Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「夜の樹」トルーマン・カポーティ著(川本三郎訳)新潮社

2005-03-31 | 柴田元幸
「夜の樹」トルーマン・カポーティ著(川本三郎訳)新潮社を読みました。
9篇から成る短編集で、孤独や不安を描いた都会を舞台にした作品と、カポーティの子供時代の思い出をもとにした心あたたまる作品とが、バランスよく収められています。
収録作品は表題作のほか「ミリアム」「夢を売る女」「最後の扉を閉めて」「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「銀の壜」「ぼくにだって言いぶんがある」「感謝祭のお客」です。

特に私が印象的だったのはカポーティの19歳の時の作品「ミリアム」。
ひとり暮らしの老女ミセス・ミラーはある日映画館で銀髪の不思議な少女に出会います。
彼女の名前は自分と同じ「ミリアム」。
少女は数日後突然ミセス・ミラーの家を訪れます。少女を嫌悪しながらいいなりになってしまう主人公。
彼女は実在するのか?
最後、自分を取り戻したかに思えたミセス・ミラーの部屋が震え、波打つ場面は本当に恐ろしい。
自分がこわれていく瞬間はこんなものか、と思わされます。

この短編集に収められている何篇かは村上春樹さん訳「誕生日の子どもたち」でも楽しめます。
たとえば「感謝祭のお客」ではスックの台詞が川本さん訳では「わざとひどいことをすること」となっており、村上さん訳では「企まれた残酷さ」となっています。読み比べてみるのも楽しいです。

ちなみに村上春樹さんのデビュー作「風の歌をきけ」は、この短編集に収められている「最後の扉を閉めて」の最後の行「何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう」からとられたそうです。


「草の竪琴」トルーマン・カポーティ著(大澤薫訳)新潮社

2005-03-14 | 柴田元幸
「草の竪琴」トルーマン・カポーティ著(大澤薫訳)新潮社を読みました。
主人公は16歳の少年コリン。両親と死別した彼は遠縁にあたるドリーとヴェリーナの姉妹にひきとられます。
ある日ヴェリーナはドリーが作る自家製の薬を商売にしようと計画、話が折り合わずドリー達はコリンと一緒に家を出て、森の木の上で暮らすことになります。
カポーティの自伝的要素の強い作品で、ドリーはカポーティのほかの短編『クリスマスの思い出』や『感謝祭の客』に登場する年上の従姉スックに近い女性です。

ドリーとコリンの心の交流、樹の家の暮らしは現実世界から切り離された世界。
彼らは黒苺のワインを飲み交わし、鳥の巣や薬草を見つけながら森を歩きます。
しかしヴェリーナが保安官を連れて彼らを連れ戻しにきます。
話し合いの末家に戻ったコリンたち、そしてやがて訪れるドリーの死。
コリンは過ぎ去った人々の物語を語る草の竪琴の調べに耳を澄ませます。

ひとつひとつの情景がとても細やかで、文章の美しさがすみずみまで味わえる中編小説です。

「ナインスゲート」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著(大熊榮訳)集英社

2005-03-12 | 柴田元幸
「ナインスゲート」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著(大熊榮訳)集英社を読みました。
主人公は稀覯(きこう)本の狩猟家のコルソ。
彼はあるスペインの富豪に中世の悪魔書『九つの扉』の真贋鑑定を依頼されます。また同時進行で友人が購入した『三銃士』の肉筆原稿の調査も依頼されます。
コルソは何者かに襲われながらポルトガル、パリへと調査を進める中で、殺人事件が次々と起こります。
奇書にまつわる秘密を解き明かす知的ミステリー。ラストの種明かしもぐっときます。とにかく面白い本です。おすすめ。

以前『呪(のろい)のデュマ倶楽部』として刊行されていましたが、2000年に公開されたジョニー・ディップ主演の映画をきっかけに、現在の表題となりました。
映画の大筋は小説と同じですが、ラストの舞台などが異なりますので、映画も小説もどちらも見て損なし。
私は映画が先でしたが小説も充分楽しめました。

あたりまえですが登場人物たちは文学好きだらけ。古典文学の引用の会話が多く、
元文学を読んでいる方なら、よりふくらみを持って楽しめる小説だと思います。
例えば小説の中でコルソが語る「メフィストフェレスはだめ、『カラマーゾフの兄弟』の悪魔もだめ。ミルトンの『失楽園』の堕天使がよい」という台詞などなど。
この小説が面白かったので、私も『三銃士』を読んでみようかなーという気になりました。
こうやって芋づる式に読みたい本が見つかるのは私にとってとても幸せなことです。


「あなたが私を見つける所」アン・ビーティ著(道下匡子訳)草思社

2005-03-09 | 柴田元幸
「あなたが私を見つける所」アン・ビーティ著(道下匡子訳)草思社を読みました。
レイモンド・カーヴァーと並び評される短編の名手の15篇の短編集です。

どの作品も夫婦や友人、親子の会話の場面を切り取り、丁寧に人の気持ちを掬い取っているなと思いました。
印象的だった作品は『サマーピープル』。
他人に「これ」と示せる行動はないのだが、不気味さを感じる男リックマン。
主人公は通りすがりの男リックマンの素性を調べるうちに、実は自分はリックマンどころではなく、近しいはずの自分の恋人のことも息子のこともよく知らないのだ、ということを思い知らされ、切り離された孤独感を感じます。
その過程がとてもリアルです。

結婚や親権などの制度が人の関係をつなぎとめられないと知ってしまった現代アメリカで、
人々がどのように心の安寧を得ていこうとするのか?
これからの日本人の課題でもあるのでしょうね・・・。


「偶然の音楽」ポール・オースター著(柴田元幸訳)新潮社

2005-03-08 | 柴田元幸
「偶然の音楽」ポール・オースター著(柴田元幸訳)新潮社を読みました。
主人公は元消防士のジム・ナッシュ。妻に逃げられ娘にもなつかれなくなった彼は、
父の遺産の20万ドルを手に新車を買い、あてのない旅に出かけます。
金が底を突くようになったところで、ポーカーギャンブラーのポッツィと知り合った彼は、
ポッツィの勝負に投資してひと山当てようともくろみます。
思惑ははずれ、ついには借金返済のために、時給10ドルで奇妙な壁づくりの仕事に携わることになります。

この作品の印象は著者自身の言葉「主人公のジム・ナッシュは、自分のことを自由だと思っているが、実は生きる意味を失っているにすぎない。」に要約されていると思います。
思いをかける人も、誇れる仕事も、欲しいモノも何もない。
だからナッシュは一枚のカードに自分を賭け、成り行きに身を任せ、そして他人の悪意の世界に否応なくまきこまれていってしまった・・・。 
フラワーとストーンの屋敷、いい人そうに見えるマークス、歪んでいることを感じるのに、
からみとられ抜け出せない牢獄。
ポッツィとナッシュは結局どうなったのか・・・。
結末は読者にゆだねられていますが、明るさが感じられないことは確かです。

「貧しき人々」ドストエフスキー著(原久一郎訳)岩波書店

2005-03-06 | 柴田元幸
「貧しき人々」ドストエフスキー著(原久一郎訳)岩波書店を読みました。
ペテルブルクに暮らす中年の書記マカールと、田舎出の薄幸の少女ワルワーラとの往復書簡の形で描かれています。ドストエフスキー24歳のときのデビュー作です。

ワルワーラは体が病弱なため、働こうにも稼げず、それを助けようとするマカールも
役所の浄書の仕事をする薄給な身のため借金まみれ。
でもお互いを少しでも助けようとお金を融通したり、ささやかなプレゼントをしたりと
とてもけなげです。
(マカールは時々はお酒を飲んでへべれけになってワルワーラに怒られたりしてますが・・・)
マカールが長官から寸志を受け取った時にまっさきにワルワーラにお金を渡したり、
同じ下宿屋のゴルシコーフになけなしのお金を恵んだり、着る物も整えられない
貧しく苦しい生活の中で身を削って他人のことを思いやる姿、なかなかできることではないです。

でも最後、ワルワーラはお金持ちの地主に嫁ぐことになり、急にもぎとられるように
マカールと別れることになります。
はっきり描写はされていませんが、嫁入り道具の飾り襟や宝石の心配をするワルワーラは
「忙しくて大変」「これからどうなるのか不安」といいながら心なしかうれしそう??
それにしてもそのために仕立て屋を呼びに行かされたりした恋する40男マカールの心のうちを思うと・・・。
最後のマカールの「これからどうやって手紙をやりとりしましょう?」「貴女の乗り去る馬車の車輪の下へ身を投げてもたたせはしない」という書簡は本当に彼の苦しみの叫びそのものです。


「陰陽師 大極の巻」 夢枕獏著 (文藝春秋)

2005-03-04 | 柴田元幸
「陰陽師 大極の巻」 夢枕獏著 (文藝春秋)を読みました。
安倍晴明と源博雅の絶妙のコンビが相変わらず良いです。
平明な表現で世界への驚きを表す博雅は本当に「よい漢(おとこ)」。
あとがきで獏さんが移り変わる季節の中で晴明の屋敷に座るふたりを描けるのは
マンネリかもしれないが喜びでもある、という意味のことを書いていますが
読者である私もそう感じます。ほっとするのです。

私が一番面白いと思ったのはお経が飛び交うコガネムシに変わる話。
とても美しい光景だなーと思いました。
人を病気にさせる鬼の小槌を手に入れた晴明は何に使うのかな?
珍品は見逃さない晴明ですね。

私は「陰陽師」の小説は一作目とこの「大極の巻」しか読んだことがないのでなんとも
いえないのですが、コミックのどんどん人間離れしていく晴明と、雰囲気が違うなと思いました。
でもどちらの晴明も魅力的です。


「死せる魂」ゴーゴリ著(中村融訳)新潮社

2005-03-03 | 柴田元幸
「死せる魂」ゴーゴリ著(中村融訳)新潮社を読みました。
ゴーゴリの遺作で、残念ながら未完に終わっています。
詐欺師チーチコフが主人公。
当時のロシアは戸籍調査が数年ごとだったため、地主は次回の調査までは、亡くなった農奴の分まで人頭税を払っていました。そこに目をつけたチーチコフ。彼は死亡したり逃亡したりして実在しない農奴の名義を地主から買取り、それを担保に銀行から大金を借り出そうとします。
表題は「死んだ農奴の魂」とチーチコフ自身のズルやインチキといった悪徳を掛けて「死せる魂」としています。
それにしてもロシア文学の多くはそうですが、題名がやたら暗いですね・・・。
これだけで読むのを敬遠してしまう人が多そう。残念です。

まず、ドストエフスキーやトルストイの作品よりはるかに読みやすい。
訳者の方の力か、会話が多いからか、チーチコフの姿も憎めなく登場人物もユーモラスで
するすると読んでしまいます。
彼が詐欺遍歴の途上で出会うさまざまな地主のキャラクターがカラフルで面白いです。

育ちの良いマニーロフ。
思慮に欠けるノズドリョフ。(この男からは農奴売買に失敗)
疑り深い老婆の地主カローボチカ。
田舎もので金にがっちりしているサバケーヴィッチ。
そして一番強烈なのは身だしなみも汚くなんでも溜め込む吝嗇家プリューシキン。
でもこのプリューシキンが一番なんの疑いもなく農奴の売買に応じたのが不思議。

この作品は全三部を構想していたようで、二部の途中で作品が終わっていますが、
二部ではチーチコフの贖罪を、三部では人類全体の救済を考えていたそうです。
二部では牢屋に入れられたチーチコフのその後が気になるだけに未完なのがつくづく残念。
この作品は「風刺文学」といわれていますが、残念ながら現代の日本人の私が読む分には
その点はちょっとよくわかりません。
でも作品としては面白いので、未完でも読む価値あり。

本筋とは関係ありませんが、読んでて「お」と思ったのは「かぶのような美人」という表現。
ロシアではポピューラなのかな?かぶって美人?

「春休みに行きたいぞ これが世界の超絶景!!」(2005.3.2放送分)

2005-03-02 | 日本の作家
「春休みに行きたいぞ これが世界の超絶景!!」(2005.3.2 18時55分~放送 TBS)を見ました。
今回紹介された絶景は5ヶ所。
まず紹介されたのはパラオの珊瑚礁。旅人は的場浩司さん。
水の関係で毒性が抜けているため、クラゲと泳げる湖やブルーホールと呼ばれる海の穴などを紹介。
パラオの大酋長が所有している無人島もきれいでしたが、一般の人は行けないよ。
次に紹介されたのはオーストラリアのシェルビーチ。旅人は柴俊夫さん。
私も一度は行って見たい貝殻でできた砂浜。その後奇岩バングルバングルの紹介がありました。
鶴田真由さんはニュージーランドのカイコウラで300頭のイルカの大群に遭遇、一緒に泳ぎます。
氷河ではトレッキングに挑戦。透き通った青がきれい。
ハワイの火山の赤い溶岩流は空からの空撮。
最後は持田真樹さんが中国の華山に登頂。華山は西安から車で3時間、
水墨画の世界のような景色でしたが、雪の降る中の登山はとても大変そうでした・・・。

NZのカイコウラは私も旅行したことがありますが、寒流と暖流が出会い、陸からすぐ
海抜が落ち込んでいるために船にのってすぐにクジラに遭う事ができる恵まれた海岸です。
クジラは見たいけど船酔いしてしまう、という人にもおすすめ。

管理者のNZ旅行記も是非どうぞ。
http://yokohama.cool.ne.jp/straighttravel/nz1.htm