Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「青いチューリップ、永遠(とわ)に」新藤悦子著(講談社)

2007-11-30 | 児童書・ヤングアダルト
「青いチューリップ、永遠(とわ)に」新藤悦子著(講談社)を読みました。
日本児童文学者協会新人賞を受賞した『青いチューリップ』の続編。
東トルコの旅からイスタンブルに戻ったネフィとラーレ。ラーレは、女性には許されていない「絵師」になることを夢見はじめます。一方、ネフィは、人々の役に立つ薬草帳作りに乗りだします。
そんな中ラーレとメフメットの結婚話がもちあがります。ネフィとラーレ、ふたりの夢の行方は?

偶像崇拝を禁ずるイスラム教の国で絵を描くということ、西洋絵画への憧れなど、ノーベル文学賞をとったオルハン・パムクの「私の名は紅」も思い起こさせる、絵師たちの葛藤が興味深い。
イブラヒム宰相とフッレム妃の話は夢枕獏さんの「シナン」も思い出しました。
スレイマン帝の時代ってカラフルで面白くて、ついつい小説にしたくなるのでしょうね。
青いチューリップが再び現れ、ネフィたちの運命はどこに向かうのか・・・早くも続きが気になります!

「キューバでアミーゴ!」たかのてるこ著(幻冬社)

2007-11-28 | エッセイ・実用書・その他
「キューバでアミーゴ!」たかのてるこ著(幻冬社)を読みました。
有給休暇で旅をつづける銀座のOLたかのさん。今回はダーリンのともやんとキューバのふたり旅。
家族や仲間へのストレートな愛情表現、キス&抱擁、どこでも始まるダンスと歌。ディープなキューバの人たちの人となりがわかる13日間の旅の記録です。

お金はなくてもまわりの人たちと助け合って暮らしているキューバの人々、それは逆にお金がある人(たとえば外国人旅行者)には悪びれず平気でおごってもらうこととも紙一重。そのことへのカルチャーショック。
また離婚率がとても高いけれど、別れた子供たちとはとても良好な関係を保っていること。
社会主義になったときに黒人の暮らしはよくなったけれど、逆に財産を没収された白人がいたこと。
生活は苦しくても、笑って踊って暮らすたくましさ。
短い旅の期間でもいろんなことに触れ、考えるたかのさんの気持ちに触れられる本です。

「ツリーハウスをつくる」ピーター・ネルソン著(二見書房)

2007-11-26 | エッセイ・実用書・その他
「ツリーハウスをつくる」ピーター・ネルソン著(日本ツリーハウス協会 監訳)二見書房を読みました。
世界中にあるツリーハウスを写真と文章で紹介。森の中だけでなく、街のど真ん中にも。紹介されているのはアメリカ、ヨーロッパ、日本など。木の上で昼寝するだけの用途から、風呂トイレ完備の暮らせる家までさまざま。

まず表紙になっている「カエデの宮殿」(ワシントン州レッドモンド)がとても素敵!「ハウルの動く城」の木造版のような、遊び心いっぱいの家。
フランス・ビアリッツにある「森に浮かぶ船」もインパクト大。
木の上に16世紀風の帆船を模した造詣、中には船長室から船室を模した段ベッドまで。凝ってる・・・。
ツリーハウスではありませんが、フランス・アルーヴィルにある樫の教会シェーヌ・シャペルも奇抜な教会で面白いなあと思いました。

どのツリーハウスもアイデアがいっぱいで見飽きません。

「さよなら僕の夏」レイ・ブラッドベリ著(北山克彦訳)晶文社

2007-11-26 | 外国の作家
「さよなら僕の夏」レイ・ブラッドベリ著(北山克彦訳)晶文社を読みました。
名作「たんぽぽのお酒」の舞台となったアメリカ中西部の小さな町グリーンタウン。「たんぽぽのお酒」の夏から1年後の夏の終わり、主人公は前作と同じダグラス。彼は14歳になろうとしています。
「成長したくない」ダグラスたちは、子どもたちを支配する「教育委員会」の老人たちと戦います。ダグラスたちは時間を止めようと時計塔を爆破したり、老人たちの娯楽のチェスの駒を盗んだりします。

「たんぽぽのお酒」はブラッドベリが55年も前に書いた作品。
その時点で削除された部分を改稿・発展させたものが今回の作品だそうです。
文章の詩的さは相変わらずすばらしいです。

「みてごらん、ダグ。あの花がわかるかな。
夏の別れ(Farewell Summer(花の名であり、この作品の表題でもあります))、だよ。それがあの花の名前なのさ。空気が感じられるかね。秋が戻ってくる。夏の別れだ。」(中略)
彼がしたの草の湖を見渡すと、たんぽぽはすっかりなくなっていて、樹々には錆びの感触が、遠く東からはエジプトの匂いがした。
「さあ、ぼくはドーナツを食べて、昼寝でもしよう」と、ダグは言った。

「たんぽぽのお酒」がダグラスが過ごす夏の街のさまざまなイメージのつらなりだとすると、今回はもう少し絞られた「老人と少年」というテーマの作品になっています。

ダグラスの弟トムの言葉が印象的です。
「一つだけやってみたいな。いつまでも食べ続けられることができる大きなアイスクリームコーン。終わりがなくて永遠にそれで幸せでいられるんだ。(中略)
とにかく終わりのないものを一つだけくれたら、ぼくは気が変になっちゃうだろうなあ」

夏の終わり、そして少年の日の終わり。それを感じているからこその言葉。
美しくてせつない詩情にあふれています。

「ねにもつタイプ」岸本佐知子著(筑摩書房)

2007-11-22 | エッセイ・実用書・その他
「ねにもつタイプ」岸本佐知子著(筑摩書房)を読みました。
英米文学の翻訳家である著者が雑誌「ちくま」に連載したエッセイをまとめたもの。
内容は頭の中の雑念、妄想、子供の時の思い出などいろいろ。
前著「気になる部分」の方がとりとめのなさと爆笑度では上かな。
でもこちらのほうが文章の量・内容としてはまとまっています。
超短編みたいなシュールな文章もあってバラエティにとんでます。
「ロープウェー風呂」とか机におく「ミニ富士山」とか「ねこのツボ押し」とか、いいなーと思う空想もいっぱいで楽しかったです。

「えんの松原」伊藤遊著(福音館書店)

2007-11-22 | 児童書・ヤングアダルト
「えんの松原」伊藤遊著(福音館書店)を再読しました。
時は平安中期。次代の帝となる年若い東宮・憲平(のりひら)は夜な夜な現れる怨霊に怯えていました。ひょんなことから彼と知りあう少年・音羽(おとわ)は、故あって女童になりすまし宮中で下働きをしています。
憲平に崇る怨霊はいったい何者なのか、死に至る運命から彼を救うため音羽は力を尽くします。

音羽が「怨霊」について語る言葉が心にしみます。
「怨霊のいない世の中というのは、ほんとうにいい世の中なんだろうか、と思ってさ」
「どういうことなの?それは」
「うまくやるやつがいて、そのあおりを食うものがいる。そのしくみが変わらない限り、この世から怨霊がいなくなるとは思えない。それなのに、怨霊がいなくなったとしたら・・・、それはいないのではなくて、だれにも見えなくなっただけじゃないか、という気がするんだ。だれも怨霊のことなんか思い出しもしないし、いるとさえ思わない・・・。忘れてしまうんだ、悲しい思いをしたまま死んでしまった人間のことなんか。それはもしかすると、今よりもずっと恐ろしい世の中なのかもしれないぞ」
「もしそうなったら、怨霊はどこへ行くの?」
「さあな、どこへ行くんだろう・・・」

怨霊や物の怪はなくなったわけではなく、別の言葉でおそれる現代の私たち。
(「霊が憑いている」だの「前世」がどうだの)
でもそれをただ排除してめでたしとするのではなく、闇の部分として忘れずに抱えることも人として大事なことなのかなと思いました。
なんといっても一日の(人生の)半分は夜ですからね。
憲平を助ける場面で、なんだかふらふらと頼りない綾若がキーマンとなるのも予想外で面白い。



「風神秘抄」荻原規子著(徳間書店)

2007-11-20 | 児童書・ヤングアダルト
「風神秘抄」荻原規子著(徳間書店)を再読しました。
坂東武者の家に生まれた16歳の草十郎は、ひとり野山で笛を吹くことが多かった若者。彼は平安末期、平治の乱に源氏方として加わります。
源氏の御曹司・義平に付き従い京から落ち延びる途中で、草十郎は義平の弟、幼い源頼朝を助けて、一行から脱落します。そして草十郎が再び京に足を踏み入れた時には、義平は、獄門に首をさらされていました。
草十郎はその六条河原で死者の魂鎮めの舞を舞う少女、糸世に目を奪われます。自分も笛を吹き始める草十郎ですが、二人の舞と笛には異界を開く強大な力がありました。二人の特異な力に気づき、自分の寿命を延ばすために利用しようとする時の上皇・後白河。
一方草十郎は、自分には笛の力だけでなく、「鳥の王」と言葉を交わすことができる異能が備わっていることに気づきます。

すでに一度読んでストーリーを知っているはずなのに、何回読んでも荻原さんの作品にはそのたびにひきこまれてしまいます。
天上から降る花、したたかな上皇、鳥の国。
そして荻原さんの描く作品はいつも脇役もとても魅力的。
この作品で私が好きなのは日満。僧侶なのに(だから?)女性に弱いあたりがなんだかかわいいです。
最後熊野で上皇と草十郎が対峙する場面はひりひりとしてかつ神秘的。

「また会う日まで」ジョン・ア-ヴィング著(小川高義訳)新潮社

2007-11-20 | 外国の作家
「また会う日まで(上・下)」ジョン・ア-ヴィング著(小川高義訳)新潮社を読みました。
01年に発表された「第四の手」以来4年ぶり、アーヴィング待望の最新長編小説です!
逃げた父ウィリアムは教会のオルガニスト。刺青師の母アリスは幼子ジャック・バーンズとともに彼の後を追い北海の国々へ。
父を知らぬ息子は、やがてカナダ・トロントの元女子高セント・ヒルダ校に入学します。そこでであった6年生の女の子エマ・オーストラーとの出会い。
その後さらにジャックは全寮制の男子校レディング、そして大学エクセター校へ。
さらにジャックは俳優になりハリウッドで活躍します。
この後ネタバレありますので、未読の方はこの先ご遠慮ください。



北の冷たい空気にどっぷりつかって読んでしまいました。
北欧が舞台になる場面、作品では決して多くはないのですが(ほとんどはジャックが暮らしているカナダかアメリカが舞台)、印象的なできごとが起こる場面はほとんど北ヨーロッパなので、ジャックが(そしてウィリアムがアリスが)石畳の道を歩いている場面が目に浮かびます。
冒頭、アーヴィングらしい風変わりな人物設定からまずしびれてしまいました。
体中に楽譜を刺青したオルガニスト、ジェリコのバラを彫る女性刺青師。
ジャックが幼きときにめぐった父を探す旅、そのはしばしで感じた違和感。
(母は小さい兵士のどこに刺青したの?お父さん僕の姿を見たことあるの?など・・・)
ジャックが再び30年ぶりに北欧の地をめぐりそこで改めて知った父の姿。

一番せつなかったのはオランダでジャックを見送る父ウィリアムが泣き崩れたこと、そしてそれをジャックが知ったシーン。
父は深く自分を想っていてくれたのだ、
自分は本当はいくらでも父に会うことも愛されることもできたはずなのだ、
でもそれをずっとすることができず、父を思い違いしていた。
自分の「女癖」を父の遺伝子のせいにし、自分は父と同じで子供を愛せないと思っていたが、すべて自分の(母の意図による)思い込みのせいだった。
こんな辛くせつないシーンがあるでしょうか・・・。

妹ヘザーとの邂逅はあまりに幸せすぎるような気がしましたが、ジャックは今まであまりにも長く孤独を抱えてきたんだから、これくらいのハッピーはあってほしいので、読者としては心温まるいい場面でした(とくに飛行場の読唇術の場面!)。
最後、ジャックがお父さんに会えて本当によかった。
レスリングの試合を見に来てくれていたと聞いたときのジャックの感動を思うと私も胸が熱くなりました。
そして父の病を知ったジャックが「でも父さんは父さんだ」と今まで憧れていた以上の愛をそそごうという決意を予感させるラストもとてもよかったです。

訳者あとがきでは本国アメリカではこの作品は賛否両論だそうで「長ったらしい」という意見もあるとか。
確かに私もジャックがセント・ヒルダ校を一年一年進級していくあたりはちょっと長いなと思いましたが、でもこういうのがないとアーヴィングじゃないという感じもします。長編こそがアーヴィングの独壇場。アーヴィングの作品を読むと、いつも人生は一本の筋の通ったストーリーだけじゃないと感じさせてくれるのです。

「爆笑問題とウルトラ7」の中にあるインタビューにはジェシカ・ラング主演の「サーカスの息子」(もう完成しているんでしょうか?不明)の脚本を書き上げ、「マイ・ムービー・ビジネス」というノンフィクションを出版した後はもう映画に携わる予定はないとか。
インタビューは99年当時のものですから今アーヴィングがどんな気持ちでいるかはわかりませんが、個人的にはこの作品ぜひ映画で見てみたい!
シュワルツネガーとオスカー像を抱えたジャックがトイレで会うシーンが見てみたい。主演はジョニー・デップがいいけど、ちょっと年がいきすぎかなあ?

「爆笑問題とウルトラ7」爆笑問題著(新潮社)

2007-11-18 | エッセイ・実用書・その他
「爆笑問題とウルトラ7」爆笑問題著(新潮社)を読みました。
爆笑問題の対談集。
相手はなぎら健壱さん、立川談志さん、淀川長治さん、小林信彦さん、橋本治さん、山田洋次さん。アメリカにわたりジョン・アーヴィングさんと対談。(アーヴィングさんとの対談に関しては太田さんのみ)
とりあげる話題は芸能から、映画、文学まで。

アーヴィングさんとの対談が読みたくて手に取りました。(対談は99年)
作品を読むと「こんなにハチャメチャな世の中でも生きていていいんだ」という父親的肯定にとても勇気付けられる、という太田さんの意見に賛同!
アーヴィングさんの言葉。
「「サイダーハウスルール」で主人公が孤児院で中絶された赤ん坊を見つける場面。読者や観客はその事実を先に知っている。そして主人公がその事実を知るのを待つ。そのことが感情的な高まりを生み、主人公に対する感情移入を生むのです。その後中絶をめぐる議論の場面になりますが、知性に訴える前にまず感情的な場面を用意し、読者を巻き込んでいるわけです。これが物語を語る効果的な方法です。」
「感情的に高まる場面を書くときは慎重に書きます。一場面に2ヶ月かけたりもします。私にとって出来事はゆっくり起きますから私は混乱しないんです。一方読者にしてみたらあっという間にエモーショナルな出来事が起こり、たちまち物語りに巻き込まれていく。それが違いです。」
など執筆に関するお話がとても面白かったです。
「アイデアはいくらでも出る。それを混じりあわさないようにするのが気を使う」というアーヴィングさんの創作のパワー、すごいなと思いました。

ほかによかった言葉は淀川さんの「映画にはマナーも大事」という言葉。
あと橋本さんの「苦労は自分で苦労しようと思ってするものであって、そうじゃないのはただ苦痛なだけだからね」。
山田監督との対談で太田さんが語る「物語って必ず主人公が何かの問題にぶつかって、それをどうクリアーしていくか、ということじゃないですか?だから物語に触れるということは、思春期には凄く大事なことだと思います」などなど。

どれも爆笑問題が会いたいと思って会った方たちばかりなだけあって、言葉にも熱がこもってるなーと思いました。なぎらさんの脱力ぶりも面白かったな。


「実業美術館」赤瀬川原平/山下裕二著(文藝春秋)

2007-11-12 | エッセイ・実用書・その他
「実業美術館」赤瀬川原平/山下裕二著(文藝春秋)を読みました。
実業界にこそ匠の技と日本の美が息づいている。クルマもお金もごみ処理場も、自衛隊だって芸術だ、と職人仕事のたくまざる美と奇想を求めて、日本美術応援団が全国各地を見学旅行。
内容は呉の大和ミュージアム、網走刑務所、大阪・広島のゴミ処理工場、旧交通博物館、警察博物館、レンズのコシナ、オリエント時計、野球体育博物館、日銀、トヨタ・マツダ工場見学など。
一番びっくりしたのは大阪にある、ウィーンの鬼才フンデルトヴァッサーがデザインしたゴミ処理工場。ディズニーランドみたい・・・一度現物を見てみたいです。
山下さんのあとがきに「江戸時代までは美術は才能と努力に見合う対価を得て「実業」として成り立っていた。ところが明治以降「美術」とは対価をあてにするものではなく、「純粋」な「自己表現」でなくてはならぬ、などという西洋の受け売りが「実業」とは無縁な人たちの間で唱えられてしまった。相変わらず旧来の芸大や美大は古い権威に縋っているか、「アート、アート」の合唱に添い寝しようとしているか、そんな体たらくである。」とあるのが痛烈。