Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「村上春樹ハイブ・リット」村上春樹編訳(アルク)

2008-12-30 | 村上春樹
「村上春樹ハイブ・リット」村上春樹編訳(アルク)を読みました。
「ハイブ・リット」とは、hybrid(混成の)とliterature(文学)の合成語だそうです。CD付の本で見開きの左側が英語、右側が日本語となっており見比べることができます。
収録作品は三作品です。
1.レイニー河で/ティム・オブライエン作(朗読:作家本人)
2.ささやかだけれど、役に立つこと/レイモンド・カーヴァー作(朗読:グレッグ・デール)
3.レーダーホーゼン/村上春樹作(朗読:ジャック・マルジ)

1.2は村上さん日本訳、3はバーンバウム英訳。
冒頭に村上春樹さんの前書き(4P)と、各作品に柴田元幸さんの短い解説がついています。

英語原文には目を通してないのですが(わからないので)・・・、耳を通して聞くだけでネイティブ気分!?特にカーヴァーの作品は単語も難しくないので英語オンチの私にもなんとなく場面展開がわかります。朗読の人も抑揚があってききやすいです。

「レイニー河で」(「本当の戦争の話をしよう」収録)は久しぶりに読み返しました。前に読んだときは「ベトナム戦争の話か」とひとごとだったのですが、今回読み返してみて、自分も同じように徴兵される立場になったら・・・とその恐怖と怒りと不安をじっとりと感じました。
「私の良心は逃げろと告げていた。しかしなにかしらの非理知的で強力な力がそれを押しとどめていた。要するにそれは、ばかばかしい話だが、体面のようなものだった。根が深くて、ホットで、切実で、愚かしい、体面という感情。」

「ささやかだけれど~」は、柴田さんの解説に「特にいろんな物の表情が豊かである。しかしそれが「○○のシンボル」とすっきり割り切れるわけでもない。その適度な能率の悪さが小説的になんとも雄弁である」と書いてあり、そう意識して読むとカーヴァーの現実を描写する力になるほど・・・と改めて納得させられました。

「レーダーホーゼン」も久しぶりの読み返し。やっぱり村上さんの文章は面白い。そしてバーンバウムさんの会話の翻訳のテンポもうまい。
欲をいうのならば村上さん自身の声で朗読が聴きたかったなー。
もしくは、ボーナストラックで「かえるくん東京を救う」の英訳(村上さんのかえるの鳴きマネつき)がついていたらよかったな。


「吟遊詩人ビードルの物語」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社

2008-12-30 | 児童書・ヤングアダルト
「吟遊詩人ビードルの物語」J・K・ローリング著(松岡佑子訳)静山社を読みました。
ハリー・ポッターシリーズ内で「魔法界の子どもたちはみんな読んだことがある、魔法界のおとぎ話」として登場する本です。(「グリム童話」のような存在?)
特に最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』で、ダンブルドア教授がハーマイオニーに遺贈した本として登場します。
このうちの1編「三人兄弟の物語」は特に物語のキーとなっていました。

5編の物語はハーマイオニーによる新訳、
さらにダンブルドア教授の魔法史に関する所見や感想などを記したメモ付、
J.K.ローリングによる新たな紹介文付き(さらに著者自身のイラストも)
という形式で本が編集されています。
松岡さんによる訳者あとがきはありません。
収録作品
• 魔法使いとポンポン飛ぶポット
• 豊かな幸運の泉
• 毛だらけ心臓の魔法戦士
• バビディ兎ちゃんとぺちゃくちゃ切り株
• 三人兄弟の物語

こういう寓話、いかにもどこかの国の昔話にありそうだなーと単純に楽しめます。
ダンブルドアの解説も辛口でよいです。
冒頭作品から読者に対して「お人好しのあんぽんたん」よばわり。
ブロクサム女史による「子どものためを思った」書き換え版を子どもは誰も喜ばなかったという顛末も面白い。
とうとう終わってしまったハリー・ポッターですが、この新刊でまたちょっとハリーの世界の空気を味わうことができて、オマケがついた得した気分。

「食堂かたつむり」小川糸著(ポプラ社)

2008-12-30 | 児童書・ヤングアダルト
「食堂かたつむり」小川糸著(ポプラ社)を読みました。
インド人の彼に衝撃的な失恋をしたあと、ぬか床を抱えて故郷に戻った倫子。
いつのまにか声が出なくなっていた彼女は実家の離れで一日一組限定の食堂を始めます。

イラン料理のザクロカレー。
拒食症のウサギに何をつくるか?
恋をかなえる料理。
チョコレートを削ってつくった練りココア
一服するためのほうじ茶のチャイ

など、登場する手のかかった風変わりな料理はどれもおいしそう。

小説家としては著者のデビュー作といえる本作。
単調な文体(特に食堂たちあげ部分。後半の豚面)と乙女チックな比喩(メレンゲのような雪、雨のシャワーを浴びてキラキラと輝く森、など)、ご都合主義な展開などにはちょっとつまずきつつ読みましたが・・・、とにかくご飯がおいしそう。
それぞれの料理とお客さんと料理のエピソードが面白いので、章立てした方が読みやすかったのではないかなと思いました。

「蒼穹の昴(第一巻)」浅田次郎著(講談社)

2008-12-25 | 日本の作家
「蒼穹の昴(第一巻)」浅田次郎著(講談社)を読みました。
「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」
中国清朝末期、田舎暮らしの貧しい糞拾いの少年、春児(チュンル)は、占い師、白太太(パイタイタイ)から途方もない予言を受けます。
彼はその予言を信じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分、文秀(ウェンシウ)に従って都へ上りました。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に二人は歩み始めます。
この「蒼穹の昴」の続編が「中原の虹」。先に「中原の虹」を第二巻まで読んでしまったのですが、引き返してこの「蒼穹の昴」から読み進むことにしました。

幼い春児、たくましくて優しくてかわいい!
う~ん、やっぱり「蒼穹の昴」から読めばよかったです。残念。大人になった春児の目線から振り返って子ども時代をたどるのと、幼い春児の目線からこの先どうなるのかどきどきしながら読むのとではまったく楽しさが違いますから。

この本では春児、文秀の生きる道筋を追う楽しさだけではなく、科挙の仕組み、内容(天文学的な難しさ)から、宦官の運命の非道さ、手術の様子(めちゃめちゃ痛そう・・・)など中国独自の文化をお勉強としてではなく、小説の中で自然と知ることができて面白いです。

そして浅田さんらしい「芝居として絵になる」場面も数々。
春児が月夜に盲目の胡弓弾きに会う場面。
文秀が楊老子とは知らずに訪問を受け問答する場面。
「君ほどの学問を積んだ人間が、偏屈であろうはずはない。事情は知らぬが、つまらぬ芝居はもうこれきりにしたまえよ」
今まで「落ちこぼれ」と目されてきた文秀の心を一言で裸にした、楊の鋭くも優しい言葉です。

文秀と春児には今後どのような試練が待っているのか・・・。第二巻につづく。

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2010.10.29追記

以前BSHiで放送されていたドラマ「蒼穹の昴」が、いよいよNHK総合で放送されるようになりましたね!(日曜夜11時から)毎回楽しみに見ています。
田中裕子さんの演じる皇太后が威厳がありつつも母性を感じさせてすばらしいし、春児の京劇姿も美しくてうっとり。
そして文秀などの中国人の方の演技が芝居っ気満載(というか、やりすぎ感・・・)があって日本とは違うなあと、お国柄が感じられて面白いです。
その中で日本人のメンタリティにもばっちりマッチするのが光緒帝の役の張博(チャン・ボー)さん。抑えた演技で、高貴で知的で陰のある皇帝を見事に演じていらっしゃいます。第四回のハマグリ姿もおちゃめ。
ドラマは全25回。最終回まで全部見るぞ~!

「パワー」ル・グウィン著(谷垣暁美訳)河出書房新社

2008-12-19 | 外国の作家
「パワー」ル・グウィン著(谷垣暁美訳)河出書房新社を読みました。
「西のはて」の物語三部作の第三巻です。
ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。

舞台は都市国家エトラ。幼い頃に姉サロと共に、生まれた土地・水郷地帯からさらわれ、エトラの館で奴隷として育った少年ガヴィア。
彼にはたぐいまれな記憶力と、不思議な幻を見る力が備わっていました。
主人の息子たちと共に教育を受けながら、一家に忠誠心を抱いて成長したガヴィア。姉の事件を境に、彼の人生が変わっていきます。

「自由とは、おおざっぱにいえば、ほかの選択肢があるのを知っているかどうかという問題なのだ」

奴隷として恵まれた生活を送り、そのことに何の疑問を持っていなかったガヴィア。でも「奴隷制度」は主人と奴隷との「信頼」によって成り立っている制度ではない。主人に一方的な「権力(パワー)」があるだけなのだと姉の死によって気づきます。

エトラを離れたガヴィアが次に出会うのはブリギンたちの村、次いで逃亡奴隷たちが自治を行っている「森の心臓」。
「みなが公平に暮らす」を旗印にしてはいますが、実際は長であるバーナが美しい女たちを独り占めにし、「力(パワー)」のある男たちがより弱い男たちを従えている世界。
物語の中ではさまざまな社会形態が登場し、またいろいろな形の「力」が登場します。

そして舞台はガヴィアの出生地水郷地帯へ。
独自の文化を持つ閉じた社会の中で血のつながったおば、おじと出会うガヴィア。
「目使い」ドロドに幻(ヴィジョン)の能力について説明を求めるガヴィア。
ここは奴隷として隷従していた時と比べ、ガヴィアの変化を強く感じた場面です。

おばゲゲマーが見た幻(ヴィジョン)により水郷地帯を離れ、メサンに向かうガヴィア。
過去の鎖、ホビーに追われる場面、なんとなくゲド戦記の「影とのたたかい」を連想しました。

最後オレック、グライ、メマー、シタールの前二作の登場人物たちとガヴィア、メルが出会う場面。読んでいる私自身も昔からの友人にであったようで本当にほっとし、心が温かくなりました。

冒険の旅物語として、とても面白い第三巻。本のヴォリュームも三部作の中で一番です。75歳を超えているのに、このようにパワーのある作品を生み出せるグウィン、脱帽です。




「見知らぬ場所」ジュンパ・ラヒリ著(小川高義訳)新潮社

2008-12-18 | 外国の作家
「見知らぬ場所」ジュンパ・ラヒリ著(小川高義訳)新潮クレスト・ブックスを読みました。
第一部は5篇。
母を亡くしたのち、旅先から絵葉書をよこすようになった父。ひとつ家族だった父娘がそれぞれの人生を歩みだす「見知らぬ場所」。
母が「叔父」に寄せていた思いとその幕切れを描いた「地獄/天国」。
夫の昔の女友達の結婚式に向かう夫婦の様相「今夜の泊まり」。
道を逸れてゆく弟への、姉の失望と愛惜の「よいところだけ」。
ポールのすむ家に新しいハウスメイトとしてやってきた女性サングとのやりとりを描いた「関係ないこと」。
第二部は3つの連作短編。
子ども時代をともにすごし、やがて遠のき、ふたたび巡りあった二人の三十年を描いた「ヘーマとカウシク」。
満場一致でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞した、ジュンパ・ラヒリの最新短篇集です。

ピュリツァー賞を受賞した「停電の夜に」ではインドを母国とする父母の世代と、その子でありアメリカで育った自分の世代との違和感や、自身のルーツへの愛着などが語られていましたが、今回の短篇集ではさらに自分たちの幼い子の世代までつながる時間が語られます。

表題作「見知らぬ場所」では幼いアカーシュを育てているルーマ。年老いた父親が自分たちの家に訪ねてきた一週間。専業主婦にならず仕事を探すよう薦める父、孫を可愛がる父、同居を切り出したほうがいいのか悩むルーマ・・・などちょうど私の世代の今の状況にぴったりで、他人事と思えず感情移入してしまいました。

同様に共感してうなずいてしまった文章は「今夜の泊まり」。

「二番目が生まれてからはどうしたら夫婦が同じことをせずに、それぞれの時間を持てるかという工夫をこらした。そういう時間が楽しみになってくると、しまいには一人で地下鉄に乗っていることにその日の幸福を感じるというような、ひどい事態にもなる。つまり生涯の伴侶を求めて、やっと見つけたその人と家庭を築いて、子どもが生まれたのに、いつしか孤独こそが味わうべきものとなり、ちまちま小分けしたような分量であっても、なんとか一人の時間があるおかげで、かろうじて正気を保っていられるというのだから、ひどい事態なのである。」

え、これ「ひどい事態」?私は当たり前だと思っていましたが。(自分の誕生日に「ひとりで過ごす時間」をリクエストしたくらいなので・・・)
いつも夫婦一緒にいたいと思うのがアメリカ人流なのか、単に私個人が一人の時間好きだからなのか??

「よいところだけ」の、息子との仲介役・調停役に長女を頼る親は、移民だからというだけでなく、いかにもどこにでもありそうな家庭の姿だなと思いました。
スーダの「もう話なんかできない。いまさら直しようがないじゃない。この家のおかしなところを、あたしが直してばっかりいられるわけがないのよ。」と投げつけた言葉。「いつ、なにが原因で」ということではなく、「いつか」もわからず少しずつ堆積していっていきついた本意でない「今」。そしてそこからどう家族の関係・未来を変えていくのかを興味深く読みました。
最後の痛烈な一言はいかにもラヒリらしい幕切れです。

どの作品をとってもハズレがないのがさすがジュンパ・ラヒリ。
ずっと新作が出る限り読み続けていきたい信頼できる小説家です。

「四とそれ以上の国」いしいしんじ著(文藝春秋)

2008-12-15 | いしいしんじ
「四とそれ以上の国」いしいしんじ著(文藝春秋)を読みました。
いしいしんじさん待望の新刊!
ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。



すべて四国が舞台になっている短編集です。
収録されている短編の数も表題と同じ4+1の5篇。短編の題名はすべて漢字一文字になっています。

「塩」
この本で私が一番印象的だった作品はこれです。

語り手は12人の異母兄弟の末っ子ユキ。
この12人の兄弟たちの名前がまたすごい。「三女イノシシ」とか、「シオマツリ」という同じ名前をもつ五女と次男とか。なくなった兄弟の名前はついぞわからず。

舞台は香川県の小さな町、仁尾そして高松の箱屋へ。
ここの女主人がこわいです。
「女主人は人間を見るのが好きなのだった。正確には人間がだんだんどうしようもなくなっていうのを見る、そのことをしたいと思っているのだった。
女主人は、世間的に、一見どうしようもないと思われる人間にも、さらに一層どうしようもなくなる可能性がある、ということをわかっていた。」

薄笑いを浮かべながら知能障害のあるウキと人形浄瑠璃を見に行くようになる女主人。浄瑠璃で繰り広げられる暴力、殺人。
そこで受けた衝撃を逃がすすべも知らず奇声をあげ、のたうちまわるウキ。
あおりたてる女主人。この場面の描写は壮絶です。

それから常人には見えないけれどユキには見える「筋」も不思議です。
地面をはっていったり、女主人の腕にうきあがったり。
これは血の筋なのでしょうか?地のエネルギーなのか、死者の指し示す道なのか・・・。
不思議といえば瓶に入った四女、(塩で鎮まったり暴れたり)
スティーマー(登場人物の中では唯一物をわきまえた人らしいのですが誰なのか)
など、この作品には不思議な要素だらけです。

そして物語は塩祭りの日へ向かいます。
家々の屋根や橋の欄干に積もる塩の結晶のきらめき、思い描くだけで美しい。
そして祭りのクライマックスで起きた大地震。
みそっかすだったユキの最後の変化にはびっくりしました。


「峠」

祖母の病気を見舞っていた高校教師。祖母の病が峠を越したので、自分も峠を越そうと、愛媛・松山から電車で高知へ。
夏目漱石と小泉八雲。
外国と日本、教師としての仕事などの思考が進むうち、彼は鰍沢(かじかざわ)という卒業生に会います。
紅のてぬぐいをさした乗客たち、鰍沢の売るウグイ丼。
現実と幻想のなか列車は進みます。


「道」

四国をめぐる男の巡礼の旅。
考えてみると、四国は霊場をめぐる道にぐるりと囲まれていて、とても呪術的な土地なんですね。
男の歩む道と交差する記憶の道筋。男は遍路宿へ、海沿いの巡礼路へ。

「捕鯨の漁師たちは昼間のぼさぼさ髪を日暮れまでに刈り揃え、白いシャツや赤いチーフで着飾っていた。半数以上が平たいきのこのような丸帽をかぶり、パイプから煙をあげているものもいた。角を曲がると鯨の絵の描かれた酒の瓶を縁台に置き麻布を巻いただけの老人がふたり茶碗で飲んでいた」

もっといい場面があるだろう!といわないでくださいね・・・。
いしいさんはこういう何気ない力の抜けた場面の情景の描写がとても上手だと思います。しみじみ情景を思い浮かべてしまいます。


「渦」
病院に入院している弟と、見舞いにきた男。
南半球で野球が発明されていたらダイヤモンドは右回りになっていた?
馬に利き足はあるのか?などの考察が面白いです。
正岡子規が書いた野球のルール書で一塁手・二塁手を「番人」と表現しているのは初めて知りました。
ほかの作品ではちょっと理が優っているかなという描写もあったのですが、この作品では知識と物語が有機的にかみあっている印象を受けました。

鳴門の渦潮、野球のダイヤモンド、空気の渦、記憶の渦。
まわっているだけではない、なにかが注ぎ込んでくる、それで渦を巻く。
遠くに飛んでいく男の意識。


「藍」

舞台は徳島。
発酵が進む染料・藍になる一歩手前の「すくも」。人間でいえば十六、七。
その「藍」が逃げ出します。それを追う男、五郎。
こういうおとぎ話のような話、大好き!
藍玉を追ううちに舞台はまわりまわって仁尾へ。
塩田、浄瑠璃、うどん、札所、カリエス。
前四作に登場したキーワードがあちらこちらに登場します。
いしいさんの描くラストは暖かくてよかったですが、もし私だったらもっと民話のような荒唐無稽なラストにするかも?たとえば藍をお嫁さんにするとか?

前作「みずうみ」第三部で特に固有名詞にこだわって描写していたいしいさんですが、今回の作品でも、土地と物語が密接に関係している印象を受けました。
四の国、そして「それ以上」。
記憶、死者、自分の中に流れている血とその時間。
なんだか四国を歩いてみたくなったなー。

面白かったのですが、わずかに消化不良なのはいしいさんの真骨頂は長編小説だと思うから。
(ちなみにMy Bestは「麦ふみクーツェ」です。ねこ。)
前作の「みずうみ」もどちらかといえば連作短編よりの長編でしたし、次作こそ長編小説が読みたい!・・・と早くも願ってしまう欲張りな私・・・。



「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ著(須賀敦子訳)白水社

2008-12-12 | 外国の作家
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ著(須賀敦子訳)白水社を読みました。
失踪した友人シャヴィエルを探してインドを訪れた主人公ルゥ。
彼がたずねたのはホテルとは名ばかりのスラム街の宿。
すえた汗の匂いで息のつまりそうな夜の病院。
夜中のバス停留所。
ルゥはわずかなてがかりをもとにボンベイへ、マドラスへ、ゴアへ。

猿の様な姿の占い師の少年の予言。
椅子に座った芝居がかった老人の夢。
フィラデルフィアからきた郵便配達の男の話。
何が現実で夢なのか、語り手は僕だったのか彼だったのか?
「分身」というと神経症の話のようですが、その部分の怖さはとても静かに訪れるので、わけがわからないながらも受け入れてしまいました。不思議な感覚の物語です。
インドのいかがわしい混沌を描写していながら、不思議と「熱」を感じない、幻想的な不思議な夜の世界が描かれています。

「ヴォイス」ル・グウィン著(谷垣暁美訳)河出書房新社

2008-12-11 | 外国の作家
「ヴォイス」ル・グウィン著(谷垣暁美訳)河出書房新社を読みました。
「西のはて」の南の都市国家アンサル。
そこは砂漠の民族オルド人の侵略によって、かつての栄光を失いました。
文字を邪悪なものとして恐れるオルド人は書物をもつことを固く禁じました。
アンサルの名家で育った少女メマーは、オルド人たちを憎み、復讐を心に誓いながら成長します。
ある日メマーは一族の館の小部屋に本が隠されていることを知り、当主である「道の長」からひそかに教育を受けるようになります。
そしてメマーが十七歳になったばかりの晩春、アンサルに高地生まれの詩人オレックと、その妻グライがやって来ます。
西の果ての年代記の第二作目です。

第一巻「ギフト」では主人公だったオレックとグライが年を重ねて名脇役として登場するあたり、ゲド戦記の流れと共通するものを感じます。特に、グライがある動物を連れて登場する場面は華やか。何の動物かは読んでのお楽しみ。
そして語り人オレックの物語に皆が(王までも)耳を傾けることもすばらしいことだし、一巻の少年時代のオレックを読んだあとでは単純にうれしい。
言葉、歌の深い力を感じさせてくれます。
それにしても文字を書くことも読むことも禁じられるなんて、活字中毒の私には考えられない辛い世界。

アンサルは町や家に小さな祠をもつ多神教の街。
対して侵略者であるオルド人たちがあがめるのは一神教、太陽と火の神アッス。
単なる宗教の対立だけではなく、オルド人内でも神官側・軍隊側などの利権争い。複雑です。
それにしても自分たちのあがめる神と違うからといって「魔物」扱いでは確かに友情や平和が訪れるはずもありません。

この物語で主要人物以外に特に印象的だったのは馬丁のグディット、それから館の家事をとりしきっているイスタ。
荒廃した屋敷にいるにもかかわらず、馬房の掃除を怠らないグディット、客人にはなけなしの財をはたいておいしい食事でもてなすイスタ。
苦しく虐げられた世の中でも、誰に強制されるでもなく、自分たち自身のために「生活」をあきらめない。たくましく頭のさがるふたりです。
「道の長」が「貧乏人ほど太っ腹なものです」とユーモラスに語りますが、その意味するところは貧乏人ほど飢えも寒さも辛さを良く知っているからこそ、他人の苦しみを見逃せず助けようとするということでしょうか。

そして物語は「目には目を」ではない方向へ・・・。
物語としてはスカっとする単純な結末ではないですが、ル・グウィンらしい深い洞察力に支えられた解決策だなあと思いました。



「スマイルプランツ 幸せを運ぶ植物たち」山本順三著(誠文堂新光社)

2008-12-09 | エッセイ・実用書・その他
「スマイルプランツ 幸せを運ぶ植物たち」山本順三著(誠文堂新光社)を読みました。
「サボテンを枯らす女」でも大丈夫?の比較的育てやすい植物を紹介。
紹介されているのは多肉植物とサボテン、ブロメリア、ティランジアなどのプランツ70種。
栽培カレンダーやじょうずな水やり方法、植え替えやふやしかたなどの簡単な実用書にもなっています。

「月兎耳(つきとじ)」というぴょこんと細長い多肉植物や、「黒王丸(こくおうまる)」という黒くて太いトゲのあるサボテンなど、名前も見た目も珍しくて面白いです。植物の名前だけで小説が一冊書けそう。
ただ、トイカメラで撮ったようなピントの甘い写真は好みの別れるところでは。
私としてはもう少しはっきりと葉や花の形がわかる写真がよかったかな。