Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「闇の奥」ジョゼフ・コンラッド著(黒原敏行訳)光文社

2010-03-17 | 外国の作家
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「闇の奥」ジョゼフ・コンラッド著(黒原敏行訳)光文社を読みました。
船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出ました。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。
ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。
光文社古典新訳シリーズで出版されているもの。
私はこの訳で初めて読んだので既訳との比較はできないのですが、訳者あとがきによるとマーロウの若い語り口を大事にした、また読みやすさを重視した訳になっているようです。
原題は「Heart of Darkness」。
「闇の奥」、いい題名です。

読んでいて作品の世界に潜っていく感じがしました。
それは文章がとても美しいから。

「ほかの者は眠っていたのかもしれないが、私は起きていた。起きて耳を澄ましていた。河の重い夜気から人の唇を介さず形作られてくるかのようなこの話 - それが掻き立てるかすかな不安の正体を解き明かす鍵となる言葉が現われるのを待っていた。」

マーロウは友にアフリカの魔境の話を語ります。

マーロウはアフリカへ向かう途中に「同義的な理念を引っさげてやってきた」というイギリス人クルツ氏の噂を聞きます。
現地では一介の会社員クルツ氏が神のようにあがめられ、「教化」を掲げながら残虐な行為で村を支配し象牙を搾取していました。

クルツ氏の最期の言葉。「The horror!」
それは世界に対して?自然?それとも人間、自分に対して向けられた言葉?

アフリカの暗い密林、そして人の心の闇の奥が重なります。

「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン著(富原眞弓訳)筑摩書房

2010-03-02 | 外国の作家
「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン著(富原眞弓訳)筑摩書房を読みました。
雪に埋もれた海辺に佇む「兎屋敷」と、そこに住む老女性画家アンナ。
アンナに対して、従順な犬をつれた風変わりなひとりの娘カトリがめぐらす長いたくらみ。しかしその「誠実な詐欺」は、思惑とは違う結果を生んでいきます。
改訳のうえ出版された文庫版で読みました。内容について触れますのでご注意ください。

愛想が悪く礼儀正しさもないため人々から敬遠されていますが、計算に天賦の才を発揮する「誠実な」カトリ。カトリはあるきっかけで解雇され、弟マッツと自分の生計をたてるために、兎屋敷で住みこみで働くために計画をたてます。
屋敷の女主人アンナは親の遺産がありお金に不自由せず、人の悪口を言ったことがない画家。ふたりとマッツと犬はひとつの屋敷で一緒に住むようになり、3人と一匹の関係はいやおうなく変わっていきます。

ふたりだけの密な姉弟関係に入り込む、アンナとマッツの本を介した親しい関係。
カトリの犬をカトリからひきはなしたアンナのたくらみ。

数字、命令、利権。あいまいさを考慮しない価値観で生きてきたカトリ。
みんなに頼られはするものの愛されてはいない。
妄信、怠惰、つきあい。人の悪意を考えず、金の計算に無頓着で芸術の世界に生きてきたアンナ。お人よしでだまされやすいけれど一定の地位を築いて暮らしている。
ふたりは当然のごとく反発しあいますが、でも次第にお互いの価値観が自分たちに侵食してくるのも感じます。

「カトリ、四六時中不信感に苛まれるより、騙し取られるほうがずっといいわ。」
「でも手遅れですよ。あなたはもう人を信用しなくなっている。」

どちらの生き方や考え方が正なのではありません。
個人的には今まで「お嬢さん」で生きてきたアンナが、老年になってから「人への懐疑」を植えつけられるのは読んでいて心が痛むものがあります。
でも変わってしまったものはもう変わったままでいくしかない。
最後、アンナが「失意」ではなく新しい目で森を見るようになるのは救いです。

「タール・ベイビー」トニ・モリスン著(藤本和子訳)早川書房

2010-02-19 | 外国の作家
「タール・ベイビー」トニ・モリスン著(藤本和子訳)早川書房を読みました。
カリブ海に浮かぶ雨林の生い茂る小島で、二人は偶然に知り合う。
白人の大富豪の庇護を受けて育ちソルボンヌ大学を卒業した娘・ジャディーンと、黒人だけに囲まれてフロリダの小さな町エローで育った青年・サン。
異なるがゆえに惹かれあいはげしい恋におちていくふたり。
そして異なるがゆえにすれちがい相手を深く傷つけていく。
黒人同士でありながら決定的なちがいを持ち合せた二人の恋の行方。
藤本和子さんの訳ならばはずれはないだろうと手に取ったのですが、著者はノーベル賞作家だったのですね・・・シラナカッタ。

ハイチ、閉ざされた「騎士の島」の濃密な空気。島をおおいかくす霧を独身の叔母の髪の毛にたとえるなど、自然を描くにもさまざまなイメージがかさねあわされている読み応えのある文章です。
初めは文章に慣れないとちょっと読みにくいのですが、4章のサンが登場するあたりから作品の世界にはまってきます。

サンとジャディーンのふたりの空間はとても官能的。

「彼女は答えず、彼も脈拍が数打する間、もう何もいわなかった。そして、それから彼はやった。足裏に人差し指を置いて、そのまま、そのまま、そのままにした。
「やめてちょうだい」と彼女が言うと、彼はやめたが、それまで指のあった足の谷間に、人差し指の印象は残った。布製の靴の紐を結んだあとでさえ。」

ふたりが触れている場所はわずか指一本なのに、とてもエロティックな場面です。

それからもうひとつ印象的なのは、サンがジャディーンに目をつぶらせるところ。

「何が見える」
「何も見えない」
「想像してみるんだ。暗闇にふさわしいものを。闇は夜の空だと考えてごらん。そこにある何かを想像してみる。」
「星ひとつ?だめ。見えない。」
「そうか、見ようとしなくてもいい。それになろうとしてみるんだ。なったらどういう気持ちか知りたいか?」

こんな風に話をされたら女性はおちます!

しかしふたりの燃え上がる想いは、ふたりの生い立ち、価値観の違いから次第に齟齬をきたしていきます。

ジャディーンの育ての親であるシドニーとオンディーン夫妻、その主人のヴァレリアンとマーガレット夫妻、ヴァレリアン夫妻の息子で、実家によりつかない息子のマイケル。
さまざまな年代、職業、人種の人物がそれぞれの立場でものを考え、十字架館につどっています。その屋敷がアメリカという多人種の国を表しているひとつのもののようにも思えてきます。

あとがきでは訳者の藤本さんが表題の「タール・ベイビー」の話(民話のようなもの)を紹介しています。



「うたかたの日々」ボリス・ヴィアン著(伊東守男訳)早川書房

2010-02-15 | 外国の作家
「うたかたの日々」ボリス・ヴィアン著(伊東守男訳)早川書房を読みました。
夢多き青年コランと、美しく繊細な少女クロエの恋。だがそれも束の間、結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取り憑かれていました。
パリの若者たちの姿を描いた著者の代表作。新潮社版では「日々の泡」という題名で出版されています。私が読んだ早川の文庫の解説は小川洋子さん。
内容について触れますので未読の方はご注意ください。

音楽をかなでるとカクテルができるピアノ。水道管を伝ってパイナップル味の歯磨き粉を食べに来るうなぎ。キッチンに住むハツカネズミ。寒さをしのぐために鳥かごを首の下に入れて歩く通行人。鳩の首をもつスケート場の係員。

「コランは黄色いシルクのハンカチで風向きを測った。すると、ハンカチの色が風に持ってかれ、不規則な形をした大きな建物の上に乗っかった。すると、それがモリトール・スケート場だった。」

シャガールの絵のように、自由に飛び交うイメージの交差。
小説ってこんなに遊べるジャンルなんだ!と読んでいて楽しくなります。

クロエとコランが初めてデートする場面。

「私に会えてうれしい?」
「うん、もちろんさ!・・・」
二人は、最初の歩道沿いに、わき目もふらず歩き始めた。小さなバラ色の雲がひとつ、空から降りてきて、彼らに近づいた。
「行くぞ」と雲がいった。
「行こう」とコラン。
雲が二人をすっぽりつつんだ。中に入ると熱く、シナモン・シュガーの味がしていた。

映画「アメリ」を思い出させるような小さな恋の始まりです。

しかし結婚した彼らにしのびよる影。クロエの肺の中には睡蓮の花が。
コランは彼女の寝室を「睡蓮をおっかながらせるために」たくさんの花で埋め尽くします。
病、次第に進む困窮、友の殺人。
かわいらしい恋の前半と後半とは激しいコントラストを成しています。

最後の葬儀の場面は悲劇、そして喜劇。

ほかに類をみない、ヴィアン独自の世界が描かれている小説です。

「二つの時計の謎」チャッタワーラック著(宇戸清治訳)講談社

2010-02-12 | 外国の作家
「二つの時計の謎」チャッタワーラック著(宇戸清治訳)講談社を読みました。
モンコン男爵の放蕩息子チャクラが、床屋の老人を殴った傷害事件を調べるサマイ警部は、同じ夜に発生した二つの事件に突き当たります。
チャクラの出資する輸入品販売店の共同経営者の縊死。
チャクラの懐中時計を握ったまま運河で発見された娼婦の溺死体。
状況からチャクラの関与が疑われましたが、現場で発見された二つの時計は、同じ時刻、九時五五分を指して止まっていました。三つの事件はどう結びつくのか。
醜聞を恐れる男爵はサマイ警部の父親にまで働きかけ、警察へ圧力をかけます。
さらに中国マフィアの不穏な動きも。
1932年、立憲革命直後のバンコクを舞台に、サマイ警部と相棒ラオーの活躍を描くミステリー小説。島田荘司さん選の「アジア本格リーグ」シリーズの第二巻です。

今までいろいろな外国文学を読んできて、一番名前が覚えづらいのはロシア文学だなーと思っていたのですが、タイ文学がそれをうわまわるとは!
バンチョン・ケーヌパン警察少尉、モンコンシンパイサーン男爵・・・本書ではわかりやすく縮めて表記してありますが、原文に忠実に訳してあったらきっと途中で挫折していたことでしょう。
少し難点をいえば、直接のストーリーの流れには不要な注釈が多い気がしたのと、「今日はドロンは勘弁してくれ」「人力車(←これはトゥクトゥクのことかしら?)」などの訳文が古い感じがしました。(本自体は2007年に書かれ、昨年9月に邦出版されたものです。)

警察官でありながら私服で隠密調査をするサマイとラオーは、ハードボイルドな探偵的。格闘シーンもかっこいいです。
話の流れとしてはごくスタンダードな謎解き小説ですが、それだけではなくタイ人街や中国人街、運河、さまざまなタイ料理、とオリエンタルな雰囲気をたっぷりと味わえる本です。


「結婚のアマチュア」アン・タイラー著(中野恵津子訳)文藝春秋

2010-02-08 | 外国の作家
「結婚のアマチュア」アン・タイラー著(中野恵津子訳)文藝春秋を読みました。
結婚30周年を祝うパーティが開かれた晩、「それなりに楽しい結婚生活だったわよね」と振り返るポーリーンに、「地獄だった」と夫のマイケルはつぶやく。それはいつもの夫婦喧嘩のはずだったのだが・・・。
どこにでもいる夫婦とアメリカの60年間を描いた物語です。

楽天的で感情の起伏が激しく楽しいことが好き。
「女性によくあるタイプ」のポーリーン。
口下手で慎重で現実的、分別のある理性派。
「男性によくあるタイプ」のマイケル。
惹かれあって結婚したふたりだけれど、次第にそのふたりの性格の違いが夫婦生活にひずみをもたらしていきます。

「ポーリーンはほんとうにいい人間だ。まあ、自分もそうだが、とマイケルは思った。ただ、二人いっしょになると、よくなくなる。というか・・・つまり、マイケルが言いたいのは・・・優しくないというか。お互いに対して必ずしも優しくなれないのだ。なぜそうなのか、マイケルには説明できなかった。」

読みながらポーリーンとイメージがかぶったのが「アンパンマン」のドキンちゃん!
はたから見ていると、性格がカラフルで女性らしくてかわいらしいのだけれど、そばにいる立場(身内)だったらキツイな~。息子も「母は「奥様は魔女」みたいな能天気なキャラクターではなかった」と語っていますしね。
ちなみに色気は足りないけれど、一人で何でもできる女性アンナはもちろんバタ子さん。

まわりの夫婦はみな仲良く、家族はみな結束しているように見える。
けれどうちの夫婦は、家族は違うと悩む。

この本に描かれているどの人も、どの悩みもできごとも、自分や、自分のまわりの人たちと少しずつ似ていて身につまされます。
橋田ドラマなみに延々と描かれる日常生活。でもこの小説の主眼は「エゴのぶつけあいによる人間関係のドロドロ」にあるのではありません。
マイケルの台詞「父さんたちはできるだけのことをしたんだ。ほんとうに精いっぱいな。俺たちは、ただ・・・未熟だったんだよ。どうやっても物事のコツがわからなかった。努力しなかったわけじゃないんだ。」
この台詞に表れているように、善意からやったことでも素直に受け入れてもらえなかったり、誤解したりすれ違ったり、そういう各人による物事の受け止め方の違い、相性、この世のままならなさを描いていてなんだかせつなくなるのです。

最後にポーリーンを回想するマイケルの姿が印象的です。
穏やかで幸せなアンナとの日々より、うまくいかずに格闘したポーリーンとの日々が後から「充実」という印象すら放って思い出される不思議。

すったもんだあっても死ぬ前に笑えれば全てよし?
私も結婚の、人生のアマチュアです。
私も死ぬ前に今を振り返って微笑めるように、明日からも健闘の日々!

「料理人」ハリー・クレッシング著(一ノ瀬直二訳)早川書房

2010-02-01 | 外国の作家
「料理人」ハリー・クレッシング著(一ノ瀬直二訳)早川書房を読みました。
ヴィレッジ・ヴァンガードで見かけたPOP。「これ一作に根強いファンがいます!」
惹かれて文庫を買ってしまいました。・・・で、実際に読んで正解。面白かったです!

舞台は平和な田舎町コブ。自転車に乗りどこからともなく現われた料理人コンラッド。
街の半分を所有するヒル家にコックとして雇われた彼は、舌もとろけるような料理を次々と作り出します。やがて奇妙なことがおきます。彼のすばらしい料理を食べ続けるうちに、肥満した者は痩せ始め、痩せていたものは太り始めたのです。

人をぐいぐいひっぱっていくストーリーテラーぶりがすばらしい著者・クレッシングは、覆面作家だそうで、正体はいまだ明かされていないそうです。いったい誰なのでしょう?
しかしこのカバー絵、平井堅さんに似てるよな。

彼がまずつくったのは朝食のマフィン。
奥様が召使に聞きます。「このマフィンのお代わりはないのかしら?」

そして次々と彼が作りだす素晴らしい朝食、ディナー、野外料理。
その料理の腕と巧みな弁舌で屋敷内で、村で、のしあがっていくコンラッド。
彼は「悪魔的」でありながら必ずしも「悪魔そのもの」ではない。
ブラック・ファンタジーでありながら、もしかして現実に似たようなケースがあるのかも?とも思わせるのが面白さのひとつのツボ。主従関係が次第に転倒していくのですが、それでも元主人側がにこにこしているのがまた不思議で面白い。

ひとつ難点をいえば、最後は結婚式の場面で終わってもよかったのでは。
太ったコンラッドはちょっと嫌だな・・・。

コンラッドほどの力を持つ人物が、シティでどんな生活をして、コブに来ることになったのか。
作品に描かれていないサイドストーリーも気になりました。

「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房

2009-11-17 | 外国の作家
「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房を読みました。

表紙は広々とした白い雲広がる青空の荒野の写真、題名は「夢見た旅」。
ロマンチックな話なのかなと思いきや・・・。
予想はくつがえされましたが、心を静かに叩いてくる作品でした。
読んでよかったです。内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

故郷の小さな町に住み、家族の世話から逃れることを渇望していた主婦シャーロット。彼女は家出の資金をおろしに行った銀行で、銀行強盗の人質になってしまいます。犯人との思いがけない逃亡の「旅」。
犯人ジェイクは若い脱獄囚で、彼の子を身ごもったミンディを施設から連れ出し、フロリダの友人を頼っていく計画でした。

時間に耐え切れず、ある日の衝動で行動してしまう「衝動の犠牲者」ジェイク。
自分の母親が生まれた家に住み続け、町から出たことはなく他人の世話をし続ける毎日を送る主婦シャーロットとの対比。
ふたりは両極というわけではなくお互いにお互いの生活を嫌悪する面も、惹かれるものもある。そしてどちらも正しいわけではない。

物語は、ジェイクがシャーロットを人質にとってフロリダに向かうまでの道中と、
シャーロットの過去とが交互に語られます。

シャーロットの義兄のエイモスの言葉。
「誰もがよってたかって、あんたをしゃぶっているが、それでもあんたは全然ちぢまない。スカートにつかまられても、それでぐずつくこともない。
そして、彼女にほんとうのことを伝えたのは、あんただけだった。おれは聞いていたんだ。はっきりといったな、癌と。月のように、この家の中を行き来しているあんたは、全員をささえるだけの力を持っている。」

荒野を、氷河を砂漠を、いつかただひたすら歩き続けることを夢(という言葉よりは心の原風景、とりつかれた望み)として「暫定的」に日々の生を送ってきたシャーロット。所有を嫌い、物に(人に)執着しない。
だから彼女は困窮の生活の中でも、家族以外の者の世話をし続ければならない日々の中でもどこか他人が行っていることのように、倒れなかったのでしょうか。
彼女がひたすらさすらう、心の原風景が彼女の真(芯)なのか、彼女の体が生きている繰り返しの日々が真なのか。
写真、二組ずつの家具、空想の少女と名前を入れ替えた娘、いくつものモチーフが、読者である私に、虚と実について語りかけます。

母親の死をきっかけに、シャーロットは気づきます。

「あたし、ここの人たちとすっかり絡み合っているような気がしてね。考えていたよりずっと、関係が強いのね。わからない?
一体どうしたら、自由になれるのかしら?」

エイモスが去ったことをきっかけに家を出て行くことを真剣に考えるシャーロット。夫のソールは「待てばすべてはうまくいく」と説得します。

「でも、そんな甲斐はないのよ」
「甲斐はない?」
「犠牲が大きすぎるのよ」

願ったのとは違う形で始まった、家を離れての奇妙な「旅」。
行き着いたフロリダで、ジェイクもシャーロットも物理的な意味だけでなく、人生のひとつの旅が(夢が)終わった、そしてひとつの結節点を迎えたと感じたのではないでしょうか。
ライナスが作るミニチュアの家は、この作品がイプセンの『人形の家』の現代的解釈であるかの示唆のようにも感じます。『人形の家』が書かれた時代にはノラ(女性)が家を出ること自体が新しい価値観だったのだと思いますが、現代では家はいつでも出られる、出た、それからどうなる、まで描かれる。

家に戻り、シャーロットを旅行に誘った夫ソールへの言葉。

「わたしたち、生まれてからずっと旅をつづけてきたじゃないの。
まだ旅をつづけているじゃないの、
いくらがんばってみたところで、とうてい一箇所に留まっていることなんかできやしないのよ。」

シャーロットが家に戻ったことは「敗北」でも「やっぱり家が一番」でもなく、彼女自身が自分の人生と家族にそそぐ新しい視点をひとつ手に入れたから、だと感じました。

「イギリスだより」カレル・チャペック著(飯島周編訳)筑摩書房

2009-11-13 | 外国の作家
「イギリスだより」カレル・チャペック著(飯島周編訳)筑摩書房を読みました。
故郷をこよなく愛するとともに、世界各地の多様な風景・風俗を愛したチャペックは多くの旅行記を遺しています。
この本はそれらの中でも特に評価が高いイギリス滞在記。1924年にペンクラブ大会参加と大英博覧会取材のため訪れたときのものです。
自筆のイラストも多数収録されています。

「旅人をいちばん驚かすのは、知らぬ異国で、かつて百回も本で読んだことのあるものや、百回も絵で見たことのあるものが、実際に見つかることだ。
ミラノでミラノの大聖堂を見たときや、ローマでローマのコロセウムを見たとき、私はたまげた。それは、いささかぞっとするような印象である。
なぜなら、夢の中かなにかで、もうここへはいつかきたことがある、もういつか経験したことがある、という感じがするからだ。
(中略)だしぬけに古い知人に出くわすと、いつも声を上げて不思議がるのと同じである。」

旅をして・・・この感覚よくわかります。
「有名なのに実際に見たらがっかり」というのもよく聞く話ですが(マーライオン、人魚の像、しょんべん小僧)、よくテレビで見ていて、行ってみたらやっぱり映像の通りなのに、しかし驚いてしまうという場所も、沢山あります。
大聖堂やコロセウムしかり、グランドキャニオンにカッパドキア。
でもこのチャペックの「いささかぞっとするような」感覚、うらやましい。
世界の行き来が簡単になり、かつネットでの情報過多の今の時代。
旅先での失敗も減るけれど、その分自分だけの発見、「出くわす」喜びも減っているような。

この作品はイギリスの風景とチャペックが感じたことをつれづれに語った旅行記です。イギリスへのもちあげあり、こきおろしあり。
チャペックの自由な筆のひらめきが印象的です。

「なぜかはわからないが、このまじめくさったイギリスが、わたしには、これまで見てきた国ぐにのうちで、いちばん、おとぎ話のようで、いちばんロマンチックな印象を与える。これはおそらく、古い樹木のせいだろう。あるいはさにあらず、これは芝生のなせるわざかもしれない。
ハンプトン・コートで、芝生をぶらぶら歩いている紳士を初めて見たとき、その人は、山高帽をかぶってはいるが、おとぎ話に出てくる生き物だと思ったくらいだ。」

芝生を歩けば、ロンドン紳士がおとぎの国の生き物に・・・この発想はチャペック
ならではでしょうね。

いちばん美しいと思ったのはスカイ島に行ったときの文章です。

「私が今いる場所はスカイ、つまり「空」という名のところである。この島は美しくて貧しい。」

「週に一度、太陽が顔を出すと、そのときには山々の頂が現われ、言葉にあらわせぬありとあらゆる青の色合いがみられる。
るり色、真珠色、かすみ色、または藍色、黒色、ばら色、それに緑色を帯びた青色である。深い、そこはかとない、もやのような、稲妻のような、またはなにか美しくひたすら青いものを思わせる青色。
これらすべてと他の無数の青色を、クイリンの青き峰々の上で見たが、そこにはまた、さらに青い空と青い海の入江があって、もはやどう説明することもできない。
お話したいのは、この無限の青の光景を見たとき、それまで知らなかった神々しさをうやまう気持ちが、わたしの身内に起こったことである。」

イギリスびいきのチャペックですが、最後にはちゃっかりプラハの美しさをアピール。ロンドンはどこにいっても同じ臭いがする。プラハでは、通りごとに異なった匂いがする。この点で、プラハにまさるところはない、などなど。
イギリスへの憧れはもちろんあっても、やはりチャペックが帰る場所はプラハなのですね。

「キプリング短篇集」ラドヤード・キプリング著(橋本槙矩編訳)岩波書店

2009-11-09 | 外国の作家
「キプリング短篇集」ラドヤード・キプリング著(橋本槙矩(まきのり)編訳)岩波書店を読みました。
『ジャングル・ブック』の作者として知られるノーベル賞作家のキプリング。
大英帝国の凋落とともに彼の作家としての存在は影が薄くなっていったそうですが、彼の短篇の手法はジョイスやヘミングウェイ等にも影響を与え、今日再評価の声が高まっているそうです。
インドを舞台にした初期の作品から、物語の重層性・複雑な話法が見直されている「損なわれた青春」等後期のものまで代表的な短篇9篇が収められています。

イギリスの身分の高い白人男性がインドの身分の低い女性と関係を持ち、悲しい結末をたどる「領分を越えて」。

「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」は、インド版「砂の女」のよう。
一度死んだと思われ、火葬のために川岸に着いたときに息を吹き返した人間を送り込む穴=死者の町。この死者の町に住むものは流砂とライフル銃の見張りに阻まれて脱出することができません。
その穴に迷い込んでしまったジュークスの運命は?

「交通の妨害者」は孤独な灯台守ダウズの話。

「彼が言うには、やがて、永く潮を見つめていると頭の中に縞模様が見え始めたらしい。それは何本もの長く白いすじだった。上手に貼れなかった壁紙のすじのようだと彼は言った。」

「すじ」に捕らわれたダウズは海に船が通るのを憎むようにすらなります。

「すじを作りに来るな、海をすじだらけにするな。」

次第に狂気に蝕まれていく彼がとった行動とは?
柴田元幸さんの選集にでも登場しそうな、奇妙な男の話です。

キプリングのストーリーテリングの巧みさは短篇でももちろん健在!
多作な作家だったそうですが、作品が日本語にあまり訳されていないのが残念です。