Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「時のかさなり」ナンシー・ヒューストン著(横川晶子訳)新潮社

2009-05-26 | 外国の作家
「時のかさなり」ナンシー・ヒューストン著(横川晶子訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
2004年のブッシュ政権下のカリフォルニア、豊かな家庭で甘やかされながら育つ少年ソル。
1982年、レバノン戦争ただ中のハイファに移り住み、アラブ人の美少女との初恋に苦悩する少年ランダル。
1962年、トロントで厳格な祖父母に育てられており、自由奔放で輝くばかりの魅力に溢れる母に憧れる多感な少女・セイディ。
1944~45年、ナチス統制下のミュンヘンで、歌を愛し、実の兄亡きあと一家に引き取られた新しい兄と運命の出会いを果たすクリスティーナ。

四世代にわたる6歳の子どもの目線で語られる、ある一族の六十年。
絡まりあう過去を解きほぐしたとき明かされたものは。
フランスでフェミナ賞を受賞している長編小説です。

最初の語り手はいまどきのこども、googleをこよなく愛するソル。
母親テスは「子どもに暴力をふるってはいけない」「子どもが嫌いなものを強要してはいけない」「子どもに暴力的な映画やテレビを見せてはいけない」などソルの安全を一番に考え、いつもさきまわりしてトラブルが起きないようにする母親。
でも隠れてインターネットで暴力的、扇情的な画像を見ているソル。

この第一章では曾祖母エラ、祖母セイディ、父親ランダル、とすべての世代が一同に会します。
エラのあざの名前「リュート」、エラの歌に歌詞がない理由、母セイディにはあざがないと息子ランダルが語る場面、レーベンスボルン、姉グレタの持つ人形。
さまざまなキーワードが章を進み時間がさかのぼるにつれ、次第にあきらかになっていきます。

自分なりによいと思うやり方でがんばって子どもを育てる母親、
でも子どもは思うようには育たなく、むしろ「そうなって欲しくない方向」に育ってしまう。
たとえば、あざを予防的に早めにとろうとしたけれど、術後の予後が悪くて前よりもっとひどくなったソルの傷跡。
たとえば、ナチスの悪行を自分の人生をかけて研究してきたセイディの息子ランダルが、アメリカ軍礼賛になってしまったこと。
子育てまっただなかの私にとっては、人ごとには思えず、正直読んでいてつらかったです。
親子は反発しあうもので、本当に子どもに影響を及ぼせるのは隔世(祖父母)との人間関係なのでしょうか?

それからこの作品では名前も重要なキーワードです。
それぞれの子どもたちの名前の意味。
最終章では自分で自分に名前をつけたふたりも。

そして一族と同じくらい重要な人物・ヤネク。

「ぼくは、いつだってきみといっしょにいる・・・」

一族にひきつがれるアザはまるでヤネクの想いのよう。
第三章でさらっと登場するヤネクのその後を思うと、本当に胸が痛みます。

全部読み終えてから、もう一度最初から読み直すと、きっと感じるものがぜんぜん違うと思います。
一族の歴史をさかのぼって書くという設定がパズルのような読み解きになって、面白い本でした。

「血液と石鹸」リン・ディン著(柴田元幸訳)早川書房

2009-05-25 | 柴田元幸
「血液と石鹸」リン・ディン著(柴田元幸訳)早川書房を読みました。
著者はベトナム系アメリカ人作家。前衛誌に詩や小説を発表しており、これは二冊目の短篇集だそうです。
牢獄で一人、何語かさえ不明な言語の解読に励む男の姿を描く「囚人と辞書」。
逮捕された偽英語教師の数奇な半生が明らかになる「"!"」。
不気味でエロティックな幽霊とのホテルでの遭遇を物語る「もはや我らとともにない人々」。
アパートの隣人が夜中に叫び続ける奇怪な台詞の正体に迫る「自殺か他殺か?」
言葉にこだわりを見せる短編、ブラックな味わいのものなど37篇が収録。

なかには一頁だけという超短編もあって、ちょこちょこと読めます。
あるワンシーンの描写だけ、さわりだけ、のような短編も多くて、読み終えたあとも頭の中で登場人物たちがまだ動いていそうな感じ。

印象的だった作品。

『食物の召還』
料理本をいかなる小説よりも優れたものとして愛読している彼女。

「料理本があたしの旅行記なのよ。料理本こそ、真に広大な宇宙を指し示しているのよ。」

チーズの名前を叫ぶ彼女の姿がおかしいです。

「ゴルゴンゾーラ、ベル・パエーゼ、イエトオスト、ラクレット、サプサーゴ。
サプサーゴ!サプサーゴ!って何度も言えば、サプサーゴがどんなものであれ、それを味わったことになるのよ。外国の言葉は、外国の料理と同じで、はじめは舌に逆らうけれど、とにかくそれを呑み込めるようにならなくちゃいけない。」


『ただいま上映中』
著者が考えた架空の映画、名作映画のパロディなどが数々登場。
表題「血液と石鹸」の題を冠した映画もこの短編に登場します。

面白かったのは「郵便配達は二度ベルを鳴らす」。
「同名のアメリカ映画とはいっさい無関係な中国映画。毎日配達のさいに必ず二度ベルを鳴らす気のいい郵便配達人が退職するまでを描く」

う~ん、ミニシアター系のそっちの映画もちょっとみてみたいかも。

それから「ブラインド越しに」という架空映画。
性的な要素がない場面でも覗き見が好きな男の話。
「自分はバードウォチャーと同じく単なる「自然観察者」だ、もしくは「成り行き任せに印象を集めて回る者」だ」
これはまるで著者自身のことのよう。

『わが国北の果ての知事』
同じ人間は同じ場所にいられない、というセリフがなんだか意味深。
村上春樹さんの「海辺のカフカ」でナカタさんとカフカくんが決して出会わないことなどを連想してしまいました。

『隠された棺桶の町』
からっぽの棺桶の埋まった呪われた町の話。(まゆつば)
別役実の童話にありそうな設定です。


ちょっとユアグローの世界にも通じるものがあって、柴田さんが好んで訳したのがわかるような気がする本です。

「AMAN トルコの恋人たち」野中幾美著(日地出版)

2009-05-24 | トルコ関連
「AMAN トルコの恋人たち」野中幾美著(日地出版)を読みました。
トルコ人男性の台詞、「彼女たちはトルコに結婚しに来るのかい?」
トルコ人男性に魅せられてしまった日本人女性達の恋のてん末。
彼女たちの話を、リゾート地・ボドルムのペンションを営む日本人妻のユキコが語る、という小説形式で描かれています。
ちなみに著者はアンタルヤのアンティークギャラリーの店主だそうです。

リゾート地ならではの外国人観光客をターゲットにするトルコ人男性。
恋人だと思っていたのに、なんでも自分にお金を出させる彼。
トルコではなんでも買ってくれた日本人女性をあてにして来日したトルコ人男性。
女性は金持ちでもなんでもなく、満員列車で夜遅くまで働くOLで、彼は豊かなはずの日本人のロボットのような暮らしに失望。

数々の厳しいエピソード。
やっぱりリゾートの恋はそんなに甘くない!?

でも、一目会って恋に落ち、お互い自由に言葉もかわせないのに結婚までいきついた男女のハッピーなエピソードもあります。

合間に、トルコに関しての短いコラムもあります。
ツリーハウスに泊まれるオリンポスという村、行ってみたいなあ。

本は同時進行で。

2009-05-22 | エッセイ・実用書・その他
この間テレビで角田光代さんが「本を読むときは並行していくつかの本を読む」という話をされていました。
外出用に一冊、トイレ用に一冊、昼食用に一冊、夜寝る前用に一冊、だったかな?

その話に私も共感。

私は生活のシチュエーションで分けるのではなく、ジャンルの違う2~3冊の本をいつも同時進行で読んでいます。
ひとつの本(特に純文学などの濃密な文章)をずっと読んでいると、その本の世界観、作者の文体がだんだん重くなって文章が頭に入らなくなってくるのです。
その本の面白い、面白くないとは関係がないのですが。

アメリカ文学を読んで、息抜きにエッセイ読んで、日本の作家の短編読みつつ、またアメリカ文学にもどって・・・という感じです。

しかし本の息抜きも「本」である自分の活字中毒ぶりがこわいです。
日常生活に支障をきたさないように、意識して自制しなきゃね。

「さよなら、愛しい人」レイモンド・チャンドラー著(村上春樹訳)早川書房

2009-05-22 | 村上春樹
「さよなら、愛しい人」レイモンド・チャンドラー著(村上春樹訳)早川書房を読みました。
刑務所から出所したばかりの大男、ヘラ鹿(ムース)・マロイは、8年前に別れた恋人ヴェルマを探しに黒人街の酒場にやってきました。
しかし、そこで激情に駆られて殺人を犯してしまいます。
偶然、現場に居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらましたマロイと女を探して夜の酒場をさまよいます。
一途な愛を待ち受ける結末とは。
「ロング・グッドバイ」につづいた、村上さんによるマーロウシリーズの新訳です。(ちなみに既刊の訳は清水俊二さん訳の「さらば、愛しき女よ」。)

次から次へと起こる事件を追う物語の面白さ。
思いがけない場所で接点を見せる人物たち、次第に明らかになるつながり。
幾度となく訪れるピンチを乗り越えるマーロウ。

訳者あとがきにもありますが、ストーリーを彩る個性的な人物描写もとても面白いです。
体臭の強いインディアンの、セカンド・プランティング。青白い顔のきどった男マリオット。掃除のできない女ジェシー・フロリアン。巡査部長ガルブレイス(ヘミングウェイ)とのやりとり。

そしてマーロウものといったら機知に富んだ会話。
そして文章の仕掛けもあちこちに。

「女ってのはな、あらゆることで嘘をつくんだ。嘘をつかなきゃ損みたいに嘘をつく。」

「モンテマー・ヴィスタには数十件の家が建っている。サイズも形もさまざまだが、それらはみんな山の張り出しに、実に危うくぶら下がっているみたいに見える。大きなくしゃみをひとつしたら、ビーチで広げられているボックス・ランチのあいだに落っこちてしまいそうだ。」

殴られたマーロウが自分自身と話すシーンも、表現上のアクセントになっていて、誰の会話かな?と思ったらマーロウの内的会話だったりして、驚きがあって楽しい。

文句なしに面白いこの小説。
息もつかせぬ展開に一気読みです!
ラストは・・・・でした。


「生きるとは、自分の物語を生きること」河合隼雄/小川洋子著(新潮社)

2009-05-22 | エッセイ・実用書・その他
「生きるとは、自分の物語を生きること」河合隼雄/小川洋子著(新潮社)を読みました。
ふたりの二回の対談のあと河合さんが倒れられたとのことで、最後に小川さんの「長すぎるあとがき」にお悔やみが述べられています。
対談というよりは、小川さんが疑問をぶつける、という形が多いようです。
一回目の対談は「博士の愛した数式」について。
二回目は箱庭療法のこと、源氏物語について、小川さんの実家の金光教のことなど、話題は多岐に渡っています。

印象に残った言葉を抜粋します。

「やっぱり死ぬよりは生きたほうがええんと違うかとか、なるべく好きな人と結婚したほうがいいんじゃないかとかっていう、いわゆる常識というのも、僕らは忘れてはいけないんです。忘れてはいないけれど、でも縛られたら駄目なんですね。」

小川「母親は子どもを亡くすと、自分に責任がない場合でも、必ず非常な後悔で残りの人生を生きがちですよね。」
河合「そのとおりです。だけどそのことを、重荷として苦しんでばっかりおったら意味ないわけでしょ。その荷物を礎にせなアカンわけですよ。
そういう時、原罪というものを柱として持っている宗教があると知っていることは、ものすごく強いことです。」

「個というものは実は無限な広がりを持っているのに、人間は自分の知ってる範囲で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。
「個」というのは、本当はそんな単純じゃないのに、そんなところを基にして限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。
「個」を大きな流れの中で考える、そういうふうに「個」を見るということはものすごく大事なんじゃないですかね。」

小川「日常の中で、何気なく人を励ましてるつもりでもぜんぜん励ましたことにはなってなくて、むしろ中途半端に放り出してるってことがあるんでしょうね。」
河合「それはつまり切ってるということです。切るときは、励ましの言葉で切ると一番カッコええわけね。「がんばれよ」っていうのは、つまり「さよなら」ってことです。だから僕らは「頑張りや」は言わんと別れるんですね。「あなたが持ってきた荷物は、私も持ってますよ」っていう態度で別れる。」

それから、経験をつみ、実績を積み、臨床心理学界の第一人者どころか、人間界の長老のような存在の河合さんでも「人は一人一人違う。同じ人がくるはずはないので、前のことを生かしてやるということは、ほとんどありえない」と語った言葉がすごいと思いました。
私なんて、つたない人生経験しかないのに「この人はこういうタイプ」と人づきあいのハウツーを決めてしまっている気がします。反省です。

平易で、でもとても深い河合さんの言葉にはいつも考えさせらます。
河合さんの新刊を、これからも読みたかったなあ・・・。



「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン著(志村正雄訳)筑摩書房

2009-05-20 | 外国の作家
「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン著(志村正雄訳)筑摩書房を読みました。
主人公エディパ・マースのもとに届いた一通の手紙、それは大富豪ピアス・インヴェラリティの遺言執行人に選ばれたという内容でした。
弁護士メッガーとの一夜。
芝居「急使の悲劇」の謎の言葉「トライステロ」。
あらゆるところに現れる郵便喇叭の印。
非公式の郵便組織の存在が次第に明かされていきます。
復刊にあたり、本邦初訳短編「殺すも生かすもウィーンでは」が併録されています。

ピンチョンの小説のなかでは代表作「重力の虹」より読みやすいという評判で読んでみました。
「小説を読む喜び」を満たしてくれる文章・・・すばらしいですね。

たとえばメッガーがエディパを口説く場面。
「メッガーはエディパのてのひらにキス、ざらざらした舌の先がしばらくその運命線のあたり、彼女のアイデンティティの、変化することのない、塩を含んだ線影のあたりをかすめた。」
運命線に口づける、という表現。
映画だったら「ただ手にキスした」という映像で終わってしまいますが、文章だとひとつの出来事に托した筆者の独自のものの見方、感じ方を読者がなぞることができる。
それがまさに「小説を読む喜び」なのだと思います。

郵便組織の存在は現実なのか、亡くなったピアスの仕組んだものなのか、それとも彼女の妄想なのか。信じがたいものが実在するよりは、自分の妄想であったほうがいっそ望ましいとすら思うエディパ。

しかし精神科医ヒレリアスは彼女の治療を拒みます。
「それは大事にとっておけ!それ以外に誰に何があるというんだ?
その幻想の小さな触手をしっかり握ることだ。フロイト学派の言うことを聞いてそれを手放したり、薬剤師の薬でそれを追い出したりするな。
それがどんな幻想であろうと大事に握っておくんだ。それをなくしたら、その分だけ、きみは他人のほうに行ってしまう。存在しなくなり始めるんだ。」

幻想=病気ではなく、その人が世界を眺める角度のこと、なのでしょうか。

そしてどこにいってもいきあたるピアスの影は、まるで資本主義にからめとられている私たちの生活(ファッション、マスコミ、エネルギー、雑貨、別々のものにお金を払っているようでいて、全部同じ会社が牛耳っている・・・)を暗示しているように感じられました。

それからこの本は装丁が秀逸!
表紙はなんということない落ち着いたクリーム色なのですが、開くとめくるめく円盤模様、文字の配置、色、切手の枠組み、光沢のある紙質すべてがパーフェクトです。装丁は木庭貴信さん。当時はコズフィッシュに在籍されていたようですが、現在は離れられているようです。

あとひとつ残念なのは、長い解注が不要だと思いました。訳注だけでよいのでは。
小説に付記されていると訳者の解釈を押し付けられているように感じたので、この小説とはまったく別の本にまとめた方がよいのではないかと思いました。
でも49という数字が「イエスの復活を祝うイースターから49日目に使徒たちがいろいろな国の言葉で語りだした」という聖霊降臨節の数字だというのは面白かったです。キリスト教圏の人は49という数字に特別な意味を感じ取るのですね。


「最後のユニコーン」ピーター・S・ビーグル著(鏡明訳)早川書房

2009-05-18 | 外国の作家
「最後のユニコーン」ピーター・S・ビーグル著(鏡明(かがみ あきら)訳)早川書房を読みました。
この世でもっとも美しい生き物、ユニコーン。
世界でただひとりライラックの森に残されたユニコーンは、蝶が残していった「赤い牡牛」という謎の言葉をてがかりに、消えた仲間を求めて旅に出ます。

たんぽぽの綿毛のようなたてがみ、貝殻色に光る角をもつユニコーンは時の流れを知らずに森で暮らしていました。ある日であった人間が口にした「最後のユニコーン」という言葉に不安を感じ、ついに森を離れ、ほかの仲間を探す旅に出ます。
ユニコーンは人間たちが自分を美しい馬にしか見えていないことにショックを受けます。

旅の道連れはめくらまし程度の魔法しか使えない魔術師のシュメンドリック。
口は悪いけれど働き者の女性モリー・グルー。
一行は「赤い牡牛」がいるという情報を元に、ハガード王の城下町ハグスゲイトにたどりつきます。

ハガード王のただひとりの身内リーア王子の生い立ち。
ユニコーンと牡牛の対峙。
アマルシア姫と王子の出会い。
額に花のような模様のある姫。ただ美しいだけではない、内側から光を発しているような聖女を思い浮かべます。
人間的な感情を持たないように見えるハガード王がアマルシア姫に言った言葉が印象的です。

「おまえの目はどうしたのだ?緑の葉でいっぱいだ。木々とせせらぎと、小さな獣たちで満ち満ちている。わたしはどこにいるのだ?どうしておまえの瞳の中に、このわたしを見出すことができないのだ?」

ハガード王は暴君だけれど、もっとも手に入れたいものを決して手に入れられない、安らぎを知らない哀れな人に思えます。
王の城には四人の老兵がおり、この城で唯一庶民的な人達で、読んでいてほっとするのですが、そのひとりの兵が自分に向けて言った言葉が、王自身をも表しているように思いました。

「年を食っちまうと、心を乱さないものなら何でも、安楽に感じられるのさ。寒さや暗さ、退屈なんてものは、おれたちにはとっくの昔に鋭い刃を失ってしまっている。だが、あたたかさ、歌を歌うこと、おしゃべりすることは違う。それはみんな、心を乱すものだ。」

一般には「生きる喜びそのもの」と思う事柄が、ハガード王には「自分の心を騒がせる悪しきもの」とうつるのかもしれませんね。

仲間のユニコーンたちの行方は。
予言の成就は。
美しい寓意に満ちたファンタジーです。

「悪童日記」アゴタ・クリストフ著(堀茂樹訳)早川書房

2009-05-17 | 外国の作家
「悪童日記」アゴタ・クリストフ著(堀茂樹訳)早川書房を読みました。
戦争が激しさを増し、双子の兄弟「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開しました。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まります。
人間の醜さ、哀しさ、世の不条理。
「ぼくら」は非常な現実を生き抜くための術を一から習得し、独学で教育を身につけ、それを克明に日記にしるします。
戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていきます。

著者はハンガリー生まれで幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には社会主義国家となった母国を捨て西側に亡命しているそうです。
この小説は著者の処女作だそうですが、作品自体は「大きな町」「小さな街」というように固有名詞が書かれておらず、歴史小説として描かれてはいません。
続編の『証拠』『第三の嘘』で三部作となっている作品です。

貧困と飢え、暴力、あからさまな性の欲求に満ちた戦中の町。
お互いを痛めつけ、断食をし、万引きをし、何時間も不動のまま過ごし、厳しい現実を生き抜いていく「練習」を重ねるふたり。
肉親の死を目の当たりにし、時には殺人をも犯す兄弟。
けれどもふたりの心情は日記には決して描かれません。

盗みを働く。司祭を脅す。人を殺める。
まだ乳歯しか生えていないような幼いふたりが、ただひたすら生き延びるために「世の中のルール」を無視して暮らしていく。
そこは「人権」などという言葉が意味を成さない戦争のただなか。

ふたりの生き様はたくましくもあり、いたましくもあります。
ラストシーンは衝撃的。

「翻訳文学ブックカフェ2」新元良一著(本の雑誌社)

2009-05-17 | 柴田元幸
「翻訳文学ブックカフェ2」新元良一(にいもと りょういち)著(本の雑誌社)を読みました。
柴田元幸さん、岸本佐知子さん、堀江敏幸さん、高見浩さんなど、人気翻訳家12人に、翻訳について、現在の海外文学について、翻訳してみたい古典について、新元さんがインタビューした対談集の第二段です。

ぬきんでて面白かったのが渡辺佐智江さんとの対談。
渡辺さんの訳書は読んだことがないのですが、ぶっきらぼうかつ、突然面白いことを言う自由な感じがなんともいえずいいです。

新元「翻訳作業でやってて楽しいとか辛いとかありましたか」
渡辺「楽しくなんかありません。どんな本やってても。」

トイレで作家アッカー本人の住所を聞いた話とか、クレヨンしんちゃんみたいに、「お股の間にあの本(アッカーの著書)を挟んで丸四年売り込んでいたわけです」という話とか面白かったです。

ほかに印象に残った言葉。

柴田元幸さん。
「(翻訳に必要なのは)決断力と、それから、よくわからないときに、適当にやっておいて次にいける能力というのが大事だと思います。」

単なる「先送り」じゃなくて、一旦次に進んで全体を見渡してから、また戻る、という過程が大事なのですね。

堀江敏幸さん。
「日本語の本の場合、その気があれば一日一冊読めてしまう。へたをすると二冊、三冊読めることもある。速読なしで、です。
でもときどき抵抗のあるもの(外国語の本)を取り入れないと、読書力を過信しちゃうんですね。
辞書をひきひき、そんな風にときどき速度を無理にでも落としてやる読み方をしないと、緊張の糸がゆるんでしまう気がしますね。」

それから小山太一さんの、「柴田先生の翻訳読書会というのが以前あった」という話が印象的でした。岸本佐知子さんや都甲幸治さんもメンバーだったとか。
柴田さんは自身の翻訳もさることながら、沢山の優れた翻訳家を育てていらっしゃるんだなーと改めて尊敬しました。