Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「二重人格」ドストエフスキー著(小沼文彦訳)岩波書店

2007-10-26 | 外国の作家
「二重人格」ドストエフスキー著(小沼文彦訳)岩波書店を読みました。
主人公は小心で引っこみ思案の典型的小役人ゴリャートキン。
家柄も才能もない彼ですが、栄達を望む野心だけは人一倍強い人物。そんな彼の前に名前も外見もそっくり同じ、もう1人の自分が現れます。
ドストエフスキーの第2作目の作品。(一作目は「貧しい人々」)

原題の意味は「ドッペルゲンガー」だとか。「二重人格」だと同じ人物の別人格という意味だから、原題の意味のまま邦題にしたほうがよかったのではないかなーと思います。
もう一人の自分が同じ職場に就職して、しかも自分より評価が高く、世渡りがうまい、そういう不思議で不愉快な現実に主人公本人は直面し困惑しているわけですから。(周囲にとっては「幻覚」だとしても)

ゴリャートキンほど分裂症気味ではないとしても、誰でも思っている自分と行動している自分との乖離って日々経験しているのではないかと思います。
心の中ではムカムカしているのに、顔では笑って上司に頭を下げる自分、とか。
でもそういう乖離を、「不誠実なもの」と思い、自分で自分が認められず許せない、という状況がゴリャートキンのようにもうひとりの自分を生み出す要因になるのかな、と思いました。





「わたしたちの帽子」高楼方子著(フレーベル館)

2007-10-26 | 児童書・ヤングアダルト
「わたしたちの帽子」高楼方子著(フレーベル館)を読みました。
家の改装のため、5年生進級を前にした春休みの間だけ古いビルで暮らすことになったサキ。
階段や廊下が奇妙な具合につながっているそのビルでサキがであったのは不思議な少女。さまざまなきれが縫い合わされた帽子が鍵となって、長い時間がとけあう物語がはじまります。

祖母・母・娘・・・三世代の時間が絡み合う物語といえば高楼さんのおはこ。
過去の時間をいつくしむだけではない、その時間をさらに長くつづく未来への物語につなげるという考え方がいいなと思いました。
屋上にヘンな形のものがいっぱいあったり、長い螺旋階段があったり・・・、サキが住んだビルには、なんとなくガウディの建築を想像させられました。
日常にファンタジーを呼び込む力、私も見習いたい。

「丘はうたう」マインダート・ディヤング著(脇明子訳)福音館書店

2007-10-25 | 児童書・ヤングアダルト
「丘はうたう」マインダート・ディヤング著(脇明子訳)福音館書店を読みました。挿絵はモーリス・センダック。
まだ学校に行っていない幼い少年レイ。姉シャーリー、兄マーティンとともに一家で田舎に引っ越してきます。家の周囲は一面のとうもろこし畑。
小川で空き缶を流したり、スカンクの穴を見つけたり・・・兄弟たちの新しい生活が始まります。

幼いレイがひとつひとつの新しい出会いに不安と期待ではちきれそうな様子が生き生きと語られます。私自身末っ子なので、年上の兄弟との関係も「あ~こんな風だったな~」ととてもリアルでした。
ウマとどのようにつきあおうか、どきどきするレイの気持ちも自分のことのように感じました。
ユーモラスなお父さんが近所の老人へかける優しい思いやりもとてもいいなと思いました。

実は最近までアンデルセン賞もとっているアメリカの有名児童文学作家、マインダート・ディヤングの存在をまったく知らなかった私。この本も日本では絶版なんですよね・・・図書館で借りて読みました。
ディヤングを知ったきっかけは絵本作家のさくまゆみこさんの講演を聴いてから。
さくまさんは今アメリカのカリスマ児童文学編集者だったアーシュラ・ノードストロームさん(センダックやマーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本などをてがけたかた)の書簡集を翻訳中だそうです。(福音館から出版予定、邦訳未定)
若く精神的に不安定なディヤングをずっと励ましつづけたアーシュラ。
でも有名になり成功したディヤングはアーシュラとの交流をばっさり絶ったとか。アーシュラにとってそれはとても心の傷となるできごとだったそうです。
そんな激しい人となりを聞いてから読んだせいか、この本の健やかさがとても印象に残りました。
ディヤングの作品、もう少し読んでみたいです。



「ペンギンの憂鬱」アンドレイ・クルコフ著(沼野恭子訳)新潮社

2007-10-25 | 外国の作家
「ペンギンの憂鬱」アンドレイ・クルコフ著(沼野恭子訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
恋人に去られた孤独なヴィクトルは、憂鬱症のペンギン・ミーシャと暮らす売れない小説家。
彼は生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を受けますが、それはまだ存命の大物政治家や財界人や軍人たちの「追悼記事」をあらかじめ書いておく仕事。やがてその大物たちが次々に死んでいきます。
舞台はソ連崩壊後の新生国家ウクライナの首都キエフ。ヴィクトルの身辺にも不穏な影がちらつきます。

たまたま預かることになった知人の娘で4歳のソーニャと、ペンギンのミーシャのやりとりがとてもかわいく、作品内の不穏な空気をやわらげてくれます。
警察官セルゲイ、その姪でベビーシッターを勤めることになるニーナ、元飼育員のピドパールィ。浅い関係のままヴィクトルの周囲を彩る人々。
「何かおかしい」と感じながらも、高給と待遇のよさについつい日々を受け流していたヴィクトル。うまい話にはやっぱり裏がある・・。
ラストは「あ、こうなるのか!」という驚きと奇妙な納得がありました。


「ルチアさん」高楼方子著(フレーベル館)

2007-10-25 | 児童書・ヤングアダルト
「ルチアさん」高楼方子著(フレーベル館)を読みました。
もうずいぶん昔のこと、あるところに「たそがれ屋敷」とよばれる一軒の家がありました。そこに住むのは奥さまと、ふたりの娘と、ふたりのお手伝いさん。その家にやってきたあたらしいお手伝いはルチアさん。
ふたりの少女の目にだけ、ルチアさんの姿がぼうっと光りかがやいてうつるその理由とは?

船乗りの父親がふたりにおみやげにくれた水色の宝石。
日々の生活に時間を追われる人には見えない、水色の光。
「どこか遠いところ」を夢見ながら、「いまいるここ」をその「どこか」にできる人・・・ルチアさんは本当にまれな女性だったのだなと思いました。

「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ著(米川良夫訳)白水社

2007-10-20 | 外国の作家
「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ著(米川良夫訳)白水社を読みました。
イタリアの男爵家の長子コジモ少年は、12歳のある日、カタツムリ料理を拒否して木に登りました。以来、恋も冒険も革命もすべてが樹上という、奇想天外なファンタジーが繰り広げられます。

木の上で生活するといっても一本の木ではなく、地面に足をつけないならOKというルール。サルのように木をつたって暮らすコジモ。
食事、睡眠、排泄を行い、雨露をしのぎ快適に暮らせるようお金も稼ぐ。恋もする。海賊との戦いまで!
後半ナポレオンやトルストイの「戦争と平和」の登場人物が出てくるあたりはちょっと余計な気がしましたが。
コジモの、ほかに類を見ない生活ぶりがサバイバル書みたいで面白かったです。


「芥川龍之介 短篇集」ジェイ・ルービン編(畔柳和代訳)村上春樹序(新潮社)

2007-10-19 | 村上春樹
「芥川龍之介 短篇集」ジェイ・ルービン編(畔柳和代訳)村上春樹序(新潮社)を読みました。
代表作「羅生門」「蜘蛛の糸」「地獄変」から「馬の脚」「首が落ちた話」、そして「或阿呆の一生」「歯車」まで、名作&埋もれた傑作18篇が平安~近代、そして私小説的な作品まで時代順に並べられた短篇集です。
昨年アメリカでペンギン・クラシックスとして英訳出版されたものと同じ内容の日本版。
始めにルービンさんの芥川龍之介への思いやこの本の編纂のねらいが語られた文章がつづられます。特に「馬の脚」「葱」はうずもれた作品としてとりあげたかったそう。
村上春樹さんは序文の中で「芥川の文学の美点はまず何よりもその文章のうまさ、質の良さである」と語っています。
その上で、世間で脚光を浴びてから、時代が求める文学の流れや厳しい批評家があれこれ言う中で、芥川がどのような文学的方向を目指していくか試行錯誤していた点を丁寧に語っています。

私は芥川龍之介は大学時代に全集をひとあたり読んでいたのですが、この本がなければ読み返すことはなかったかも。改めて、面白かったです。
ルービンさんも言うとおりやっぱり「地獄変」のすさまじさが一番印象に残りました。
「馬の脚」は初めて読みました。カフカ的で興味深かったです。
アメリカの人は「お勉強」「教養」的な意識ではなく、新しく面白いものとしてこの本を読むのかなあと思うと、母国語で読める私よりもちょっとうらやましい気もします。

「青い目のネコと魔女をおえ」マインダート・ディヤング著(黒沢浩訳)文研出版

2007-10-19 | 児童書・ヤングアダルト
「青い目のネコと魔女をおえ」マインダート・ディヤング著(黒沢浩訳)文研出版を読みました。
舞台は昔のオランダ、砂丘にあるカトベルローレンの村。
墓地の片隅にすむ賢いおばあさんは、寒い朝凍えて死にそうなカササギのひなを拾います。彼女はその後海でおぼれかけている、片目が青い子ネコも助け、家で飼います。おばあさんは知恵を絞り、本来敵通しのネコと鳥を仲良く暮らせるようにします。しかしその二匹の様子を見た少女の話を聞いた村人はおばあさんを「魔女」と呼ぶようになります。
そして村の子供たちに高熱が流行り、またひとりの赤ん坊がさらわれたことをきっかけにして村人たちは「魔女を殺せ!」と彼女をひあぶりの柱に縛りつけます・・・。
原題は「The Tower by the Sea」。邦題だと冒険物語にも間違えそうですが、実は村人たちの思い込みと集団ヒステリーが巻き起こす「魔女狩り」の、こわいこわいお話です。

因習や迷信による恐怖にとらわれず、常に物事に冷静沈着にあたる愛情深いおばあさん。
でも村人たちにはそのような彼女の姿が奇異に映ります。
村にふりかかる災いを一掃するために彼女にすべてを押し付け、リンチ同然に排除しようとする村人たち。集団真理の恐ろしさを実感します・・・。



「トマシーナ」ポール・ギャリコ著(山田蘭訳)東京創元社

2007-10-18 | 外国の作家
「トマシーナ」ポール・ギャリコ著(山田蘭訳)東京創元社を読みました。
スコットランドの片田舎で獣医を開業するマクデューイ氏。彼はもともと外科医志望で、獣医でありながら動物に愛情も関心も抱いていません。
そして幼い一人娘メアリ・ルーが可愛がっていた猫トマシーナを病気から救おうとせず、安楽死させてしまいます。それを機に心を閉ざすメアリ・ルー。
マクデューイ氏は、町はずれに動物たちと暮らし「いかれたローリ」と呼ばれる女性と出会い、変わっていきます。
ギャリコの代表作『さすらいのジェニィ』の血筋をひく猫トマシーナをめぐるお話。2004年に新訳で刊行されました。

この話で驚くのは本半ばにして主役のトマシーナが死んでしまうこと。
その後語り手はネコの女神バティスト・ラーに引き継がれます。
娘を失いたくない気持ちとネコへの嫉妬、ほかの動物の処置に手いっぱいのわずらわしさから安直に安楽死を選んだマクデューイ獣医。
ネコのことなどすぐに忘れて元気になるだろうと楽観視していたものの、メアリ・ルーは心の病が体に及び、死にいたる状態に。
死なせたネコを生き返らせることはできない、でも娘はネコを求めている・・・マクデューイ氏はこの状態をどう受け止め、どう償い、娘を取り戻せばいいのか?
その過程を読むのは本当に息つまる「心の冒険」という趣でした。
解説は故・河合隼雄さんですが、「愛情さえあればうまくゆくとは限らないところに難しさがある」と書かれていますが、なるほど、と納得。
過ちを犯さないことは大事ですが、取り返しのつかない過ちを犯してしまった場合にその後をどのように過ごしていくのか、人生の参考書にもなるような本です。



「サフラン・キッチン」ヤスミン・クラウザー著(小竹由美子訳)新潮社

2007-10-17 | 外国の作家
「サフラン・キッチン」ヤスミン・クラウザー著(小竹由美子訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
イランで育ち、その後イギリスに渡ったマリアムには娘サラにも知らない過去がありました。イランの都市マシャドの邸宅に要人の娘として生まれ、ある出来事をきっかけに、父によって家を追われたのです。英国人青年を夫とし、平穏な家庭を築いてきたマリアムですが、ある悲しいできごとをきっかけに40年を経て、かたく封印してきた過去を辿る旅に出ます。
故郷への懐かしさと忌まわしさ、引き裂かれた恋人への思い。
一方長い年月をともに過ごしながらも残されたイギリス人の夫の哀しみ。
そして、そんな母マリアムをみつめる娘のまなざし。
この作品はイラン系英国人の著者によるデビュー長篇です。

表題は娘サラが悲しい出来事から気持ちを変えようと台所をサフラン色に塗ろうと思ったことから。サフランの色はサフランライスの黄色ではなく、花のしべの色の方。血のような赤、または母の故郷の土の色。
マリアムは幼い時を過ごしたマシャド、そしてアリの住むマーズレーへ向かいます。思い出したくない過去がありながらも、人は自分のルーツに戻り確かめずにはいられないものなのかなあと思いました。もしそうならば、時というのは本当に人を癒す効果があるのだなあと。
嵐に閉じ込められた時にアリとサラが交わす会話が印象的です。ふたりがひきさかれたことは国の慣習や時代があったとはいえ本当に胸が痛みます。
ふたつの国で時を過ごし、でもどちらにも属していないような感覚。
マリアムが「自由」について語る場面にも考えさせられました。