Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社

2008-09-30 | 児童書・ヤングアダルト
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社を再読しました。
今回行われるのはクィディッチワールドカップ&三大魔法学校対抗試合。これが面白くないわけがない。
毎回思うのですが、ローリングのユーモラスな描写は本当にぷっと笑ってしまうことの連続で大好き。
上司のことばかり口にするパーシーに「パーシーとクラウチ氏は近いうちに婚約発表するぜ」とつっこむロン。でも肝心のクラウチ氏はパーシーを「ウェーザビー」と。名前覚えてない・・・。
花模様のネグリジェで歩いている年寄り魔法使いと魔法省役人の会話。
「そんな格好で歩いちゃだめだ。マグルが疑っている」
「わしゃ、マグルの店でこれを買ったんだ。マグルが着るものじゃろ」
「それは女性が着るものだよ。男のじゃないんだ。男のはこっちだ」
「わしゃ、そんなものは着んぞ。わしゃ大事なところに爽やかな風が通るのがいいんじゃ。ほっとけ。」  この返しには爆笑!

そして今回シリーズを読み返してみて、改めてロンの良さを再発見しました。
初めて読んだときは話の筋を追うのがただただ面白くてハリーのことばかりでしたが、ロンは深刻な場面でも「笑い」でみんなをほっとさせてくれて、悩みも喜びもその感情はとても親しみやすく、読んでいてほっとさせてくれます。大きな試練を背負ったハリーには本当になくてはならない友達だと思います。
そしてジョージとフレッドの存在も。
そんなロンが「貧乏はいやだよ。みじめだ」と語る場面は、本当に読んでいる自分がロンの横にいるようで胸が苦しくなりました。

そして、私がシリーズ中でも三本の指に入るくらい大好きなのは、ダンスパーティーのシーン。水色のドレスをきて見違えたハーマイオニー。ロンとハーマイオニーはケンカしたけれど、お互い激しく「怒り」をぶつけあっているのに、それが「好き」って言えない気持ちをぶつけあってるみたいで、胸がむずむずするようなもどかしさがありました。

さらにもちろん大筋の、ハリーが乗り越えていく三つの課題、とっても面白かったです。自身で立候補したほかの候補者たちが「勝つ」ことだけにこだわっているのと違って、ハリーはほかの候補者たちや人質を助けて時間をロスしてしまう。
それなのに優勝してしまう。この逆説が気持ちいい。
もちろん優勝=ハッピーではなかったわけですが。

ダンブルドアの言葉を借りれば「一人の善良な、親切で勇敢な少年が、たまたまヴォルデモートの通り道に迷い出たばかりに」
セドリック、本当に可哀想。
そしてそのことで自責の念と強い痛みを背負ったハリーも同じくらい可哀想・・・。

物語の真相は驚きの結末へ。
ウィンキーが。クラウチ氏が。そしてマッドアイが・・・。
アズカバンにはシリウスだけでなく脱獄できるトリックがあったとは。

リタ・スキーターのくだりは突然有名になったローリング自身の体験も踏まえている気がして、ハーマイオニーがやっつけたときはスカっとしました。

最後、フレッドとジョージの店に出資するハリー。
「僕、少し笑わせて欲しい。僕たち、これまでよりもっと笑いが必要になる。」
ヴォルデモートのような非情な暴力に対抗するのは「善を掲げた報復」ではなく、誰かと肩の力を抜いて笑いあうこと、そういうささやかな日常が実はとても大切なのではないかと、この言葉を読んで感じました。
そして「ひとつだけお願いがあるんだけどいいかな?君たちからだと言ってロンにドレスローブを買ってあげて」と付け加えるハリーの優しさ。
このハリーのまっすぐさが大好きで、筋は知っていても何度読んでも楽しめるハリー・ポッター。次巻ではさらに戦いの様相が激しくなります・・・。

「サイレンの秘密」ジュリア・ゴールディング著(松岡佑子/カースティ・祖父江訳)静山社

2008-09-28 | 児童書・ヤングアダルト
「サイレンの秘密」ジュリア・ゴールディング著(松岡佑子/カースティ・祖父江訳)静山社を読みました。
主人公は動物と心が通じ合える不思議な少女コニー・ライオンハート。
彼女は静かで穏やかな海辺の町ヘスコムで伯母と暮らすことになります。
彼女は神秘の生物たちを守る「協会」の存在を知り、町を脅かす危機と戦うことになります。
「コニー・ライオンハートと神秘の生物シリーズの第一巻目です。(全四巻で、これ以降も続巻予定だそうです。)

人間を海に誘う歌を歌うサイレンを始めとしてドラゴンや一角獣、ペガサスなど、「神秘の生物」たちがたくさん登場します。
大きなテーマは動物たちの暮らす環境の破壊とその保護。
テーマは固いですが、コニーがそれぞれにまったく性格の違うさまざまな生物たちと交信する場面が面白く、純粋にファンタジーとして楽しめます。
生物の中では、気象巨人という発想が面白かったです。私はゴヤの巨人の絵を思い浮かべました。
自分が神秘生物の盟友になるのなら、ペガサスがいいな。


「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ著(土屋政雄訳)早川書房

2008-09-25 | 外国の作家
「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ著(土屋政雄訳)、早川epi文庫化に伴い再読しました。
もう初版からだいぶたっているのでネタバレあります。

洞察力のある語り手キャシー、勝気なルース、子どもっぽいトミー。
彼らの学生時代から大人になるまで、彼らの感じ方、仲間うちの秘密の符号や、徐々に成長していく有様、すべてが丁寧に描かれた「普通の人が普通に成長していく」物語です。ところが彼らは「普通」じゃないのです。

では彼らは「人間」ではないのだろうか?
彼らの命を利用しようとする私たちは「人間らしい」のだろうか?
私がもしもキャシーのような人間にあったとき、私は嫌悪感を感じることなく、彼女の手を握れるのだろうか・・・?

この物語は「クローン」を扱っていますが、同じようなことは身分や、人種、あらゆる選民思想に通じるものだと思います。
マダムが語った言葉。
「科学が発達して効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも無慈悲で、残酷な世界でもある。」

クローン技術・・・私は推し進めて欲しくないと思う研究です。




「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」J・K・ローリング著(静山社)

2008-09-25 | 児童書・ヤングアダルト
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」J・K・ローリング著(静山社)を再読しました。
シリーズ中、個人的にはこの作品が一番好きです!
動物変身譚、タイムスリップ、自分の守護霊、死神犬や狼男、忍びの地図などさまざまな要素がたっぷり。思わず吹き出してしまうようなユーモラスな場面も多く、伏線の張りかたも見事に決まっています。
もしシリーズ中で一番レベルが高い作品といわれたらきっとこの作品か「炎のゴブレット」になるんじゃないかなあ?

ハグリッドが教師になるというのもうれしい出来事。ヒッポグリフの授業に失敗してレタス喰い虫の課題ばかりになるという極端さもハグリッドらしくて面白い。
ルーピン先生も大好きなキャラクターです。哀しい宿命を背負っているのに自分をかってくれたダンブルドア先生の期待に応える授業は楽しくてとても役に立つもの。スネイプ先生がレースの服を着る場面、想像すると笑わずにはいられない!
スキャバーズが12年もの間ねずみでいたピーターだったことも驚きでした。考え方は人間なのにずっとねずみでいることに耐えられるのかな?それができたってことはピーターは本当に考え方もねずみなのかも・・・。

叫びの館に助けに行ったスネイプ先生が失神させられてしまう場面は可哀想。
13歳の生徒たちがブラック(そして彼の親友であったルーピン)が、彼らが学生時代につるんでいた館に向かったと知ったら、そりゃあいそいで助けに行きますよね。しかも単身でです!えらい。
それなのに「先生はなにもわかってないんです」とばかりにじゃまもの扱いされて、体張ってるのに報われなくて、スネイプ先生って本当にいつも可哀想。
ルーピンの複雑な薬だって毎回欠かさず作ってあげていたのに。
映画では原作にはない、「狼に姿を変えたルーピンから、スネイプ先生がとっさにハリーたち三人を身を挺して守るシーン」があるのですが、それも映画制作者がスネイプ先生に少しはかっこいい場面をあげたかったからかしら?なんて思ってしまいました。

ハリーが守護霊を呼び出すシーンはとても美しい場面でした。
父母の記憶もないハリー。吸魂鬼に襲われる場面で、恐ろしいのに両親の声を聞きたいと葛藤するハリーがとてもせつなかったです。
だけれど吸魂鬼に打ち克って守護霊を呼び出す場面で「自分の中の父親」に出会うことができた、この場面は読んでいてとてもうれしかったです。
ちなみにスネイプ先生がこの呪文を唱えるときはどんな「幸福の記憶」を呼び覚ましているのかなあと想像するのも、とても興味深いです。

最後のシリウスの手紙にはぐっときました。13回分の誕生日プレゼント、そしてホグズミードにいけるようになってよかったね、ハリー!

「ガラスの宮殿」アミタヴ・ゴーシュ著(小沢自然/小野正嗣訳)新潮社

2008-09-20 | 外国の作家
「ガラスの宮殿」アミタヴ・ゴーシュ著(小沢自然/小野正嗣訳)新潮クレストブックスを読みました。
ビルマ(現ミャンマー)最後の王都の陥落。イギリス軍が侵攻する古都マンダレーの混乱のなか、幼い孤児ラージクマールと侍女のドリーは偶然出会いました。そして20数年後インド人エリート官僚の妻ウマとの出会いがふたりの人生を結びつけます。三人の行方と彼らをとりまく子どもたち、そして訪れる死の悲劇。
ふたつの大戦を経験した20世紀の激動の時代を描いた、3世代の物語です。

実際にあった歴史の出来事を背景に語られる、3つの家族の生き様。
ビルマを追われ、インドの海辺の田舎ラトナギリで暮らすことになる王族一家を単身で支える、美しいドリー。
一方、孤児の身の上で自分の才覚ひとつで山奥で材木業を覚え、財を蓄えていくたくましいラージクマール。ふたりの生き方は対照的です。
そんなふたりが再会しラージクマールがドリーに初恋を語ります。
この場面・・・欲を言えばここはもう少しゆっくりと筆を進めて欲しかったです。ドラマチックで素敵ですが、ちょっと急展開すぎる感じも否めず。
でも人生の転機ってこうやって不意をつかれるものなのかな?
ドリーは静かでたおやかなようでいて、物事の本質を見れるし決断力がありますね。
ラトナギリでは、スパヤーラッ王妃が第一王女とインド人御者サワントとの結婚を収税官に報告する場面もよかったです。
「王妃殿下、召使と関係をお持ちになるなんて、ビルマの王女にふさわしいことでしょうか?」
「サワントはそなたに比べればよほど召使ではないわ。」
王妃のこの一喝、かっこいい。

ラージクマールとドリーは結ばれてビルマへ戻り、ふたりの息子に恵まれます。
そしてラージクマールの恩師サヤー・ジョンの息子マシュー夫婦、インド人官僚のウマの甥・姪に物語は引き継がれることに。車やカメラ、士官学校でのイギリス風の生活など裕福な時代と世代を迎えることになります。
ディヌとアリソンがモーニングサイド農園のそばの廃墟でカメラを撮る場面は官能的で美しい。
アリソンが父母の死を語る言葉も印象的です。
「私の中にある感情には簡単に名前をつけられないの。痛みや悲しみそのものではないの。むしろ、とても重たい体を抱えて椅子に座るような感覚なの。単純でわかりやすい痛みであって欲しいの。毎朝歯を磨こうとか、朝食を食べようとか、というときに痛みに不意打ちされるなんてたまらないのよ」
毎日一緒にいた家族と習慣を失くすってこういうことなのかと思いました。最初にドンと悲しみがきて、どんどん悲しみが軽くなっていくという単純なものではなく、時間がたっても何かがきっかけで自分でも抑えきれない喪失の痛みに襲われることがあると。

そして時代は第二次世界大戦に突入します。侵攻してくる日本兵、空襲、失われる多くの命。
士官アルジャンはインド人でありながら行ったこともない「大英帝国」のために命をかけ、他人を殺す矛盾に苦しむことになります。
アルジャンとキシャン・シンの最期は本当にせつなく、戦争のむごさを痛烈に感じた場面です。

さらにニールの娘に語り手は引き継がれ、アウンサン・スーチーさんが登場する場面も。世代交代というだけでなく、年取っても元気だぞ!というラストシーンもとてもよかったです。
一気に時代と場所をかけぬけたようで読み終えてしばらく放心してしまいました。
壮大な物語を読みたい人におすすめの一冊です。

ちなみにいしいしんじさんが「2007年今年の三冊」にこの作品を挙げています。

http://sankei.jp.msn.com/culture/books/071230/bks0712300951002-n1.htm







「旅するつあーめん(上)」ニシイトシヤス著(羊土社)

2008-09-18 | エッセイ・実用書・その他
「旅するつあーめん アジアで転んで西欧・アフリカ激闘編(上)」ニシイトシヤス著(羊土社)を読みました。
会社を辞めて、幼い頃からの憧れの地・南米をめざして旅立ったはずの著者は、なぜかタイに到着。アジアを縦断し、極貧でヨーロッパをくぐり抜け、突然アフリカをめざすお笑い旅行記です。
「オッパイ族」を見るために20時間もかけて奥地の村に行く話、崖から風でふきあがるウ○チの話、売春宿をのぞくルーマニア、突然ラジオ生出演のガーナ。
数々のエピソードと、「旅はネタ」とばかりに自身をツッコミまくる語り口。
全章にわたって吹き出す場面がいっぱい。いよいよ南米へ向かう下巻も楽しみ!


「藤森照信建築」藤森照信著(TOTO出版)

2008-09-16 | エッセイ・実用書・その他
「藤森照信建築」藤森照信著(TOTO出版)を読みました。
藤森先生の設計した建築物が美しい写真と解説で見られます。

ちなみに作品はこちらでも見られます。↓
http://tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jp/fujimori/f-work-fs.html

屋根につきだした柱、てっぺんににょっきり生えた椿、松。
一本足の茶室。銅でふかれた屋根。
どの建物も生きて動き出しそうな気配。

木と土と石、自然の素材にこだわったオモシロイ造形、見ているだけでわくわくします。

「夜中にジャムを煮る」平松洋子著(新潮社)

2008-09-16 | エッセイ・実用書・その他
「夜中にジャムを煮る」平松洋子著(新潮社)を読みました。
母がつくってくれたご馳走。ごはん炊き修業。だしとり。塩かげんの極意。アジアの家庭で出会った味。ひとりぼっちの食卓。春の昼酒など、台所をめぐる十七のエッセイです。

料理はとかく「ねばならぬ」が多くて、食べるのは好きだけど作るのは嫌、という人は多いと思う。
たとえば「女性は料理がうまくなければならぬ」に、始まり
「極力だしはダシの素ではなく、昆布やかつおぶしでとらねばならぬ」
「おいしいカレーをつくるには時間をかけなければできぬ」などなど。

平松さんはそんな世間の風潮に閉口しつつ、しかしまわりまわってやっていることはとにかく本格派。
土鍋でご飯をたき、豚肉でダシをとり、七輪で野菜を焼く・・・。
でも「スロウフード」のような「思想」にこだわってるわけではないのです。
ただただ、そうするとおいしいから。
塩や飯炊き道にこだわるのは面白いから。
そういう好奇心旺盛な考え方と、気取らない口調が楽しいエッセイです。

感化されて私も読み終えたあとお鍋でご飯を炊いてみました。



「ハリー・ポッターと賢者の石」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社

2008-09-04 | 児童書・ヤングアダルト
「ハリー・ポッターと賢者の石」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社を再読しました。
最終巻「死の秘宝」があまりに面白かったので、また一巻から読み直し始めました。最終巻で一番せつなかったのが「永遠の恋」・・・。
感想がありすぎて書ききれないので最終巻についてはまた後日。

「賢者の石」を改めて読み返すと、ホグワーツに入学する前からハリーが蛇と話す場面があったり「こんな場面あったなー」とまた新しい発見があって面白いです。ロンがねずみを黄色く変える魔法に失敗したときに、「ヒゲのさきっぽが黄色くなったみたい」とフォローしたり、天敵のマルフォイにケンカを仕掛けられたことがきっかけでクィディッチの選手になれたときにマルフォイのおかげだよ、とさらっと口にしたりなど、ハリーの優しさとユーモアがあちこちに感じられてとても楽しかった。
一番最後に劣等性のネビルがグリフィンドール寮に勝利をもたらすところも、ローリングの優しさを感じさせて大好きな展開です。

読み返してローリングの懐の深さを思ったのが、寮の設定。
勇気を掲げるグリフィンドール、優しく勤勉なハッフルパフ、知性のレイブンクロー、狡猾なスリザリン。
ヴォルデモートほか多くの悪の魔法使いを輩出したスリザリン、普通なら寮を閉じてしまいそうですが、「悪に自ら魅入られることもある」という人間の性を受容した上で、四つの寮すべてが集まって「ホグワーツ」というひとつの人格になるのでしょうね。

しかしスリザリン生もほかの寮生たちと同じ授業を受けているのに、なぜスリザリン生が悪の道に走ることが多いのでしょうか?

組み分け帽子は「スリザリン生になれば偉大な道が開ける」と語ります。
ヴォルデモートは「この世に善悪などない。力を欲する強いものと、力を欲しない弱いものがいるだけだ」と論じました。
自身の強い願望をもち、他を支配する権力(悪いものばかりではありません)を求め、それに邁進する傾向をもった者がスリザリンに組み分けされる?
その「自身の幻想」がどんなものであるかによって他者にとって「善悪」が判じられるのでしょうか?
・・・なかなか深い問題です。

久々にDVDも見返してみましたが、ハリーもロンもみんな幼くて可愛いな~。
一番のツボは、スリザリンが優勝杯をとった?と思われたシーンのスネイプ先生の「無表情の大拍手」でした。
アラン・リックマンは最近もジョニー・デップ主演の「スゥイーニー・トッド」で敵役の粘着質な判事を演じていましたが、悪役だけでなくコメディも見てみたい!

「変愛小説集」岸本佐知子編訳(講談社)

2008-09-04 | 外国の作家
ブッカー賞作家から無名作家まで、「変愛(恋愛、ではありません)」と呼ぶしかない奇妙な愛の物語を集めたアンソロジー。
白い花をつける木に恋した人、バービー人形と恋愛する少年、自分の母親を口説く方法などなど一筋縄ではいかない恋や愛の話のオンパレード。

私の印象に残ったのは、飛行船に乗った彼女を追い求める「ブルー・ヨーデル」(スコット・スナイダー作)。
「ブルー・ヨーデル」ではクレアに恋するプレスの心をこんな描写で表現されています。
プレスが子どもの頃に見た水力発電の見世物。ガラスでできた等身大の人形の頭から水を注ぐと、体中に連ねた電球が順々に灯って星座のようになり、最後に胸のガラスのハートがひときわ明るく輝く。
その記憶がプレスの今の気持ちに一番近い何か。クレアを思うたびにプレスの胸に灯りがともったようになる。
素敵な描写だなあと思いました。
そんなプレスがクレアを追ってどのようになり、どこまで行き着くのか・・・これは読んでからのお楽しみ。

もうひとつ印象的だったのは、忘れ去られた孤島の戦争の傷跡を描いた「母たちの島」(ジュディ・バドニッツ作)です。
見たことのない父たちへの空想を膨らまし、それがいつのまにか自分たちを迎えに来る夫の姿と重なっていく孤島の少女たち。
島に限らず、周囲から隔絶された山間の村などでもこういうのありえそう・・・と怖くなりました。

岸本さんの扱う作品はどれも面白いですね。これからもどんな作品を訳してくれるのか楽しみです!