Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「悪人」吉田修一著(朝日新聞社)

2009-09-30 | 日本の作家
「悪人」吉田修一著(朝日新聞社)を読みました。
保険外交員の女・石橋佳乃が殺害されます。
彼女と携帯サイトで知り合った男が捜査線上に浮かびます。
そして彼と出会ったもう一人の女。
加害者と被害者、それぞれの家族たち。
なぜ、事件は起きたのか?悪人とはいったい誰なのか。
朝日新聞で連載されていた小説を単行本化した長編小説です。装丁からインパクト大。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

無口な土木作業員の清水祐一。
彼は罪を犯しますが、作品を読んでいくと「善人が、運命の不幸なめぐりあわせで法に触れる行いをしてしまった」ように思えます。
母親に金をせびったり、最後に光代の首をしめたのも「本意ではない。けれどむしろ自分を「悪人」と憎んでくれ。自分に罪悪感を抱かないでくれ」という、彼の悲痛な願いであろうと。
そして結局法には問われなかったけど、一番の悪人は、佳乃を峠に置き去りにした増尾ではないか?・・・。
こういう読み方が、この作品で多くの人が抱く感想であろうと思います。

でも・・・ひんしゅく覚悟で言いますが、私は増尾という人物が完全に悪人とは思えないのです。
結局は小心者で、親の財力だけで皆の注目を浴びている、学生の仲間内の中だけのお山の大将ですから。

佳乃や彼女の父親を仲間内の笑いものにしたことは彼の、本当に唾棄すべき卑劣な面ですが、自分が罪から逃れようと狼狽し逃走したことや、警察で泣き喚いたことへの決まり悪さを自分で打ち消したくて、事件のことを笑いものにでもしないと自分のつまらないプライドが保てなかったのではないでしょうか。

それが彼が若かりし日の傲慢さであり、月日がたてば「あの時自分はなんて思いやりのない、ばかなことをしたのか。」と気づき、後悔するであろうことを願うばかりです。

そして一方、殺された佳乃について。
彼女もみえっぱりで嘘が多くて、あまり好感が持てる女性ではありません。まぁ、それぞれの嘘は誰もが日常的につきうる小さなものではありますが。

三瀬峠でのできごと。

増尾がした行為は暴力的で自分勝手で残酷なものであったけれど、佳乃を攻撃する「あんた、安っぽか。」というセリフに、私自身、読んでいて胸がすくものがあったことも事実。
増尾はこのほかにも観光客相手で高いだけのラーメン屋で「ごちそうさん、まずかった。」といって店の雰囲気を悪くするなどかなりの毒舌です。
でも彼の、人の事情を考慮しない言葉に鶴田が小気味よさを感じたことに私も共感してしまいます。

佳乃が増尾の自動車を下ろされた直後、祐一にぶつけた怒りはまさにやつあたり。
「レイプされたって言ってやる!」という言葉は本当は増尾にぶつけたかったものでしょう。自分がみじめで、恥ずかしくて悔しくて。

もし増尾にレイプの冤罪がかけられていたとしたら?
きっと学友たちは「さもありなん」という態度で彼から離れていっただけでしょう。そこで増尾は自分の傲慢さに気づくかもしれなかった。

または、あの三瀬峠で車を下ろされた佳乃が、そのまま自分で歩いて峠をくだってきていたら運命はどう変わったでしょう?
始めはくやしさでいっぱいだったとしても、増尾の言葉が自分の中に突き刺さり、自分の今までを恥ずかしく思い、彼女の何かが変わったかもしれません。

そんなふたりの小悪党たちのごたごたで終わるはずだった峠のできごと。
しかしそこにまきこまれてしまった祐一。
本当に可哀想です・・・。

それぞれの登場人物たちがみな嘘や隠し事を重ね、小さな悪を日々繰り返して生きている。そのひずみの中に祐一が落ち込んでしまった。
そんな運命の皮肉さを思った作品でした。



「ザ・万歩計」万城目学著(産業編集センター)

2009-09-29 | 日本の作家
「ザ・万歩計」万城目学著(産業編集センター)を読みました。
マキメさんの日々をつづった初のエッセイ集です。
CHAGE&MAKIME&ASKAになってしまわないよう邦楽アーチストをかけない執筆部屋。
「渡辺篤史の建もの探訪」への愛。(この番組を雑誌にしたムックにも、マキメさんが寄稿されてましたね。)
黒い稲妻(ゴキ)との闘い
など、爆笑必死のエッセイの数々!
ヴェネツィア映画祭にまつわるトラブルの話や、モンゴルのタイガで暮らした話など、興味深いエピソードも盛りだくさんです。
「Fantastic FactoryⅠ」はそれだけで一編の短篇小説のような、リアルな思い出なのに幻想的&叙情的で素敵なエッセイでした。

マキメさんの大学時代の思い出を語った一文。
「おもしろいの、それ?と訊ねるとやはり、おもしろくない、と返ってきた。それでも最後まで読みたいから、と彼は言った。
おもしろくなくても読む。何はともあれ読む。
それが極めてぜいたくな時間の使い方であると知ったのは、私が三十歳になってからのことだ。
だが、そのときはそれがわからない。何も考えず、じゃっぶじゃぶ湯水のように貴重な時間を浪費する。それが若さの美しいところであり、憎たらしいところでもある。」

私もマキメさんと同年代なのでこの文章に共感しました。
私も学生時代は読んでいて「これ難解過ぎ・・・」な本でも最後まで読んでいたけれど、最近は途中で切り上げる決断を覚えてしまいました。

ただただ無為に時間を過ごす青春。
でも「『無駄』に時間を使う」という体験は学生の時しかできないよなぁとも実感します。
「若い私たちが今、やるべきことって何?」ともし聞かれたら、「勉強しろ」や「何かひとつ、夢中になれることを見つけろ」などの答えに並行して、「友達の家でつるんでとにかくだらだらしろ」もひじょ~に重要!
前者は社会人になってからでも自主的にできるけれど、後者は社会人2~3年目にもなるとそんなことにつきあってくれる友達がいなくなるし、自分自身も(物理的にも気分的にも)できなくなるので。

装画はいつも万城目さんの本の装丁でおなじみの石居麻耶さん。
エッシャーのだまし絵を下敷きにしており、いつもの色鉛筆風の素人的な絵とはまた違った感じで面白いです。そして万城目さんの似顔絵、激似。
黒猫や黄色い鳥、6とb、(森見さんからの?)おともだちパンチなどいろいろな仕掛けがあってふふふです。

「完全版 最後のユニコーン」ピーター・S・ビーグル著(金原瑞人訳)学研

2009-09-28 | 外国の作家
「完全版 最後のユニコーン」ピーター・S・ビーグル著(金原瑞人訳)学研を読みました。
1968年に出版された「最後のユニコーン」。著者のビーグルが手を入れた新しいテキストを使用した新訳版。
2005年に書かれた続編「ふたつの心臓」が同時収録されています。

以前に読んだ鏡さん訳版の私の感想はこちら。

 http://blog.goo.ne.jp/straighttravel/e/a384347195532c4649fd312d6169d36b

きちんと前訳と比較させて読んだわけではないので、訳についての評は控えますが、単純に活字が大きくていいです。訳者が違うと特に会話の表現方の違いにとまどったりしますが、各人物の言葉遣いについても特に違和感なし。
これから読む方はこの金原さん訳版のほうが読みやすいのではないでしょうか。

続編はハグズゲイトのそばの村に住む少女スーズの語りで始まります。
金原さんはこういうヤングアダルト世代の一人称語りの訳、うまいですねー。

「最後のユニコーン」から時は過ぎ、時代は年老いたリーア王の治世。
村を荒らすグリフィンに困り果て、リーア王に直談判に赴くスーズ。
そして小川で出会った不思議なふたり。シュメンドリックとモリー。
王と3人はグリフィン退治に赴きます。

スーズのモリーに対する印象
「女の人は美人じゃなかった気がする。けど、寒い夜には頬ずりしたくなるような顔だった。」

ビーグルのこういうさりげないけれど巧みな表現、いつも感服してしまいます。
グリフィンのもつライオンとワシのふたつの心臓は、体の若さと心の若さの両方の隠喩のように感じました。

この中篇はネビュラ賞も受賞しているそうですが、もちろんこれ単独で読むより、まず前の長編ありきです。
ボーナストラックのようなうれしいおまけの作品でした。

「ドグラ・マグラ(上)」夢野久作著(角川書店)

2009-09-25 | 日本の作家
「ドグラ・マグラ(上)」夢野久作著(角川書店)を読みました。
昭和十年一月に書下し自費出版されたこの作品。
狂人の書いた推理小説という異常な状況設定の中に著者の思想、知識を集大成する、「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」とうたわれた、歴史的一大奇書だそうです。
舞台は大正15年頃の、九州帝国大学医学部精神病科の独房。
物語はそこに閉じ込められた若き精神病患者の「私」が目覚める場面で始まります。彼は記憶を失くしているのですが、過去に発生した凄惨な事件と何らかの関わりがあるらしく、物語が進むにつれて、謎に包まれた事件の概要が明らかになっていきます。
胎内で胎児が育つ十ヶ月は、数十億年の万有進化の大悪夢の内にあるという壮大な論文「胎児の夢」。
「脳髄は物を考える処に非ず」と主張する「脳髄論」。
入れられたら死ぬまで出られない精神病院の恐ろしさを歌った「キチガイ地獄外道祭文」などが作中作として登場します。

「ドグラ・マグラ」とは切支丹伴天連(キリシタンバテレン)の使う幻魔術のことを指した長崎地方の方言だそうで、「堂廻目眩(どうぐらみ めぐらみ)」という漢字を当ててもいいという話で、はっきりしたことは判明しない言葉とのことです。
米倉斉加年(まさかね)さんの装画もエロティックで不気味。

正木博士という人物が考案した「狂人の解放治療」が独特です。
「人類全部がキチガイといってもいい。だから我輩もその世の中の小さな模型をつくって、「無薬の解放治療」を試みる。」
そこにいるらしい「私」。そして隣室に眠る美少女モヨコ。(「私」が殺そうとした婚約者らしい)。
「私」は殺人者なのか?
それともそれは博士が植えつけようとした捏造の記憶なのか?

主ストーリーに入れ子になっている学術論文や遺言書などが難しくて私の頭脳では理解不能・・・。ごめんなさい、上巻でギブです・・・。

「きのうの世界」恩田陸著(講談社)

2009-09-25 | 日本の作家
「きのうの世界」恩田陸著(講談社)を読みました。
失踪した男は遠く離れた場所で殺されていた。
霜の降りるような寒い朝、町はずれの「水無月橋」。
一年前に失踪したはずの男は、なぜここで殺されたのか。
バス停に捨てられていた地図に残された赤い矢印は?
塔と水路の町で起こった事件と町の秘密が次第に明らかになります。
ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。

驚異的な記憶力を持つ市川吾郎。
彼が最期を迎えた町の謎と、彼の能力がリンクして語られます。
地図が立体化して見える能力。
そしてそれが進んで実際の景色も地図のように見えるように。
そしてそれがさらに進んで・・・。

殺人事件の結末は『ネクロポリス』でも感じたことですが、ちょっと不満かな。
犯人や事件を異界のものごとにしてしまえば整合性という言葉の意味もなくなり、何でもアリになってしまうので。
このラストだったら、むしろ「謎解き」の要素はもっと薄くして、吾郎の不思議な能力と人生に絞った方がよかった気もします。
でも全体的に見たら、一気に読んでしまった面白い本でした。

「代表質問 16のインタビュー」柴田元幸著(新書館)

2009-09-25 | 柴田元幸
「代表質問 16のインタビュー」柴田元幸著(新書館)を読みました。
13人の文学者に「読者代表」の柴田さんがイベントや、雑誌などでインタビューしたものをまとめたものです。

テス・ギャラガー/ベン・カッチャー/リチャード・パワーズ
ケリー・リンク/スチュアート・ダイベック/村上春樹
バリー・ユアグロー/ロジャー・パルバース/
古川日出男/沼野充義/内田 樹/岸本佐知子

最後のジョン・アーヴィングさんの記事は、今までのインタビュー記事をまとめた架空のインタビューです。

ロジャー・パルバースさんのインタビューが示唆的でした。

「Why not me?」の科白について。
「不運に見舞われるのも、幸運に見舞われるのも確率としては一緒なのに、不幸の場合だけ人は理由や物語を必要とする。
しかしヨブは何でこんなに恵まれているのか、考える。」

ヨブが魚の腹に隠れたことについて。
「殺せといわれたときに殺さない。体がぶるぶる震えたり、泣いたりできるのが、本当のヒーロー。」

『新バイブル・ストーリーズ』は未読なのでぜひ読んでみたいと思いました。

ほかに印象的だった言葉。

古川日出男さん。「中国行きのスロウボート・リミックス」について。
「いちばん影響を受けた側面を出して、なおかつ自分じゃないとできないミックスを提示する、という行為がリミックスです。影響というものは必ずあるけれど、影響の不安を恐れないということです。ただそれは自分という主体がこの現代に、いま現在に生きている、という圧倒的自覚があって初めて成り立つんです。」

内田樹さん。
「(村上春樹さんの作品に)一番僕がひきつけられたのは、自分の目の前に嫌な人が出てきて、不愉快なことをした場合にも、「どうしてこの人はこんなことをするんだろうか」ということをできるだけフェアな視点で見て、その人にはその人の事情があるということを理解しようとする態度。
フェアネスということを心がけて自分の周りに起こっていることをみつめると、不条理な出来事と思えるものの中にも一筋の条理がある。」


柴田さんが個人的に交流のある作家の方たちのインタビューなので、どれもよそゆきの顔ではない、お互いへの信頼感が漂うインタビューだなと感じました。

「トルコ幻想」新田純子著(三修社)

2009-09-24 | トルコ関連
「トルコ幻想」新田純子・文/花井正子・絵(三修社)を読みました。
トルコに旅行した著者が、ヒッタイト、ヘレニズム、ヴィザンチン、イスラム、現在まで東西のあらゆる文明の跡を求めて悠久の時をさかのぼります。

短い2~4ページの短文に花井さんの版画が挿絵としてついている比較的薄い本。
途中に挿入されている花井さんのカラーの絵もステキです。

ヘレケじゅうたんに自分の名前が編みこめる話。
ヒッタイト王国の跡からも発見されている涙壺(亡くなった人をしのんで壺に涙をため、一緒に埋葬した)の話。
西トルコの、未婚の娘がいる家は煙突にガラス瓶を立てる風習。

ガイドブックに載っているようなメジャーな話が大半ですが、知らない話もちょこちょこあって楽しめました。

「鹿男あをによし」万城目学著(幻冬舎)

2009-09-20 | 日本の作家
「鹿男あをによし」万城目学著(幻冬舎)を読みました。
「さあ、神無月だ 出番だよ、先生」。
二学期限定で奈良の女子高に赴任した「おれ」。ちょっぴり神経質な彼に下された、空前絶後の救国指令。
「鴨川ホルモー」は京都が舞台ですが、この作品の舞台は奈良。
「鴨川~」と同じく古くからの時代の歴史と現在が重なり合う荒唐無稽なお話です。著者自身が「法螺話」と言うのがよくわかる。
鹿がしゃべったり狐や鼠がでてきたり、顔が鹿になってしまったり!
奈良の歴史のほか、漱石の「坊ちゃん」のパロディのような場面もあり、楽しい仕掛けがたくさんあります。

玉木宏さん主演でドラマ化されていますが、綾瀬はるかさんが演じていた同僚の藤原先生(かりんとう)は原作では男性です。私は原作の方が好きかな。

鹿に命じられ「目」の運び番となった俺。
「目」の持つ意味とは?
生徒・堀田イトの秘密とは?
「俺」は無事日本を救えるのか?

万城目さんの作品、私には鬼門かも・・・面白すぎて夜更かししてしまう。
三都物語の最後、最新作の「プリンセス・トヨトミ」も早く読みたいです。


「タイタス・グローン」マーヴィン・ピーク著(浅羽莢子訳)東京創元社

2009-09-17 | 外国の作家
「タイタス・グローン」マーヴィン・ピーク著(浅羽莢子訳)東京創元社を読みました。
いつとは知れぬ時の、いずことも知れぬ地にある城、巨大な石の迷宮ゴーメンガースト。
そして今、七十七代城主、グローン家の世継ぎが産声を上げました。菫色の瞳をもつこの男児の名はタイタス。
「ゴーメンガースト」の三部作の第一作目です。

「指輪物語」と並び評されるファンタジーの古典とのことですが、初めて読みました。「指輪物語」が指輪を捨てに行く魔法に満ちた冒険物語だとすれば、この「ゴーメンガースト」はひとつの城(というより部屋がたち並び、誰もその全体像を知らない街)の閉鎖された空間が描かれる暗く重苦しい迷宮の物語。

「グローン伯の先祖の多くが建築上の気まぐれの命じるままに、およそ不似合いな建物を付け加えていったからだ。その中には元の翼が目指していた東の方角に連なりさえせぬものもあり、建物の群れは数箇所で横へそれたり直角に突き出たりしてから、また石の本筋に立ち戻っていた。」

冒頭に現れる七色の彫刻の間、大台所、石の小路、猫の間、書庫、屋根裏部屋。
そして特にユニークなのは壁からはえた木の根っこが部屋を多い尽くしている、双子の姫たちの部屋。

登場する人物たちも城に劣らず、グローン家の人々から召使にいたるまで皆個性的に醜い人々ばかり。荒俣宏さんが解説でディケンズとの類似点に言及されていますが納得です。イギリスの文学って古典に限らず、現代のハリー・ポッターのシリーズもそうですが、醜い老人や中年の描写、本当にうまいです。まさにお家芸。
この小説は登場人物の名前も城主グローン(呻き)に始まり、ロットコッド(腐ったタラ)や、フレイ(皮はぎ)など独特。ののしり言葉も「油で汚れたフォークめ!」など変わっていて面白いです。(英語表現としては慣用句なのかしら?)

その奇怪な城の中、最下層の大台所の下働きの身分から上り詰めようとするのが17歳の狡猾な若者スティアパイク。
タイタスが生まれたことで城内を回っている伯爵づきの召使フレイの姿を見つけたとたん大台所を抜け出す、チャンスを逃さないその行動力。
すかさず自分を売り込むためらいのなさ。
フレイに拒絶され部屋に閉じ込められても窓から抜け出し、外壁を登る体力。
たまたまたどりついた部屋がフューシャ姫の部屋だった運のよさ。
警戒する姫の性格をみてとり、巧みな弁舌で保身を図る狡猾さ。
その後は城医のもとで働き、伯爵の姉たちにとりいる計画性。

そして自作自演の事故・・・。

スティアパイクが双子に語った言葉。
「これほどの大事業は時間をかけ、悪賢さと先見の明を以って達成されなければならない。それら自体は注意を惹かない一連の小さな勝利を誰も知らぬうちに積み重ねることによって立場を次第に良くし、ついには城にきづく間も与えず南翼が正当な栄光に輝き出るのだ」

重くよどんだ城の中で、悪魔的ながらも強い行動力でのしあがっていくスティアパイクから目が離せません。
文庫版で657ページという分厚さながら、主人公タイタス・グローンはこの一巻終了の時点で2歳にも満たず!大作だ~。
面白い作品なのですが、ちょっとお腹いっぱい。第二部以降を読むかについてはもう少し時間をおこうと思います。

「ラッシュライフ」伊坂幸太郎著(新潮社)

2009-09-12 | 日本の作家
「ラッシュライフ」伊坂幸太郎著(新潮社)を読みました。
泥棒を生業とする男・黒澤は新たなカモを物色する。
父に自殺された青年・河原崎は神に憧れる。
女性カウンセラー・京子は不倫相手との再婚を企む。
職を失い家族に見捨てられた男・豊田は野良犬を拾う。
幕間には歩くバラバラ死体登場。
並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。
不思議な人物、先の読めない展開。
エッシャーの騙し絵のような凝った構成の物語です。

ある人物の話に出てくる脇役が、別の話の主役になったり、きっかけになったり。
犬や拳銃や宝くじ、金髪の女性がいろんな人の話に登場したり。
各話の時系列が一定ではないので「あのときのあの人が、この人か!」という驚きがいくつもあって面白かったです。
終盤はまさにジグソーパズルの残りピースがすぱすぱはまっていくような快感。
本人たちはそのつながりを知らないけれど、全体を見渡したらこれはまさに「神様のレシピ」。
自ら進んで罪を犯す者、犯さざるを得なかった者、犯すのをふみとどまる者。
窃盗、強盗、傷害、殺人・・・神は誰を選び誰を動かすのか、小説では興味深く面白いけれど、実際の世界もこのように神の見えざる手でつくりあげられているのだと思うと、なんだか怖ろしい。

いくつもの交差する人生の中でも、泥棒・黒澤の言葉はとりわけ印象的でした。

「考えるんだ。みんな考えてはいないんだ。思いついて終わりだ。激昂して終わり、あきらめて終わり、叫んで終わり、しかって終わり、お茶を濁して終わりだ。その次に考えなくてはいけないことを考えないんだ。テレビばっかり観ることに慣れて、思考停止だ。感じることはあっても考えない。」

「人生については誰もがアマチュアなんだよ。誰だって初参加なんだ。はじめて試合に出た新人が、失敗して落ち込むなよ。」

自分の生き方を見つめ、言動に余裕がある黒澤にも強く惹かれますが、実際には人生の苦難に振り回されやぶれかぶれになりながらも、人生に立ち向かっていこうとする豊田に共感してしまうかな。

無職で家族からも見放された中年男・豊田の言葉。

「これは手放してはいけない気がするんです。譲ってはいけないもの。そういうものってありますよね?」

「幸福」というだけではない。もちろん「成功」や「勝つ」人生ではない。
「芳醇な人生(ラッシュライフ)」。

それは人生の甘みも苦味も自分で味わい受け止める人生と、私には感じられました。