Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

サリンジャー氏のご冥福をお祈りします。

2010-02-01 | 柴田元幸
本日(2010.2.1)の朝日新聞の朝刊に柴田元幸さんが「サリンジャー氏を悼む」という表題で寄稿されています。

サリンジャーさんは御年91歳だったそうです。「ライ麦畑~」の中でホールデンが「いい本とは、読み終えてすぐその作家に電話をかけたくなるような本だ。」という意味の台詞を話しますが、もし電話番号を手に入れられたとしても、もう永遠にサリンジャー氏の肉声を聞ける機会はなくなってしまいました。

私が初めて「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは20代前半です。
その時は「いい本だな」とは思ったのですが、すでに社会人だった(大人の領域に入っていた)ため、「10代に読んだほうがもっとその後の生き方を変えかねないように、心にずんときただろうな」とも感じました。
今思うと、野崎さん訳のホールデンは「べらんめえ」口調なので「大人はわかってくれない」的少年の匂いが強かったのだろうと思います。
03年に出版されている村上さん訳の翻訳は「いい家庭の子」的な口調ホールデンなのでまた印象が違います。
現代の10代の人たちは村上さん訳ホールデンをどう感じて読んでいるのでしょうか。

柴田さんは記事の中で「(サリンジャーが時代を超えて読み継がれているのは)ありていにいえば、自分がいまここにこうして在ることへの違和感・いらだちといった、むろん若者にありがちではあれ、決して若者占有ではない相当に一般的な思いが、「キャッチャー」や「ナイン・ストーリーズ」のせわしない、自意識過剰気味の語りを通して伝わってくるのではないか。」と語っています。

サリンジャーの作品は「若者のため」のものだけではない。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、また再読してみようかなと思います。これから読む方は読後に柴田さん・村上さん共著の「サリンジャー戦記」もあわせて読むのもおすすめです。

しかし、あれほどの作品を残された方が、家の中で何も書かずにいたとは正直考え難いので、何かしらの文章を書かれていたのではないでしょうか?
もしあれば当然各出版社の激しい争奪戦でしょうね。(ちょっと不謹慎かな・・・)
今後サリンジャー氏のほかの作品が発表されるのか、気になります。

「ガラスの街」ポール・オースター著(柴田元幸訳)新潮社

2010-01-30 | 柴田元幸
「ガラスの街」ポール・オースター著(柴田元幸訳)新潮社を読みました。
深夜のニューヨーク。孤独なミステリー作家クインのもとにかかってきた一本の間違い電話。彼は探偵と誤解され、仕事を依頼されます。クインはほんの好奇心から、探偵になりすますことにします。依頼人に尾行するようにいわれた男を、密かにつけます。しかし、事件はなにも起こらず…。
オースターのデビュー作がついに柴田さん訳で刊行されました!
この作品は以前角川書店から「シティ・オヴ・グラス」という題名で別の訳者で出版されているのですが、雑誌「Coyote」に初めて柴田さん訳で掲載され、今回新潮社から単行本化され出版される運びになりました。(←詳しい経緯はわかりませんが、新潮社が角川書店から版権を買ったということかしら??)

なにはともあれ読者としてはとってもうれしいニュースです!(以前の訳者の方、ごめんなさい。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

この作品は著者がもし現在の妻シリに会っていなかったら自分がどうなっていたかを思い描こうとして書いた作品だそうです。
いわばクインはオースターの双子的存在。
(作中に実際にオースターという人物も出てくるのでヤヤコシイのですが。)

作中では同じように「ふたつに分かれた存在」が何度も登場します。
親と息子で同じ名を持つふたりのピーター。
駅でみかけたピーター(父)とそっくりの青いスーツの男。
ピーター(父)が語る、「クインはツイン(双子)と韻を踏む」という台詞。

しかしその「ふたつ」は決して類似の存在ではなく、「ひとつ」である個人も固定された存在ではありません。
現われるたびに次々と名前を変えるクイン。
次第に堕ちていき(ピーター(父)が拾った物のように壊れ)、金も家も仕事もなくしていくクイン。
その時彼の名前は何だったのでしょうか?

冒頭の番号違いの間違い電話、ピーターを尾行する過程、いつまでも話し中のヴァージニアの電話、クインはどこでこの事件を降りても、どこで運命の分かれ道を曲がってもおかしくなかった。けれどこの話のように一本の道をたどって最後まで行き着いてしまった。
クインの最後はまるでNYの街に溶けてしまったかのようです。

「結局、偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ。」
「違った展開になっていた可能性はあるのか、それともその知らない人間の口から発せられた最初の一言ですべては決まったのか、それは問題ではない。」

オースターが「運命の偶然」と呼ぶものがすでにデビュー作であるこの小説にしっかりと描かれています。


「いずれは死ぬ身」柴田元幸編訳(河出書房新社)

2010-01-22 | 柴田元幸
「いずれは死ぬ身」柴田元幸編訳(河出書房新社)を読みました。
死、喪失、別離、崩壊、人生で避けて通れないそれぞれの瞬間。
雑誌「エスクァイア」の連載と、他の雑誌に単発で掲載されていた翻訳短篇をまとめた17篇収録のアンソロジーです。

収録作品は以下の通り。
「ペーパー・ランタン」  スチュアート・ダイベック
「ジャンキーのクリスマス」ウィリアム・バロウズ
「青いケシ」       ジェーン・ガーダム
「冬のはじまる日」    ブリース・D’J・パンケーク
「スリ」      トム・ジョーンズ
「イモ掘りの日々」    ケン・スミス
「盗んだ子供」      クレア・ボイラン
「みんなの友だちグレーゴル・ブラウン」  
       シコーリャック
「いずれは死ぬ身」    トバイアス・ウルフ
「遠い過去」       ウィリアム・トレヴァー
「強盗に遭った」     エレン・カリー
「ブラックアウツ」    ポール・オースター
「同郷人会」       メルヴィン・ジュールズ・ビュキート
「Cheap novelties」ベン・カッチャー
「自転車スワッピング」  アルフ・マクロフラン
「準備、ほぼ完了」    リック・バス
「フリン家の未来」    アンドルー・ショーン・グリア

冒頭の「ペーパー・ランタン」は、研究所の火事という悲しいできごとを描きながらも、語り手の若い時の思い出が重ねあわされてとても美しい作品です。

表題作の「いずれは死ぬ身」はユーモラスな悲喜劇。

「イモ堀りの日々」大いなるパロディ精神。

「盗んだ子供」
スーパーで子供を盗んだ独身女性。可愛いと思っていた子供がこんなに手のかかるものだとは・・・。罪を犯してはいるのですが、彼女のそのバタバタぶりが笑える一篇。子供を盗ませてしまった母親の育児疲れにも、ちょっと共感・・・。

「ブラックアウツ」
オースターの「幽霊たち」の原型となった戯曲。興味深いです。

全編を通して柴田さんチョイスらしい、暗いだけではない、笑いのある作品が多く収録されています。うち二編がコミックなのも、ちょっと気分を変えて読めてよかったです。

「ポケットの中のレワニワ」伊井直行著(講談社)

2010-01-20 | 柴田元幸
「ポケットの中のレワニワ(上・下)」伊井直行著(講談社)を読みました。
レワニワっていう生き物知ってる?
こどものとき父親から聞いた不思議な生き物の話、レワニワ。
コールセンターの派遣社員の俺、アガタ。昔の同級生で現在は職場の上司のティアン、親会社の社員・徳永さん、コヒビト、偏頭痛持ちの三浦さん、SEXフレンドあみー。
俺をとりまくさまざまな人々の生きるかたちとレワニワを描いた物語です。
柴田元幸さんが雑誌モンキービジネスのサイトで「2009年の一番の小説」とすすめていたので読みました。内容について触れますのでご注意ください。

人の願い事を聞いて人間になり、ついには他の人を食らうようになる、トカゲのような生き物レワニワ。レワニワに(他者に)かなえてもらおうとする自分の欲望はふくらみつづけて、ついには他の人が食われても(食い物にしても)なんとも思わないようになる、という比喩のようです。
アガタと同じ姿をとったレワニワ。「幼生」を「妖精」と誤植したり、レワニワはアガタの分身そのものです。
アガタが殺したかったのは、レワニワ(自分のかなえられない欲望)だったのか、それとも過去も含めた自分自身(好きになれない現在の自分)のどちらだったのでしょうか。
アガタはレワニワを殺しきれず、ついに自分の願いを放棄します。

徳永さん(小説の登場人物の中で、私は彼が一番好きです。)の言葉も心に残ります。
「俺は願い事はしない。神様、仏様でも。まして、そのなんだか分かんないレワニワなんかには・・・。自分で何とかしたい」
「願い事、徳永さん、ありません?」
「自分でしたいと思うことについては、自力でやりとげたい」

「自分はこうありたいのになぜなれない?」という葛藤を、自分の頭で考え、自分の足で歩いていく。特別なヒーローではない、一介のサラリーマン。
でもレワニワに囚われる事はない徳永さん。

アガタは一大決心で貯金をはたいてベトナムに行き、ティアンに自ら別れを告げます。
でも結果的にはティアンの方から心をきめて帰国し、アガタの横を歩くようになりました。

アガタがティアンに語った科白。
「変わらないでいることは、すごく難しいよ。わたしたちが変わらなくても、世の中が悪くなることだってある。」
「そうなったら、なったで考える。何とかするよ」

「何とかなるよ」ではない、自分の足で歩き始めたアガタの変化を強く感じました。

「燃える天使」柴田元幸編訳(角川書店)

2009-12-13 | 柴田元幸
「燃える天使」柴田元幸編訳(角川書店)を読みました。
月刊「カドカワ」に連載されていたアンソロジーで、14篇の短篇とエッセイ一篇が収められています。
特に全編を通したテーマはなく、以前「僕の恋、僕の傘」(角川書店)として出版されていたアンソロジーのうちの6本にプラス、デラックスなボーナストラック9本がついて文庫化されたものです。

収録作品は以下の通り。
僕の恋、僕の傘 ジョン・マクガハン著
床屋の話   V.S.プリチェット著
愛の跡    フィリップ・マッキャン著
ブロードムアの少年時代 パトリック・マグラア著
世の習い   ヴァレリー・マーティン著
ケイティの話 シェイマス・ディーン著
太平洋の岸辺で マーク・ヘルプリン著
猫女     スチュアート・ダイベック著
メリーゴーラウンド ジャック・プラスキー著
影製造産業に関する報告 ピーター・ケアリー著
亀の悲しみアキレスの回想録 ジョン・フラー著
燃える天使・謎めいた目 モアシル・スクリアル著
サンタクロース殺人犯  スペンサー・ホルスト著

私が一番印象的だったのは「愛の跡」。
レズビアンのジャクリーンと、ホームレスの子ロビーの奇妙な共同生活の話。

「ここにいる若い男の子は、外見は美しく、中身は地獄のただなか。
でも私たちがどう思おうと、自然にとってはどうでもいい。見かけさえよければ、自然には十分なのだ。人生のいろいろな不公平や苦労。貧乏の匂い、ねじくれた親指、もろもろの汚れ そんなものを人間はやたらと愛してしまう、うわべがそれを甘ったるく感傷的に見せているから。でもひどい話だ、そんな感傷なんて残酷だ、まるで私たちの愛なんて嘘だって言ってるみたい、わたしたちの気持ちなんて全部ニセモノだって言ってるみたいだ。まったく、なんてインチキな世界なの、と私は思った。何が神様よ。どう見ても素人の仕事じゃないの。」

子供の時期から男性の時期への萌芽を匂わせ、ジャクリーンとの再会を約束するロビー。
ロビーを自分のような人間にさせたくない、ロビーとの関係にこれ以上深入りしたくないと部屋を去るジャクリーン。
約束の日時に誰もいない部屋を見たロビーはどんな気持ちになるのでしょうか。
短篇には書かれていないその情景が私の頭から離れません。

「燃える天使」の天使の正体には驚きました。
「背中にくくりつけられた竪琴」・・・なるほど。

「サンタクロース殺人犯」は児童文学のような話で面白かったです。
女性がトップになったら戦争は無くなる?・・・かも。
でももっと国間の戦いが陰険になるかも!?

不思議な話、怖い話、笑える話・・・いろいろな話があって面白かったです。

「喋る馬」バーナード・マラマッド著(柴田元幸訳)スイッチ・パブリッシング

2009-12-03 | 柴田元幸
「喋る馬」バーナード・マラマッド著(柴田元幸訳)スイッチ・パブリッシングを読みました。
底抜けに哀しく、可笑しい11篇の短篇集。
雑誌「Coyote」誌上で連載中の「柴田元幸翻訳叢書」が単行本化されたものです。
収録作品は以下の通り。

最初の七年 / 金の無心 / ユダヤ鳥 / 手紙
ドイツ難民 / 夏の読書 / 悼む人たち / 天使レヴィーン
喋る馬 / 最後のモヒカン族 / 白痴が先

多くの作品が、著者の自伝的要素が強いと思われる、祖国を離れたユダヤ人を描いたものです。

「ドイツ難民」より抜粋。
「子供になった気分がした。いやもっと悪い、低能になった気がすることもしょっちゅうだった。言いたいことも言えずに、一人取り残された。何かを知っていることが、逆に重荷になる。そもそも自分という人間が重荷になるんです。舌は役立たずにだらんと垂れて。」

文化が違う、言葉が通じない、仕事もない。
伝えたいことが体の中にあふれているのに、それを語る術を持たない。
私が想像しようと思っても、きっとその想像をはるかに超える、苦難の数々。

「喋る馬」の中で、「いっそ喋ることも考えることもない馬であったら幸せであったろう」というアブラモウィッツのつぶやきは、そのままヨーロッパ移民のユダヤ人のつぶやきのようです。

ただマラマッドの短篇は、鳥や馬や天使がそのままイコールユダヤ人、という単純な寓話ではありません。
そこだけでは収まらない「物語」としての面白さと奥行きがあります。
だからこそ「ユダヤ人」という人種を逆に超えて、言葉の違う私にもその辛さや、生き延びようとする強さが伝わってくるのだと思います。

「モンキービジネス 2009Fall 物語号」柴田元幸編(ヴィレッジブックス)

2009-10-21 | 柴田元幸
「モンキービジネス 2009Fall 物語号」柴田元幸責任編集(ヴィレッジブックス)を読みました。
「物語」をテーマにした今号。
掲載記事は村上春樹さん「物語の善きサイクル」(スイスのザンクトガレン図書館の記念カタログの序文として寄稿されたもの)。
石川美南さんの「三十一文字の物語集」。
小沼純一さん「音楽を物語と捉える、と」。
レベッカ・ブラウンと柴田元幸、音楽を語る。
クリスマス・ストーリーズ
「賢者の贈り物」「聞けみ使いたちの」「ウェールズの子供のクリスマス」。
ナサニエル・ホーソーン 「アメリカン・ノートブックス」など。

村上春樹さんの「自分がそのような「焚き火の前の語り手」の、一人の末裔であることを、僕はことあるごとに認識させられることになる。」という言葉が印象的でした。
私は小説家と語り部を一緒に考えたことがなかったので。
村上さんの著書「神の子どもたちはみな踊る」で焚き火の話がありましたね。再読してみよう。

それから石川さんの「物語集」、ホーソーンの物語の素のようなストーリーのきれはしも面白かったです。活字の組み方も凝ってます。

谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」は初めて全部読みました。
高校生の時の教科書で「日本座敷の美はまったく陰翳の濃淡に依って生まれてゐるので、それ以外に何もない」あたりの部分だけ抜粋で読んだ記憶はあるのですが、通して読むと面白いですね。

特に厠についての熱弁が面白い・・・。
「(西洋風な厠は)成る程、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに清潔には違ひないが、自分の体から出る物の落ち着き先について、さう迄念を押さずとものことである。やはりああ云ふ場所は、もやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けぢめを朦朧とぼかして置いたほうがよい。」

マグナス・ミルズさんも久しぶりに読みました。やっぱり面白い。
新作長編が出ないかな、読みたいです。

今回も発売日と同時に一気に読み終えてしまいました。

「代表質問 16のインタビュー」柴田元幸著(新書館)

2009-09-25 | 柴田元幸
「代表質問 16のインタビュー」柴田元幸著(新書館)を読みました。
13人の文学者に「読者代表」の柴田さんがイベントや、雑誌などでインタビューしたものをまとめたものです。

テス・ギャラガー/ベン・カッチャー/リチャード・パワーズ
ケリー・リンク/スチュアート・ダイベック/村上春樹
バリー・ユアグロー/ロジャー・パルバース/
古川日出男/沼野充義/内田 樹/岸本佐知子

最後のジョン・アーヴィングさんの記事は、今までのインタビュー記事をまとめた架空のインタビューです。

ロジャー・パルバースさんのインタビューが示唆的でした。

「Why not me?」の科白について。
「不運に見舞われるのも、幸運に見舞われるのも確率としては一緒なのに、不幸の場合だけ人は理由や物語を必要とする。
しかしヨブは何でこんなに恵まれているのか、考える。」

ヨブが魚の腹に隠れたことについて。
「殺せといわれたときに殺さない。体がぶるぶる震えたり、泣いたりできるのが、本当のヒーロー。」

『新バイブル・ストーリーズ』は未読なのでぜひ読んでみたいと思いました。

ほかに印象的だった言葉。

古川日出男さん。「中国行きのスロウボート・リミックス」について。
「いちばん影響を受けた側面を出して、なおかつ自分じゃないとできないミックスを提示する、という行為がリミックスです。影響というものは必ずあるけれど、影響の不安を恐れないということです。ただそれは自分という主体がこの現代に、いま現在に生きている、という圧倒的自覚があって初めて成り立つんです。」

内田樹さん。
「(村上春樹さんの作品に)一番僕がひきつけられたのは、自分の目の前に嫌な人が出てきて、不愉快なことをした場合にも、「どうしてこの人はこんなことをするんだろうか」ということをできるだけフェアな視点で見て、その人にはその人の事情があるということを理解しようとする態度。
フェアネスということを心がけて自分の周りに起こっていることをみつめると、不条理な出来事と思えるものの中にも一筋の条理がある。」


柴田さんが個人的に交流のある作家の方たちのインタビューなので、どれもよそゆきの顔ではない、お互いへの信頼感が漂うインタビューだなと感じました。

「昨日のように遠い日」柴田元幸編(文藝春秋)

2009-08-25 | 柴田元幸
「昨日のように遠い日」柴田元幸編(文藝春秋)を読みました。
レベッカ・ブラウン、ユアグローなど柴田さんの訳でおなじみの作家のほか、
20年代ソ連のアヴァンギャルド作家の愉快で恐ろしい世界、
サラエボ出身の新鋭に、本邦初登場のアイルランドの女性作家など、
少女少年小説を15編集めたアンソロジー。
特別付録にアメリカン・コミックの「眠りの国のリトル・ニモ」、「ガソリン・アレー」のカラー・リーフレットが付いています。
「少年少女」のための小説と区別するため?か、「少女」が先の「少女」少年小説集です。実際に私の印象に残った作品も少女小説が多かったかも。

収録作品は以下の通り。

●大洋      バリー・ユアグロー
●ホルボーン亭   アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(西田英恵訳)
●灯台      アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(西田英恵訳)
●トルボチュキン教授 
      ダニイル・ハルムス(増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ訳)
●アマデイ・ファラドン  著者・訳者同上
●うそつき        著者・訳者同上
●おとぎ話        著者・訳者同上
●ある男の子に尋ねました 著者・訳者同上
●猫と鼠 スティーヴン・ミルハウザー
●修道者   マリリン・マクラフリン(小澤英実訳)
●パン    レベッカ・ブラウン
●島     アレクサンダル・ヘモン
●謎   ウォルター・デ・ラ・メア

訳者の表示がないのはすべて柴田さんの訳によるもの。
雑誌&HPのモンキービジネスに掲載されていたものもいくつかあります。

私がいいと思った作品。

『修道者』

女の子がいやおうなく大人になっていく。
子供に戻りたいわけではない。でも「女」にはなりたくない。

「あたしは人から見られたりしない。ただ自分のやりたいことをやって、人からあれこれ見定められたりはしない。」

これから花開く若い女の子である、という周囲からの求めと、
かまわないでほしい、自分らしくいたいのだからと感じる自分との差異。
女の子の体が大きく変わる時期。
吹き荒れる心の中の嵐が、おばあちゃんの海辺の家で過ごすうちにだんだんと変化していきます。

『パン』
あなたがいつもとるホイートロール。
柔らかいパンの描写から、あなたのはく靴、あなたのしぐさ、あなたの・・・
片思いの「私」の熱い目線をそのままたどるように、丹念に語られる女子寮での日常。美しくカリスマ性のある「あなた」。
パンをめぐる苦い結末は恋の終わりなのか、
それとも悪魔的な「あなた」への恋を強めることになるのか。

あとがきで柴田さんは「いまさら子供の無垢だの純真さだのを謳いあげた作品を並べたって仕方ない。」と語っていますが、単純に「少女か少年を主人公にした作品」だけではない、バラエティにとんだ作品が選ばれています。

「柴田元幸ハイブ・リット」柴田元幸編訳(アルク)

2009-08-04 | 柴田元幸
「柴田元幸ハイブ・リット」柴田元幸編訳(アルク)を読み(聞き)ました。
「ハイブ・リット」とは、hybrid(混成の)とliterature(文学)の合成語で、文学を楽しみながら多面的にすぐれた英語に親しめるCD-BOOK の呼称。
村上春樹さんバージョンも出版されています。

収録作品は以下の通り。朗読はすべて作者自身!豪華です。

ハッピー・バースデイ/バリー・ユアグロー
私たちがやったこと/レベッカ・ブラウン
大いなる離婚/ケリー・リンク
ペット・ミルク/スチュアート・ダイベック
雪人間/スティーヴン・ミルハウザー
オーギー・レンのクリスマス・ストーリー/ポール・オースター

どの作品もすべて既に出版されているものですが、改めて作者の声で聞き、読み返してみるとまた違った味わいです。
朗読の技術や英語の文章表現については、残念ながら私の英語力が足りなくて批評できるほどの違いはわかりません。
でも著者自身の声を聞ける、というのはとても貴重な体験。

ダイベックさんの温かみのある声は作品にぴったり。
ミルハウザーさんの声は、イギリスの知的紳士といった趣。(アメリカ人だけど。)
日本にはこういうリーディングのイベントってないですね。
「朗読」といえば江守徹さんのような声のいい人がやるもの、という固定概念があるような気がします。
朗読の上手下手にかかわらず、「耳で聞く物語」も私は大好きですけどね。