Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「スノードーム」アレックス・シアラー著(石田文子訳)求龍堂

2008-10-29 | 外国の作家
「スノードーム」アレックス・シアラー著(石田文子訳)求龍堂を読みました。
ある日、若い科学者クリストファー・マランが姿を消します。
彼はひたすら「光の減速器」の研究を続ける、少し変わった青年でした。
失踪の際、彼は同僚のチャーリーにある原稿を残します。
そこには、不思議な物語が綴られていました。

黒と白の装丁も美しい本。原題は「The Speed of the Dark」。
とても面白かったです。ネタバレあります。

すべてを読み終えてから初めのシアラーの序文を読むと、いっそう内容について考えさせられます。
「この作品は、なによりも芸術家と芸術についての物語であり、作品とそれを創造する人間の物語だ。そこには芸術を通してしか世界と関わることができず、人間的な交わりや愛を経験できなかった者の願いが描かれている。」

肉眼では見えない極小の彫刻をつくった醜い小男エックマン。
彼の創作のくだりはミルハウザーの描く主人公を思い出させるような緻密な職人ぶりです。
そして彼のいきついた欲望。
「この彫刻を動かしてみたい」

エックマンがポッピー、そしてロバートを続けて縮小させたのは嫉妬や屈辱からくる突発的な衝動、そして実験的な気持ちもあったのではないかと思います。
でもそのことを悔いる気持ちはあっても、もう元には戻せない・・・。
彼のこの行動は光の減速機のしくみそのまま表しているようです。
あるひとつの重大な過ち(闇)を通り抜けたら、もう前の自分には戻れない。
でもその過ちのあともエックマン、そしてポッピーたちの人生は続けていかなければならない。

スノードームの街を保護するエックマンの心理は興味深いものです。
後悔の念と、好奇心と、そして愛情も。さらに残酷さも。
「なんら責めを負うことなく残虐行為を犯しえる力が手に入ると、それを実行したいという欲望がかきたてられる」
なんだか登場人物にたいする小説家の立場も暗喩しているようです。
でも小説家には「登場人物を指でつぶしておしまい」というわけにはいきませんし、時に怒りにかられたとしてもエックマンもそうはしませんでした。
エックマンが生まれてきたマリアを可愛がったのも奇妙な形のひとつの愛。

訳者あとがきでは「この作品で描かれているのは「愛」。エックマンとクリストファーとの生活はもちろん偽りの愛でした」と語られていますが、そうではないと思います。
偽りではありませんが、もちろんただ「愛しい」というだけではなく、いろんな気持ちを含んでいたものであったろうとは思います。
3年という歳月。
彼の大切な人を奪った贖罪、自分ができなかった過去の願望を叶えたい欲望など。
でもそれは普通の親子にもあり得る感情です。

なによりクリストファー自身がエックマンの心のひだにまでわけいったこの物語を残したこと。
これこそがクリストファーがエックマンへの愛憎を抱えながらも彼の行動を許し、理解しようとした何よりの証拠だと思います。
エックマンの複雑な人となりがこの作品をストーリー以上に何倍にも奥深いものにしています。
「愛」というか、「執着」というか・・・このふたつがどう違うのか私にはきちんと説明ができませんが。

最後は同僚のチャーリーがスノードームの世話係を引き受けます。
シアラー流のハッピーエンドなのだと思いますが、私個人的にはこの部分はぼやかしてもよかったような気もします。あくまで好みですが。
この物語は本当にあったことなのか、クリストファーの空想なのかを闇に溶かしてもよかったような。

そうでないとスノードームのなかの奇妙な一家族だけの生活、なんだかその後まで気になってしまいます。
もうすぐ死ぬかもしれないロバート。そのあとクリストファーはポッピーと再婚してまた新たな子どもを産むのか?それともチャーリーが新たな女性をお嫁さんとして縮小させてドームに送り込むのか?家族は増えていくのか、それともクリストファーが全員を看取って終わるのか。(それも可哀想)
まぁここまで心配してしまっては本当に蛇足ですね。

シアラーの作品を読んだのはこれが初めてですが、ヤング・アダルト向けの作品を多く書いているそうです。
なにか彼のほかの作品も読んでみたいと思います。

「バーデン・バーデンの夏」レオニード・ツィプキン著(沼野恭子訳)新潮社

2008-10-28 | 外国の作家
「バーデン・バーデンの夏」レオニード・ツィプキン著(沼野恭子訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
冬のロシアを行く「私」の汽車旅。「私」はドストエフスキーの妻アンナの日記を携えています。ドストエフスキー夫妻のドイツへの新婚旅行と「私」の二つの旅が溶け合う物語です。
長くロシアに埋もれていたこの作品をイギリスの古書店でみつけた評論家スーザン・ソンタグが発掘し、彼女の序文つきで新版が刊行されて話題になった作品です。

アンナはもともと彼の口述筆記をしていた速記家で、彼が46歳の時、ふたりめの妻になりました。そのときアンナ20歳、その年の差26!
それなのにアンナがよくできていて、むしろドストエフスキーを包容しているかのようで頭がさがります。
もうちょっとだけ!あと一度だけ!と何度もいって妊娠中の妻を置いて、結婚指輪も質にまで入れて賭けにはまるフェージャ。
オープンサンドのおつりのことで激昂したり、「ここからとびおりるぞ!」と叫んでみたり、私だったらいくら優れた作家でも、彼の妻はやっていけない。
ドストエフスキーがアンナに看取られる最期の場面はとても静かな場面でした。

ドストエフスキーの各作品がところどころに出てくるので、ドストエフスキーの作品を読んでからのほうが面白いと思います。

「奇跡も語るものがいなければ」ジョン・マグレガー著(真野泰訳)新潮社

2008-10-26 | 外国の作家
「奇跡も語るものがいなければ」ジョン・マグレガー著(真野泰訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
イングランド北部のある通り、夏の最後の一日。
22番地の小さな眼鏡をかけた女子学生。彼女を密かに恋する18番地のドライアイの青年。19番地の双子の兄弟。20番地の口ひげの老人。そして、16番地の大やけどを負った男と、その小さな娘。
通りの住人たちの普段どおりの一日がことこまかに記され、そこに、22番地の女の子の、3年後の日常が撚りあわされてゆきます。
無名の人びとの生、そして死を語った物語です。

この物語はマイケルのお兄さんが語る「現代考古学」という言葉が一番近いかもしれません。世の中にはあまりにも人や情報が多すぎる、でも自分なりに世界をすくい取ってみたい・・・。
小さなとおりに住むさまざまな人たちの情景が描かれる中でもメインの物語は、3年後女の子が妊娠した物語。
自分の母へ懐妊を語ることへのためらい、出産への不安など、とてもリアルに思えました。

それから不治の病にかかった老人とその妻の話。
自分の祖父の死に際の話は彼自身の死をだぶらせているようで殊に印象的でした。

「じいさんはだんだんよくなっていくみたいだったんだ。それでじいさん、そのままいったんだ。すごくゆっくりとな、まるでびんに水がたまっていって沈んでいくみたいにな。」

無名の人生は決してつまらないものではなく、その中に生も死もつまっており、そして時に奇跡がひそんでいる・・・そう感じさせてくれる作品でした。


「目は嘘をつく」ジェイン・スタントン・ヒッチコック著(猪俣美江子訳)早川書房

2008-10-24 | 外国の作家
「目は嘘をつく」ジェイン・スタントン・ヒッチコック著(猪俣美江子訳)早川書房を読みました。
主人公は騙し絵画家、39歳で独身のフェイス・クロウェル。彼女のもとへ、美術品収集家として名高い大富豪の老婦人フランシス・グリフィンがやってきます。彼女の依頼は屋敷の舞踏室に、壁画を描くこと。
その屋敷でフェイスを待っていたのは、十五年前に起きて迷宮入りした殺人事件の暗い影でした。

誤解と理解を重ねながら少しずつ明かされるフランシスの人柄。
本筋の殺人事件を追う過程+芸術に関しての洞察の描写も楽しめます。
フェイスの過去の恋愛の回顧、現在の仕事のこと、老いつつある自分への自覚とまだ枯れられないという気概、女性として共感するところが多々あります。
一番最後に明かされる物事の真実・・・ハリーの言葉やディーンの反応、あぁそうだったのかと腑に落ち、やられた!という感じでした。



「本からはじまる物語」恩田陸ほか(メディアパル)

2008-10-19 | いしいしんじ
「本からはじまる物語」恩田陸ほか(メディアパル)を読みました。
18名の作家が「本」「本屋」をテーマにした掌編小説集です。

この本を手に取ったのはいしいしんじさん目当て。
「サラマンダー」期待どおりよかったです。犬に「サラマンダー」と名前をつけること自体娘さんのキャラクターを表しているようで面白いかった。
いしいさんはストーリーも面白いのですが、本当に言葉の達人。

「祖父は声に出して笑った。乾いた太鼓を指先で撫でるような声だった。私は祖父の気をひけたのが嬉しく、空のグラスにぬるい水を注ぎ足しながら、昔っからおじいちゃんは本がいちばんの宝物なんだね、といった。」

春の午後のふたりの情景。誰にもまねのできないいしいさんの絶妙な言葉づかい。
来月刊行予定のいしいさんの新刊、早く読みたいなあ。

「世界の片隅で」柴崎友香さんは今回初めて読みましたが、とても印象に残りました。好きな本、作家の話をからめた物語が多いなかで、書店の中で「自分が(たぶんこれからも)読んでいない本」「知らない本」が放つ空気を、海のように描く物語、面白かったです。

有栖川有栖さんの「迷宮書房」は、私が大好きな宮沢賢治のパロディで楽しかった。
梨木香歩さんの「本棚にならぶ」は出だしや設定はとっても期待できそうだったのですが、最後なんだか観念的に流れてしまった気が。
もっとぶっとんだラストでもいいような気がしました。

どの作品も本や本屋さんへの愛情がたっぷり詰まっていると思いました。
ただ18作品も集まっているので仕方ないのかもしれないのですが、本がはばたく鳥にになる、本の背表紙が暗号になっているなど、発想がかぶっている作品がいくつかあったのがちょっと残念。

「ハリー・ポッターと謎のプリンス」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社

2008-10-17 | 児童書・ヤングアダルト
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社を再読しました。ネタバレあります。
出だしからベラトリックスとスネイプ先生のバチバチの対決。
「我輩がもっていたダンブルドアの16年分の情報を闇の帝王はお喜びだ。ご帰還祝いの贈り物としては、アズカバンの不快な思い出の垂れ流しより、かなり役に立つものだが・・・」痛烈な皮肉。でも痛快。
死喰い人の間でもスネイプ先生のいやみ健在。

今巻ではヴォルデモート卿の子ども時代~青年時代までが描かれます。
ダンブルドアが哀しい顔で語る「きみの洋箪笥を燃やして怖がらせたり、君が犯した罪を償わせたりできた時代は、とうの昔になってしもうた。しかしトム、わしはできることならそうしてやりたい・・・できることなら・・・」の言葉。
何度もやり直せる機会はあったのに、何年もかけて自分自身で自分の人生をねじまげてしまった悲しみ。
最後塔の上でマルフォイにかけた言葉もそうですが、ダンブルドアは厳しいだけでなく、本当に情け深く魂の強い先生だと思いました。

それから何をやってもラッキーになるというフェリックス・フェリシスという薬が面白かったです。
スラグホーンからどうやって記憶をひきだすんだろう?ハグリッドからどうつながるんだろう?と思ったけど、やった!という感じでした。
ダンブルドアが「きみの心を映すみぞの鏡が示しておったのは、不滅の命でも富でもなく、ヴォルデモートを倒す方法のみじゃ。ハリー、あの鏡に、君が見たと同じものを見る魔法使いがいかに少ないか、わかっておるか?」と語りましたが、それはフェリックスの使い方を見てもよくわかります。
一回はスラグホーンの記憶をひきだすため。
残りは仲間の命を救うため。
私ならハリーのように上手には使えないだろうなあ・・・。

ハリーが助けてもらったプリンスの正体が実はスネイプ先生だったとは驚きでした。
ハリーが大嫌いな先生ですが、実は個人教授をしてもらっていたようなものですね。「プリンス」という母方の魔法使いの血筋を名乗っていたのは、スリザリンの寮に強く在る考え方なのでしょう。純血こそが魔法使いという考え方のなかで、純血の生徒よりずっと才能のあるスネイプ先生は悔しかったでしょうし、生きづらかったでしょう。
自分で呪文を考え出すほど学生時代からぬきんでていた才能。
騎士団からも、死喰い人からも頼りにされている有能さ。

でもマグゴナガル先生が「私たち全員が怪しんでいました」とスネイプ先生について言うのはなんだか可哀想でした。
16年間も職をともにして、同じ騎士団で働いていて「セブルス」とファーストネームで呼ぶマグゴナガル先生だけは、ダンブルドアが亡くなっても、何か事情があるものとスネイプ先生をかばってほしかったな・・・。
みんながスネイプ先生を認めていたのはその能力についてだけで、心については誰も信じていなかったという事実がつらい。確かにスネイプ先生自身が口も悪いし、えこひいきもするし、およそ人好きのする性格ではないからでしょうが。

誰よりも才能に恵まれている。
でも友達はいない、家族もいない。信じてくれる人は誰もいない。
それなのになぜヴォルデモートのようにならないのか?
私には周囲の愛情に支えられたハリー対、世界に背を向けたヴォルデモートというよりは、スネイプ先生対ヴォルデモートの対比がとても気になります。
そして物語はいよいよ最終章へ!

「ナイフ投げ師」スティーヴン・ミルハウザー著(柴田元幸訳)白水社

2008-10-16 | 柴田元幸
「ナイフ投げ師」スティーヴン・ミルハウザー著(柴田元幸訳)白水社を読みました。
緻密な描写で魔法のように風景を切り取るミルハウザー。
そんな彼が描く、さまざまな物語の味が楽しめる12の短篇集です。

表題作は評判のナイフ投げ師ヘンシュの話。
彼は「ぎりぎりのところで傷をつける」新しい技を見世物にしています。
彼のショー、黒魔術の儀式みたいでこわいけれどちょっと見てみたい・・・。

それから私の印象に残ったのは「ある訪問」。
友人の奥さんはカエル??
ミルハウザーには珍しい、突拍子もない設定が面白いです。
「私」の語る日々の暮らしについての文章にも思わず共感。

「あと一歩のところまで行った結婚話、刺激を欠いた友達付き合い、何かしらを欠いた女友達、やりがいのある、でもあのころ求めていたのとはなんとなく違う仕事のこと、物事はうまく行っているのだけれどさりとてこれで完璧とは思えない気持ちのこと、自分が不幸ではないけれど真に幸福でもなく、その中間のどこかに囚われていて幸福・不幸の両方を眺めていることを私は彼に話した。」

それから「月の光」は描写がとても美しくて、丹念に文章を読む楽しみを味わいました。

「空気は月の光の濃度をどんどん増していって、足はスポンジのように濃い空気を踏んでいる気がした。奇妙な浮揚感を僕は感じ、ふと足下を見ると、僕は歩道のわずか上を歩いていた。(中略)
月に照らされた木の葉の群れを僕は見下ろし、街灯のてっぺんを、木々の下で白いはしごみたいに傾いでいる幾筋かの月光を見下ろした。僕はそこからさらに高くのぼっていって、とうとうそよ風を捉えた僕は、自分の体が夜の青い国々へ運ばれていくのを感じた。」

ミルハウザーの作品はどれも本当に体験したかのような「触感」を感じさせてくれるのが不思議です。

「蟋蟀(こおろぎ)」栗田有起著(筑摩書房)

2008-10-15 | 日本の作家
「蟋蟀(こおろぎ)」栗田有起著(筑摩書房)を読みました。
生き物を表題にした10の短編集です。
手を握ったひとの未来が見える占い師「サラブレッド」。
研究室に大きな水槽を持ち込んだ優秀な秘書「あほろーとる」。
夫の出世で住むことになった社宅の不思議なサークル活動「猫語教室」。
栗田さんらしい、風変わりで独特のユーモアがある作品が集まっています。

今までの栗田さんの作品は「ありえないけど、あったらいい」という奇妙なお仕事を描いた作品が多かったと思います。でも本作は今までより、より現実的、現実にあるかも?と思える作品が多かったです。
その分ちょっと独特の「ぶっとぶ感覚」には欠けるかも。

その中でも私が面白いと思ったのは「さるのこしかけ」。
雷に打たれて死のう!と山伏のコスプレまでして山に出かける主人公、笑える。そして最後は胸にぐっときます。
ちょっと村上春樹さんの「品川猿」を思い出しました。

それから「鮫島夫人」。
主人公と鮫島くんのふたりの友情に包まれた結婚生活。鮫島くんの乙女っぷりがよい。奇妙な人間関係なのですが、なんだかほのぼのとした読後感の作品でした。

「いのしし年」は同じ女性としてなんだか身につまされました。
特に「私に課せられたのは、上に登るためではなく、なるたけ下へ落ちないための、努力だけだ。」というくだり。
それにしてもあの美しい女性はなんだったのかなあ・・・。



「わたしの沖縄食紀行」平松洋子著(集英社)

2008-10-15 | エッセイ・実用書・その他
「わたしの沖縄食紀行」平松洋子著(集英社)を読みました。
沖縄の人々と食文化を探る旅の記録です。
島豆腐、ぶくぶく茶、ゴーヤーチャンプルー、泡盛、パッションフルーツ、味噌、ソーキ汁、旧正月の祝い料理。

東京のスーパーでは見たこともないような食材を使う料理が多くてびっくり。
ピィヤーシ、パパイヤ、ヨモギ、島にんじん、月桃。
来週から沖縄旅行なので行く前の楽しみが広がりました♪


「旅するつあーめん(下)」ニシイトシヤス著(羊土社)

2008-10-14 | エッセイ・実用書・その他
「旅するつあーめん(下)」ニシイトシヤス著(羊土社)を読みました。
ようやく憧れの南米に辿り着いた著者。さらに再突入したアフリカ。
上巻にひきつづき笑える世界一周旅行の日記です。

面白かったのがボリビアで売った忍者ぼうるの話。
ナミビアの都道府県サファリ。動物を県にたとえるわかりにくさと面白さ。
モザンビークでは交通事故にあってびっくり!大変だったんだなあ・・・。

エチオピアで10歳のゴードンくんにガイドをお願いしたのは正直どうかなあと思ったけど・・・まあいまさら言ってもせんないことだとは思いますが・・・親元を離れて暮らす子供に、お金をかせがせる蜜の味を教えていいのかなあとちょっと思いました。

この旅行記以外の記事はこちらのブログで見られるみたいです。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9703/travelmain.htm