Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「闇の奥」ジョゼフ・コンラッド著(黒原敏行訳)光文社

2010-03-17 | 外国の作家
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「闇の奥」ジョゼフ・コンラッド著(黒原敏行訳)光文社を読みました。
船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出ました。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。
ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。
光文社古典新訳シリーズで出版されているもの。
私はこの訳で初めて読んだので既訳との比較はできないのですが、訳者あとがきによるとマーロウの若い語り口を大事にした、また読みやすさを重視した訳になっているようです。
原題は「Heart of Darkness」。
「闇の奥」、いい題名です。

読んでいて作品の世界に潜っていく感じがしました。
それは文章がとても美しいから。

「ほかの者は眠っていたのかもしれないが、私は起きていた。起きて耳を澄ましていた。河の重い夜気から人の唇を介さず形作られてくるかのようなこの話 - それが掻き立てるかすかな不安の正体を解き明かす鍵となる言葉が現われるのを待っていた。」

マーロウは友にアフリカの魔境の話を語ります。

マーロウはアフリカへ向かう途中に「同義的な理念を引っさげてやってきた」というイギリス人クルツ氏の噂を聞きます。
現地では一介の会社員クルツ氏が神のようにあがめられ、「教化」を掲げながら残虐な行為で村を支配し象牙を搾取していました。

クルツ氏の最期の言葉。「The horror!」
それは世界に対して?自然?それとも人間、自分に対して向けられた言葉?

アフリカの暗い密林、そして人の心の闇の奥が重なります。

「ああ、なんて素晴らしい!」ショーン・ウィルシー著(坂野由紀子訳)新潮社

2010-03-11 | 村上春樹
「ああ、なんて素晴らしい!」ショーン・ウィルシー著(坂野由紀子訳)新潮社を読みました。
ママの親友だったはずの女ディディに大富豪のパパを奪われ、家庭は崩壊。継母になったディディにいじめられ、寄宿学校に追いやられた僕に待っていたのは、おかしな生徒たちばかり。僕はイジメに走り、ドラッグを覚え、本当にダメになりかけます。
雑誌「McSweeney’s」の編集者がくぐり抜けた今までを描いた半自叙伝です。

以前はテレビ出演を、その後ゴルバチョフやダライ・ラマにも会い、ノーベル平和賞の候補にあがるような平和活動をしているママ。ふさぎがちで自殺願望がある一方でプライドが高く、マスコミに注目されることが大好き。(存命)
バター会社を経営する仕事熱心な大富豪で、自家用ヘリであちこち飛び回り、数々の著名人とのつきあい、数々の女性との浮気、その葬式には「サンフランシスコ中が集まった」といわれるほどのマッチョな人物。(著者がこの本の執筆中に他界)
その生い立ちからしてケタはずれ。

両親の離婚後ひきとられたパパの家での継母(ママの元親友。こちらも存命)のいじめ。
追いやられた全寮制学校では成績不振で退学、その後二校を転々。
彼が厳しい現実をのりきるために口にする言葉「Oh The glory of it all(ああ、なんて素晴らしい!)」が表題になっています。
最後にいきついたイタリアのアミティ校で、初めて「とりつくろわないで感情を出していい」ことを知った僕。

村上春樹さんが「まるでディケンズの小説のようだ」と評したこの本。
でも小説ではないのです!事実は小説よりも奇なり。
まだ存命中の人物が多いので、辛らつに書かれている側からしたら「自叙伝」というより暴露本と思ってしまうかも。でも基本は他者(主にディディ)への攻撃ではなく、著者自身の心の葛藤をつづった本です。少年・青年時代の性にまつわる恥かしい過去も赤裸々に描いていて、それを出版してしまう著者の胆力に脱帽です。

本書を読んで一番心が痛むのは、僕をいじめてきた継母ディディと、それを黙認してきたパパ。そして「パパの理想とするような息子たれ」と権力を振るわれてきたパパと僕との関係です。
継母と継子の関係とは、やはり感情より「理性の愛」が必要なものなのでしょうか。継子に対して、半分流れている夫の元妻の面影が見え嫌悪感を覚えてしまうことは理解できなくはありません。
でも「だから自分と血がつながった子しか愛せない」というのは、貧しく悲しいことです。
そして同時に継母が継子とうまくいかない話というのも昔からずっとある問題です。
難しい。

アミティ校で自分の今までを振り返り、「水漏れしているみたいに」泣きじゃくった僕。

「感情があふれ出した。僕はある事実に気づく。
、、、、、、、、、、、、、、
ママとパパは僕を愛していない。

そして僕は泣き出した。それは真実だった。自己憐憫ではない。
ママとパパが愛したのは、いつも自分たちだったのだ。僕にできたことは、二人のうちの一人を敵とみなすことで、もう一人を味方につけることだけだった。」

パパとママは僕を愛していない。でも僕は愛して欲しい。
読んでいて一番胸が痛くなった文章です。

その後ニューヨークで自分で大学を見つけ、職を得、伴侶を見つけた著者。「自分で自分の人生を建て直し」、自分の今までを振り返って書いた処女作がこの本です。

本としては「自分の数奇な生い立ちとも折り合いをつけつつある」という方向で終章を迎えています。
でも個人的には35歳(現在は39歳)でそこまで人間できてるかな・・・という疑問もあります。一旦理性では受け入れたとしても、これからも著者には何かのきっかけで、何度もつらい記憶や感情がまざまざとよみがえる瞬間があると思います。著者の3歳の息子さんと過ごす中で、「嫌な時のパパ」のような対応を自分がしてしまい、自身が怖ろしくなる経験もするかもしれません。そういうことは「関係者が亡くなったから全部チャラ。終わり」というものではないので。
願わくは著者のこれからの仕事や家庭が穏やかで安定したものであるように、本当に祈っています。

「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン著(富原眞弓訳)筑摩書房

2010-03-02 | 外国の作家
「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン著(富原眞弓訳)筑摩書房を読みました。
雪に埋もれた海辺に佇む「兎屋敷」と、そこに住む老女性画家アンナ。
アンナに対して、従順な犬をつれた風変わりなひとりの娘カトリがめぐらす長いたくらみ。しかしその「誠実な詐欺」は、思惑とは違う結果を生んでいきます。
改訳のうえ出版された文庫版で読みました。内容について触れますのでご注意ください。

愛想が悪く礼儀正しさもないため人々から敬遠されていますが、計算に天賦の才を発揮する「誠実な」カトリ。カトリはあるきっかけで解雇され、弟マッツと自分の生計をたてるために、兎屋敷で住みこみで働くために計画をたてます。
屋敷の女主人アンナは親の遺産がありお金に不自由せず、人の悪口を言ったことがない画家。ふたりとマッツと犬はひとつの屋敷で一緒に住むようになり、3人と一匹の関係はいやおうなく変わっていきます。

ふたりだけの密な姉弟関係に入り込む、アンナとマッツの本を介した親しい関係。
カトリの犬をカトリからひきはなしたアンナのたくらみ。

数字、命令、利権。あいまいさを考慮しない価値観で生きてきたカトリ。
みんなに頼られはするものの愛されてはいない。
妄信、怠惰、つきあい。人の悪意を考えず、金の計算に無頓着で芸術の世界に生きてきたアンナ。お人よしでだまされやすいけれど一定の地位を築いて暮らしている。
ふたりは当然のごとく反発しあいますが、でも次第にお互いの価値観が自分たちに侵食してくるのも感じます。

「カトリ、四六時中不信感に苛まれるより、騙し取られるほうがずっといいわ。」
「でも手遅れですよ。あなたはもう人を信用しなくなっている。」

どちらの生き方や考え方が正なのではありません。
個人的には今まで「お嬢さん」で生きてきたアンナが、老年になってから「人への懐疑」を植えつけられるのは読んでいて心が痛むものがあります。
でも変わってしまったものはもう変わったままでいくしかない。
最後、アンナが「失意」ではなく新しい目で森を見るようになるのは救いです。

「モモ」ミヒャエル・エンデ著(大島かおり訳)岩波書店

2010-03-02 | 児童書・ヤングアダルト
「モモ」ミヒャエル・エンデ著(大島かおり訳)岩波書店を再読しました。
町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。
町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。
そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります。

私がこの本を初めて読んだのは中学一年生のとき。
その当時「モモちゃんとアカネちゃん」という児童書のイメージが強かった「モモ」という名前。友人に薦められた本でしたが「(装丁からいっても)こどもの本でしょ・・・」とあまり気もすすまず読んだのですが、どかん!とやられました。

灰色の男たちは限りなく怖ろしく、時間の花は限りなく美しい。

それ以来大好きな本なのですが、今回の再読は久しぶり・・・大学の時以来?
社会人になって、母親になって。
毎日時間に追い立てられている自分にこの本はしみました。
子供の本だけれど、大人が読むと身につまされる。
やさしい言葉で深い真実が語られている。
本当にすばらしい本です。

「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。」

私は「今」に体はあるけれど、心は「今」にない。
今目の前にあるごはんを食べながら、こどもの話にもうわのそら。
今日人に言われた嫌な言葉(過去)を思い出している。
今目の前にあるごはんを食べながら、なまへんじ。
心はこの後のお風呂や、寝かしつけ(未来)を考えている。
過去に囚われ、未来を思い煩い、今目の前にあるこどもと食べるごはん(現在)を味わっていない。
そんなふうに「今」の時間を味わっていない生活をしている自分。
「効率的な段取り」ばかりを考えて、味わわないで過ごした時間は灰色の男にとられてもう私の元には戻ってきません。

時間の花は、自分でしっかりとつかまえていなきゃなぁ・・・。