Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「ああ、なんて素晴らしい!」ショーン・ウィルシー著(坂野由紀子訳)新潮社

2010-03-11 | 村上春樹
「ああ、なんて素晴らしい!」ショーン・ウィルシー著(坂野由紀子訳)新潮社を読みました。
ママの親友だったはずの女ディディに大富豪のパパを奪われ、家庭は崩壊。継母になったディディにいじめられ、寄宿学校に追いやられた僕に待っていたのは、おかしな生徒たちばかり。僕はイジメに走り、ドラッグを覚え、本当にダメになりかけます。
雑誌「McSweeney’s」の編集者がくぐり抜けた今までを描いた半自叙伝です。

以前はテレビ出演を、その後ゴルバチョフやダライ・ラマにも会い、ノーベル平和賞の候補にあがるような平和活動をしているママ。ふさぎがちで自殺願望がある一方でプライドが高く、マスコミに注目されることが大好き。(存命)
バター会社を経営する仕事熱心な大富豪で、自家用ヘリであちこち飛び回り、数々の著名人とのつきあい、数々の女性との浮気、その葬式には「サンフランシスコ中が集まった」といわれるほどのマッチョな人物。(著者がこの本の執筆中に他界)
その生い立ちからしてケタはずれ。

両親の離婚後ひきとられたパパの家での継母(ママの元親友。こちらも存命)のいじめ。
追いやられた全寮制学校では成績不振で退学、その後二校を転々。
彼が厳しい現実をのりきるために口にする言葉「Oh The glory of it all(ああ、なんて素晴らしい!)」が表題になっています。
最後にいきついたイタリアのアミティ校で、初めて「とりつくろわないで感情を出していい」ことを知った僕。

村上春樹さんが「まるでディケンズの小説のようだ」と評したこの本。
でも小説ではないのです!事実は小説よりも奇なり。
まだ存命中の人物が多いので、辛らつに書かれている側からしたら「自叙伝」というより暴露本と思ってしまうかも。でも基本は他者(主にディディ)への攻撃ではなく、著者自身の心の葛藤をつづった本です。少年・青年時代の性にまつわる恥かしい過去も赤裸々に描いていて、それを出版してしまう著者の胆力に脱帽です。

本書を読んで一番心が痛むのは、僕をいじめてきた継母ディディと、それを黙認してきたパパ。そして「パパの理想とするような息子たれ」と権力を振るわれてきたパパと僕との関係です。
継母と継子の関係とは、やはり感情より「理性の愛」が必要なものなのでしょうか。継子に対して、半分流れている夫の元妻の面影が見え嫌悪感を覚えてしまうことは理解できなくはありません。
でも「だから自分と血がつながった子しか愛せない」というのは、貧しく悲しいことです。
そして同時に継母が継子とうまくいかない話というのも昔からずっとある問題です。
難しい。

アミティ校で自分の今までを振り返り、「水漏れしているみたいに」泣きじゃくった僕。

「感情があふれ出した。僕はある事実に気づく。
、、、、、、、、、、、、、、
ママとパパは僕を愛していない。

そして僕は泣き出した。それは真実だった。自己憐憫ではない。
ママとパパが愛したのは、いつも自分たちだったのだ。僕にできたことは、二人のうちの一人を敵とみなすことで、もう一人を味方につけることだけだった。」

パパとママは僕を愛していない。でも僕は愛して欲しい。
読んでいて一番胸が痛くなった文章です。

その後ニューヨークで自分で大学を見つけ、職を得、伴侶を見つけた著者。「自分で自分の人生を建て直し」、自分の今までを振り返って書いた処女作がこの本です。

本としては「自分の数奇な生い立ちとも折り合いをつけつつある」という方向で終章を迎えています。
でも個人的には35歳(現在は39歳)でそこまで人間できてるかな・・・という疑問もあります。一旦理性では受け入れたとしても、これからも著者には何かのきっかけで、何度もつらい記憶や感情がまざまざとよみがえる瞬間があると思います。著者の3歳の息子さんと過ごす中で、「嫌な時のパパ」のような対応を自分がしてしまい、自身が怖ろしくなる経験もするかもしれません。そういうことは「関係者が亡くなったから全部チャラ。終わり」というものではないので。
願わくは著者のこれからの仕事や家庭が穏やかで安定したものであるように、本当に祈っています。

映画「ノルウェイの森」監督インタビュー

2010-02-22 | 村上春樹
本日(2010.2.22)の朝日新聞の朝刊中面の「GLOBE」に映画「ノルウェイの森」の監督を務めるトラン・アン・ユンさんのインタビューがのっていました。
撮影監督は台湾のリー・ピンビン、音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドだそうです。(「海辺のカフカ」で、カフカ君がアルバム「A」をヘビーリピートしていたこと思い出します)

監督のインタビューの抜粋。
「舞台は40年前の日本だが、当時の曲でもあまり有名でないものを多く使いたい。だれもがわかる曲だとある意味、美化されたノスタルジーになってしまうが、傷口がまだ開いたままであることを表現したい。」

直子の物語は「おじさんたちの世代が若かったときの思い出話」ではなく、今現在に生きる誰の感情にも訴えうる、病と、死の物語。

私はトラン・アン・ユン監督の映画は「青いパパイヤの香り」しか見たことはないのですが、映像がとても美しかったことが強く印象に残っています。

「伝えたいことは感情で、それは日本人と外国人で違うのではなく、一人一人で異なるものだ。まだ編集作業中で作品を客観視することはできないが、筋が通った、強い作品を作ったとは思う。」

映画スタッフは国際的なメンバーですが、「グローバル」という言葉ではない、親密な作品を見せてくれそうで、今から公開が楽しみです。

「冬の夢」スコット・フィッツジェラルド著(村上春樹訳)中央公論新社

2009-12-30 | 村上春樹
あけましておめでとうございます!
今年もたくさんの素敵な本に出会えますよう。

「冬の夢」スコット・フィッツジェラルド著(村上春樹訳)中央公論新社を読みました。
20代にして見事に完成された天才的作家フィッツジェラルド。
彼が溢れる才能にまかせ書き上げた膨大な作品群から、「グレート・ギャツビー」の原型ともいうべき五短篇をセレクトした、著者若き日の名作集です。

収録作品は以下のとおり。
冬の夢 / メイデー / 罪の赦し /
リッツくらい大きなダイアモンド /ベイビー・パーティー

「メイデー」が面白かったです。
大学生たちのセレブなパーティを軸として、そのまわりのいろいろな人々が描かれています。お金、恋愛、お酒、仕事、ばか騒ぎ。
メイデーの翌朝のえもいわれぬ神秘的な夜明け。

「ミスタ・インとミスタ・アウト」、エレベーターボーイに告げる行き先階「天上まで」、フィッツジェラルドの華麗な文章力も堪能できる一編です。

「リッツくらい大きなダイアモンド」は童話のような自由な作品。
(いずれは失われていく)お金持ちの家の美麗な描写にうっとりです。

「ベイビー・パーティー」は小さな子供を育てている親ならではの視点。
フィッツジェラルドが父親である、というイメージは私は今まで持っていなかったので面白かったです。
わが子を可愛く目立たせるための画策、こどもを介したご近所どうしのつきあい、子供どうしのおもちゃのとりあい、よその子を怪我させてしまったときの対応。
今私が毎日直面していることばかり~!
しかしこの作品に登場する妻イーディスの幼さにも困ったものです。


一編一編についている訳者である村上さんの作品紹介も楽しかったです。

雑誌「ダ・ヴィンチ 2010年1月号」

2009-12-13 | 村上春樹
雑誌「ダ・ヴィンチ 2010年1月号」、今年のブックオブザイヤーに選ばれた「1Q84」について村上春樹さんの受賞コメントが掲載されており、そこだけ書店で立ち読みしました。
来年夏にBOOK3がナント!出版されるのですね。

BOOK2のラストから言って、青豆は登場するのでしょうか?
BOOK3は天吾とふかえりの話になるのかな。
月は・・・いくつある世界?

BOOK2で青豆が選んだ「自己犠牲」については、まだ私自身消化不良でいます。
肉親や親友が相手だったら、「自己犠牲」という言葉はわかるのです。
でも青豆の相手は小学校の時の初恋の人。
もし私だったらその思い出のために自分を犠牲にすることはできないでしょう。
青豆が選んだ「自己犠牲」とはどういうことだったのか?
そのことについて、BOOK3でもう少し解き明かされるのでしょうか。
私がもう少し自分自身で考えなければいけないことかな。

いまからBOOK3出版がとっても楽しみです。
その後の物語の展開をいっぱい空想して待ちます。
村上さんと同時代に生まれて、新作が待てて本当に幸せ♪

ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を聞きました。

2009-06-28 | 村上春樹
小説「1Q84」の冒頭に流れるヤナーチェックの「シンフォニエッタ」。
小説に付随してCDも売れ「村上特需」なんて新聞に書かれていましたが、私も買ってしまいました。
家族には「ヤナーチェックはチェコ人だから、チェコフィルにしたら?」と薦められたのですが、青豆と同じ版が聞きたかったので、買ったのはジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団(アメリカ)のものです。

5楽章までありますが、全体を通して聞いても20分くらいの小交響曲。
小説の中の解説。
「ある日彼女(妻)と二人で公園を散歩しているときに、野外音楽堂で演奏会が開かれているのを見かけ、立ち止まってその演奏を聴いていた。そのときにヤナーチェックは唐突な幸福感を全身に感じて、この『シンフォニエッタ』の曲想を得た。そのとき自分の頭の中で何かがはじけたような感覚があり、鮮やかな恍惚感に包まれたと彼は術懐している。」

小説を読んでから曲を聞いた私には、「鮮やかな恍惚感」というよりは、出だしのファンファーレに「異界に踏み込む感覚」、青豆のこれからの予兆を強く感じます。パーカッションの「ドドドン・ドン」という響きはまるで異界への階段をくだっていく暗喩のよう。
そして第一巻中頃でわかる天吾の高校時代のヤナーチェックの思い出。
まるで冒頭の曲は天吾の叩くパーカッションの響きであったかのように錯覚してしまいます。

そして5楽章で再びもどってくる1楽章冒頭の旋律。
小説の最後に再び高速道路に戻ってくる青豆の姿を連想しました。
小説という紙の世界に聴覚のイメージを盛り込まれると、物語が三次元でたちあがってくる感覚で面白いです。

ちなみに先週テレビで見た日本フィルの放送演目がシンフォニエッタでした。
これももしかして1Q84効果?
オーケストラのうしろに金管チームが並んで吹くヴィジュアルが面白かったです。

「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」村上春樹編訳(中央公論新社)

2009-06-22 | 村上春樹
「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」村上春樹編訳(中央公論新社)を読みました。
密なる才能、器量の大きさ、繊細な心、カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だった。
ジェイ・マキナニー、トバイアス・ウルフ、ゲイリー・フィスケットジョン。
彼と交流のあった人々(小説家、詩人、編集者など)がカーヴァーの死を悼み綴った9篇のメモワールです。
「レイモンド・カーヴァー全集」の各巻の巻末におまけとして添えられていたものを一冊にまとめて刊行されたものです。

カーヴァーの大きな体に似合わぬ、静かな声。
アル中時代の危険なドライブ。
すばらしい作品を残した先達への敬意。
執筆に際してのねばり強い推敲。
生徒を教える時の愛情深い姿。

彼の人柄が9人の目を通していろいろな側面からうつしだされます。

「1Q84」村上春樹著(新潮社)

2009-06-16 | 村上春樹
「1Q84(BOOK1・2)」村上春樹著(新潮社)を読みました。
村上さん待望の新作。
出版社からの前情報がまったくなかったので、まっさらな気持ちでページをめくり、物語を追っていくのはとてもうれしかったです。
ひとまず初読した感想を。
ラストについてふれますので、未読の方はご遠慮ください。

「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。」

山梨に教団施設をもつ宗教施設「さきがけ」。
教義よりは厳しい修行が中心、教団施設内に火葬施設をも持つ団体。
当然のことながらオウム真理教を強く連想します。

麻原彰晃が語った「カルマ」や「ポア」。
その「物語」を信じ、現実のものとした信者たち。

一方村上さんの書く本のように、私の人生によりそってきてくれた「物語」もある。村上さんの書く主人公の生活を真似したりする(現実のものとする)読者がいたりする。

「さきがけ」のリーダーが語る物語。
ふかえりの物語を天吾が語った「空気さなぎ」。
人間の「想像力」が現実に及ぼす強さ。
善き「物語」と悪しき「物語」はどう違うのか。

そして「リトル・ピープル」とは何者なのか。

小説では小人の姿で描かれていますが、ビッグ・ブラザー(独裁的な個人)と対照的な「群集」の暗喩のように思います。
群集の意思。
時代のうねりが生み出すもの、というか、どちらかというと「時代の病」、時代の暗部に近いもの?そんなイメージをもちました。
(ただ、再読したらまた意見が変わるかも・・・)

青豆の章の最後はかなしかったです。
惹かれあうふたりには現実に手を触れ合い、結ばれて欲しかった。
でもふたりが結婚して幸せなマイホームをつくるという想像もやっぱりできないのだけれど。
青豆の決意は「死」というよりは「脱出」・・・ですね。

そして父親を恨んでいた意識が変わる天吾。
過去の事実は変わらない。
でも自分の認識が変わるとこれからの世界が変わる。
青豆をみつけようと定めた天吾の心。
それが具体的な捜索を指し示さなくても、現世でふたりが出会えなくても、その心があるだけで天吾の人生は孤独ではなくなる。

人生のいろいろな様相を見せてくれる物語。
青豆のこと、老婦人のこと、さきがけの教祖のこと。空気さなぎのこと。
長い小説ですが、もう一度ゆっくり読み返して、またいろいろなことを考えたいです。




「さよなら、愛しい人」レイモンド・チャンドラー著(村上春樹訳)早川書房

2009-05-22 | 村上春樹
「さよなら、愛しい人」レイモンド・チャンドラー著(村上春樹訳)早川書房を読みました。
刑務所から出所したばかりの大男、ヘラ鹿(ムース)・マロイは、8年前に別れた恋人ヴェルマを探しに黒人街の酒場にやってきました。
しかし、そこで激情に駆られて殺人を犯してしまいます。
偶然、現場に居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらましたマロイと女を探して夜の酒場をさまよいます。
一途な愛を待ち受ける結末とは。
「ロング・グッドバイ」につづいた、村上さんによるマーロウシリーズの新訳です。(ちなみに既刊の訳は清水俊二さん訳の「さらば、愛しき女よ」。)

次から次へと起こる事件を追う物語の面白さ。
思いがけない場所で接点を見せる人物たち、次第に明らかになるつながり。
幾度となく訪れるピンチを乗り越えるマーロウ。

訳者あとがきにもありますが、ストーリーを彩る個性的な人物描写もとても面白いです。
体臭の強いインディアンの、セカンド・プランティング。青白い顔のきどった男マリオット。掃除のできない女ジェシー・フロリアン。巡査部長ガルブレイス(ヘミングウェイ)とのやりとり。

そしてマーロウものといったら機知に富んだ会話。
そして文章の仕掛けもあちこちに。

「女ってのはな、あらゆることで嘘をつくんだ。嘘をつかなきゃ損みたいに嘘をつく。」

「モンテマー・ヴィスタには数十件の家が建っている。サイズも形もさまざまだが、それらはみんな山の張り出しに、実に危うくぶら下がっているみたいに見える。大きなくしゃみをひとつしたら、ビーチで広げられているボックス・ランチのあいだに落っこちてしまいそうだ。」

殴られたマーロウが自分自身と話すシーンも、表現上のアクセントになっていて、誰の会話かな?と思ったらマーロウの内的会話だったりして、驚きがあって楽しい。

文句なしに面白いこの小説。
息もつかせぬ展開に一気読みです!
ラストは・・・・でした。


「中国行きのスロウ・ボートRMX」古川日出男著(ダ・ヴィンチブックス)

2009-02-17 | 村上春樹
「中国行きのスロウ・ボートRMX(リミックス)」古川日出男著(ダ・ヴィンチブックス)を読みました。
村上春樹さん初期の短編集「中国行きのスロウ・ボート」を、著者がトリビュートした作品です。
小学校4年生の冬のある日、突如ベッドの中で死という限定の啓示を受け「僕」。「夢日記」をつけるためやがてベッドから出なくなり登校拒否児となります。
転校した先は東京拒否児を集めた秩父の山奥の小学校。そこで出会った初めてのガールフレンド。
「僕」は生まれ育った東京からの脱出計画を練り、3度にわたり実行をめざしますが、結果はいずれも失敗に。20代後半を迎え、ひとりぼっちのクリスマス・イブを過ごす「僕」は、導かれるように「ゆりかもめ」に乗り込みます。

村上春樹さんの作品では主人公が人生の途上で出会った3人の中国人のエピソードが物語のモチーフになっていますが、本作では少年が大人になるまでに「失った」3人のガールフレンドが登場します。

挑み続け、負け続ける主人公の生き方を「クロニクル」と名づけたり、それこそ「ねじまき鳥クロニクル」で主人公が井戸の壁を抜けて行った先の暗いホテルを連想させる部屋が登場したり、友人のペンネームがハートフィールドだったりなど、言葉遣いやモチーフにも村上春樹さんの作品への愛情があちこちに読み取れます。
個人的にはふたりめのガールフレンドのおっぱいの話が変わっていて面白かった。こういう不思議な着想、村上さんの作品にもありそう。

単純に作品として面白いし、CDなどと違って文学作品でトリビュートする、という試みも面白いと思うのですが、う~ん・・・やはり当たり前といえば当たり前ですが、村上さんみたいな作品を読みたいなあと思って読むと、違う・・・。
ほかにもそれぞれ別の作家で「ダンス・ダンス・ダンス」「国境の南、太陽の西」「回転木馬のデッドヒート」のトリビュート作品があるらしいのですが、現時点では読むかどうかは未定です。

「翻訳文学ブックカフェ」新元良一著(本の雑誌社)

2009-01-15 | 村上春樹
「翻訳文学ブックカフェ」新元良一著(本の雑誌社)を読みました。
池袋の書店ジュンク堂で行われたトークイベントをまとめたもの。
英米文学の名翻訳家11人へのインタビュー集です。

若島正さん(主にリチャード・パワーズ「ガラティア2.2」の話)
柴田元幸さんは二回登場しています。
(一回目はダイベック「シカゴ育ち」の話、二回目はミルハウザーの話)
岸本佐知子さん(主にニコルソン・ベイカー「フェルマータ」の話)
鴻巣友季子さん(主に「嵐が丘」の話)
青山南さん(主にボイルの話)
上岡伸雄さん(主にドン・デリーロの話)
小川高義さん
(ボック「灰の庭」、アーサー・ゴールデン「さゆり」、ジュンパ・ラヒリなど)
中川五郎さん(主にブコウスキーの話)
越川芳明さん(主にエリクソンの話)
土屋政雄さん
(マコート「アンジェラの灰」、カズオ・イシグロ「日の名残」など)
土屋さんがコンピューターのマニュアル翻訳と並行して文藝翻訳していることは個人的に驚きでした。
トリは村上春樹さんです。
(オブライエン、カーヴァー、サリンジャーなど)

どのようにして「物語のヴォイス」(新元さんいわく全体の「響き」や「トーン」といったもの)を日本語で読者に伝えるか、翻訳家の仕事の苦労、そしてその楽しみなどについて語られた、豪華な一冊です。

印象的だった言葉をいくつか。

若島さん
「わたしは、構造的な美しさというものにどうしても惹かれるんですよ。
もちろん難しいことはいっぱい出てきますけど、けっしてごちゃごちゃしてなくて、読んでるときには非常にきれいな水の中を泳いでいるような感じの作品に惹かれる。」

柴田さん
「たとえばオースターだとまず主人公にととって自分の人生は一分の一なんだけれどそのほかの登場人物たちは主人公にとっての一分の0.いくつの存在だと思うんですよ。ところがダイベックはどの人の人生も一分の一なんだってことがよく伝わってくる。そういうものを本物の小説と定義するなら、やっぱりダイベックがいちばん本物の小説家だろうって僕は思うんです。」

「誰にでもある時期に本をガーッと読んで面白いと思って、その頃読んだものを基準に考えるようになっちゃって、そのあと何が出てきてもそれより落ちるよな、とか言ったり。だから次の世代のものというのは一番反応しにくいのかなと思うんですよね。自分もそうなっちゃうと悲しいなと思っていたから、アントリムとかユージェニデスがいいなと思えるのはすごくうれしいです。」

青山さん
「ヴォネガットの名言の一つに、うまい作家には「いいよ」、下手な作家には「うーん」と言うぐらいしかなくて、ほかには何もできないよ、というのがあります」

小川さん
「作家というのは英語の世界の達人揃いなわけです。原文が英語ならではの力を持って迫ってくるんだから、日本語ならではの力でなければ対抗できないだろうって。相撲で言うとがっぷり四つに組みたい、みたいな。
そうでないと、原文と並び立つくらいの翻訳はできないはずだと思うんです。」

「もしほかの出版社がラヒリの違う作品を出すことになってもやっぱり私に注文が来るとか。もっと言うと「ラヒリは俺の女だ!」ってどこかで思ってて。(笑)
それは冗談としても、著者と翻訳者の名コンビみたいな関係ができればうれしいですね。」

村上さん
「オブライエンは同時代を生きているという仲間意識かな。ライバルという感覚はぜんぜんなくて、むしろ励まされます。世界のどこかでちゃんといい仕事してる人がいるんだなあ、という気持ちですね。あったまるっていうか。」

当たり前ですがみなさん語り口も仕事の仕方もそれぞれなので、読み比べるのが面白かったです。