二人は、最初の歩道沿いに、わき目もふらず歩き始めた。小さなバラ色の雲がひとつ、空から降りてきて、彼らに近づいた。
「行くぞ」と雲がいった。
「行こう」とコラン。
雲が二人をすっぽりつつんだ。中に入ると熱く、シナモン・シュガーの味がしていた。
映画「アメリ」を思い出させるような小さな恋の始まりです。
しかし結婚した彼らにしのびよる影。クロエの肺の中には睡蓮の花が。
コランは彼女の寝室を「睡蓮をおっかながらせるために」たくさんの花で埋め尽くします。
病、次第に進む困窮、友の殺人。
かわいらしい恋の前半と後半とは激しいコントラストを成しています。
最後の葬儀の場面は悲劇、そして喜劇。
ほかに類をみない、ヴィアン独自の世界が描かれている小説です。
夢多き青年コランと、美しく繊細な少女クロエの恋。だがそれも束の間、結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取り憑かれていました。
パリの若者たちの姿を描いた著者の代表作。新潮社版では「日々の泡」という題名で出版されています。私が読んだ早川の文庫の解説は小川洋子さん。
内容について触れますので未読の方はご注意ください。
音楽をかなでるとカクテルができるピアノ。水道管を伝ってパイナップル味の歯磨き粉を食べに来るうなぎ。キッチンに住むハツカネズミ。寒さをしのぐために鳥かごを首の下に入れて歩く通行人。鳩の首をもつスケート場の係員。
「コランは黄色いシルクのハンカチで風向きを測った。すると、ハンカチの色が風に持ってかれ、不規則な形をした大きな建物の上に乗っかった。すると、それがモリトール・スケート場だった。」
シャガールの絵のように、自由に飛び交うイメージの交差。
小説ってこんなに遊べるジャンルなんだ!と読んでいて楽しくなります。
クロエとコランが初めてデートする場面。
「私に会えてうれしい?」
「うん、もちろんさ!・・・」
二人は、最初の歩道沿いに、わき目もふらず歩き始めた。小さなバラ色の雲がひとつ、空から降りてきて、彼らに近づいた。
「行くぞ」と雲がいった。
「行こう」とコラン。
雲が二人をすっぽりつつんだ。中に入ると熱く、シナモン・シュガーの味がしていた。
映画「アメリ」を思い出させるような小さな恋の始まりです。
しかし結婚した彼らにしのびよる影。クロエの肺の中には睡蓮の花が。
コランは彼女の寝室を「睡蓮をおっかながらせるために」たくさんの花で埋め尽くします。
病、次第に進む困窮、友の殺人。
かわいらしい恋の前半と後半とは激しいコントラストを成しています。
最後の葬儀の場面は悲劇、そして喜劇。
ほかに類をみない、ヴィアン独自の世界が描かれている小説です。
読んでいるあいだ、なんとなくペイネの恋人たちを主人公たちに重ねていました。なぜだろう。ペイネはこの小説とは真逆の、幸福の賛歌なのに。
こんな悲痛な小説を書ききってしまうのだから、ヴィアンは恐ろしい作家だなあと感じました。
前半のふたりは夢の中にいるような遊び心のあるペイネの絵の恋人たちの姿に重なりますね。
しかし後半はすごいです。
私だったら花に囲まれ、部屋が縮んでいく崩壊の予感のあたりで小説を終わらせると思います。(そのほうがきれい)
でも最後のわやくちゃー!まで書いてしまうところがヴィアンの恐ろしいところですね。