Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を聞きました。

2009-06-28 | 村上春樹
小説「1Q84」の冒頭に流れるヤナーチェックの「シンフォニエッタ」。
小説に付随してCDも売れ「村上特需」なんて新聞に書かれていましたが、私も買ってしまいました。
家族には「ヤナーチェックはチェコ人だから、チェコフィルにしたら?」と薦められたのですが、青豆と同じ版が聞きたかったので、買ったのはジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団(アメリカ)のものです。

5楽章までありますが、全体を通して聞いても20分くらいの小交響曲。
小説の中の解説。
「ある日彼女(妻)と二人で公園を散歩しているときに、野外音楽堂で演奏会が開かれているのを見かけ、立ち止まってその演奏を聴いていた。そのときにヤナーチェックは唐突な幸福感を全身に感じて、この『シンフォニエッタ』の曲想を得た。そのとき自分の頭の中で何かがはじけたような感覚があり、鮮やかな恍惚感に包まれたと彼は術懐している。」

小説を読んでから曲を聞いた私には、「鮮やかな恍惚感」というよりは、出だしのファンファーレに「異界に踏み込む感覚」、青豆のこれからの予兆を強く感じます。パーカッションの「ドドドン・ドン」という響きはまるで異界への階段をくだっていく暗喩のよう。
そして第一巻中頃でわかる天吾の高校時代のヤナーチェックの思い出。
まるで冒頭の曲は天吾の叩くパーカッションの響きであったかのように錯覚してしまいます。

そして5楽章で再びもどってくる1楽章冒頭の旋律。
小説の最後に再び高速道路に戻ってくる青豆の姿を連想しました。
小説という紙の世界に聴覚のイメージを盛り込まれると、物語が三次元でたちあがってくる感覚で面白いです。

ちなみに先週テレビで見た日本フィルの放送演目がシンフォニエッタでした。
これももしかして1Q84効果?
オーケストラのうしろに金管チームが並んで吹くヴィジュアルが面白かったです。

「巡礼者たち」エリザベス・ギルバート著(岩本正恵訳)新潮社

2009-06-26 | 外国の作家
「巡礼者たち」エリザベス・ギルバート著(岩本正恵訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
表題作はオンボロ車でふらりと牧場に乗りこんできたカウガールの話。
友人の姉と恋におちる15歳の少年『デニー・ブラウンの知らなかったこと』。
泥棒を殺害した移民と奇術師の友情『華麗なる奇術師』ほか、
表舞台とは無縁の人々の喜びと悲しみの溢れる一瞬を描いた12の短篇集です。

私がいいと思った作品は『エルクの言葉』。
山の中に住むジーンの近所に突然引っ越してきた一家。
ぶしつけに自然をかき乱す彼らは、実在の人物ではないかのような不気味さがあります。

ほかにもこの短篇集には「リアルな短編」というだけでない、風変わりな人々が登場するのが面白いです。
『ブロンクス中央青果市場にて』のキノコ部屋をみはる大型犬のような男。
『トール・フォークス』のプリンのようなストリップ嬢。
『花の名前と女の子の名前』しか口に出せなくなった大伯母。

作者は作家デビューの前に各地を旅してまわり、さまざまな職業を体験しているそうです。その経験が、この短篇集の中のカラフルな人々の姿にあらわれているのかなと思いました。



「浴室」ジャン=フィリップ・トゥーサン著(集英社)

2009-06-23 | 外国の作家
「浴室」ジャン=フィリップ・トゥーサン著(集英社)を読みました。
「午後を浴室で過ごすようになった時、そこに居を据えることになろうとは…」
同居人の恋人は心をしぼませ、お母さんはケーキを持って、様子をうかがいに来る。「危険を冒さなきゃ、この抽象的な暮らしの平穏を危険にさらして」とひとり呟やきつつ、浴室を出てはみるのだけれど、いずれ周囲の人々とはぎくしゃくしてしまうぼく。そして彼はまた浴室へ…。

段落ごとに冒頭に番号がふってある形式、直角三角形の三辺にみたてたみっつの章立てなど、まず小説のつくりから凝っています。

大量のたこをさばく場面、急いでいる人にものを尋ねるのが楽しみだという「ぼく」。降る雨を眺めるふたつの方法、大好きなダーム・ブランシュ(バニラアイスに熱いチョコをかけたもの)が溶けていく運動の観察。
浴槽に住むという設定がまず子ども心満載ですが、そのほかにも遊び心がたっぷりつまった作品です。
「ひきこもりの話」というよりは、まずそのユーモラスさが目を引く物語。
舞台はパリ。そしてこの「浴室」のイメージは当然足つきバスタブ。
足を折らないと入れない日本の狭い浴槽じゃいまいちイメージが違うかも。

余談ですが「浴室に住んでいる」という設定から、現在NHK教育テレビで放送中の「みぃつけた!」に登場するオフロスキーを連想しました。
作中に「カブロヴィンスキー」という名前の人物も登場するし、身近なものに遊びをみつける発想がそっくり。
(番組内でオフロスキーはスーパーの袋やペットボトルでペンギンやつり革をつくります)
もしかして番組スタッフがこの作品が好きでオフロスキーというキャラクターを作ったのかなーなんて思いました。

「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」村上春樹編訳(中央公論新社)

2009-06-22 | 村上春樹
「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」村上春樹編訳(中央公論新社)を読みました。
密なる才能、器量の大きさ、繊細な心、カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だった。
ジェイ・マキナニー、トバイアス・ウルフ、ゲイリー・フィスケットジョン。
彼と交流のあった人々(小説家、詩人、編集者など)がカーヴァーの死を悼み綴った9篇のメモワールです。
「レイモンド・カーヴァー全集」の各巻の巻末におまけとして添えられていたものを一冊にまとめて刊行されたものです。

カーヴァーの大きな体に似合わぬ、静かな声。
アル中時代の危険なドライブ。
すばらしい作品を残した先達への敬意。
執筆に際してのねばり強い推敲。
生徒を教える時の愛情深い姿。

彼の人柄が9人の目を通していろいろな側面からうつしだされます。

「大人の友情」河合隼雄著(朝日新聞社)

2009-06-19 | エッセイ・実用書・その他
「大人の友情」河合隼雄著(朝日新聞社)を読みました。
友人の出世を喜べるか?人はなぜ裏切るのか? 夫婦、男女の友情とは?
人生を深く温かく支える「友情」を語る、大人のための友情論です。
目次より「友だちが欲しい」「男女間に友情は成立するか」「友人の死」「"つきあい"は難しい」「友情と同性愛」「茶呑み友だち」「友情と贈りもの」など。

一番印象的だったのは「友人の出世を喜べるか」の章です。

「友人の悲しみに同調するのは、それほど難しくはないが、喜びに対しては、思いがけない嫉妬が動き始めることが多いのである。この方が普通だと言ってもいいだろう。」

この言葉にびっくりしました。
友達がいちはやく内定を決めた、素敵な彼ができた、結婚の報告をされた、そういうハッピーなニュースを顔ではお祝いしながら、置いてきぼりをくったようなモヤモヤを抱えていた自分は、友達の喜びを自分のことのように喜べない、さもしい人間だと思って内心恥じていました。

100%心から喜べればいいけれど、もしそうでないとしても「理想の友情」にこだわらなくてもいい、その自分の気持ちの動きを自覚していればいいのだ、むしろそのことについて友人に気持ちを打ち明けてみてもよい・・・と、なんだか肩の荷がおりたような気持ちになりました。

また同章の
「友情が現状を打開して行動することの妨げとなっている、足枷になっている」ケースの指摘にも考えさせられました。

たとえばある集まり、会社であったり、サークルであったりのメンバーでいるときは仲がよかったのに、自分の意思で(やむを得ないケースはのぞき)そこを抜けようとすると、その後友情も壊れる、もしくは疎遠になるというケースは多いと思います。
それは残されたメンバーが自分たちの「場」を否定されたように感じるからかもしれませんし、個人個人が友情をもってつながっていたというよりも、その「場」に友情が漂っていたからともいえるかもしれません。
友達をなくしたくないからその「場」をぬけられないというケース、多いと思います。その場合友情はまさに自分の「枷」、難しい問題です。

この本では同じように「つきあい」についても章を割いて語られています。
人間関係のしがらみを「くもの巣を顔で突き破って進んでゆくようなうっとうしい気持ち」とする河合さんの比喩はまさにぴったりの表現。

最後に印象的だった言葉を。

「どんなに立派な人も心のどこかには陰がある。陰があるのは残念だし、悪は許容しがたい。しかし、それによって人を全面拒否するのはおかしい。」

人の闇に触れても、その人のすべてを否定しないように・・・私もそんな包容力のある人間になりたいです。

「ブラフマンの埋葬」小川洋子著(講談社)

2009-06-17 | 日本の作家
「ブラフマンの埋葬」小川洋子著(講談社)を読みました。
ある出版社の社長の遺言によって、あらゆる種類の創作活動に励む芸術家に仕事場を提供している“創作者の家”。
その家の世話をする僕の元にブラフマンはやってきました。
サンスクリット語で「謎」を意味する名前を与えられた、愛すべき生き物と触れ合い、見守りつづけたひと夏の物語です。
第32回泉鏡花賞を受賞しています。

何の動物かははっきりと語られない森の動物「ブラフマン」。
物語の中で「僕」と碑文彫刻師以外の人物からはそんなに好かれていないことから、私の想像では「毛の生えたアルマジロ」的な奇妙なかわいさを持つ動物のイメージ。

作中ではただひたすらブラフマンのやんちゃぶり、愛らしさが語られます。
部屋をちらかし、齧り、足にすりよる。
うちの1歳の娘を連想してしまった。
でも表題の「埋葬」がいつも心にひっかかり、このかわいいブラフマンがいずれきっと死ぬのだな、だからこそこんなにかわいいのだな、と思いながら読んでいました。

そしてブラフマンの最期は・・・。

きっと激しかったであろうはずの僕の後悔、悲しみについてはあえて語られていません。それだけに最後の僕の「埋葬の記録」の後ろにあるものがしんしんと私に伝わってきます。
多くの人々の碑文の裏にも、きっとたくさんの物語があるのだろうなぁ。




「1Q84」村上春樹著(新潮社)

2009-06-16 | 村上春樹
「1Q84(BOOK1・2)」村上春樹著(新潮社)を読みました。
村上さん待望の新作。
出版社からの前情報がまったくなかったので、まっさらな気持ちでページをめくり、物語を追っていくのはとてもうれしかったです。
ひとまず初読した感想を。
ラストについてふれますので、未読の方はご遠慮ください。

「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。」

山梨に教団施設をもつ宗教施設「さきがけ」。
教義よりは厳しい修行が中心、教団施設内に火葬施設をも持つ団体。
当然のことながらオウム真理教を強く連想します。

麻原彰晃が語った「カルマ」や「ポア」。
その「物語」を信じ、現実のものとした信者たち。

一方村上さんの書く本のように、私の人生によりそってきてくれた「物語」もある。村上さんの書く主人公の生活を真似したりする(現実のものとする)読者がいたりする。

「さきがけ」のリーダーが語る物語。
ふかえりの物語を天吾が語った「空気さなぎ」。
人間の「想像力」が現実に及ぼす強さ。
善き「物語」と悪しき「物語」はどう違うのか。

そして「リトル・ピープル」とは何者なのか。

小説では小人の姿で描かれていますが、ビッグ・ブラザー(独裁的な個人)と対照的な「群集」の暗喩のように思います。
群集の意思。
時代のうねりが生み出すもの、というか、どちらかというと「時代の病」、時代の暗部に近いもの?そんなイメージをもちました。
(ただ、再読したらまた意見が変わるかも・・・)

青豆の章の最後はかなしかったです。
惹かれあうふたりには現実に手を触れ合い、結ばれて欲しかった。
でもふたりが結婚して幸せなマイホームをつくるという想像もやっぱりできないのだけれど。
青豆の決意は「死」というよりは「脱出」・・・ですね。

そして父親を恨んでいた意識が変わる天吾。
過去の事実は変わらない。
でも自分の認識が変わるとこれからの世界が変わる。
青豆をみつけようと定めた天吾の心。
それが具体的な捜索を指し示さなくても、現世でふたりが出会えなくても、その心があるだけで天吾の人生は孤独ではなくなる。

人生のいろいろな様相を見せてくれる物語。
青豆のこと、老婦人のこと、さきがけの教祖のこと。空気さなぎのこと。
長い小説ですが、もう一度ゆっくり読み返して、またいろいろなことを考えたいです。




「枯木灘/覇王の七日」中上健次著(小学館)

2009-06-06 | 日本の作家
「枯木灘/覇王の七日」中上健次選集1(小学館)を読みました。
兄や姉とは父親の違う私生児としてこの世に生を受け、複雑に絡みあった因縁を抱えて、二十六歳の今を生きる秋幸。
体の半分を流れる父である男・浜村龍三の血と、閉ざされた紀州の土地の呪縛の中で、愛憎は幾重にも交錯します。
秋幸を主人公とした「岬」「地の果て 至上のとき」三部作の中核をなす作品。
以下、内容に触れますのでご注意ください。

主人公秋幸の複雑な血縁がこの物語のすべて。
何度も冒頭の家系図で関係を確かめながら読んでしましました。
そして汗、熱、匂いが感じられる濃密な文章。
登場人物たちの体の中を流れる血までもが目に見えそうな実感があります。

母フサと夫・西村勝一郎の間に生まれた4人の子。
その後勝一郎が死に、未亡人のフサが浜村龍造との間にもうけたひとりだけ父親の違う子・秋幸。
さらにその後フサは前夫との間の4人の子を置いて、幼い秋幸だけ連れて竹原繁蔵と再婚します。繁蔵の子・文昭や繁蔵の兄弟たちの間で自分だけ異質な存在として秋幸は育ちます。
家庭だけでなく、職場も身内が営む土方の仕事。狭く濃い世界。
ほかにも孤児院で育ち養子にきた洋一、妾腹のいとこ・徹など、さまざまな生い立ちの人々が秋幸の周囲にはいます。

でもこのような複雑な関係を取り繕うのではなく包容する、枯木灘の人々のたくましさを小説のあちらこちらで感じました。
特に秋幸の母・フサの言葉は印象的です。
17歳で子どもをつくった美智子に対しての言葉。
「どこの誰でもかまん、男がどんなヤクザ者でもかまん、減るんでなしに増えるんや。」
自分の長男で自殺した郁男や、古市など亡くなった人の話がでたときの、
「生きとったら死ぬわい」という言葉も、シンプルだけどとても深い言葉だと思いました。

そして女にだらしなく、金儲けのために手段を選ばない男として村人たちからは嫌われている実父・龍造。
とらえどころのない男ですが、その言動はフサと通じるものを感じます。
娼婦であるさと子と(異母)兄妹で関係をもってしまった、と語る秋幸に龍造が「かまん、かまん。それでアホが生まれてもかまん」
「面子を言うことが要るもんか」という言葉。

秋幸には受け入れられず、自分の半分を壊してしまいたいくらい憎かった父。
読者として秋幸の激情はとても理解できるのですが、ただ龍造の人間像が強烈すぎて、主人公である秋幸よりも印象に残ります。
特に自分の息子・秀雄を殺した秋幸に対して、殺すならおとなしい友一の方がよかっただとか、出所した秋幸に後を継がせようという考えがすごい。
常人には思いが及びません・・・。

秀雄の死後に部屋にこもった七日間を龍造自身の視点で語った番外編「覇王の七日」も併録されています。

「すべてがFになる」森博嗣著(講談社)

2009-06-06 | 日本の作家
「すべてがFになる」森博嗣(もり ひろし)著(講談社)を読みました。
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季(まがたしき)。
彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れました。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平(さいかわそうへい)と女子学生・西之園萌絵(にしのそのもえ)が、密室殺人に挑みます。
現役工学助教授の著者が本業の傍ら執筆、第一回メフィスト賞を受賞したデビュー作です。

孤島、セキュリティが完璧な研究所、窓のない地下室という三重の密室。
少女時代に殺人を犯して以来、15年間隔離されている天才・真賀田博士。
その設定だけでどきどきします。
ウェディングドレスを着た死体が現れたシーンは怖かった。

そして通常のヒーロー像とは違う、「僕は少し狂っているんだ」と自らを語る犀川助教授のキャラクターが新鮮でした。
「レトルトってなあに?」という超お嬢様、浮世離れはしていても頭はきれる萌絵も面白い。

殺人の謎解きだけでなく、コンピューター社会を語る言葉にも考えさせられました。「いずれ人に触れることすら贅沢品になる」というヴァーチャル・リアリティに囲まれた未来像、近い将来冗談にならなそうなのがこわいです。

殺人のトリックも犯人も私には見抜けませんでした・・・。
面白かったです。