Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「僕はマゼランと旅した」ダイベック著(柴田元幸訳)白水社

2006-04-29 | 柴田元幸
「僕はマゼランと旅した」ダイベック著(柴田元幸訳)白水社を読みました。
主人公は主に「僕」、ペリー。
ほかに叔父レフティや父親「サー」、弟ミックや友人エンジェルやストッシュなどさまざまな人物が織り成す物語が語られます。シカゴを舞台にした11篇の連作短編集です。
ジョーが殺人を犯す「胸」はハラハラしながら読みました。
ジョーが殺人を犯した後にテオとする勝負、その結果がどうなったのか??というところでポンと舞台が少年たちに飛び、結末を私たち読者にゆだねるあたり、巧みだなあと感じました。
病気で死んだ少年をめぐる「ブルー・ボーイ」も面白かったです。
優等生でありながら、それに違和感を感じはじめているような女の子のカミールが印象的でした。
野生の蘭でひともうけをたくらむ「蘭」で描かれる、主人公と友人たちのばかばかしい会話が、学生時代の空気を強く思い出させるものでした。
どの作品も印象的な場面が多くて、映画を見ているようなのですが、この「蘭」だけは、ラストを楽しむために映画化は不可能!
主人公は違うが、登場人物は重なるいくつもの短篇を読みすすめるうちに、舞台であるシカゴにいるような気持ちになりました。



「シナン(上・下)」 夢枕獏著(中央公論新社)

2006-04-29 | 児童書・ヤングアダルト
「シナン(上・下)」 夢枕獏著(中央公論新社)を読みました。
舞台は16世紀のオスマン帝国(舞台は主に現在のトルコ)、壮麗王スレイマン大帝につかえた建築家シナン。100年の生涯で477もの建造物を手がけ、かたちなきイスラムの神を空間に描こうとした、稀有な人物です。

以前NHKの番組で夢枕獏さんの「奇想家列伝」というシリーズがあり、その中でシナンをとりあげていました。エディルネ(ギリシャ国境近く)にある、彼のつくったセリミエモスクの息を呑む美しさ・・・。大きなドームには999の窓からあふれる光。そしてその光によって育つ植物のつるの幾何学模様。そのモスクが忘れられず、この本を読みました。
彼はこの本の中で「神をの語られる言語がもしあるとするなら、それは数学です。」と語っています。その言葉に深くうなずけるほど、テレビで見たモスクはとても美しく圧倒されるものでした。
この本の中ではスレイマン大帝の宰相イブラヒムの最期や、妻ロクセラーヌの狡猾さなど周囲の人間模様もドラマチックに描かれていて面白かったです。

セリミエモスク、是非実際にこの目で見てみたいです。

「ものぐさ精神分析」岸田秀著(中央公論社)

2006-04-17 | 柴田元幸
「ものぐさ精神分析」岸田秀著(中央公論社)を読みました。
柴田元幸さんが学生時代に多大な影響を受けたという作品。
「人間は本能の壊れた動物である」フロイドの精神分析を出発点に、人間精神の深奥をえぐり、現代社会の矛盾を衝きます。
ユニークな理論体系を構築した岸田流「唯幻論」の集大成。
雑誌に寄稿した文章をまとめたもので、歴史や性、人間、心理学、自己について著者が語ります。

一番印象的だったのは、「自己嫌悪」についての論述。
「人にひきずられてやむなく」「あのときの自分はどうかしていた」とあとから自己嫌悪にかられる人は、決してその悪癖を治せない。
自己嫌悪という感情が自分への免罪符となるからだ。
自己嫌悪にかられる人は、実は嫌悪すべき自分こそが真の欲望をむきだしにした自分自身であり、あとから嫌悪している自分は「そうでありたい自分」「人にこう見られたい自分」という架空の自分だということに気づいていない。

う~ん・・・そのとおり、耳が痛い。

そのほかにも「子に恩をうる親」「人は幻想に性衝動を感じている」「心理学者は
いんちきばかり」などうむむとうなる論がめじろおし。
心理学の本ですが、実例が多く一気に読んでしまう本でした。
解説は伊丹十三さん。






「翻訳教室」 柴田元幸著(新書館)

2006-04-11 | 柴田元幸
「翻訳教室」 柴田元幸著(新書館)を読みました。
東大文学部の翻訳演習の授業の実況中継です。
英語の原文(だいたい1ぺーじ半くらいの小品、もしくは長編の一部)が冒頭に提示され、次に生徒と柴田教授の翻訳をめぐるやりとりが収録、最後に教師訳例がのっています。
扱う作品はスチュアート・ダイベック「故郷」
バリー・ユアグロー「鯉」
レイモンド・カーヴァー「ある日常的力学」
村上春樹(英訳はジェイ・ルービン)「かえるくん、東京を救う」
イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」より「都市と死者2」
アーネスト・ヘミングウェイ「われらの時代に」より第5章と第7章の抜粋
ローレンス・ウェシュラー「胞子を吸って」
リチャード・ブローティガン「太平洋ラジオ火事」
レベッカ・ブラウン「天国」。
村上春樹さんと、ジェイ・ルービンさんも授業にゲスト参加、という豪華な内容です。村上春樹さんがデビュー作「風の歌をきけ」のでだしを英語で書いたのは実は英語のタイプライタを使いたかっただけ・・・という新事実も発覚。

一読して「翻訳は英文和訳とは違う」ということを強く感じました。
生徒との質疑応答を通じるなかで、ぽんぽん新しい訳語がとびだしてくる柴田さん、敬服です。
作者がこの文章にこめているのは、怒りなのか悲しみなのかあきらめなのか、その読み取り方で訳文が変わってくる。
句読点の打ち方で読みやすさ、意味が変わってくる。
(よみにくいのはたまねぎ文、ひとつの文に主語がふたつある)
語尾ひとつで読者の印象が変わる。(「なんだっていうの?」と「なんだっていうのよ?」後者のほうが怒りの要素が強まる)
ひとつの単語にひとつの訳をあてはめない。
(andをしかし、butをそして に訳したほうが適している場合がある)
英語の単語を直訳せず、その言葉の強さを復元する。
(人称代名詞をそのまま日本語でも多用するとくどく感じる)
などなど・・・。
柴田さんの経験則、翻訳をするうえでの考えの流れをことばで読み取れる喜び。
私自身も紙上で生徒になれる貴重な体験をさせてくれる本でした。




「宮殿泥棒」イーサン・ケイニン著(柴田元幸訳)文藝春秋

2006-04-08 | 柴田元幸
「宮殿泥棒」イーサン・ケイニン著(柴田元幸訳)文藝春秋を再読しました。
イーサン・ケイニンさんの作品には、訳者の柴田さんが「優等生の物語」と語っているとおり、堅実な主人公が多いです。
そんな主人公がある日「はっ」と世界への認識を新たにする、その瞬間が驚きにあふれていて、小説を読む喜びをひしひしと感じさせてくれるのです。
そしてそれは、何か特別なできごとがあって新しい発見をする、というものではなく、今まで実は主人公が心の奥底で感じていたことがある日「ふと腑に落ちる」という表現が近いと思います。
「バートルシャーグとセレレム」は主人公のウィリアムの素直さが心地よく、すっかり彼の視点にそって作品を読みました。
彼の父親の人柄の良さ、時代についていこうとする滑稽さを含んだせつなさ、「成績は大事じゃない」「成績がすべてだ」相反する考え方を口にする心の葛藤、すべてが胸に迫りました。


「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」ポール・オースター編(柴田元幸他訳)新潮社

2006-04-05 | 柴田元幸
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」ポール・オースター編(柴田元幸他訳)新潮社を読みました。
オースターがラジオを通じて全米から募った実話。4000通集まった中からオースターが選び、編集した「アメリカが物語るのが聞こえる」180の短い物語です。
爆笑もののヘマや、胸を締めつけられるような偶然、死とのニアミス、奇跡のような遭遇、およそありえない皮肉、もろもろの予兆、悲しみ、痛み、夢。
作品は動物・物・家族・スラップスティック・見知らぬ隣人・戦争・愛・死・夢・瞑想の10個のカテゴリに分けられています。

どれもが実話なのに不思議な偶然や驚く展開にいろどられ、「ありえないことなどありえない」という気分にさせられます。
私が一番印象に残ったのは、帽子を落とした女の子が父親に突然折檻される「学ばなかった教訓」。「あたしのパパは、笑いさえも痛いのだ」の結びが、きゅーっと痛いです。
ほかには裸で他人の家にとびこんでしまった女の子、4回ピストルで撃たれて死ななかった男の話、クリスマスツリーをひきずっていく少女、死の予行演習をした母親、さまざまな人々の声が忘れられず、耳に響いてきます。
オースターが前書きで「一人ひとりがみな、己の生の炎をたぎらせている」という言葉を実感できる一冊でした。

「五行でわかる日本文学」ロジャー・パルバース著(柴田元幸訳)研究社

2006-04-04 | 柴田元幸
「五行でわかる日本文学 英日狂演滑稽五行詩」
ロジャー・パルバース著(柴田元幸訳)研究社を読みました。
リメリックとは英語五行でなりたつ韻を踏んだ短い詩。
訳者の柴田さんいわく、「川柳に似ているけれど、川柳より猥雑」とのこと。
日本文学を題材にした「愛ある冗談(たわごと)、敬意ある揶揄(からかい)」が楽しめます。
とりあげられている作家は夏目漱石から小林多喜二、村上春樹、井上ひさしと多彩。冒頭とおまけの宮沢賢治の詩はとても美しくて、パルバースさんの賢治への想いがひしひしと感じられます。
私が好きなのは吉田兼好。「誰か暖房入れてけれ そうすりゃわしも長いのを書く!」が面白く、かわいかったです。
小泉八雲の「ずる」も八雲を愛しているからこそのからかいがほほえましく感じられました。
原文の英語も面白いのですが、日本語訳もうまく韻を踏んでいて、パルバースさんの原文を解釈するような赴きもあり、英語・日本語両方セットで完成する作品だなと思います。喜多村紀さんのイラストもアイディアが詰まっていて面白いです。
読んでいて感じたのは、日本語は言葉の響きだけでなく、漢字で遊んだり(共演と狂演)、語尾で遊んだり(しておるでん とか 風流だのう! とか)いじる余地が多くて面白いということ。
パルバースさんも柴田さんも頭をひねらせてこの本をつくった様子が目に浮かぶようです。




リチャード・パワーズさんのトークショーを聞きにいきました。

2006-04-01 | 柴田元幸
先週の話になりますが、青山ブックセンター本店で行われたリチャード・パワーズさんのトークショーを聞きにいきました。司会・通訳は柴田元幸さん。実は実際にお姿を拝見するのは初めて。
始まる前は(ただの聴衆なのになぜか・・・)緊張していましたが、会が始まると柴田さんの笑いを交えたお話と、パワーズさんの穏やかな笑顔にひきこまれて、すっかりリラックスして楽しむことができました。
パワーズさんは先週末に行われた村上春樹さんのシンポジウムに参加するために来日されたそうです。日本は13歳の時に来た以来で、今回の来日で「失われたときをもとめて」のように、日本の匂いをかいで、昔の記憶が正しかったか確かめるのが楽しいとおっしゃていました。
会では今年9月刊行予定の「囚人のジレンマ」の朗読がありました。
翻訳は柴田さんと前山さん(柴田さんの教え子で、残念ながら昨年亡くなられたそうです)の共訳です。
「朗読」というと学生時代に同級生のたどたどしいしゃべりを聞いていた印象があって、あまり期待していなかったのですが、実際に聞いてみたらとってもよかったです!人の声で文章を聞くことは、読むこととはぜんぜん別の良さがありますね。
著者であるパワーズさんご本人が、ゆっくりとひとつひとつの言葉を大切にしながら私たちに語ってくれる様子が伝わってきました。
柴田さんの日本語での朗読も声が低くて素敵で、文章も美しくてすっかり聞きほれてしまいました。

後半は質疑応答。会に参加されていたみなさん、男性がとても多く、パワーズさんが英語で話した時点でうなずいたり笑ったりしているので、びっくり。
私は英語ではぜんぜんわかりませんでした・・・。
パワーズさんがスマートに話すのに比べて、通訳の柴田さんはパワーズさんの言葉を身振り手振りも加えながらより、私たちにわかりやすいように熱く通訳してくださったのが、とても印象的でした。

トークショーの後はパワーズさん、柴田さんにサインと握手をしていただいて大満足でした。パワーズさんは本にはサインしないのだそうです。
作家の方は「本以外にはサインしない」とかいいそうなので、意外でした。

9月刊行の「囚人のジレンマ」、待ち遠しいです。

「六番目の小夜子」恩田陸著(新潮社)

2006-04-01 | 児童書・ヤングアダルト
「六番目の小夜子」恩田陸著(新潮社)を読みました。
ある高校にやってきた、美しく謎めいた転校生の名前は津村沙世子。その高校には十数年間にわたり、奇妙なゲームが受け継がれていました。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれ、劇を上演するのです。そして今年は「六番目のサヨコ」が誕生する年でした。恩田陸さんのデビュー作です。
秋、由紀夫、雅子、そして沙世子。高校生活の短い凝縮された特別な時間。
受験へのあせり、誰かへの恋心、他人を羨望する心、同性にあこがれる気持ち、みずみずしい会話をはさみながらミステリが展開します。
「六番目のサヨコ」の上演は本当にこわかったです・・・。
サヨコは結局うけつがれてしまったのですね。
沙世子に手紙を送ったのは誰だったのだろう・・・。