Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「失われた時を求めて(上)」マルセル・プルースト著(鈴木道彦編訳)集英社

2007-05-30 | 外国の作家
「失われた時を求めて(上)」マルセル・プルースト著(鈴木道彦編訳)集英社を読みました。
20世紀最高の文学といわれる「失われた時を求めて」(未完)。
日本語訳で1万枚に近い作品のなかから47の断章を訳出し、各断章にはそこに至るあらすじを記する形で上下2冊で構成されている抄訳版です。
(上下巻各600p近くという分厚さですが、これでも原作の1/5!)

上巻は三章。
「Iスワン家の方へ」
語り手のコンブレーでの少年時代の話から、隣人のスワン氏の恋の話など。
「Ⅱ 花咲く乙女たちのかげに」
スワン氏の娘ジルベルトへ抱く語り手の恋心、旅行先の海辺の町バルベックで出会った少女アルベルチーヌの話など。
「IIIゲルマントの方」
語り手は青年に成長。以前からあこがれていたゲルマント公爵夫人との交流。
上流貴族の世界へ。

基本的に一人称の語り手がいるのですが、時によってスワン氏であったり、使用人のフランソワーズの声であったり、主体が変わるときもあります。
穏やかなコンブレーの町での語り手の成長の物語にそって、鋭い考察や美しい自然描写がつづられます。

とにかく文章がとても美しい!
もちろん原文がそうなのでしょうけれど、訳もとても素晴らしいです。

バラ色のサンザシを見つけた喜び。スミレの花で彩られた貴婦人の帽子、暁を売る牛乳売りの娘の頬の赤さ。
そしてマドレーヌを食べて記憶がよみがえる有名な場面。
これがまたとても美しい文章です。

「ちょうど日本人の遊びで、水を満たした瀬戸物の茶碗に小さな紙切れを浸すと、それまで区別のつかなかったその紙が、ちょっと水につけられただけでたちまち伸び広がり、ねじれ、色がつき、それぞれ形が異なって、はっきり花や家や人間だと分かるものになってゆく、あの遊びのように」すべての記憶が一杯のお茶から飛び出してくるのです。

私もわざわざマドレーヌを買ってきて読んでしまいました。(残念ながら作品と同じ菩提樹のお茶はなかったので、紅茶で。)
なんだか語り手とシンクロしてるみたいで、個人的にうれしかったです。

しかし、語り手の恋はどうも気持ちより作戦がさきばしっている感じで、もどかしいなー。
本当はジルベルト本人に会いたいのに、その母のオデットに会いに行って、オデットが後でジルベルトに自分の噂をするのを期待してみたり。
アルベルチーヌの気持ちをひくためにアルベルチーヌの友達のアンドレと仲良くしてみたり。(アンドレ、利用されて可哀想。)

語り手の恋の話以外に私が特に好きなエピソードは、女優ラ・ベルマの才能を褒める場面。
彼女の才能だけを拾い上げて評論してみようとしていた語り手。
「しかし、役と別のところ見つけようと思ったその才能は、役と一体になっていた。たとえば偉大な音楽家の場合に、その演奏が実に偉大なピアニストのものなので、いったいこの芸術家がピアニストであるかどうかということさえ、まったく分からなくなってしまうことがあるものだ。なぜならそうした演奏はまったく透明なもの、演奏している曲に満たされているものになっているので、ピアニスト自身の姿は見えなくなり、彼は一つの傑作に対して開かれた窓になってしまうからである。」
偉大な芸術の本質をついている言葉ですね。

上巻の終わりではスワン氏の病気もほのめかされます。
下巻はどうなるのかな?


「銀の枝」ローズマリー・サトクリフ著(猪熊葉子訳)岩波書店

2007-05-28 | 児童書・ヤングアダルト
「銀の枝」ローズマリー・サトクリフ著(猪熊葉子訳)岩波書店を読みました。
時はカロシウス皇帝の治世のブリテン。
軍医ジャスティンはいとこの百人隊長フラビウス・アクイラとともに皇帝に仕えていました。偶然に皇帝の側近の裏切り行為を知り申し立てをしたところ、逆に左遷されることに。
新しい勤務先でジャスティンとアクイラは再び裏切りの証拠をつかみ、皇帝の元に向かおうとしますが、皇帝は暗殺された後でした。
新しい皇帝はサクソン軍をひきいれ、争いが絶えないブリテン。
新しい皇帝に反する者たちを助け、一軍団を築くふたり。
そして偶然彼らは家の床下から失われた軍団のワシの旗印を見つけます。
(このワシについては前作「第九軍団のワシ」に詳しくあります)
それをシンボルとし、ふたりと軍団はブリテンのために戦いにのぞみます。

題名の「銀の枝」は、カロシウス皇帝の犬クーレン(道化師)が操る銀のリンゴの楽器のこと。
全体的に裏切りと戦争という血なまぐさい物語を、このリンゴの音色が澄んだ不思議な空気を運んできてくれます。
槍のエビカトス、元カロシウス皇帝の秘書ポウリヌス、さまざまな男たちが繰り広げる戦いの物語です。


「富士日記(上)」武田百合子著(中央公論社)

2007-05-24 | エッセイ・実用書・その他
「富士日記(上)」武田百合子著(中央公論社)を読みました。
夫の武田泰淳さん、娘の花子、犬のポコと過ごした富士山麓での十三年間の日記。
特に出版を考えて書かれたものではなく、毎日の食べたものや家族の出来事、周囲のさまざまな事件や自然の美しさが描かれています。
お餅にのりをまいて、ベーコンでコロッケをつくって、ひれ肉を味噌漬けにして、塩むすびをにぎって・・・なにげない料理がとてもおいしそう。
私は祖父母が山梨出身なので、川口湖畔の住人が話す山梨の方言「~ずら」が懐かしかった。
泰淳さんとケンカした百合子さんが腹立ちまぎれに車を暴走させ、泰淳さんを怖がらせたくだりが面白かったです。

関係ないですが、「ごはん日記」っていしいしんじさん流「富士日記」なんだなあと思った。

「脳のなかの幽霊」V・S・ラマチャンドラン著(山下篤子訳)角川書店

2007-05-22 | エッセイ・実用書・その他
「脳のなかの幽霊」V・S・ラマチャンドラン著(山下篤子訳)角川書店を読みました。
切断された手足に感じる幻肢痛、自分の体の一部を人のものだと主張する患者、両親を本人と認めず、偽者だと主張する青年など、著者が出会った様々な患者の奇妙な症状を手がかりに、脳の仕組みや働きについて考える本。
内容は高度ですが、一般の人にも分かりやすい比喩をあげたり、すぐに実験できる例を紹介したり、またユーモラスな語り口なので、脳神経学になじみのない人でも読みやすい一冊。
昨日テレビ番組「世界仰天ニュース」でも幻肢痛をとりあげていました。
(本物のラマチャンドラン博士が見られました!)
今まで「気のせい」で片付けられていた幻肢痛のメカニズムをつきとめ、その簡便な軽減策まで考え付いたなんて本当に敬服してしまいます。
ほかにも想像妊娠についてや、神秘体験をする傾向がある側頭葉の障害、視力障害による幻覚、自分自身をすらだます麻痺の否認などなど、さまざまな脳の不思議をとりあげていて興味深かったです。


「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著(猪熊葉子訳)岩波書店

2007-05-20 | 児童書・ヤングアダルト
「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著(猪熊葉子訳)岩波書店を読みました。
サトクリフのブリテン三部作の一作目。(この後「銀の枝」「ともしびをかかげて」とつづきます。)
ローマ軍団の百人隊長マーカスは、ブリトン人との戦闘で戦車の下じきになり、栄光あるローマ軍人としての生涯を断念します。
傷心のマーカスは、叔父のアクイラのもとへ。彼はそこで出会ったエスカとともに、行方不明の軍団の象徴〈ワシ〉を求めて旅に出ます。

北にむかった4千人が消えた第九軍団。マーカスの父はその軍団の大隊長でした。
父を含めた軍団の失踪の真相、ローマ軍の象徴ワシはどこにあるのか。
マーカスとエスカは身分を隠して北への旅に出ます。
そこで出会う人々、異なる文化、原始的な祭り、南に帰る道のけわしさ。
氏族の神域「生命のありか」の描写は恐ろしかったです。
エスカとマーカスが助け合う旅の様子がとてもよかった。
冒険物語と歴史小説の両方が楽しめる一冊です。


「妖女サイベルの呼び声」パトリシア・A/マキリップ著(佐藤高子訳)早川書房

2007-05-18 | 外国の作家
「妖女サイベルの呼び声」パトリシア・A/マキリップ著(佐藤高子訳)早川書房を読みました。
サイベルはエルド山の奥深く住む魔術師。彼女は幻獣のみを友として暮らしていました。そんなある日サイベルのもとに赤子をつれた騎士がやってきます。その赤子こそサイベルの甥であり、エルドウォルド国の王子でした。
やがてサイベルはいやおうなく王位継承争いに巻き込まれ、人の世の愛と憎しみを知り始めます。本作は世界幻想文学の大賞を受賞しています。

幻獣がそれぞれに個性があって面白かったです。
金色の目をもつ黒鳥、宝石を守る竜のギルド、美しいライオンのギュールス、魔力をもつ大猫のモライア、謎をかける猪のサイリン、7人の男を八つ裂きにした隼のター。
サイベルはさらに白鳥のライラレンをとらえるべく各地に呼び声を送ります。
この世界の魔術は名前を知ること、そしてその名を呼ぶこと。
サイベルが高名な魔術師にその名をしられたことからピンチに陥る場面も。
サイベルの甥タムの父、国王ドリード。
ドリードと敵対するサール国。
王位は誰の手にもたらされるのか?ライラレンは手にはいるのか?
美しいサイベル、愛情豊かなコーレンとの人間関係も絡めてファンタジーの世界にたっぷりとひたれる作品です。


「バレエダンサー(上)(下)」ルーマ・ゴッデン著(渡辺南都子訳)偕成社

2007-05-16 | 児童書・ヤングアダルト
「バレエダンサー(上)(下)」ルーマ・ゴッデン著(渡辺南都子訳)偕成社を読みました。
「人形の家」の作者でもあるゴッデンが描く、幼い少年がバレエに魅せられていく物語。映画「リトルダンサー」も連想されます。
姉クリスタルのバレエのレッスンについていったことからバレエのとりこになっていく少年デューン。しかし、家族の応援を得られずに、バレエダンサーをめざすのは、並み大抵のことではありませんでした。天性のバレエの才能を持つデューンが、幾多の困難をのりこえて、才能を開花させていきます。
一方姉のクリスタルも美しい顔立ちと華奢な体つき、バレエの才能をもって生まれた少女なのですが、皮肉なことに、弟のデューンが、次々と賞讃をさらってしまい、妬みから弟に意地悪をしかけるクリスタル。
ロンドンを舞台に、それぞれの困難にぶつかりながら、より厳しい道をめざすバレエダンサー志望の姉弟の物語です。

母親からも父親からも兄弟たちからも忘れられている末っ子少年デューン。
親代わりだった使用人ベッポー、バレエを教えてくれたミセス・シェリン、ピアノを教えてくれたミスタ・フィリックス、デユーンの才能を伸ばしたミス・グリン。
誰もが納得するデューンの素質を、もっとも身近な母親やクリスタルが気づかない(見ないふりをしている)のが皮肉。
デューンが父親からお金がもらえなくて「しゃくよーしょ」を書いたところは泣けました。
母親がデューンをうとましく思う気持ち、
「あの子はのけ者にされることは慣れてますから」
「おまえのいやらしいところはね、ひとのところに毛虫みたいにもぐりこんでいって、みんなにすかれようとするところだよ」
うしろめたさから毛布をかぶせてあげる行為など、デューンのよるべなさが表れていて可哀想でした。
でも数々の障害をのりこえてバレエの道をつきすすむデューン。
ミセス・シェリンが「もしダンサーになりたいんだったら、きみのおどりがつれてってくれるところにいかなければならないの。どんなチャンスものがさないで。」のセリフがよかったです。

一方下巻ではクリスタルが主役といってもいいほど。
家族の愛に恵まれず辛い思いをしたデューンはバレエ学校に入るとその才能や仲間、教師にも恵まれまた多くのチャンスを与えられ、とんとん拍子。
でもクリスタルには今まで甘やかされてきた分、みじめな思いをする出来事がいっぱい。
コンテストの結果、くるみ割り人形の配役、手痛い失恋。
大事なエメラルドを売ってまで自分に期待を賭けてくれたお母さんへの申し訳なさ、みじめな気持ち。
でも嫉妬と焦りにとらわれていたクリスタルがつらい夜を過ごし、「きっときょう、あたしのなかのどこかが、死んでしまったんだわ」と語る場面、辛い試練だったけれど、強い希望につながっていく様子がとてもよかったです。

ゴッデンはこの作品を発表当時70歳を越えていたというからびっくり!
こんなにみずみずしく少年や少女の心の中を描けるなんて・・・驚きの事実です。

「エマ(上・下)」ジェーン・オースティン著(工藤政司訳)岩波書店

2007-05-15 | 外国の作家
「エマ(上・下)」ジェーン・オースティン著(工藤政司訳)岩波書店を読みました。
土地の名家に生まれ、美しく聡明で裕福、あらゆる資質にめぐまれた21歳のエマ。ハイベリーに女王のように君臨する彼女が、自分を敬慕する若い女友達ハリエットの縁結びに乗り出します。
ハンサムなフランク・チャーチル、エルトン夫妻やジェーン・フェアファックスも巻き込み、ハイベリーの人間模様は複雑さを帯びていきます。
のどかに流れる村の日常とともに、あやまちや失敗を越えて微妙な変化を見せるエマの心理が描きだされています。

オースティンの作品はほかに「高慢と偏見」しか読んだことはないのですが、舞台がイギリスの田舎、内容は主人公を含め周囲の女性たちの恋物語ということで、雰囲気が似ています。
元気で賢い主人公エマ、内気だけどやさしいハリエット、なにかと押し付けがましいミセス・エルトン、人当たりはいいけれど考えの足りないフランク・チャールズ、父親のミスター・ウッドハウスがなにかというと健康を口にするのはこっけいで面白かったし、みんなどこかにいるようなキャラクターです。
でも聡明で度量の大きい年上の男性ミスター・ナイトリーだけは、なかなかいない人物かな。

しかし最後まで読んでも残念ながらエマ、好きになれませんでした。
身分の違いにがちがちにこだわり、人間性を見ないで「身分が低い」というだけであっさりと人を軽蔑するのは時代だから仕方がないのかな。
自分の思い込みでミス・スミスの恋をひきさき、誤った相手にけしかけ、あげくに傷つけ、本当に可哀想。ハリエットは相手の使った包帯の切れ端もとっておくような内気な女の子なのに。
最後は結局ロバートと結婚したけど、なんか作者が無理やりハッピーエンドにさせるためだったような気がする。エマとかかわることによって「身分の違い」や「向上心」をことあるごとに吹き込まれたハリエットがすんなり元の鞘に納まるっていうのも考えにくいもの。

エマはまわりの人をたくさん傷つけて「悪いことをした」って思っているけど、自分の胸の痛みの問題だけで、実際はなにも失ったものはない。
結局エマがどんなわがままをしてもは「前から好きだったんだよ」ということで非の打ち所のないミスター・ナイトリーの愛まであっさり手に入れて、なんだか腹たつなー。
作者はエマを「私以外は誰も好きにならないような女」だと評したといいます。
その言葉は逆説として言ったのかもしれないけれど、私は実際、好きになれなかったです・・・。

「ラピスラズリ」山尾悠子著(国書刊行会)

2007-05-11 | 日本の作家
「ラピスラズリ」山尾悠子著(国書刊行会)を読みました。
銅版、閑日、竈の秋、トビアス、青金石のイメージが綴る連作長編集。
初めの場面は画廊。不思議な偏執的な熱心さで書き込まれた銅版画。
二篇目からはその絵の内容ともいうべき物語が繰り広げられます。
幾多もの人形、眠る人々。長い冬。
美しくて恐ろしい幻想の物語です。


「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著(福島正実訳)早川書房

2007-05-11 | 外国の作家
「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著(福島正実訳)早川書房を読みました。
1970年12月、コネチカット州の古ぼけた農家に住んでいたディヴィス。
彼の飼い猫ピートは、いつも冬になると、夏への扉を探す。
外に通じるドアが十一もあるこの家のドアのどれかが、夏に通じていると信じ込んでいるのだ。
そして、ディヴィス自身も夏への扉を探していました。
婚約者のベルに裏切られ、同僚のマイルズにはだまされ、大切な発明さえも騙しとられた彼の心は真冬。
そんなとき、ディヴィスの目が「冷凍睡眠保険」に吸い寄せられます。
ディヴィスは猫のピートと共に、30年後に蘇る冷凍睡眠を申し込もうとします。
そして、2000年の12月に…。
アメリカSF界最大の巨匠の最高傑作といわれる作品です。

初版は1957年。(日本語初版は1979年)。
その当時はきっと未来はひょっとしてこんな風になるのかもしれない、とその想像力も含めて画期的な作品として受け入れられたのだと思いますが、実際に2000年を過ぎた現在の私が読むと「う~ん、科学の進歩はそんなに輝かしい面ばかりじゃない・・・」と思ってしまいました。
「この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。未来は、いずれにしろ過去に優る。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、勘で、科学と技術で、新しい、よりよい世界をきずいてゆくのだ。」
現代に生きる私が読むと、「明るい希望」というよりはちょっとアイロニックにも聞こえます。時代とともに作品の読まれ方も変わりますね。
ロボットや冷凍睡眠など目新しい技術を駆使しし、過去を見つめ未来の幸せに近づこうとする姿、この作品自体が1957年当時の空気を伝えるタイムマシーンのような存在だと思いました。