Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「南の島ぐるぐる」k.m.p.著(メディアファクトリー)

2009-11-25 | エッセイ・実用書・その他
「南の島ぐるぐる」k.m.p.著(メディアファクトリー)を読みました。
女性ふたりのユニットk.m.p.の南の島の楽しみ方をつづった旅行記コミック。
楽園さがして行ったのはバリ島から飛行機で20分のロンボク島。
そこからさらに小さなアイル島、メノ島、トラワンガン島まで船で。
帰りにはバリ島でひとやすみ。
水周り、虫、停電に悩まされた、豪華リゾートじゃない南の島。
海辺のレストラン、海まで10秒で1200円のコテージ、海の星、空の星。
サーフィンもしない、登山もしない著者たちの、小さな島ぐるぐる日記です。

海の中に手をいれるだけで、プランクトンが驚いてキラキラするのが見えるほど美しい海にかこまれたメノ島。
不便に悩まされた滞在中だけれど、帰ってみると「おもしろかったねー・・・」。
この気持ち、旅する人の多くが共感するのではないでしょうか。

耳が聴こえないダーマ君の手品の話は、じーんときてしまいました。

カシュナッツがなっている木を見たり、トッケーの声を聞いて夜を過ごしたり。
ふたりで不便も素敵も共有することで、ひとり旅の何倍もすばらしい時間を過ごしていて、うらやましい旅の相棒同士だなぁと感じました。




「レッドデータガール2 はじめてのお化粧」荻原規子著(角川書店)

2009-11-21 | 児童書・ヤングアダルト
「レッドデータガール2 はじめてのお化粧」荻原規子著(角川書店)を読みました。
神霊の存在や自分の力と向き合うため、生まれ育った紀伊山地の玉倉神社を出て、東京・高尾の鳳城(ほうじょう)学園に入学した鈴原泉水子(いずみこ)。学園では、山伏修行中の相楽深行(みゆき)と再会しますが、二人の間には縮まらない距離がありました。弱気になる泉水子でしたが、寮で同室の宗田真響(まゆら)と、その弟の真夏と親しくなり、なんとか新生活を送り始めます。
しかし、泉水子が、クラスメイトの正体を見抜いたことから、事態は急転します。生徒たちはある特殊な理由から学園に集められていたのでした…。
酒井駒子さんの、夢を見ているような泉水子の装画が素敵です。
ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。

山伏に陰陽師、神霊に式神、忍者に歌舞伎。
「普通の高校生じゃない」人たちてんこもりの第二巻の学園編。
バラエティに富みすぎて、ちょっとライトノベル的・・・?
まぁ楽しいので良しとします。
自分が可愛がっているペットを殺して使役する、という話は怖かった。

深行が生徒会に入るあたり、「樹上のゆりかご」や、才色兼備な女子が出てくるあたりが「西の善き魔女」シリーズ、和宮が話すカラスになって現われるあたり、現代にまでつながる「勾玉」シリーズ?など、荻原さんの既作品をいろいろと連想させる要素も盛りだくさんです。
本編では表題「レッドデータガール」の意味も明かされます。

泉水子の深行への思い、本人が自覚しないうちにほのかに終わってどきどき。
次巻を楽しみに待ちます。

「キプロスへ行った指輪」チェロ・中江弘子著(山手書房新社)

2009-11-20 | トルコ関連
「キプロスへ行った指輪」チェロ・中江弘子著(山手書房新社)を読みました。
著者は仕事でドイツに行かれていた際に、トルコ人の芸術家であるご主人と結婚されアンカラに在住していた女性。
トルコの日々の生活、親戚や友人とのかかわりがつづられています。

アランヤへバケーションに行った際の海水浴で流されてしまった結婚指輪。
アパートの管理人カピジュの仕事ぶりについて。
トルコの子供たち。

著者の深い考察力と、まっすぐな人柄がにじみでている文章が素敵な本です。

「たらふくまんぷくシンガポール」坂口あや著(スリーエーネットワーク)

2009-11-18 | エッセイ・実用書・その他
「たらふくまんぷくシンガポール」坂口あや著(スリーエーネットワーク)
口福満願をモットーに世界各地を食べ歩くフードライターの著者。
訪れたのはアジアンフードのクロスポイント、シンガポール。
食べ歩くだけでは満足できず、現地の家庭でレシピも取材。
中華、インド、マレー、ニョニャ…、人種のるつぼ、料理も盛りだくさんのシンガポール紀行記です。

毎日朝早くから夜遅くまであちこち行きまくり食べる食べる食べる!!
この著者あやさんと友人でイラスト担当のさわかさんの食いっぷりとタフネスに、読んでいてちょっと・・・疲れてしまった。

でもシンガポールの食、とってもおいしそうです。
三大料理、チリクラブ、キャロットケーキ、チキンライスは必食なのですね。
食だけでなく、地元の人の暮らしぶりもわかって面白かったです。
行ってみたいな、シンガポール。


「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房

2009-11-17 | 外国の作家
「夢見た旅」アン・タイラー著(藤本和子訳)早川書房を読みました。

表紙は広々とした白い雲広がる青空の荒野の写真、題名は「夢見た旅」。
ロマンチックな話なのかなと思いきや・・・。
予想はくつがえされましたが、心を静かに叩いてくる作品でした。
読んでよかったです。内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

故郷の小さな町に住み、家族の世話から逃れることを渇望していた主婦シャーロット。彼女は家出の資金をおろしに行った銀行で、銀行強盗の人質になってしまいます。犯人との思いがけない逃亡の「旅」。
犯人ジェイクは若い脱獄囚で、彼の子を身ごもったミンディを施設から連れ出し、フロリダの友人を頼っていく計画でした。

時間に耐え切れず、ある日の衝動で行動してしまう「衝動の犠牲者」ジェイク。
自分の母親が生まれた家に住み続け、町から出たことはなく他人の世話をし続ける毎日を送る主婦シャーロットとの対比。
ふたりは両極というわけではなくお互いにお互いの生活を嫌悪する面も、惹かれるものもある。そしてどちらも正しいわけではない。

物語は、ジェイクがシャーロットを人質にとってフロリダに向かうまでの道中と、
シャーロットの過去とが交互に語られます。

シャーロットの義兄のエイモスの言葉。
「誰もがよってたかって、あんたをしゃぶっているが、それでもあんたは全然ちぢまない。スカートにつかまられても、それでぐずつくこともない。
そして、彼女にほんとうのことを伝えたのは、あんただけだった。おれは聞いていたんだ。はっきりといったな、癌と。月のように、この家の中を行き来しているあんたは、全員をささえるだけの力を持っている。」

荒野を、氷河を砂漠を、いつかただひたすら歩き続けることを夢(という言葉よりは心の原風景、とりつかれた望み)として「暫定的」に日々の生を送ってきたシャーロット。所有を嫌い、物に(人に)執着しない。
だから彼女は困窮の生活の中でも、家族以外の者の世話をし続ければならない日々の中でもどこか他人が行っていることのように、倒れなかったのでしょうか。
彼女がひたすらさすらう、心の原風景が彼女の真(芯)なのか、彼女の体が生きている繰り返しの日々が真なのか。
写真、二組ずつの家具、空想の少女と名前を入れ替えた娘、いくつものモチーフが、読者である私に、虚と実について語りかけます。

母親の死をきっかけに、シャーロットは気づきます。

「あたし、ここの人たちとすっかり絡み合っているような気がしてね。考えていたよりずっと、関係が強いのね。わからない?
一体どうしたら、自由になれるのかしら?」

エイモスが去ったことをきっかけに家を出て行くことを真剣に考えるシャーロット。夫のソールは「待てばすべてはうまくいく」と説得します。

「でも、そんな甲斐はないのよ」
「甲斐はない?」
「犠牲が大きすぎるのよ」

願ったのとは違う形で始まった、家を離れての奇妙な「旅」。
行き着いたフロリダで、ジェイクもシャーロットも物理的な意味だけでなく、人生のひとつの旅が(夢が)終わった、そしてひとつの結節点を迎えたと感じたのではないでしょうか。
ライナスが作るミニチュアの家は、この作品がイプセンの『人形の家』の現代的解釈であるかの示唆のようにも感じます。『人形の家』が書かれた時代にはノラ(女性)が家を出ること自体が新しい価値観だったのだと思いますが、現代では家はいつでも出られる、出た、それからどうなる、まで描かれる。

家に戻り、シャーロットを旅行に誘った夫ソールへの言葉。

「わたしたち、生まれてからずっと旅をつづけてきたじゃないの。
まだ旅をつづけているじゃないの、
いくらがんばってみたところで、とうてい一箇所に留まっていることなんかできやしないのよ。」

シャーロットが家に戻ったことは「敗北」でも「やっぱり家が一番」でもなく、彼女自身が自分の人生と家族にそそぐ新しい視点をひとつ手に入れたから、だと感じました。

「長い長いお医者さんの話」カレル・チャペック著(中野好夫訳)岩波書店

2009-11-13 | 児童書・ヤングアダルト
「長い長いお医者さんの話」カレル・チャペック著(中野好夫訳)岩波書店を読みました。
チャペックの代表作のひとつ、楽しい童話集。
しんせつな町のお医者さんたちや、はたらき者の郵便屋さん、警察官が語る長い長いお話。挿絵は兄ヨセフによるものです。

カッパや犬の妖精、魔法使いに郵便小人。楽しいお話(「作品」というよりやっぱり「おはなし」と呼びたいです。)がいっぱいです。
いちばん好きな話はあて先不明のラブレターの話。
郵便小人のトランプも楽しいし、最後はかわいらしいハッピーエンド。
スズメが屋根から卵が落ちるまでの間にヒヨコになって大きくなっておよめさんをもらって、子供を産んで、年をとってよぼよぼになってようやく地面に落ちて死ぬ、というむちゃくちゃな話も面白い。

学生時代にこの本を初めて読んだとき、とても楽しくて「子供ができたら絶対読んであげよう」と心に決めていました。
しかし。
実際に4歳の娘に読んであげたらさほど反応なし・・・。
絵本でない本はまだ早いのかも?もう少し年齢があがったらリベンジしてみます!

「イギリスだより」カレル・チャペック著(飯島周編訳)筑摩書房

2009-11-13 | 外国の作家
「イギリスだより」カレル・チャペック著(飯島周編訳)筑摩書房を読みました。
故郷をこよなく愛するとともに、世界各地の多様な風景・風俗を愛したチャペックは多くの旅行記を遺しています。
この本はそれらの中でも特に評価が高いイギリス滞在記。1924年にペンクラブ大会参加と大英博覧会取材のため訪れたときのものです。
自筆のイラストも多数収録されています。

「旅人をいちばん驚かすのは、知らぬ異国で、かつて百回も本で読んだことのあるものや、百回も絵で見たことのあるものが、実際に見つかることだ。
ミラノでミラノの大聖堂を見たときや、ローマでローマのコロセウムを見たとき、私はたまげた。それは、いささかぞっとするような印象である。
なぜなら、夢の中かなにかで、もうここへはいつかきたことがある、もういつか経験したことがある、という感じがするからだ。
(中略)だしぬけに古い知人に出くわすと、いつも声を上げて不思議がるのと同じである。」

旅をして・・・この感覚よくわかります。
「有名なのに実際に見たらがっかり」というのもよく聞く話ですが(マーライオン、人魚の像、しょんべん小僧)、よくテレビで見ていて、行ってみたらやっぱり映像の通りなのに、しかし驚いてしまうという場所も、沢山あります。
大聖堂やコロセウムしかり、グランドキャニオンにカッパドキア。
でもこのチャペックの「いささかぞっとするような」感覚、うらやましい。
世界の行き来が簡単になり、かつネットでの情報過多の今の時代。
旅先での失敗も減るけれど、その分自分だけの発見、「出くわす」喜びも減っているような。

この作品はイギリスの風景とチャペックが感じたことをつれづれに語った旅行記です。イギリスへのもちあげあり、こきおろしあり。
チャペックの自由な筆のひらめきが印象的です。

「なぜかはわからないが、このまじめくさったイギリスが、わたしには、これまで見てきた国ぐにのうちで、いちばん、おとぎ話のようで、いちばんロマンチックな印象を与える。これはおそらく、古い樹木のせいだろう。あるいはさにあらず、これは芝生のなせるわざかもしれない。
ハンプトン・コートで、芝生をぶらぶら歩いている紳士を初めて見たとき、その人は、山高帽をかぶってはいるが、おとぎ話に出てくる生き物だと思ったくらいだ。」

芝生を歩けば、ロンドン紳士がおとぎの国の生き物に・・・この発想はチャペック
ならではでしょうね。

いちばん美しいと思ったのはスカイ島に行ったときの文章です。

「私が今いる場所はスカイ、つまり「空」という名のところである。この島は美しくて貧しい。」

「週に一度、太陽が顔を出すと、そのときには山々の頂が現われ、言葉にあらわせぬありとあらゆる青の色合いがみられる。
るり色、真珠色、かすみ色、または藍色、黒色、ばら色、それに緑色を帯びた青色である。深い、そこはかとない、もやのような、稲妻のような、またはなにか美しくひたすら青いものを思わせる青色。
これらすべてと他の無数の青色を、クイリンの青き峰々の上で見たが、そこにはまた、さらに青い空と青い海の入江があって、もはやどう説明することもできない。
お話したいのは、この無限の青の光景を見たとき、それまで知らなかった神々しさをうやまう気持ちが、わたしの身内に起こったことである。」

イギリスびいきのチャペックですが、最後にはちゃっかりプラハの美しさをアピール。ロンドンはどこにいっても同じ臭いがする。プラハでは、通りごとに異なった匂いがする。この点で、プラハにまさるところはない、などなど。
イギリスへの憧れはもちろんあっても、やはりチャペックが帰る場所はプラハなのですね。

「キプリング短篇集」ラドヤード・キプリング著(橋本槙矩編訳)岩波書店

2009-11-09 | 外国の作家
「キプリング短篇集」ラドヤード・キプリング著(橋本槙矩(まきのり)編訳)岩波書店を読みました。
『ジャングル・ブック』の作者として知られるノーベル賞作家のキプリング。
大英帝国の凋落とともに彼の作家としての存在は影が薄くなっていったそうですが、彼の短篇の手法はジョイスやヘミングウェイ等にも影響を与え、今日再評価の声が高まっているそうです。
インドを舞台にした初期の作品から、物語の重層性・複雑な話法が見直されている「損なわれた青春」等後期のものまで代表的な短篇9篇が収められています。

イギリスの身分の高い白人男性がインドの身分の低い女性と関係を持ち、悲しい結末をたどる「領分を越えて」。

「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」は、インド版「砂の女」のよう。
一度死んだと思われ、火葬のために川岸に着いたときに息を吹き返した人間を送り込む穴=死者の町。この死者の町に住むものは流砂とライフル銃の見張りに阻まれて脱出することができません。
その穴に迷い込んでしまったジュークスの運命は?

「交通の妨害者」は孤独な灯台守ダウズの話。

「彼が言うには、やがて、永く潮を見つめていると頭の中に縞模様が見え始めたらしい。それは何本もの長く白いすじだった。上手に貼れなかった壁紙のすじのようだと彼は言った。」

「すじ」に捕らわれたダウズは海に船が通るのを憎むようにすらなります。

「すじを作りに来るな、海をすじだらけにするな。」

次第に狂気に蝕まれていく彼がとった行動とは?
柴田元幸さんの選集にでも登場しそうな、奇妙な男の話です。

キプリングのストーリーテリングの巧みさは短篇でももちろん健在!
多作な作家だったそうですが、作品が日本語にあまり訳されていないのが残念です。

「遠くの声に耳を澄ませて」宮下奈都著(新潮社)

2009-11-04 | 日本の作家
「遠くの声に耳を澄ませて」宮下奈都著(新潮社)を読みました。
くすんでいた毎日が少し色づいて回りはじめる。
錆びついた缶の中に、おじいちゃんの宝物を見つけた。
幼馴染の結婚式の日、泥だらけの道を走った。
大好きなただひとりの人と別れた。
看護婦、OL、大学生、母親。普通の人たちがひっそりと語りだす。
雑誌「旅」に連載されていた連作短篇集です。
どれも「旅」がモチーフになっており、登場人物たちがさりげなくリンクしています。

北海道の朱鞠内湖に旅行した女性の話。
「その名前の響きの美しさに吸い寄せられた。しゅまりないこ。そう発音した途端に唇からこぼれる小さな踊り子たちがお辞儀をするような感じ。」

相変わらず宮下さんの比喩の卓抜なこと。

一番よかった作品は冒頭の「アンデスの声」です。
田舎の単調な暮らしと思っていた祖父母の生活に聞こえていたアンデスの声。
キトからの風が吹いてくるかのようです。

この本で惜しむらくは、ほぼどの作品も「誰かとの会話+主人公女性の内省」が続く文章で、しかもどの女性も職業は違えど内省の「声」のトーンが似ていることです。 ひとつひとつの作品はよいのですが、続けて読むとちょっと単調に感じられます。全体的に「じわんとくる」ラストばかりでバラエティに欠けるというか。
『白い足袋』など「走れメロス」のパロディ的でもっと軽やかな書き方が合う気がするし、宮下さんの既作を読んでいて、コミカルな話を書いたらきっと上手いだろうなーと思うのですが。宮下さんのはっとさせられるような比喩は大好きなのですが、まさに登場人物のみのりのように
「細くてトビウオみたいな子だった。この子はいつか跳ねるだろう。その予感にどきどきしたのかもしれない。」という感じです。

宮下さんもいつか跳ぶ!と私には予感させられているだけに、早く「注目の新人」の段階をトビウオのように跳び越してほしい。
宮下さんの作品が「女性一人称の日常を丁寧にすくいとった話」がすばらしいのはもちろんとして、そこだけにとどまらず、「宮下さんの繊細な筆遣いを生かしたまま物語は骨太」というような、そんな話が読みたい!
・・・一読者としての願望です。

新刊「よろこびの歌」も、これから読みます。楽しみです。

「いろいろな人たち」カレル・チャペック著(飯島周・編訳)平凡社

2009-11-02 | 外国の作家
「いろいろな人たち」カレル・チャペック著(飯島周(いたる)・編訳)平凡社を読みました。
人間と犬、妥協について、洋服屋で、物乞いの前での気恥ずかしさ、女性と職業、鼻かぜ。チェコの国民的作家チャペックが書いたエッセイ集です。
日常の出来事を描いたものから、若者の失業問題を扱ったもの、政治的動物としての人間について書いたものなど、内容はさまざまです。

政治に関してのエッセイはちょっと固めなので飛ばし読みしてしまったのですが、(チャペックさんすみません。)日常についてのエッセイは文化と時代が違う私が読んでもうなずき、笑ってしまうことしばしば。さすがチャペック。

特に男と女の違いを語った「陽気なのはどちらの方か」が面白かったです。

「女のほうがおしゃべりを好む、つまり男よりも楽しがっておしゃべりにふけることである。しかし男の本性が女の本性よりも冗談ぽく、あそび好きでいい加減なのは事実だ。(中略)誰かをいじめること、なにかして遊ぶこと、なにかいたずらをしかけること、それは男のもっとも激しい情熱の一つである。
それに対して女は、いたずらの際に、おそらくもっと感謝してもらえるような見物人の立場をとるだろう。まずなによりも、女自身がなにかのいたずらの犠牲になることを途方もなく嫌っている。」
「女は陽気ではない。女が「唇に笑みを浮かべて」生活を送るとすれば、それは偽装である。女という生き物は、死神のようにしかつめらしい。そして、意地っ張りでみっともないわれわれ男どもは、人生の笑いなのである。」

極論ぽいけど・・・面白い!

「「シカシ人間」たちについて」のエッセイも面白かったです。
この「シカシ人間」とは何に対しても「はい。しかし・・・」「いいえ。しかし」と語るインテリ病の人のこと。

やぁ、こういう人って話していて確かに感じ悪いですよね。

本書はチャペックが新聞に寄稿したコラムを編訳したもの。
チャペックは新聞記者だったので、作品的に圧倒的に多いのはコラムだそうです。
こんな機知に富んだ新聞記者がいたら、きっとその新聞を愛読してしまいます。